ジョン・A・カミナダ
15 Feb 2021
スイス東部グラウビュンデン州の豊かな渓谷に抱かれた小さな集落、フリン。この地域独特の風景をかたちづくるのが「シュトリックバウ」と呼ばれる伝統的なログ構法による建築群だ。ジョン・A・カミナダ氏はこの構法を基本として用い、故郷であるフリンを拠点に、村役場から食肉処理場、霊安所まで、多くの建築の設計を手掛けている。プロジェクトでは村の職人と協働し、地元産の建築材料を使用する。それは消失の危機に瀕する建築文化を現在につなごうとする試みでもある。
時代の変化にさらされるスイスの集落において、建築は、窓はどのような役割を担うのだろうか。貝島桃代教授主宰「建築のふるまい学」研究室(スイス連邦工科大学チューリッヒ校)が、カミナダ氏に話を訊いた。
──私たちの研究室では、スイスの「窓」に焦点を当て、そのかたちやデザインが、この国の多様な風景、気候、文化のみならず、テクノロジーの発展や、とりわけここ数十年高まっている環境およびエネルギー消費への関心からどのような影響を受けているのかについて研究を行っています。
スイスの村の特徴も大きく変化してきました。近代化の影響は経済や生産プロセスの規模だけでなく、新しいライフスタイルというかたちを通して社会的にも感じられます。今回はこうした点について、スイスの集落、特にフリン(Vrin)での取り組みから、お話を伺いたいと思います。そこにはどのような課題があるのでしょうか? また現在の村の環境において、窓をどのようなものとして捉えるべきだと思いますか?
ジョン・A・カミナダ(以下:カミナダ) かつてのフリンでは、スイスの他の多くの地域と同じように、窓は比較的小さいものでした。これにはもちろん、窓ガラスの大きさ、ガラスを断熱する難しさといった技術的な問題が関係しています。一方、窓のサイズは人々の暮らし方とも関係していたと思います。私はこれまでフリンの住民が「風景が美しい」と言うのを聞いたことがありません。なぜなら、住民にとって、風景は当たり前のものとしてそこにあるからです。
これまでは、ずっとその自然の風景のなかで暮らし、仕事をしていました。しかし機械化によって労働が軽減し、今では自由な時間がずいぶんたくさん増えました──それにより人と風景との関係がまったく変わってしまった。言ってみれば、現在の私たちはテクノロジーを使って自然をコントロールできると考えているのです。大きなパノラマの窓にすれば、自然がより近くにあるように感じることはできます。ただ、私は自然を愛していますが、そういう大きなパノラマの窓を通して眺めると、景色がまるで絵のように見えてしまう──特に語るべき物語のない1枚の絵になってしまうのです。風景を美化した、ただのイメージです。
フリンでは小さい窓だけにするべきだとか、誰も風景に関心がないと言っているのではありません。それは誤解です。地元の人はテレビの方が見たいと思うかもしれませんが、外から来た人は山を見たいと思うでしょう。窓は、自分がどう暮らしたいかということと結びついているのです。
フリンの最も素晴らしい点は、有機的に成長してきたことかもしれません。建物について言えば、すべてが良いものではない──質が低いとすら言えるものもある──わけですが、ここでは(シュトリックバウ*1 と呼ばれる、この地方に共通する伝統的な木造構法によって)それらの建築群が、ひとつの等価なものとして存在している。 たいてい木の塊には、ごくわずかな違いしかない。まさにこれによって作り出される連続性、つまり共通する部分こそが、この村に強く一貫した特徴をもたらしている。もちろん窓もそうした特徴を生み出す要素のひとつですが、新しい建物はより窓が大きくなり、用いられるガラスのタイプもさまざまです。
山岳地帯では、窓と壁の適切な関係があります。現在は寒さだけでなく、日射によるオーバーヒートも問題になっていますから、壁の表面積の40%程度を窓が占めていれば、長年にわたってバランスのとれた状態を保てると考えます。
実際、これは大きな問題です。我々はただただテクノロジーだけに頼るのではなく、建築的な解決策を見つけなければなりません。建物を計画する際には、方位に応じた気候帯の違いについてもしっかり考え、クライアントを現場に連れていき、そうした点以外にもさまざまな検討要素があるのだと知ってもらうことも必要でしょう。そうすれば、クライアントの態度が変わるかもしれません──窓に対する考え方も変わるかもしれない。
私は「大きな窓が欲しい」とクライアントから要望があっても、良いアイデアだと思えなければ、空間について話し合うようにします。窓が大きいと空間の印象にどのような影響があるのか? この空間で大切にしたいことは何なのか?(結果として、大きな窓を選ぶのが正解と分かることもあります。)
したがって、窓について語ることは、空間について語ることでもあるのです。何よりも、建築においては良い空間をつくることが大切で、窓もその一部です。フリンの窓が、サン・モリッツやホルゲン、ヘルリベルクなどの窓と同じであるべきでない理由もそこにあります。どのような窓であるかは気候条件だけが問題なのではありません。それは文化の問題でもあるのです──その場所で人々がどのように暮らしているか。風景とどのように関わっているか。
──たとえば《フリン多目的ホール[Vrin Multipurpose Hall]》(1992〜1995年、フリン) がその一例ですが、村のライフスタイルの変化によって、「社会の要求の変化に対応した新たなタイプの建物をつくる」という新しい建築的な課題が生まれています。このまったく新しいタイポロジーへの取り組みにどうアプローチしたのでしょう?
カミナダ こうしたタイプのホールは以前にもあったと思います──少なくともいくつかの機能に関しては。いずれにせよ、このホールはコミュニティ全体のためのパブリック・スペースで、フリンにあるこの種の唯一の建物です。ですから、教会や家、馬小屋の外観がそれぞれ独自であるように、この建物もまた、他とは異なる外観をもつ必要がありました。体育会館としても利用されるこの建物は、高窓を2面に、3つの小さな窓を3面に設け、風景の一部を正確に切り取ることで、建物と村との間に直接的な視覚的つながりをもたせています。また屋根のシステムには、通常よりも大きな断面をもつ地元の木材を使用しています。
しかし、新しいタイポロジーへの取り組みについての質問にお答えするなら、私はシュトリックバウを既存とは違う方向に導き、文化施設に何らかの「気高さ」を与えるといった、これまでとは異なる美的表現にこそ、関心をもっています。
シュトリック・バウの本質を追求してみると、より高い可塑性を実現できることに気が付いたのです。空間ユニットをただ上に重ねていく必要はありません。この基本ユニット同士を交差させたり、閉じたユニットとその間の空間をより自由に、呼応しあうように組み合わせることもできるのです(ピーター・ズントーが《テルメ・ヴァルス》に用いた方法です)。外観に対しては、より彫刻的な効果をもたらします。シュトリックバウの壁は非常に強く堅固なので、私には物理的な空間というよりも、むしろ心理的な空間として感じられるほどです。
──なるほど。シュトリックバウは、あなたの窓へのアプローチにおける重要なテーマですね。
カミナダ シュトリックバウでは、屋根や土台と並んで、窓も大きなテーマのひとつであり、重要な要素です。もちろん、他にもさまざまなことを考慮し、建物の閉じた部分と開かれた部分の関係を考えなければなりません。
シュトリックバウは、コンクリートの壁のように機能すると考えられていますが、そうではありません。木材のブロックは、それぞれ独立した梁のようなものです。したがって私にとっては、木材ブロックが垂れ下がらないように、どれだけ大きな開口部をつくれるかということが問題で、それはある種の「ゲーム」のようなものだったのです。かつてはエネルギー戦略として、──幸いにも時代は少し進みましたが──すべてをU字型に囲み、正面をガラスで覆わなくてはなりませんでした。そうすると突然、洞窟のような建物が出現することになる。しかしここではその方法は通用しません。それでは良い生活環境を生み出すことはできない。
一方、今日の都市部には、もはや窓はありません──あるのは「ガラス張りの表面」だけ。私たちはもう一度、窓をつくる必要があります。窓こそが人間の存在をかたちづくるものであり、そのようにして扱われるべきものです。今では、自然換気ができないエアコン付きの建物が、人々の健康に悪い影響を与えることも明らかになっています。
──《死者の居間[Stiva da Morts]》(1995~2002年、フリン)*2 も、社会の変化への対応として生まれたプロジェクトです。高齢者が引退後の生活を介護用住宅や老人ホームで過ごすようになり、従来のように死後から別れの期間までに遺体を自宅のリビングで安置しておくことができなくなりました。そのため村人たちはコミュニティの霊安室を必要としていた。このプロジェクトにおける窓のアイデアやシュトリックバウとの関係について教えていただけますか?
カミナダ 死者の居間では、非常に縦長の窓を壁に嵌め込み、中にいる人が視界に入らないようにしています。ほんの数歩、窓の横に移動するだけで、外にいる人からは見えなくなります。ここでは匿名性、つまり見えにくくすることが重要でした。
死者の居間には(緩衝帯をはさんで)二重になっているシュトリックバウの壁と、それら2つの壁をつなぐ要素となっている、深い抱き*3 に設置された窓があります。窓は二重構造で、内壁と同じ高さに設置された方は開閉ができます。外壁に設置された窓は固定されていて、窓枠が外に突き出ている。このように、窓の形態には施工上の根拠がありますが、それは同時に「部屋は何のためにあるのか」という問いに常に立ち返って考えられるものでもあります。
そして死者の居間では、自分が引きこもることのできる空間、弔いの場をつくりたいと思いました。外の世界を見たい反面、隠れていたい思いもある。このような細長い窓では、体を少し動かせば景色を変えられ、実際に窓の中に隠れることができますが、横長の窓では決してそうはいきません。最初の問いは常に「果たすべき役割を踏まえ、どうすれば良い空間にできるか」です。そして、素材や照明など他の選択要素と共に、窓がこの空間的なアイデアを支える要素になります。
これは「見た目が気に入るか」といった美的な問題以上の、空間に意味をもたせようとする行為です。私にとって、これは非常に重要なことです。表面の美しさだけに焦点を当てるのではなく、意味について考える必要があります。そうすることで窓の位置、扱い方、機能性など全体像が決まっていくのです。あらかじめ答えがあるわけではなく、その展開していく過程にこそ、美がある。どのように展開するにしても、基本的なアイデアは、奇抜なものや個人的な気まぐれではなく、より広く周りと共鳴するものでなければなりません。それはその場所の文化に関連付けられている必要がある。もちろん、既にあるものを単に繰り返すという意味ではありません。
──建物のタイプについて言えば、死者の居間では、村の切妻屋根の家と区別するためにピラミッド型の屋根を選んだ、と何度か述べておられますね。窓にも特定のタイポロジーに合わせたアプローチがあるのでしょうか。
カミナダ ここでは人間的側面が非常に重要だと思います。その窓を人がどのように利用するのか、といったことです。例えば家畜小屋の壁の開口部は光を取り入れるためのものですが、住宅の場合はそうとも限りません。対照的に《協同組合の食肉処理場[Mazlaria]》(1995~1998年、フリン)には、肉を熟成させるプロセスの一環として必要な、新鮮な空気を取り入れるための小さな開口部があります。
もちろん、空間を特徴づける構造の一部としての開口部もあります。だからこそ、タイポロジーも重要ですが、どういう場所に建つのかも重要なのです。どのようなタイプを選ぶかは、ケースバイケースで決めなければなりません。幸いにも、特定の目的に対して「これが正しい」と言える窓はありません。私はある状況において、何が重要なのかをその都度定義し、それを土台にさらに強力なものをつくり上げたいと思っています。
しかし、フリンでは絶対につくらない種類の窓もあります。この場所のもつまとまりを明らかに損なうような窓です。ガラスのかたまりなら誰にでもつくれますし、むしろ容易いでしょう。難しいのは既存の構造との連続性を保ちながら、それを強化し、前進させるような方法で構築することです。
──こうしたプロジェクトでは、地元の窓メーカーや職人と協力しているのですか。
カミナダ その通りです。村には良い大工さんの工房があるので、いつも一緒に窓をつくります。もちろん、現代のガラスの取り付けには、昔に比べて多くの作業が必要です。この地域は寒暖の差が激しく、窓は当然ながら外の影響を大きく受ける部分ですから、十分考慮しなければいけません。
──村の生活様式の変化に伴い、新しい建物のタイプが入ってきただけでなく、既存のタイポロジーをいかにして新たな用途のために変換するかの問題が現れてきます。例えば、最近のプロジェクトである《カーサ・カミナダ[Casa Caminada]》(2018年、フュルステナウ)では、家畜小屋をゲストハウスに改装し、上階のロッジア、コンクリート製の手すりや新たなタイプの窓枠など、これまでにない要素を取り入れています。こうしたエレメントによって、建物内部の生活はより豊かになるだろうと想像できます。
カミナダ 例えば、カーサ・カミナダからは信じられないほど美しい景色が望めるので、この建物の窓は床まであります。外壁の木の被覆材を巡っては、伝統的建造物保護当局との間で激しいバトルが繰り広げられました。「昔はこの建物のなかに干し草があり、動物もいましたが、今はいません。人間だけです。だから前の建物は作り変えてもいいはずです」と彼らに伝えました。ある場所を住めるようにするためには、建物をそのように適応させる必要があるのです。
私たちは家と共に暮らし、家もまた私たちと暮らしている。人が変化するように、家も変化する必要があるのです。私たちと家が共にあると、信じられない共鳴を起こすことがあります。私にとって、共鳴と反響は異なるものです。こちらが投じたものが返ってくるのが反響ですが、投じたものが吸収され、受け止められたときに化学反応が起こるのが共鳴です。同様に、写真家のハンス・ダヌーザー(Hans Danuser、1953-)は、写真にとって重要なのは面の奥行きだと述べています。つまり、素材には共鳴して視線を誘い招き入れるものと、視線に反発するものがあるということです*4 。
──石造の基部にある開口部についてもお聞かせください。本来はもっと小さく、光と風を取り入れるためだけのものだったのではないでしょうか。
カミナダ その通りです。カーサ・カミナダのさまざまな部分を結びつけているのがこの1階部分です。背の高い開口部が繰り返され、強い統一感をもたらしている。そこには形而上学的な、まるでデ・キリコ(Giorgio de Chirico、画家、1888- 1978)のような何かがあります。このイメージは意図して生み出されたのではなく、あらかじめそこにあったのです。とはいえ、今見てもとても美しいと感じます。
ここで私にとって重要だったのは、改装によって異なるタイポロジーをつくり出すこと、すなわち安定したものから脱却することでした。変更を加えても、違和感のないものである必要があります。かたちを変えても、どこか親しみのあるものでなければならないのです。「昔とは違うけれど、私はこれを知っている」と感じさせなければ。
──家畜小屋を改装してゲストハウスにしたカーサ・カミナダは、アルプス地方におけるもう一つの大きな変化である「ツーリズムの到来」と関係するものですね。近代におけるこの変化は、新しく、これまでに類をみないようなスケールを村のコミュニティに持ち込みました。たとえば「グランドホテル」のようなタイポロジーです。
カミナダ 私は常々、観光産業はある種の夢の世界でつくられたものだと思っています。グランドホテルは、小さな村に巨大なエイリアンが存在しているような、最悪なものでした。エンガディン地方を訪れた初期の観光客であったイギリス人が、あのようなホテルを持ち込んだのです。以前は、外から持ち込まれたものはほとんどなく、建築といえば自分たちでつくっていました。しかし現在では、独自の伝統手法を建築に用いることはまれで、国際的な建設市場から集めた部品を組み立てて建物が築かれています。
一方、フリンではそれぞれの建物が、独立した個性のある生き物のように存在し、それぞれのやり方で地域に貢献している。おそらく、それがこの土地の良いところでしょう。個々の建物は独立しながらも、常に村全体の一部でもあるのです。
注釈
1 :「シュトリックバウ」(Strickbau)は、独自の規則体系をもつログ構法の一種。日本語で「校倉造り」とも呼ばれるログ構法は、木材を水平方向に井桁に積み重ね、隅部で相互に切り欠き交差させ、壁体を構成するもの。ドイツ語でʻstrickʼは「網」を、ʻbauʼは「建築」を意味するが、シュトリックバウは文字通り木材の梁を編み込むように積み重ねる構法である。シュトリックバウのタイポロジーとしては、個室が基本ユニットとなった構成が挙げられる。
2 :フリンでは村人が亡くなると、故人を個人住宅の居間(Stiva)に安置し、喪に服す慣習があった。2000年以降、この慣習は廃止されたが、カミナダ氏と住民との議論の末に公共の遺体安置所(霊安所)である「死者の居間」が完成した。(参照:ジョン.A.カミナダ. 死者の居間. a+u. 2015:10, 541, p.24.、グラウビュンデン州フリン 奇跡の村(その3))
3 :抱き(reveal)は、開口部と壁の境界において開口部に接している面、あるいはそこに配された材を指す用語。単に窓枠を指す場合もあれば、より抽象的に、開口部の「深さ」を示すため用いられる場合もある。
4 :[編集者補足]私たちが二次元の平面である写真に奥行きを知覚するのは、そこに視線を引き留める対象と押し返す対象があるため。
ジョン・A・カミナダ/Gion A. Caminada
スイス・フリン在住の建築家。スイス連邦工科大学チューリッヒ校で建築・デザインの正教授を務める。
貝島桃代/Momoyo Kaijima
2017年よりスイス連邦工科大学チューリッヒ校「建築のふるまい学」教授。日本女子大学卒業後、1992年に塚本由晴とアトリエ・ワンを設立し、2000年に東京工業大学大学院博士課程満期退学。2001年より筑波大学講師、2009年より筑波大学准教授。ハーヴァード大学デザイン大学院(GSD)(2003、2016)、ライス大学(2014-15)、デルフト工科大学(2015-16)、コロンビア大学(2017)にて教鞭を執る。住宅、公共建築、駅前広場の設計に携わるかたわら、精力的に都市調査を進め、著書『メイド・イン・トーキョー』、『ペット・アーキテクチャー・ガイドブック』にまとめる。第16回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館キュレーター。
クリストフ・ダヌーサー/Christoph Danuser
1988年生まれ、スイス・グラウビュンデン州クール出身。2018年に「建築のふるまい学」研究室に加わり、同研究室デザインスタジオの研究と教育に携わる。東京工業大学、スイス連邦工科大学チューリッヒ校で建築を学び、修士号を取得。その後プロジェクトリーダーとして数年間働き、新規開発から重要文化財建築物の改修まで、規模や種類の異なる複数のプロジェクトを設計・開発する経験を積む。2018年、自身の建築事務所「Atelier Danuser」を設立し、スイス国内外の建築プロジェクトに取り組んでいる。
シモーナ・フェラーリ/Simona Ferrari
建築家・アーティスト。2017年よりスイス連邦工科大学チューリッヒ校「建築のふるまい学」研究助手として指導にあたる。ミラノ工科大学、ウィーン工科大学、東京工業大学(外国人特別研究員)にて建築を学ぶ。2014年から17年までアトリエ・ワンの国外プロジェクトを担当。チューリッヒ芸術大学美術学修士課程在学。「ユーロパン 15」(2019)コンペ勝利にともない、現在は伊ヴェルバニアのアセターティ社工場跡にてプロジェクト(メタクシア・マルカキと共同)を進行中。
Top image by Lucia Degonda