
20世紀の住宅と窓をめぐって――「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s–1970s」展キュレーター ケン・タダシ・オオシマ インタビュー
27 Jun 2025
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近代化の波が世界に広がった20世紀、住宅は建築家たちにとって、新たな生活様式を具現化するための実験の場となった。国立新美術館で開催中の展覧会「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s–1970s」は、その時代を振り返り、モダニズム住宅が社会や技術、デザインの変化にどう応えてきたかを見つめ直す試みだ。当時の建築家たちは、時代を横断する多様な課題にどう応答したのか――本展のキュレーターを務める建築史家ケン・タダシ・オオシマ氏に話を聞いた。
──今回の展覧会では、「モダニティ」と「住まい」というテーマがいかにして交差するのかが鍵となっています。どのような視点でこの展覧会を構想されたのでしょうか?
私が25年前に制作に関わった『a+u Visions of the Real 20世紀のモダン・ハウス:理想の実現 I・II』(新建築社、2000)では、代表的なモダニズム住宅を、新たな写真と現地での観察を通して再検証しました。単なる歴史の振り返りではなく、当時の空間をよりリアルに感じてもらうことを目指した試みです。今回の展覧会では、当時のアプローチを引き継ぎつつ、ル・コルビュジエが追い求めた「住まいのデザイン」の課題を改めて見つめ直すことに集中しました。1920年代から1970年代にかけて、「モダニティ」と「住まい」という視点が日常生活をどのようにかたちづくり、また社会や技術のさまざまな変化をどのように映し出していたのかを探る内容となっています。
──「衛生」「素材」「窓」「キッチン」「調度」「メディア」「ランドスケープ」という7つの視点で構成された本展ですが、これらのテーマはどのようにして導き出されたのでしょうか?
「モダニティ」というテーマに取り組むうえで、大きな課題のひとつとなったのが「衛生」でした。結核などの感染症に対応するために、健康的な生活環境の整備が強く求められたのです。とりわけ、ル・コルビュジエやアドルフ・ロースといった建築家たちは、給排水設備を単なる機能的な装置ではなく、建築デザインの本質的な課題として捉えていました。
「素材」もまた、重要な視点です。モダンな生活にふさわしい空間を実現するために、レンガやタイルといった伝統的な素材に加えて、スチールやガラスなどの新素材が再評価されるようになりました。なかでもバウハウスの理念では、内と外をつなぐ「窓」、効率的な調理と快適なくつろぎのために設計された「キッチン」、日常を彩る家具や照明、テキスタイルといった、生活に関わる基本的なデザイン要素が重視されていました。こうした生活全体を統合的にとらえるアプローチは、個別の住宅を越えて、広く社会へと浸透していきました。
さらに、「メディア」もまた、モダンな暮らしを広めるうえで大きな役割を果たしました。写真や展覧会などを通じて、ライフスタイルとその背景にある思想が可視化され、共有されていったのです。一方で、「ランドスケープ」は、住宅とその周囲の自然環境や都市空間との関係性を見直す視点として、住まいのあり方に新たな基盤を与えました。
こうした多角的な視点を通じて見えてくるのは、建築家たちが同じ課題に対して、ときに共通の手法で、ときに異なるアプローチで挑んできた姿です。もしかすると、こうした視点の積み重ねが、現代に生きる私たちにとっても、これからの住まいを考えるうえでのヒントとなるかもしれません。
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《カサ・デ・ヴィドロ》(リナ・ボ・バルディ、1951)キッチン内観。食卓と庭をつなぐ開放的な構成で、裏庭にはピザ窯も備えられている。屋外での食事が暮らしに取り込まれた。 Photo ©︎ Nelson Kon
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《土浦亀城邸》(土浦亀城、1935)キッチン内観。作業効率を高めるための動線や配膳用の小窓、手元の採光の工夫など、バウハウスに通じる実用性重視の設計が随所に見られる。 Photo ©︎ 楠瀬友将
──20世紀の建築家は、スペイン風邪の世界的流行や産業の進歩など、社会的なニーズを満たすためにそうした住宅をデザインしたのでしょうか。それとも、主に新たなテクノロジーが起因となったのでしょうか。
建築家によってアプローチは異なりますが、共通して取り組んでいたのは、健康とウェルビーイングのための住環境をどう設計するかという課題でした。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミック時にも見られたように、当時もまた、明確な答えがない中での探求の時代だったのです。
たとえばアルヴァ・アアルトは、冬の長いフィンランドにおいて日照を最大限に活かすため、《パイミオのサナトリウム》(1933)を設計しました。夏には日が長く、晴れた日も多いため、南向きのテラスや、光を反射する白い壁面、タイル、シンク、さらにはセラミックや磁器といった素材を効果的に取り入れています。一方、《ムーラッツァロの実験住宅》(1954)では、白レンガで囲まれた中庭が特徴的ですが、ここでは太陽光と素材との相互作用が重視され、光が空間にどのような環境効果をもたらすかが主な関心となっていました。
このように、健康的な空間を実現するためには、物理的・科学的な側面と同時に、快適さやウェルビーイングをどう促進するかという心理的な側面にも目が向けられました。光の反射、窓やフレームを通じた空気や光の入り方など、細部の設計が人々のくつろぎや健康的な暮らしに大きく影響する――そうした複合的な要素が重層的に作用していたのです。
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《ムーラッツァロの実験住宅》居間内観 Photo ©︎ 新建築写真部
オーナーが医師だったピエール・シャローの《ガラスの家》(1932)も、非常に興味深い事例です。1階に設けられた診察室では、健康と清潔が最も重視されていました。特筆すべきは、歩道からの採光を確保するために設計されたガラスブロックが、窓の壁として用いられた点です。これは当時としては画期的で、ガラスブロックと光が幻想的に交わり、正方形の形状や内部に埋め込まれた円形のレンズによって、結晶のような屈折効果が生み出されていました。
数年前にガラスの家を訪れる機会があり、もっとも印象に残ったのは、夕暮れから夜にかけての光の変化でした。外灯がともると、ガラスブロックがその光を映し出し、室内が一変しました。まったく異なる表情の空間へと変貌するのです。
スケールは異なりますが、まるで障子のようだとも感じました。また、「これは窓なのか、壁なのか?」という問いも浮かびます。堅牢でありながら光を透過させる――まさにその透光性こそが、この空間を特徴づけているのです。通気のための開閉可能な透明ガラス窓とは異なり、このガラスブロックは、どの時間帯でも室内に劇的な印象を与えていました。
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《ガラスの家》外観 Photo © Centre Pompidou, MNAM-CCI Bibliothèque Kandinsky, Dist. GrandPalaisRmn / Georges Meguerditchian / distributed by AMF
この事例からも、窓研究所が取り組んでいるように、「窓」というテーマに焦点を当てる意義がよく伝わるのではないでしょうか。窓は、設計の中で後付け的に扱われる要素ではなく、空間の機能や、建築全体の体験の中心にあるべきだと考えています。
──展覧会でも多くの事例が紹介されていますが、20世紀を通じて、建築家たちは窓のあり方をどのように見直してきたのでしょうか?特に衛生や快適性との関係において、どのような変化があったと考えますか?
1月にフランク・ゲーリーの《フランク&ベルタ・ゲーリー邸》(1978)を訪れ、外から窓をじっくり観察しました。1920年代に建てられたダッチ・コロニアル様式を基とした住宅で、いくつか当時の窓が残されていますが、ゲーリーはこの家を通り側に増築する際、安価なツーバイフォー材のフレームを用い、壁面の窓と天窓を一体的に構成しました。このデザインは、立体的に織りなされる光の効果を生み出すとともに、中央にある暖炉のために開閉可能な換気窓を設けるなど、実用的なニーズにも応えています。
ここでの窓は、通風・換気・採光という多様な役割を果たすだけでなく、厳格なジオメトリーに基づいた従来のモダニズムから一歩踏み出し、より自由で柔軟な構成へと進化しています。
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《フランク&ベルタ・ゲーリー邸》キッチン内観 Photo ©Tim Street-Porter
これは、ミース・ファン・デル・ローエの《トゥーゲントハット邸》(1930)や《ファンズワース邸》(1951)といったモダニズム住宅の影響を受けていたピエール・コーニッグの《ケース・スタディ・ハウス #22》(1960)とは対照的です。ただし、日常的に内と外がつながる暮らしが営まれているロサンゼルスでは、窓に新たな役割が求められるようになり、大型のガラス引き戸も、決して珍しいものではなくなっていきました。
この頃には、そうしたデザインは目新しいものではなくなっていましたが、それでも住宅が機能するうえで不可欠な要素であり続けました。これらの窓を読み解く鍵となるのは、「頑丈か」「透明か」「開口があるか」といった観点です。ガラスは光を反射するだけでなく、視線を透過させることもありますが、その効果は特に昼から夜にかけての光の条件によって大きく変化します。
ミースは、ガラスが一日のなかでどのように光を反射し、その性質を変化させるのかという点に強い関心を抱いており、この素材の特質を幅広く探究していました。ファンズワース邸を実際に訪れた建築家・岸和郎氏の感想は、非常に印象的です。彼はそのガラスを「まるで石のように頑丈」と表現し、写真で見る以上に透明度が低く、意外だったと語っています。
写真はしばしば、実際にその場に立ったとき以上の開放感を与えることがあります。しかし、空間が本当に私たちに与えるインパクトは、光や空気がどう動くのか、窓が空間の体験をどうかたちづくるのかという点にあります。それは、身体を通じて体験してはじめて、真に理解できるものなのです。
──本展では、窓が住まいの体験をかたちづくる重要な要素として多く取り上げられています。内と外をつなぐ「フレーム」としての窓のあり方について、特に印象深い事例や注目した建築家の取り組みがあれば教えてください。
私の考えでは、すべての建築家が、窓をデザインの基本的な要素であると同時に、テクノロジーを住まいに融合させる手段と見なしていると思います。
たとえばル・コルビュジエは、《ヴィラ・ル・ラク》(1923)における水平連続窓の使い方だけでなく、石壁に開けられた開口部が風景をいかに切り取るかという点でも、ひとつの基準を打ち立てました。対照的なのが、ミースによるトゥーゲントハット邸です。ここでは、床に引き込まれるガラス壁によって、リビングの一部が物理的に開かれ、室内空間が風の流れる外部空間へと一変します。まさに魔法のような体験です。
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《トゥーゲントハット邸》居間内観。中央付近のガラス窓2枚が電動で動き、床下に収納される。 Photo ©︎ Halvor Bodin
ミースの研究をしていたとき、ニューヨーク近代美術館で開催された展覧会「Mies in Berlin」(ニューヨーク近代美術館、2001)で、実際にあの窓の仕組みを見ることができました。床に引き込まれていくガラスの壁を目の当たりにし、それが内と外の感覚を劇的に変えるさまを体験したのは、本当に驚くべきことでした。今では、このような機構は多くの建築デザインに取り入れられていますが、当時としては信じられないほどモダンで革新的なものでした。
同時に、ミースの建築に対するビジョン、そして彼のガラスの使い方が、いかに多くの建築家にインスピレーションを与えてきたかも改めて実感します。たとえば、リナ・ボ・バルディの《カサ・デ・ヴィドロ》(1951)は、ミースからの影響を受けつつも、ブラジル・サンパウロの風景に調和するように設計されました。そこでは、シンプルな技術を用いて、窓と眺望を直接結びつける工夫がなされています。
当初、この家の周囲は開けた空間でしたが、年月とともに植物やヤシの木が生い茂り、今ではまるでジャングルのような環境が広がっています。そのように刻々と変化する景観そのものが、空間体験の在り方に深く関わっているのです。
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《カサ・デ・ヴィドロ》居間内観 Photo ©︎ Nelson Kon
本展では、「ランドスケープ」「衛生」「素材」などの観点から窓を読み解き、それぞれのテーマを相互に関連づけながら、それらが現代の暮らしをどのように形成してきたかを解説しています。
ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエ、藤井厚二、リナ・ボ・バルディといった建築家による、ガラスの多様な使い方にも注目しています。フルハイト(床から天井までの高さのある窓)か、腰高窓か、開閉式か固定式かといった形式の違いが、空間体験に大きな影響を与えることが示されています。
一方で、ルイス・カーンは窓の捉え方について、また別の対照的な視点を提示しました。彼の《フィッシャー邸》(1967)では、窓を単なる視覚的な開口部としてではなく、空気の流れを調整する装置として扱っています。この点については、『住宅特集 2024年9月号 表出する窓──重なり合う関係性をデザインする』(新建築社、2024)にも記しました。凹型の窓が冷気を自然に取り込むように設計されており、ル・コルビュジエが用いたブリーズ・ソレイユ(日除け装置)のように日射を調整するアプローチとは異なり、カーンの埋め込み型の窓は、パッシブな換気装置として機能します。
フィッシャー邸の有名な窓際の席では、家具、景観、採光が一体となり、座る、寄りかかる、近づくといった行為に応じて空間のスケールが変化していきます。写真だけでは伝えきれないその立体的な質感を体験してもらうために、本展では原寸大の模型を展示しています。
また、カーンとともに仕事をした建築家ガレン・ミナが指摘する興味深いディテールとして、ベンチの背もたれを倒すと隠れていたテレビが現れる仕掛けがあります。これは、現代の暮らしのニーズを建築に取り込んだ、エレガントなデザインの好例と言えるでしょう。
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《フィッシャー邸》居間内観 Photo ©︎ 新建築写真部
──フィッシャー邸とゲーリー邸についてのお話から、窓が換気や採光など、さまざまな役割を果たしていることがわかります。モダニズム建築において、このようなアプローチで窓を扱ったのは、ルイス・カーンが初めてなのでしょうか。それとも、それ以前に影響を及ぼした事例があったのでしょうか。
フィッシャー邸における窓の展開は、非常に興味深いものです。カーンの設計プロセスについての私の同僚の回想によれば、これは彼の《エシェリック邸》(1959–1961)をベースにしており、そこでも縦長の窓と可動式のシャッターが用いられていました。ただし、フィッシャー邸では、窓はベンチと一体化し、家具の一部である以上に、空間の構成要素としての役割を果たしています。カーンはこのアイデアをさらに発展させていきました。
展覧会には含まれていませんが、バルクリシュナ・ドーシの自邸を紹介した『a+u 1997年7月号 バルクリシュナ・ドーシ』(新建築社、1997)では、彼がル・コルビュジエとカーンの教えを、西インド・アーメダバードという地域の文脈の中でどのように融合させたかが詳しく紹介されています。強烈な日差しが避けがたいこの地域では、窓やシャッターの設計にとどまらず、床材の選択にも光環境への配慮が表れています。たとえば、暗色のスレートを床材に使うことで、熱を抑え、より涼しく快適な空間を実現しているのです。
こうした事例を通して、私たちは多様な建築家が、それぞれの気候や文化的コンテクストに応じて、共通するアイデアをどう展開・変奏してきたかを目の当たりにすることができます。ル・コルビュジエもまた、ヨーロッパからアメリカ、そしてインドへと舞台を移しながら、環境に応答する設計を模索しました。たとえば、アメリカの《カーペンター視覚芸術センター》(1963)を通じて新たな形式を試みつつ、インドではアーメダバードの《ショーダン邸》(1951–56)や《サラバイ邸》(1955)において、気候対応型のブリーズ・ソレイユの重要性を明示しています。こうした環境条件への適応こそが、彼の実践の核心にあったのです。
また、建築家がいかにして既存の技術を取り入れ、そのプロセスを主導しているのかという問いもあります。窓は開き戸なのか、それとも引き戸なのか。たとえばフランク・ロイド・ライトの設計では、窓が空間の形成において、装飾的かつ物理的な役割を果たしていることがわかります。こうした要素は、今なお進化を続けています。
21世紀の窓が、これから数十年にわたる住宅デザインをどのように形づくっていくのか。そして、工業製品としての窓と、デザインされた窓との関係が、未来の空間にどのような影響を与えていくのか――非常に楽しみなテーマです。
──日本と他の国々で、窓の使い方に顕著な違いはありますか?
モダン・ハウスという概念は、その開放性のあり方において、《桂離宮》(1615-1620年頃)に見られるような古典的な日本建築にも先駆的な例を見出すことができます。障子などの引き戸は、通気性を確保しながら空間を仕切ることで、根本的な「開かれた」住空間を実現してきました。
このような内と外との相互作用は、藤井厚二の《聴竹居》(1928)、土浦亀城の《土浦亀城邸》(1935)、そして特に菊竹清訓と菊竹紀枝による《スカイハウス》(1958)といった近代住宅にも引き継がれています。
たとえば、聴竹居では、日本の伝統である引き戸による開放性を活かしながら、空気の循環を促すための開口部も工夫されています。ガラス窓の形状や位置が慎重に設計されており、眺望を意図的に切り取ることで、伝統的な住まいの概念とモダニズムの設計思想とを融合させているのです。
この住宅については、設計者自身が日英バイリンガルの書籍を出版しており、図面や環境分析を通じて、その設計意図が詳しく解説されています。技術的視点と視覚的・体験的な視点とが融合されたそのアプローチは、非常に魅力的です。
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《聴竹居》南側外観 Photo ©︎ 新建築写真部
スカイハウスでは、スライド式のパネルによって光と風を調整する設計が採用されており、広い開口部は、菊竹清訓が称賛した伝統的な家屋や寺院を彷彿とさせます。この時代には、開口部や窓に対してハイブリッドなアプローチが見られ、ソリッドな壁という概念に新たな挑戦が加えられていました。
このことから、非常に興味深い問いが浮かび上がります。窓は、内側から外の景色を「切り取る」ものとして、より本質的な意味を持っているのでしょうか?それとも、外から内をどう見せるかという視点こそが重要なのでしょうか?
もちろん、答えはひとつではありません。地域ごとの住まいの伝統や、歴史的・文化的なコンテクストによって、その解釈は大きく異なります。だからこそ、日本と世界の事例を比較しながら語ることは、建築における窓の役割をより深く理解する手がかりとなるのです。
──建築家たちの実験的なアプローチだけでなく、これらの住宅が直面した課題の再検証を試みていますね。この試みから浮かび上がった重要な問題とは何でしょうか。
これらの窓を、当時の時代背景や利用可能だった技術(ガラスの形状、単板ガラスの構造、ガラスの種類など)を踏まえて再検証することは、非常に興味深い作業です。今日では、複層ガラスなどの技術的進歩によって、窓の性能が飛躍的に向上し、建築の可能性そのものが根本的に変わりつつあります。
その一方で、歴史的建築における窓の課題のひとつは「メンテナンス」です。多くの場合、窓ガラスは交換されますが、オリジナルと同じ形状のガラスを用意することや、すでに製造されていない金物を探すことは非常に困難です。
たとえば、《グロピウス・ハウス》(1938)では、当初使われていた窓の多くがすでに廃番になっており、修復には多大なコストがかかりました。アンティークショップから金物や建具を調達したり、特注で部品を再製作したりする必要があったのです。
このような状況は、重要な問いを私たちに投げかけます。つまり、歴史的建築においては、オリジナルの窓と同じ仕様を守るべきなのか、それとも現代のエネルギー基準に合わせて複層ガラスなどに更新すべきなのか。その判断には、保存・性能・審美性など、さまざまな観点からの検討が求められます。
住宅というものは、時とともに変化しますが、その変化はまず窓から始まるとも言えるでしょう。だからこそ、私たちは「どのように景色を探勝して、体験するか」という基本的な問題に立ち返り、概念レベルと実践レベルの両方から考える必要があります。
本展で紹介している事例を通じて、その両方の視点から窓を捉えていただければと思います。
──現在、世界中、そして特に日本では、規格化された窓が一般的になっていますが、窓のデザインを再考する上で、本展から何を学ぶことができるでしょうか。
とても複雑な問題です。工業的に生産された窓にも、優れたものはたくさんあります。私自身も自宅に取り入れていますし、常に新しい窓の使い方を模索しています。
ただ、ひとつ強調したいのは、「窓とは何か」という問いそのものを立てることの重要性です。私が学生だったころ、建築学科のある先生が「窓とは何か?」と問いかけました。それは、明確な答えのある問いではなく、修辞的な問いでした。
“window”という語の語源には「風の目」という意味があり、外の風景を見せながら風は遮る、という性質が込められています。では、窓の機能とは何でしょうか? それは概念的なものなのでしょうか、それとも物理的なものなのでしょうか?
こうした問いを通して、私たちはあらためて、建築における窓の役割と意味を見つめ直すことができるのだと思います。
この問いを丁寧に掘り下げていくことで、私たちは「住まい」と「環境」との関係性を、より深く理解することができるのだと思います。本展で取り上げているさまざまな要素の中でも、窓はその中心に位置しています。
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《ヴィラ・ル・ラク》居間内観。水平連続窓の外にレマン湖が見える Photo ©︎ 新建築写真部
今回、こうして対話の機会をいただけたことを、大変嬉しく思っています。というのも、この展覧会は、文字通り「足を踏み入れる瞬間」から始まっているからです。1階全体が、ヴィラ・ル・ラクの水平連続窓をモチーフに空間として切り取られており、それ自体が本展のメッセージを象徴しています。そしてそれは、私たちが「住まい」を見る視点をいかに意識的に持つべきかを示唆するものでもあると感じています。
「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s-1970s」
会期:2025年3月19日~6月30日
会場:国立新美術館
住所:東京都港区六本木7-22-2
電話:050-5541-8600(ハローダイヤル)
開館時間:10:00~18:00(金土~20:00) ※入場は閉館の30分前まで
休館日:火、5月7日(ただし4月29日と5月6日は開館)
料金:一般 1800円 / 大学生 1000円 / 高校生 500円 / 中学生以下 無料
巡回:兵庫県立美術館(2025年9月20日〜2026年1月4日)
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会HP:https://living-modernity.jp/
美術館HP:https://www.nact.jp
ケン・タダシ・オオシマ/Ken Tadashi Oshima
ワシントン大学建築学科教授。トランスナショナルな建築史、建築理論、表象、設計の分野で教鞭を執る。これまでにハーバード大学デザイン大学院の客員教授を務めたほか、コロンビア大学、ブリティッシュコロンビア大学でも教鞭を執った。日本における建築および都市計画の国際的文脈に関する論考を多数発表しており、『Architecture + Urbanism(a+u)』誌では10年以上にわたり編集者および寄稿者として活動している。
