奥山由之インタビュー
不透明な窓から描き出す東京のひとびと
28 Jun 2023
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10万枚にわたる東京の不透明な窓ガラスの写真から、724点を選び構成した写真集『windows』を上梓した写真家・映像監督の奥山由之氏。なぜ東京の窓をテーマに作品制作を行ったのか、氏のアトリエで話を訊いた。
──写真集『windows』に至る経緯を辿ると、2019年頃に奥山さんが「窓」をテーマとした個人プロジェクトを進めており、その件で日本人の生活様式と窓について質問させてほしい、という連絡を窓研究所に頂きましたね。それが最終的に今作にもつながったかと思うのですが、改めてどのようなきっかけでこのプロジェクトが始まったのか伺えますか。
私は東京出身なのですが、自分自身がどういった要素を「東京らしい」と捉えているのかを客観的に知りたくて、東京以外の地方都市のみで、自分なりに「東京」を感じる風景を撮り集めた「TOKYO」というシリーズを当初から制作していました。一体私たちは何をもって東京を捉えているのか、という疑問を提示するような作品です。いざ写真を撮り集めてみると、不透明なガラスの写真が多いことに気付き、自分は無意識下で不透明なガラスを1つの東京らしさのシンボルと捉えているのではないかという仮説が浮かび上がりました。
もう一つ、コロナ禍に入る前はよく撮影で海外に赴く機会があったのですが、パリやロンドン、ニューヨーク、ロサンゼルスなどの都市で散歩をしていると、通り沿いの家の中がクリアに見通せることが多かったのです。家具や調度品などを含めた、そこに暮らす人たちの生活が窓から窺えた。その後、コロナ禍によって海外に行けなくなり、東京で散歩することが多くなったときに、東京では住宅の中が見通せないという特徴に初めて気が付きました。海外にいたときは、クリアガラスの窓が多いという意識もなくて、ただ窓から家の中を自然に見ている感覚だったのですが、一度東京というまちにある種閉じ込められたことによって、不透明なガラスが東京の一つの特徴といえるのではないか、そしてもしかすると、東京には世界の都市の中でも不透明なガラス窓が多いのではないか、と考え始めたのです。
もともと窓研究所の活動については過去の展覧会を拝見するなどして知っていたので、では実際、不透明なガラス窓が統計上に東京に多いのかを、研究分野としてご存じの方がいらっしゃれば、と思ってお話を伺いに行ったのです。結果的に、不透明なガラス窓がどの程度東京にあるのか、東京に特段多いのかについての統計上の記録はもっていないと伺って、従ってそれについての確証は取れなかったのですが、窓研究所で学術協力をされている五十嵐太郎先生が書かれた文献などを読ませていただいて、日本建築の窓には西洋建築とは異なる成り立ちがあると知り、そこから不透明なガラスが障子の文化などとも紐付いた上で、日本人の心象になじみが良いのでは、と自分なりの考察をはじめたのです。
──擦りガラスが現象として、絵として面白いというところからではなくて、ご自身の気付きから発想されたのですね。
不透明なガラス窓の奥にあるものが抽象化された模様は、おそらく誰しも一度はどこかで気になったことがあるのではないかという気がしていますが、不透明な窓のみを注視して、そこから東京の人々の表情を描き出す作品は見たことがないと思ったのです。そうした皆が無意識下で気になっていた事柄に注視し、改めて拾い上げて、考察と編集を経て提示するといったことをしたいと今回改めて思うようになりました。
──撮影においてルールのようなものは設けましたか。
建物の壁に対してカメラを平行に持ち、トリミングをする前提で窓から一定の距離を取って、水平や垂直を意識して撮影しています。2枚のガラスで1つの窓になっていることもあるので、その場合はガラス窓1枚ずつをまず撮影し、それから2枚のガラスとサッシを含めた画も撮るというルールを決め、窓枠から外壁をどのぐらい含めて撮るのかも規定しています。今回はこうした撮り手の作為性を排する機械的な撮り方を選んでいます。とはいっても人間の撮影なので、平行に撮ろうとしても斜めになってしまうことはありますし、高さのある窓などはどうしても傾斜がついてしまいますので、後からフォトショップで角度調整する作業にも膨大な時間がかかりました。写真集に掲載する作品のセレクトがまた大変で、半年程度かかりました。10万枚ある窓の写真を毎日見ていると、一体自分は何を見ているのか、何を基準に選んでいるのか分からなくなるのです。
──最終的にどのような基準で700点あまりを選ばれたのでしょうか。
撮影時のように、言葉によってセレクトのルールを規定してしまえば、機械的には選べるのですが、それを超えていくことができない作品になってしまう。しかし、言葉の外側に捉え方の余白がある作品にしたかったので、セレクトに苦しむにつれて基準を言語化してしまいそうになる自分からいかにして逃れるのかが大変でした。ただ、窓やその奥に映る日用品の数々、反射する光などを含めた、ある種立体的な平面物である不透明な窓ガラスというスクリーンから、何か表情のような、そこに息づく人々の個性や性格が感じられる写真を選んだということは、今になって言語化できるかもしれません。
──写真のトリミングが丸だったり細長かったりと、一つ一つ異なっていますよね。
基本的なルールとしては、窓のフレームの内側を境界線としてトリミングしています。ただ、窓の大きさや、比率、そこに映っているものの性質はやはり不揃いで、見ているこちらが受け取るものが窓ごとに固有であることが自分にとっては大きな発見でした。つまり、この作品を通して「東京の人々」とひとくくりにしても、それぞれまったく異なる特徴をもった人たちなのだということを伝えられているように思います。
──枠は入れないのですね。
フレームや壁というより、窓ガラスに映る生活の模様を通して人々を描きたいという思いがあったので、そのテーマから逸れないように、あまりガラスの外側を意識させないようにしています。また、不透明なガラスの柄の違いなどに比べると、サッシの特徴にはそこまで差があらわれないと感じたことも一因ではあります。ただ例外として、ガラスの外側も含めてその窓がもつ固有性がしっかりと伝わるものに関しては、その部分も含めてトリミングしています。
──レイアウトもページごとに全て異なっていますね。
今作は1ページを1つの建物と見立ててレイアウトを構成しており、縦長と横長の建物の間をとって正方形の判型にしています。東京のまちは混沌としていて、京都やパリのように一定のルールの下につくられたまちとは違う。建てられた時代も、デザインも、建てた人も異なる建築物が密集し混在している。家を建てるときも、隣家と擦り合わせて、窓の位置を揃えることはしませんよね。東京のまちの物理的、時間的な奥行きやレイヤーを、本という特定の枠組みの中で表現するためには、現実の街並において意識的になされているとは言い難い窓の配置を、意識的に表現することが必要だと考えました。ついつい高さやサイズを揃えてしまったりするので、均一に配置されているように見える見開きでも、高さやサイズなどを変えていたりします。レイアウトする際、画面を目視せずに配置したままの状態で入稿しているページもあります。とは言っても、ただ単に適当に行ってしまうと当然、気持ちの悪い配置になるので、ほとんどのページは微調整に微調整を繰り返して、まさに東京のまちのような、混沌とした「雑」の中にある美しいバランスを目指してレイアウトしました。
──配置やレイアウトは奥山さんが全て考えられたのですか。
写真のページに関してはそうですね。デザイナーの葛西薫さんが、本の厚さに合わせて、最後に各写真を数ミリ外側に動かしてくださっているのですが、基本構成はほとんど自分で組んだレイアウトそのままです。
──確かに窓の研究でも、窓が連続しており街並が確立しているヨーロッパと異なって、東京はルールが見出しづらく考察が難しいという話を思い出しました。たくさん撮られた中で、印象に残った窓はありますか。
写真集に収録されている最後の1枚には、撮影をしている私の影が窓にうっすらと反射しています。今作のテーマを掘り下げていくと、自分自身も東京出身で、東京で生活を営んでいる被写体の一人です。物理的に写っているものは窓であっても、その窓には、作品に対する自分の考えや思想が写っているとも言えます。つまり、自分自身のポートレイトでもあるということです。
──2013年ごろのインタビューだと思うのですが、被写体がカーテン越しやガラス越しに見えている、ものに隠れている、間に何かが挟まるなどの写真が多いのはなぜかと尋ねられて「その指摘に対してはけっこう明確な答えがあって、ふだんから僕はあまり人の目を見られない。(略)僕の場合、自分と被写体の間に何か、1つレイヤーがないと嘘っぽく見えてしまう」 と答えられています。それは今回のテーマにも何かつながっていますか。
その発言自体は忘れていたのですが、しかし今改めて指摘いただくと、このインタビュー中もそうですが、やっぱりなかなか人と目を見て話すことができない。でもその発言と、おそらく今作にも通ずることで言うと、何かが捉えにくかったり、具体的ではなくやや抽象度が高かったりするほうが、自分にとっては逆に見えてくるもの、浮き立ってくるものが多くてかつ自然に感じられるといったことは往々にしてあると思います。
──対象との対峙の仕方として、間に何かあるほうが奥山さんにとってはリアルなものになる。
そうですね。人以外のものから人を捉えるほうが、私にとってはその人のことをより深く描ける気がすると、祖母が暮らしていた現アトリエで撮影した写真集『flowers』の制作以降感じ始めました。今、『flowers』、『windows』、『photographs』という3部作を作っているのですが、この3部作では人以外のものを通して人を描くということを通底させています。
私は作家や表現者であるということは、視点の提示をすることと同義だと思うのです。ゼロからものを作り出すということはできないと思っていて、私たちはあくまで人や社会や世界のどの側面をどのような角度から見ているのか、その「視点」を提示しているだけに過ぎない。今作の場合だと、私は不透明な窓ガラスを、ただの窓として認識しているのではなくて、「こうも捉えられるのではないか」「窓からこういうことが見出せるのではないか」と多面的に捉えることによって、東京の人々、ひいては自分自身の奥底にある思想が立ち上がってきた。モチーフの入り口は非常に限定的で狭くても、出口は広く、東京というまち、人々、ひいては人間という普遍的なものごとが描けているのではないか、と思っています。
展覧会概要
奥山由之「windows」
会期: 2023年6月10日(土) – 7月8日(土)
会場: amanaTIGP(東京都港区六本木5-17-1 AXISビル 2F)
営業時間: 12:00 – 19:00
定休日: 日・月・祝祭日
奥山由之/Yoshiyuki Okuyama
1991年東京生まれ。写真家、映像監督。2011年に『Girl』で第34回写真新世紀優秀賞を受賞してデビュー。以降、具象と抽象といった相反する要素の混在や矛盾などを主なテーマに作品制作を続けている。2016年には『BACON ICE CREAM』で第47回講談社出版文化賞写真賞を受賞。主な写真集に、『As the Call, So the Echo』(赤々舎刊、2017年)、『POCARI SWEAT』(青幻舎刊、2018年)、『flowers』(赤々舎刊、2021年)、『BEST BEFORE』(青幻舎刊、2022年)など。主な個展に、「BACON ICE CREAM」パルコミュージアム(東京、2016年)、「As the Call, So the Echo」Gallery916(東京、2017年)、「君の住む街」表参道ヒルズ スペースオー(東京、2017年)、「白い光」キヤノンギャラリーS(東京、2019年)など。また、MVやCMといった映像の監督業も行っている。