第10回 トルファン「海より低い砂漠」(後編)
19 Apr 2017
ぶどう干し小屋から教えられたトルファンにおける建築のつくりかたのエッセンスは、レンガとポプラと少しの枝葉で影をつくり、風を通すことだった。
トルファンでは、7軒のウイグル人の家を訪問した。以下がそのうち6軒と、前回のぶどう干し小屋群の位置をプロットした図である。格子状の広い道が広がる中心部には漢民族が多いらしく、その周りの緑が多いところにウイグル集落は位置している。
ウイグルの家でまず驚いたのは、外部空間の広さである。彼らは夏場、中庭に置いた大きなベッドで眠るのだそうだ。その中庭はぶどう棚の屋根によって日陰を獲得し、非常に気持ちの良い空間となっている。僕が宿泊した宿もウイグルの家を改修したもので、クーラーの無い部屋が暑すぎて夜中に中庭に出てみたら、そちらの方が断然快適に眠れたことが思い出される。そうしてまずは自分の身体で「ウイグルの空間」を感じたのである。
夏場は外で眠る彼らも、寒い冬場にはそういうわけにはいかない。開放的な中庭の横には、レンガ造の堅牢な家が建てられているのが常である。そこは開口部も少ない、まさにシェルターのような空間で、夏にはほとんど使われていないらしかった。
夏はぶどう干し小屋のような風通しの良い日陰空間で涼み、冬はレンガの中で寒さを耐え忍ぶ。つまりトルファンにおける生活の知恵は、季節によって敷地内を人間が移動することであった。そのため内部空間(レンガ小屋)と外部空間(中庭)が同じような割合で敷地内に並存し、それがウイグルの家の基本形態となっているのである。
さらに以下の写真のように、中庭の屋根が丈夫につくられているものもある。それを支える柱は、最近では鉄骨の柱に取って代わられているものもある。本来この土地にはなかった近代的な材料を部分的に取り入れつつも基本形態を変えないのは、このスタイルがいかに土地に適合しているかの証である。
しかし、このように中庭をレンガ造の小屋で囲ってつくる場合、プライバシーは確保できるが光や風を獲得するのはむずかしい。そこでよく見てみると、屋根に接する壁の上部に、ポツポツとレンガのスキマがつくられているのがわかる。文様のようにもなっているが、光と風を取り込む窓なのである。
後にトルファン近くのピチャンという村で訪れた家で、この不思議なスキマの重要さに気づくことになる。
老人2人と少年がお茶をしている中庭を門から覗いていたら、招いてもらえた。アッサラームアライクム(ムスリムの挨拶)。老人は僕にナンのような硬いパンとお茶をもてなしてくれて、小学生くらいの少年が家を案内してくれることになった。
近くの砂漠からの砂の飛来とも関係しているのかもしれないが、この家も中庭を囲い込んでつくられている。そして屋根の下にスキマが見える。このスキマによって屋根は浮き、光と風を取り込んでいる。間接的に入ってくる光は柔らかく、強い太陽光の緩衝材にもなっている。
少年の案内で屋根の上に登ることができた。この「浮いた」屋根を外から観察すると、以下のようになっている。
文様を描くように開口部が二段につくられ、その上にポプラと葉っぱによる藁絨毯のような屋根が載っている。
僕はこの開口部こそが、彼らの建築的工夫のなかで最も重要な装置であると思った。興奮した僕は部分詳細図などを書きはじめ、この奇妙な東洋人を少年は不思議そうに見ていた。
あたりを見回すと、周りの家も思い思いの方法で屋根を浮かせている。彼らの生活の5mほど上のあたりに、光と風が自由に出入する世界が広がる。「浮いた屋根」は、厳しすぎる自然を人間の生活レベルに近づける、小さく巨大な発明なのであった。
田熊隆樹/Ryuki Taguma
1992年東京生まれ。2014年早稲田大学創造理工学部建築学科卒業。卒業論文にて優秀論文賞、卒業設計にて金賞受賞。2014年4月より早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程在籍。2014年6月、卒業設計で取り組んだ伊豆大島の土砂災害復興計画を島民に提案。2015年度休学し、東は中国、西はイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する (台湾では宜蘭の田中央工作群にてインターン)。