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センス・オブ・スペース──写真家が語るリートフェルトの窓

アルヤン・ブロンクホースト

21 Mar 2024

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20世紀初頭のオランダで興った芸術運動「デ・ステイル」を牽引し「レッド・アンド・ブルーチェア」のデザイナーとしても知られる建築家、ヘリット・リートフェルト(1888–1964)。オランダ全土で100件ほどの住宅を手がけたリートフェルトは、ユトレヒトの《シュレーダー邸》(1924)によって、世界的な名声を確立する。竣工当時の姿のまま保存されたリートフェルトによる住宅作品とそこに住まう人々を撮影し、写真集『Wealth of Sobriety / Weelde van de Eenvoud』(2018)に発表した写真家アルヤン・ブロンクホースト氏が、リートフェルトが追求した空間の〈感じ〉──センス・オブ・スペース──に迫る。

 

空間の芸術家

ヘリット・リートフェルトは1888年、オランダ・ユトレヒトで家具職人の息子として生まれた。父の下で働いた後、1917年に独立して家具工房を構え、グラフィックデザイナーとしても活動していた。やがて建築に興味を持つと、夜間の定時制教育課程に通い、家具やインテリアのデザインを通して徐々に建築家としての活動を広げていく。そんなリートフェルトが初めて手がけた住宅が、1924年にユトレヒトに建設されたトリュス・シュレーダーの住居《シュレーダー邸》だった。この比類ない前衛的な建築は、後に彼の最も有名な作品となる。その後も彼は卓越したインテリアと、世界に通用する優れた家具を備えた住宅を100件ほど手がけた。残念ながら、それらの多くは代々の所有者によって改変され、設計者の込めた心意は失われてしまっているが、オランダ国内にある一部の住宅は、現在も完璧な状態で保存されている。

  • Schröder House, Utrecht, The Netherlands, 1924

写真家として、私はリートフェルトに何に触発されたのだろう──そのデザインの明快さか、あるいはインテリアに対する彼の天性の節度ある感覚か。それぞれ説明してみよう。リートフェルトの住宅は明るく、のびのびとしており、線と面によってそのデザインが決定づけられている。この線と光の織りなす相乗効果には、何度見ても魅了される。そして節度こそ、リートフェルトにとっての基本理念であった。彼は「私たちは便利だと感じたものは何でもすぐに使ってしまうが、あまりに節度を欠いていると思う」と1958年に語っている。節度はデザインだけの話ではなく、リートフェルトにとって人生の哲学そのものなのだ。
 

リートフェルトはおそらくオランダで最も有名な建築家だ。しかし彼は単なる建築家という以上に「空間の芸術家」でもあった。彼にとって、建築とは空間を創造することであった。さらに彼は「非空間」──壁や床といった実体のある物質であり、空間の確固たる境界──に対する感性も長けていた。彼の考えでは、「非空間」は空間が広がっていく〈感じ〉を制限するものだが、建築を物理的に成立させるために不可欠で、それがなければ家は崩壊してしまう。リートフェルト自身が語ったように「建築の主題は、決して閉じることではない。こことそこ、上と下、間と周りの境界にこそあるのだ」

  • Hildebrand House, Blaricum, The Netherlands, 1935

彼は通常、住宅の内部から設計を始め、簡素な平面図にすべての機能をうまく収めた。リートフェルトの住宅は、同時代のミース・ファン・デル・ローエやル・コルビュジエが設計した住宅と比べると見るからに小さく、クライアントの予算的な制約に合わせて、かなりコンパクトにまとめられている。だが、彼は部屋を完全に閉じないことによって、広がりのある空間の〈感じ〉を表現した。つまり、内外の壁を物質的な面と、開口のヴォイドなどの非物質的な面の両方で構成しエリアを区切ったのだ。さらに彼は「光の面」も用いた。光は、最も重要な指針ではなかったが、重要なツールであった。
 

リートフェルトが戸建住宅や集合住宅に窓を設ける場合、光の方向と窓からの眺望は重要な要素だった。有名な話だが、彼は現地調査に出かける際、ガラスなしの窓枠を持参して、完成後に窓からどのような景色が見えるかを確かめたという。 彼は好んでガラスを多用し、例えば《エラスムスラーン4戸建て低層集合住宅》(ユトレヒト、1931)や、《フレーブルフ・シネマの最上階にある自宅ペントハウス》(ユトレヒト、1936)のように、しばしばファサードの大部分をガラスで構成した。そしてパノラマウィンドウ、高窓、トップライト、すりガラスの天井照明、オープンな階段や引き戸などを駆使して、住宅に独特な空間の〈感じ〉をもたらし、内部と外部をなめらかに繋いだ。

 

多種多様な窓のデザイン

リートフェルトの窓は、最初は同じように見えるかもしれないが、注意深く見てみると、ディテールや面としての様々な違いが明らかになってくる。例えば、大きな下窓、小さな横長の上窓による面の構成、透明ガラスと型板ガラスの使い分けなどだ。リートフェルトの住宅は、見てすぐにそれとわかるものでありながら、どれも決して同じではない。

  • Block of four houses at Erasmuslaan, Utrecht, The Netherlands, 1931

なかでも印象的な窓のデザインは、間違いなく《シュレーダー邸》の2階のコーナー窓だろう。家の中にいながら外にいるような感覚を高めるため、彼はコーナーの柱をなくした。こうしてトリュス・シュレーダーは視界を遮られずに庭を見渡せるようになった。リビングルームの一角を巧みに設計することで、限定的な非空間を無限の空間へと変容させたのだ。彼はテラスの大きな張り出し屋根など、他の点でもこの空間コンセプトを取り入れている。しかし《ロメン邸》(ワッセナー、1926)の1階と2階のコーナー窓で同じコンセプトを実現した後、この独創的な窓のデザインは、以降の彼の住宅では見られなくなる。さらに残念なことに、《ロメン邸》は1944年にV-2ミサイルによって破壊されてしまった

  • Schröder House

1924年から1964年までのリートフェルトの全住宅作品を通じて、窓のデザインは実に多種多様だが、違いは使用した素材にも見られる。例えば、1920年代初期の住宅では木枠を用いており、30年代から40年代にかけての戸建住宅では、主にスチール枠を用いている。これはドイツのバウハウスやオランダの新建築(ニーウェ・ボウエン)といったモダニズムの流れを汲むものだ。この時代のスチール枠はとりわけ美しく、非常に洗練されており、プロポーションも整っている。これらはライトブルー、オリーブグリーン、ダークレッドといった魅力的な様々な色で塗られたが、なかでも《ヒルデブラント邸》や《メース邸》で見られる鮮やかなシルバーグレーは印象的だ。そして50年代以降、大きく張り出した屋根を持つ平屋の小住宅を建て始めると、窓やドアに木枠とスチール枠を併用するようになる。

  • Mees House, Den Haag, The Netherlands, 1936
  • Mees House

ガラスドア

リートフェルトは、住宅作品で大きな窓を設計したが、戦前の設計では地面から天井までファサード全体を覆うような窓はほとんどなかった。戦後に平屋の小住宅を設計するようになると、より大きな窓ガラスを使い、時には完全ガラス張りの壁や廊下もつくるようになった。彼は作品全体を通して、テラスやバルコニーの入り口にガラスドアを用いている。《ファン・デン・デゥル邸》(イルペンダム、1959)では、スライドレールを用いることで窓枠から分離する特殊なガラスドアを設計しており、完全に開けると外壁に沿って止まるようになっている。ガラスドアをこのように設計することで、屋内の床と屋外テラスの床がシームレスに連続し、内外の空間が互いに引き寄せ合うような効果が生まれている。しかし、このような仕組みを試した建築家はリートフェルトだけではない。例えば1932年、建築家のベンヤミン・メルケルバッハとシャルル・カーステンは《ダイクストラ・サマーハウス》(グルート、1932)において、外壁に対し直角に突き出たフレームに納めることで、窓枠から独立する2対の4枚引きガラスパネルを設計し、1階ファサードの南側の角の2面を開放した

  • Van den Doel House, Ilpendam, The Netherlands, 1959
  • Van den Doel House

高窓と天窓
1950年代以降、リートフェルトは時に独立した寝室ウィングといった、複数のヴォリュームからなる平屋の小住宅を主に設計した。これらの多くで、彼は小さな高窓を水平に連続して配置するために、高さの異なる屋根を設計している。これらの高窓は室内にさらなる自然光を取り入れるだけでなく、より広々とした感覚をもたらし、また外観もより一層魅力的なものとなった。このような屋根のデザインは《ファン・ダーレン邸》(ベルヘイク、1960)で顕著に見られる。

  • Van Daalen House, Bergeijk, The Netherlands, 1960
  • Van Daalen House

リートフェルトはまた、多くのトップライトを設計し自然光を取り入れるだけでなく、時には人工照明を取り入れた。彼は屋上にガラスの塔屋を設け、それをトップライトとして機能させるとともに、屋上へのアクセスを確保することもあった。例えば、初期のプロジェクトである《シュレーダー邸》や《メース邸》の屋上には、このような立体的なトップライトが設けられている。

  • Mees House
  • Schröder House

色彩

光だけでなく、色彩も空間を創造するうえでの重要なツールだった。彼は実際の色合いよりも、様々な色がどのように光を反射するかに注目し、対象物をより近く見せるために明るい色を、より遠くに見せるために暗い色を用いた。また《シュレーダー邸》では、床の塗分けによって、折れ戸状の間仕切り壁が引き込まれていても各エリアの用途がわかるようになっている。色の塗分けが二次元の壁のように境界を示しているのだ。さらに《クローネンベルク邸》の開口部では、白い窓枠の一部を黒く塗分け、同一幅の窓が収まっているかのように見せることで、落ち着いた立面構成を実現した。
 

そして意外にも、写真集の撮影のために訪れた多くの住宅では、《シュレーダー邸》に見られる「デ・ステイル」の鮮やかな原色(赤、黄、青)による組み合わせとは異なり、驚くほど柔らかな色に出会うことが多かった。実際にそれらと《シュレーダー邸》を並べてみると、まったく違うことがわかる。長い年月を経て、鮮やかだった色が落ち着いた部分もあるのだろう。食器棚はたいていベージュか、時にはグレーやライトブルー、ドアは柔らかい緑や黄色が多く、2つに分かれた鉄扉は、様々な色合いの赤や青、オリーブグリーンをしていた。《ヒルデブランド邸》(ブラリクム、1935)では、それぞれの部屋のドアに縦一本線で別々の色が塗られた。窓枠は、シルバー、白、黒、グレー、ベージュ、青、黄、赤だった。ただし、色を組み合わせることはほとんどなかった。

  • Schröder House

またリートフェルトはパン屋や牛乳屋が直接キッチンに品物を届けられるよう、よくキッチンの壁に配達窓を設け、見逃されないように鮮やかな赤に塗った。《ブラント・コルスティウス・サマーハウス》(ペッテン、1939)や《セーケイ邸》(ブルメンダール、1934)のように鮮やかな色でないものも一部あるが、1924年の《シュレーダー邸》から1963年のクローネンベルク邸に至るまで、このような配達窓が確認できる。《シュレーダー邸》の配達窓は黒一色だが、「boodschappen」(オランダ語で食料品の意)と記された赤い支柱の看板が設けられていて、牛乳配達員がどこに品物を置けばよいか一目でわかるようになっている。また《スレーハース邸》(フェルップ、1955)のように、キッチンは道路側になく、配達窓としての用途でないものもある。

  • Schröder House
  • Kronenberg House

センス・オブ・スペース

本来の姿のまま保存されたリートフェルトの住宅は、今日でも比類ない存在である。彼は機能性と美に対する強いビジョンを持っていた。建築はその考えに従ってなされた。リートフェルトは元々ずっとそうだったように、キャリアを通し一貫して芸術家であり、職人であり続けた。彼の住宅は、彼のデザインした家具と同様、空間的な芸術作品と位置づけられるだろう。リートフェルトにとっての窓は、彼の目指した空間の〈感じ〉を実現するための決定的な要素であったのだ。

 

 

 

参考文献

Bless, F., Rietveld 1888–1964 : Een biografie, Amsterdam/Baarn, 1982.
Bronkhorst, A., I. Van Zijl, W. Zwikstra, M. van den Eerenbeemt, Gerrit Rietveld : Weelde van de Eenvoud / Wealth of Sobriety, Amsterdam, 2018.
Brown, T.M., The Work of G. Rietveld Architect, Cambridge/Utrecht, 1958.
Krabbe, C.P., D. Broekhuizen and N. Smit, Huizen in Nederland : De negentiende en twintigste eeuw, Amsterdam/Zwolle, 2018.
Küper, M., and I. van Zijl, Gerrit Th. Rietveld 1888–1964 : Het volledige werk, Utrecht, 1992.
Rietveld, G., ʻLezing voor de kleurendag – 17 november 1962, Amsterdam’.
Rietveld, G., ʻTweede min of meer herhaalde lezing tijdens de architectuurtentoonstelling in het Centraal Museum te Utrecht’.
Rodijk, G.H., De huizen van Rietveld, Zwolle, 1991.

 

All photos are protected by copyrights © Arjan Bronkhorst. All designs of Gerrit Rietveld are protected by copyrights managed by Pictoright in Amsterdam.

 

 

  • 『Gerrit Rietveld – Weelde van de Eenvoud / Wealth of Sobriety』
    写真と文:アルヤン・ブロンクホースト
    文: アイダ・ヴァン・ザイル、ウィレマイン・ツイクストラ、マルク・ヴァン・デン・イーレンビーン
    出版社:Lectura Cultura
    ISBN:978 90 8213 54 66
    体裁:24.5×31 cm、ハードカバー、528ページ(写真388 点)
    刊行:2018年
    言語:オランダ語、英語

アルヤン・ブロンクホースト/Arjan Bronkhorst

1972年生まれ。アムステルダム出身の写真家。幼少時から写真を撮り始め、企業でキャリアをスタートし、20年前にプロの写真家として活動を続けることを決意。建築とインテリアの写真、特に歴史的建造物やモニュメントを専門とする。また、個性的なポートレート写真でも注目を集める。クライアントは出版社、雑誌、政府、建築家、企業など多岐にわたる。2013年、アムステルダムの運河沿いに建つ17世紀の壮麗な邸宅のインテリアや住人たちを撮影した写真集『Grachtenhuizen』を出版し、ベストセラーとなった。2016年に100件のオランダの教会の内観を撮影した『Kerkinterieurs in Nederland』、2018年に本来の姿のまま保存されたリートフェルトの住宅とインテリア、住人たちを撮影した『Weelde van de eenvoud / Wealth of sobriety』を出版。アムステルダム美術館とユトレヒトの中央美術館で個展を開催。

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