鼎談 イワン・バーン × ホンマタカシ × 塚本由晴
写真の中の窓
09 Mar 2020
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これまでレム・コールハース、伊東豊雄らによる世界の著名建築作品を撮影してきたイワン・バーン氏、窓学に研究参加し「窓の写真学」での考察をはじめ、ル・コルビュジエなどの建築作品を撮影してきた写真家・ホンマタカシ氏、窓をめぐる環境と人々のふるまいを長年考察してきた塚本由晴氏(東京工業大学大学院教授/アトリエ・ワン)の3名が、写真と建築、窓の関わりを語るディスカッションを行ないます。
*本記事は2017年の窓学国際会議でのパネルディスカッションの内容をもとに再構成したものです。/モデレーター:五十嵐太郎
五十嵐太郎(以下:五十嵐) はじめに、写真家のおふたりから、窓にフォーカスした建築写真の作品について、それぞれプレゼンテーションをしていただきます。それではお願いします。
人々の生活とともに世界の建築を撮る
イワン・バーン(以下:バーン) 最近の私のプロジェクトのなかから、窓が重要な役割を果たしている作品をいくつか簡単にご紹介したいと思います。
これは南アフリカにあるトーマス・ヘザウィック設計の新しい現代美術館《ツァイツ・アフリカ現代美術館》──まさにアフリカ大陸で初めての現代美術館です[pict_01]。大きな出窓が多数あり、外部のガラス面は街全体をさまざまなかたちで映し出しています。
私はヘルツォーク・ド・ムーロン、ザハ・ハディッド、レム・コールハース、スティーブン・ホール、伊東豊雄、王澍(ワン・シユウ)などさまざまな建築家たちと仕事をしてきましたが、彼らは皆、独特な方法で光や窓を用いていました。多くの素晴らしい現代の建築家たちと仕事をしてこられたのは、とても幸運なことです。
私は自分のことを「建築写真家」とはあまり考えていません。もちろん私の仕事の多くは建築家から直接ご依頼いただいています。しかし基本的に同じような建築物が世界中でこれほどたくさん建てられているのは驚くべきことです。私はそういったものにできるだけ関わらないようにしているし、建築家が独自のやり方でデザインし光や空間を取り入れている建築をいつも探し求めています。
これらは私が2015年に出版したアフリカのモダニズム建築の本『African Modernism: The Architecture of Independence: Ghana, Senegal, Côte D’ivoire, Kenya, Zambia』(Park Book, 2015)で使った写真の一部です。この本ではアフリカの5つの国をとりあげています。これはナイロビです [pict_02]。
1960–70年代の建築家が素晴らしいモダニズム建築をつくりましたが、ほとんど忘れられてしまっています。ここではアフリカの直射日光がつくりだす気候条件を独自のやり方で建築に採り入れています。窓の正面にある遮光装置は遮光だけでなく、光を再び透過して涼しい室内環境をつくり出すのに使われます。時間が経つといつのまにか窓がなくなってしまうこともよくあります。あるいは違う用途のために使われるようになったりもします。例えば靴やその他いろんなものを収納するのに使われることもあります。それによって、建物のなかにさまざまなレイヤーがつくり出されます。
これはセネガルにある美しい展示センターです [pict_03]。これらの三角形で構成される建物では、室内からの眺望は窓によってさらに三角形にフレーミングされています。別の場所では窓や窓の正面にもうひとつの遮光装置が設けられており、バルコニーや展望台としても使われています。このような気候の中で美術学校を建てる場合、窓は全面的に開放され、気候的に外部空間も随時利用できるので、窓は実際にはさまざまな用途に使える単なるフレームでしかないのです。
これは2012年にヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展で発表したプロジェクト「Torre David / Gran Horizonte」です [pict_04]。ベネズエラのカラカスにあるこの驚くべきタワー、すなわち未完成のまま放置されたオフィスタワーで撮影したものです。人々はこの45階建のタワーを占拠し始めました。そして数年のうちに3000人近くがこの建物を占拠し、完全に自分たちの力だけで垂直都市を構築したのです。彼らは壁をぶちぬいて隙間をつくり、窓を設けました。建築家ではなく自分たちが設計したやり方で、直射光や透過光を採り入れました。
これはアルジェリア南部にある難民キャンプで、40年前の終戦後に人々が移住したところです [pict_05]。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)がここに仮設の難民キャンプを建設し、彼らを受け入れました。しかし40年後も彼らはまだそこにいます。かつて彼らはいかなる資金も手段ももたないままこの街を建設し始めましたが、現在では街全体で16万人が生活しています。南部のサハラ砂漠はとても暑いです。小さな窓は細心の注意を払って設計されています。ここの玄関扉は、タイヤを使ったアーチで開口部を支持しています。建築家や都市計画家に頼ることなく窓らしきものをつくるために、このようにさまざまなディテールが独自な方法で用いられています。
写真スタジオに入ってみても、時の経過とともにそこが本物の都市のようになっていったことがわかります [pict_06]。仮設難民キャンプの中には、写真スタジオ、店舗などすべてのものがあります。人々は写真スタジオの中に本物の都市の背景が欲しいといいます。ここは基本的に何もないサハラ砂漠の真ん中です。でも彼らは写真の背景として外の風景に向かって開けた窓の背景を設けました──それらの窓は彼らがたぶん見たことのない、まったく新しい風景を切り取っています。
塚本由晴(以下:塚本) イワンさんの写真にはとても大きな振れ幅がありますよね。世の中には、スターアーキテクトの建物から、世界の片隅で忘れ去られているような建物まで、その両極が存在しています。経済成長の時代までは、建築家は選ばれて確立した世界の中だけで仕事をすればよかった。でも、紛争や不況、災害が起こるなかで、建築家がひとまとまりにできないくらい、建築は物質的にもコンテクスト的にも拡散しています。そうした現代のさまを、イワンさんの写真は示しているようでした。人々が難民キャンプに建物をつくり窓を設けているさまは、やはりとても感動的です。
五十嵐 ヨーロッパからアジア、アフリカ、南米、世界中を一気に駆け巡ったような気分です。イワンさんが捉えている対象は、現代建築から難民キャンプのセルフビルドのような空間までさまざま。そして、そこには人が写り込んでいますね。
写真の原理に立ち返る
ホンマタカシ(以下:ホンマ) 僕は「窓学」に取り組む以前から、いろいろな建築の写真を撮影してきました。そのなかでも、とくに窓に対しては強い関心があります。窓そのものを撮ることはもちろん、その窓から見える風景や視線についての興味です。
たとえば、オスカー・ニーマイヤーの建築やケーススタディーハウスを撮影した『ARCHITECTURAL LANDSCAPES』(GALLERY WHITE ROOM TOKYO,2007)は、建築の外観と、その敷地から見える風景を対比させたシリーズです[pict_07]。
また、トーベ・ヤンソンが毎夏過ごした小さな島の小屋を撮影した『A SONG FOR WINDOWS』(LIBRARYMAN, 2016)では、小屋の窓から見える4方向の風景を撮っています[pict_08]。最近はル・コルビュジエの窓を集中的に撮影しています。とくに窓から見える外の風景にフォーカスした撮影を続けています[pict_09]。
近年取り組んでいるのは、カメラ・オブスキュラの手法を用いて制作する「Pinhole」シリーズです[pict_10]。光を遮った暗い部屋の窓に、ちいさな穴を一箇所だけ開けると、窓と反対側の壁に像が写ります。その像を感光させることで撮影するのです。窓学展で上映された映像のなかで、原広司さんが「閉じられた空間に穴を開けることが建築である」と言われています。僕に言わせれば、それはカメラそのもの。つまり窓を考えるということは、写真を考えることではないかと思っています。
ところで、以前ラジオ番組に出演したときに「好きな窓を3つ挙げてください」と言われ、ル・コルビュジエの《ラ・トゥーレット修道院》と、トーベ・ヤンソンの小屋、そして吉村順三さんの集合住宅の窓を挙げました。その集合住宅はいま僕が事務所として使っています。メゾネット式で、階段を上がると天窓があるのですが、雨の日はそこだけ綺麗な雨音が聞こえるんです。もちろん吉村さんは採光のために設計したのだと思いますが、それがとてもよくて。そんな発想の窓もあっていいなと思いました。
塚本 以前、ホンマさんが「建築家は窓を設計するときに、その風景を切り取りたいから設計しているはずなのに、どうして建築写真は内側から撮らないのか」と本質的な意見をおっしゃっていました。その後、ホンマさんの「Pinhole」シリーズを知って「なるほど」と思ったのです。
私は一度、カメラ・オブスキュラでニューヨークの《エンパイア・ステート・ビルディング》を撮影するときに、ホンマさんの助手をしたことがあります。部屋を目張りしたり露光時間を数えたり。そのとき、写真が機械の中で起こることではなく、身体を伴った行為として感じられたんです。スマートフォンで誰でも簡単に写真が撮れる時代に、あらためて身体とカメラの原理をぶつけるところがすごい。それは建築にも言えることです。窓を考えることが、結局、建築の本源を考えることにつながるのだと思います。
ところで、先日スイスに行きました。スイスには湖と高い山があって、雲の下端がフワーッと水平に広がっていたんです。まさに、ホンマさんが撮影した《レマン湖の小さな家》の窓からの景色に写っているような雲。あれが、ル・コルビュジエが考えた水平連続窓の原型ではないかと思ったんです[pict_11]。
建築と窓と写真の関係
五十嵐 写真家のおふたりは、建築の写真を撮るときに、窓についてどのようなことを意識されているのでしょうか?
バーン そうですね、もちろん写真家にとって窓は重要です。窓は建物に光を採り込む。遠近感をもたらす。そして大体において空間を明確化します。また、私にとって窓は外の眺望を切り取るものでもあります。建築物のコンテクストとロケーションも、私の写真にとってはとても重要なものです。だから私はしばしば都市を実際に見ることができる航空写真を撮り、また一方で建物の内部から外を眺める写真も撮っています。最初にお見せしたトーマス・ヘザウィックの作品で見られるように、窓は都市を映し出し独特なやり方で周囲の都市風景を切り取る重要な建築の要素として機能しています。このように窓はある建築を見てその場所を経験するうえで、重要な役割を果たすのです。
ホンマ 建築写真には「こう撮らなきゃいけない」という無言の圧があるんです。でもイワンの写真には、ル・コルビュジエの建築のなかで人が寝転がっていたり、ごはんを食べていたりする写真があって。ひさびさにおもしろい建築写真を見たなと思いました。
バーン 人々があらゆる場所の重要な一部分であるように、私にとって人々はつねに写真の重要な一部分でした。私はもともと記録写真を撮っていて、建築家と仕事するようになったのはつい最近のことです。建築家が模型やレンダリング、そして建物の竣工前のプレゼンテーションにおいて、どのように人々を取り込んで見せているのか、私はいつも興味津々でした。
でも建物が完成すると、彼らは写真家を雇って「あそこの角とあそこの角を撮って、すべての人を削除して」と言うのです。これらの建物は人のためにつくられたものです。とくにブラジリアやシャンディガールのように長い時間が経過した建築プロジェクトを訪ねて、人々が場所をどのように使っているかを見るのはとても興味深いです[pict_12]。人々は建築家がある時点で想定していたのとはかなり違ったやり方でそこを使っていることが多い。また、これらの建築が時とともに徐々に変化していくのを見るのも興味深いです。
私は著名な建築家の建築を見ていますが、その一方でセルフビルドの実用的な場所も見ています。後者の場合、ある場所をなんとか自力で構築したばかりの人たちにとっては、空間についての思考などまったく意識していないと思います。彼らは環境や手に入る材料に応じて、それぞれ独自のやり方で対処しています。それでも最終的には、建築家が空間について考えるのとほぼ同じような場所を設計するのです。
ホンマ 先日、《荘銀タクト鶴岡》(設計はSANAA+新穂建築設計事務所+石川設計事務所)の撮影に行きました。そのとき、設計事務所の人に設計時のパースの高さに合わせて撮るように言われたんです。僕に言わせれば、建築家が自分のイメージをわざわざ写真家に指示して撮らせるのは、なんだか不思議だなあと(笑)。
僕がいいなと思う建築写真は、多木浩二さんが撮った《中野本町の家》(設計は伊東豊雄)の子どもが走り回っている写真です[pict_13]。イワンさんの写真を見たときに、この写真を思い出しました。
五十嵐 建築家自身が気づかない建築の面白さを、写真家が引き出しているのかもしれません。最後の質問です。おふたりは、どのような点を重視して、撮影する建築を決めているのでしょうか。
バーン 私にとっては、建築物だけでなくそのコンテクストもつねにとても重要です。その建築、そしてそれが置かれた場所にも別の興味深い物語があるはずです。これは内部から外部を見る、そして反対にその建物がどのように都市に存在するかというフレーミングの問題でもあります。建築はある場所と固有の結びつきを持っていなければなりません。もしそれが一般的な建物に過ぎないならどこにでも建てられますが、私にとってはつまらないものです。一方で写真を撮るときには、物語を引き出そうとします。だから人々はその物語の重要な一部分でもあるのです。
ホンマ 多木浩二さんは『映像の歴史哲学』(みすず書房、2013)のなかで「実際に住んでみたり、何度か行ってみないと、その建築のことは分からない」ということをおっしゃっています。僕は《ラ・トゥーレット修道院》やマルセイユに泊まって、その意味を強く感じました。しかし同時に、写真の本質として、勝手に写ってしまうということがあります。サッと行ってもいい写真が撮れることもあるし、長く滞在したからこそ撮れる写真もある。そのことは、僕がさまざまな建築を撮影するときに、いつもなんとなく考えることです。
五十嵐 写真家の目を通して、窓の世界から建築がいかに魅力的なものになりうるか。今日のお話を聞いて、その可能性を引き出せることできたのではないかと思います。ありがとうございました。
イワン・バーン/Iwan Baan
写真家。1975年生まれのオランダ人写真家イワン・バーンは、ハーグ王立芸術アカデミー卒。レム・コールハース、ヘルツォーク&ド・ムーロン、ザハ・ハディド、伊東豊雄、SANAAなどの建築家たちが、自らの作品に「場所の感覚」や物語性を与えるべくバーンの力を借りている。2012年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展では金獅子賞(企画展示部門)を獲得した。バーンの作品は『ウォール・ストリート・ジャーナル』、『ニューヨーク・タイムズ』、『Domus』などにも掲載されている。
ホンマタカシ/Takashi Homma
写真家。1962年、東京生まれ。1999年、『東京郊外』で第24回木村伊兵衛写真賞受賞。2011年から2012年にかけて、個展「ニュー・ドキュメンタリー」を日本国内三ヵ所の美術館で開催した。著書に『たのしい写真 よい子のための写真教室』、近年の作品集に『THE NARCISSISTIC CITY』(MACK)、『TRAILS』(MACK)、『Symphony その森の子供 mushrooms from the forest』(Case Publishing)、『Looking Through Le Corbusier Windows』(Walther König, CCA, 窓研究所)がある。現在、東京造形大学大学院 客員教授。
塚本由晴/Yoshiharu Tsukamoto
東京工業大学大学院教授、建築家(アトリエ・ワン)。1965年、神奈川県生まれ。1987年、東京工業大学工学部建築学科卒業。1987-1988 年、パリ建築大学ベルビル校(U.P.8)。1992年、貝島桃代とアトリエ・ワン設立。1994年、東京工業大学大学院博士課程修了、博士(工学)。2000年、同大学大学院准教授、2015年~教授。2003年、2007年、2016年、ハーバード大学大学院客員教員。2007年、2008年、UCLA客員准教授。2011-2012年、デンマーク王立アカデミー客員教授。2011年、バルセロナ工科大学客員教授。2012年、コーネル大学ビジティング・クリティック。2015年、デルフト工科大学客員教授。
五十嵐太郎/Taro Igarashi
東北大学大学院教授、建築史・建築批評家。1967年、パリ生まれ。1990年、東京大学工学部建築学科卒業。1992年、東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)。現在、東北大学大学院教授。あいちトリエンナーレ2013芸術監督、第11回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展日本館コミッショナー、窓展:窓をめぐるアートと建築の旅(東京国立近代美術館、2019年)学術協力を務める。第64回芸術選奨文部科学大臣新人賞。『モダニズム崩壊後の建築』(青土社)、『窓と建築の格言学』(フィルムアート社)、『世界の美しい窓』(エクスナレッジ)ほか著書多数。