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滝口悠生|第4回 アルメニアのアラム

滝口悠生(小説家)

27 Apr 2021

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Literature

窓からのぞく部屋の様子、窓から外を眺めると見える景色、移りゆく車窓の風景。人の生活に曖昧な境界線として存在し続ける窓は、当たり前のようにそこにありつつ、ときに風景を絵画のようにも切りとります。小説家 滝口悠生さんとともに窓のある風景を巡り、その窓に寄り添う人の様々に耳を傾けます。

アイオワ大学にて長年開催されているレジデンスプログラム。そこで滝口さんが知り合ったアルメニアの作家、Aram Pachyan氏。出会いからの3年の月日と、その離れた距離を想い、アルメニアのアラムさんの自宅の窓について、滝口さんよりアラムさんへ質問を投げかけることから今回の窓をめぐるふたりの作家による対話が始まりました。

 

質問  滝口悠生

・あなたの家の窓について教えてください。窓の大きさや素材や形状について、そこから見える風景について。
・その窓はあなたの生活と仕事にどんな影響を与えますか。
・「窓」というモチーフについて、なにか発想するものがあれば自由に書いてください。

 

My Window  Aram Pachyan

1.私の部屋の机の前には、白い木枠で縁取られた縦1m30cm、横1m25cmの窓がある。窓からは裏庭と、黒い砂粒のような房をつけた葡萄の木が見える。その先には鉄の門、電柱と蜘蛛の巣のように張り巡らされた電線、そして澄みわたる細い地平線を望むことができる。

2.両親から受け継いだエレバンのこの家は、カケナル水力発電所の貯水池の隣にある。私はその貯水池を「海」と呼んでいる。「海」の港にはそこに棲む魚や海藻のほか、あちこちをうろつく野良犬達や寂しげに佇む人々、運を信じつつ漁に明け暮れる漁師達の姿が見える。そして「海」の上では、ある時は老人のように静かに、またある時はティーンのように愉快げにクスクス笑いながらカモメが旋回している。私の部屋の窓からは見えない「海」だが、澄みわたる細い地平線を越えて空に浮かぶカモメだけがその存在を知らせてくれる。

3.私は幼少時代をソヴィエト式のコンドミニアムで過ごした。画一的な窓が並ぶ、冷たく生気のないその“コミュニスト高層建築”は、悪魔的な動物の化石のように見えた。そして人々は化石の骨の間で危険と恐怖から身を隠して暮らしていた。コンドミニアムの住民達にとって窓は非常に大きな意味を持つものだった。彼らにとっての窓とは、たとえ見えるのが空のほんの一部であっても、それが外界と繋がるただ一縷の希望であるという点において、独房の囚人にとっての窓に等しい。この頃の経験によって窓はとても意味深いものとなり、さらに時を経て窓がただ純粋に存在するということ(その四角い枠から見渡せるものが壁だけであったとしても)がいかに重要かをはっきりと意識するようになった。

4.近年滞在する機会を得たアメリカのアイオワにて、私は約3ヶ月を過ごすことになった部屋番号229のドアを開けた。部屋に入って窓へと歩みを進め、外に目を遣ると窓一面に見えるのは壁のみであった。花と鳥の美しいアイオワ川の豊かな景色全てが壁の向こうにあることに落胆したものの、2、3日も経つと慣れ、私は窓の桟に本や小物、フォトフレーム、ポストカード、紙切れ、植木鉢を並べた。空想の世界を生み出し、形にして、その世界の中で日々生活しながら仕事をする。そんなお決まりの習慣を楽しんだのだった。

5.私と窓の関係は現在も特に変わらない。エレバンの私の部屋の机の上に位置する内側に開くこの窓は、私を目覚めさせ、記憶や想像、様々な思い出を呼び起こしてくれる。 窓の桟には想像の世界そして現実の世界の断片(キリストが描かれた祖母の蝋燭立て、9歳か10歳の頃に山の麓で拾った火山岩、2ドルで買った小さな仏像、患者の手術をする父の写真、ざくろ石、色褪せた花を差した花瓶、好きなフィクション作家 Ruben Filianの笑顔、私の名前が記された家系図)を並べた。旅の準備はできている。

 

 

アルメニアのアラム  滝口悠生

2018年の秋はアメリカのアイオワにいた。アイオワ大学が主催するインターナショナルライティングプログラムに参加したためだ。世界各地から様々なライター(詩人、小説家、ジャーナリストなど)が集まって10週間ほどを一緒に過ごすレジデンシーで、滞在先はアイオワ大学のあるアイオワシティという小さな街である。

参加者たちには滞在中、大学施設に隣接したホテルの一室が与えられた。古いホテルはときどき空調が壊れたりして文句を言う参加者もいたが、渡航前に日本のビジネスホテルのような狭い部屋を勝手に想像していた私には充分すぎるほど上等な宿に思えた。

このプログラムは50年以上続いていて、過去には日本からも多くの書き手が参加している。たとえば1982年には当時36歳だった中上健次が参加しており、そのときのことを記した本(『アメリカ、アメリカ』角川文庫)を読むと、その頃参加者にあてがわれていたのはもっと古いアパートメントで、二人ひと組の相部屋だったことが知れる。母語も習慣も違う者同士の相部屋となればもめごとも絶えなかったようだが、そんな歴史を経て次第に待遇が改善されたらしい。近年では参加者各人にちゃんとひと部屋ずつが用意されるようになった。

大学施設と隣接しているホテルなので大学関係の来賓などの客が多かったが、フットボールのゲームがある週末には遠くから大勢の観戦客が訪れてこのホテルに宿泊していたし、街の古い建物で結婚式があるとその親族が宿泊したりもしていた。そんなふうに一般客にも利用されるホテルだから日本のビジネスホテルのようなシングルルームはなく、広さも部屋の造りもまちまちだった。

 

私の部屋は大きなダブルベッドが1台置かれていたダブルの部屋で、ひとりで寝るには広々して快適だった。ほかのライターに聞くとシングルベッドが2台並んだツインの部屋を割り当てられている者が多かった。窓からの眺めもそれぞれで、建物の外側に面した私の部屋からはホテルの前を流れるアイオワ川が望めたが、建物の内側に面した部屋を割り当てられると窓からは隣の建物の壁や屋上が見えるばかりで、ずいぶんと差があった。私より2年前の2016年に参加した柴崎友香さんはそのときの経験をもとに記した本(『公園へ行かないか? 火曜日に』新潮社)のなかで自室の窓からの眺めの悪さをたびたび嘆いている。

滞在中に参加者がこなすタスクは決して多くなく、イベントなどの参加もほとんどが自由参加だった。私は日本の仕事を結構持っていってしまったので少し忙しかったが、あとから思えば、なにも予定がなく街をぶらぶら歩いたり、自室やカフェで本を読んだりという一日は日本での生活に比べればずいぶん多かったように思う。

小さな街で、同じホテルで2か月以上も一緒に過ごすのだから、参加ライターたちは自然と互いに親しくなった。全員が全員と均質に親しくなるわけではなく、学校のクラスみたいに、少しずつ幾人かのグループができていった。その成り立ちには当然国籍や母語や性別も影響したはずだったが、ひととひととの関係や親しみの深まり方は、地図や属性にきれいに沿うとは限らない。

ユーラシアの西端に近い南コーカサスにあるアルメニアから来たアラムと、アジアの東端の島国である日本から来た私がどういうふうに親しくなったのか、私はもう正確には表せない。彼の母語はアルメニア語、私の母語は日本語で、会話は英語で行うわけだが、ふたりとも(特に私は)英語が達者なわけでもなかった。私たちはなんとなく、だんだんと、親しくなった。来た場所も、母語も違うけれど、私は彼のなかに、彼は私のなかに、親しくなるべきあれこれを見つけていったのだったと思う。

ホテルでほかのライターの部屋を気軽に行き来することはなかったが、アラムの部屋には何度か行った。いずれも台湾から来た小説家のカイ(黄崇凱)と一緒だった。私たちは滞在中に延びた髪の毛を、カイが地元の学生から借りてきたバリカンで互いに刈ることにしたのだった。即席の床屋になったのがアラムの部屋だった。ホテルの備品のバスタオルを床に敷き、これも借りてきたケープを被った私たちは部屋のデスクに備えられた椅子を置いて順番に腰かけた。はじめのうちは、ここは残してここは短く、などと言い合っていたが、1時間後には結局3人とも坊主頭になった。刈り落とした3人の髪の毛はタオルにくるんでホテルの前のアイオワ川に持っていって流した。

私たちはほぼ同年代で、みな30代後半だった。その年齢の近さは、きっと私たちを近づけたひとつの要因だったろう。3人でそんな大学生みたいなことをしたのも忘れがたい思い出だけれど、あとになって同じくらい印象深く思い出すのはアラムの部屋で垣間見た光景である。机にはたくさんの本と、写真や、ほかにもいろんなものが並べて置かれていた。

それがなんだったのか私はすべてを細かく覚えているわけではなかったけれど、今回彼が書いた文章にあったように、彼は彼の日常生活から遠く離れたあのアイオワの古いホテルの部屋にもいろんなものを置いて飾っていたのだ。それは親しい人物の写真や本、あるいは毎日20キロほど歩くこともあったという散歩の途中で見つけたり拾ったりした品々だっただろう。「壁しか見えなかった」という彼の部屋の窓辺に。

 

私は彼と、アメリカでたくさんの時間を一緒に過ごした。だから彼について、彼の言動やパーソナリティについて、私の記憶をもとに書き記すことができないわけではたぶんない。けれど、私が見た彼について、ここで書き記すことに抵抗がある、それを自分はしたくない、と思っている。

私たちが一緒に過ごした時間、そこには常にお互いに不得手な言語としての英語があったが、それよりも、それらの時間に色濃かったのは、英語とそれぞれの母語のあいだで言語化できないまま渦巻いたり移ろったりした、互いに対する印象とか感情だった。

言いたいことを言い表す言葉を知らなかったり、相手の話す言葉の意味がわからなかったりしながらも、私は彼の顔と声から、なにものかをつかみ取り、共感する中身の曖昧なまま共感を表すべく頷いたりした。それは、嘘やその場しのぎの振る舞いとは違った。言語化できない寄る辺なさを伴う、それゆえに強い共感が私のうちにはあった。その時間や、自分の振る舞いは、自分の言葉に引き寄せたとたんきっと形を変えてしまうから、私はそのことを書き記すことに抵抗を感じているのだと思う。

彼が送ってくれた文章。彼の部屋の窓辺に置かれた、様々なものの名前。それを読むことが、私には自分の記すどんな言葉よりもよく彼を表すことのように感じられる。そしておそらく、彼を知らないひとにとってもそれは同じなのだ。なぜなら彼はライターだから。窓辺に置かれたものたちの名には、それらを大切にその場所に置く彼の手つきが宿っている。そこには、それらを眺める彼の視線も宿っている。視線はやがて窓の外にも向けられて、彼の部屋の窓から見える景色を写す。

アルメニアに行ったことのない私は、彼の住むエレバンという街の景色を見たことがない。けれども、その景色を眺める彼の目ならば思い浮かべることができる。美しさにも楽しさにも、どこか哀しみを見つけ出してしまうような目。小説家の目は背反を見る。アイオワで、あるいはプログラム中に訪れたニューオリンズやニューヨークの街を見ていた彼の目。彼が記した、彼の目が眺める景色や、窓辺の様子にはその彼の目がある。彼の目が見る哀しみがある。

 

アイオワのホテルの彼の部屋で、カイと3人で散髪をしていたとき、彼は薄緑色の被りのシャツを着ていた。最初、少し変わったデザインのそれを、私は彼の部屋着か寝間着かと思っていたけれど、あとでそれは医療用の手術着で、医師だったお父さんの形見だと教えてくれた。お父さんの写真も見せてくれた。

あの日、坊主頭になった3人は、街の日本料理屋に行って、日本酒を飲んだのだった。そのとき、彼は20代の頃の兵役の経験について話してくれた。アゼルバイジャンとの国境線近くに配置され、幾人もの同僚が命を落とした。

台湾のカイも、そのときに徴兵のための訓練経験の話をした。もちろん、私は徴兵の経験はなかった。自分の暮らす国が戦中だった経験もなかった(という言い方が正確なのかは疑問だ。けれども少なくとも、軍とか戦争から遠くにいる、というのがこれまでの私の実感だった)。私たちを近づけた年齢の近さは、ときにそれぞれの経験の差異を鮮明にした。去年の9月、ふたたびアルメニアとアゼルバイジャンのあいだに紛争が起こった。

もう3年前のことになろうとしているアメリカで出会ったアラムについて、私が言葉にしようとすることに抵抗を覚えるのは、結局は臆病さなのかもしれない。言葉にすることで、あの近しさを、自分の記憶を変容させたくない。私がいま言葉にできるのは、彼の目が見た景色ではなく、私が見た彼の目でしかない。

でも私はいつか平然と、彼について、彼が見た景色について言葉にするかもしれない。私もライターだから。それは私の彼に対する近しさや、あの形のない大切な時間が色褪せたときではなく、現実がフィクションという新たな色彩を得たときだと思う。記憶は移ろうので、私は3年前の出来事を、この先同じように思い出し続けることはできないし、いままでのあいだにも、忘れ続けている。それは哀しいことだが、(彼が窓辺に並べる〝fragment〟のように)ひとは現実とフィクションを混ぜ合わせることができる。だから大切なことを忘れずにいられるのだとも思う。

 

 


Aram Pachyan
アルメニアの小説家。アルメニア独立運動世代として活動を行っている。Presidential Youth Prize 他受賞。国内でベストセラーとなった2012年の初著『Goodbye, Bird』は英語、フランス語、ブルガリア語に翻訳されており、セルビア語での刊行も予定されている。2018年、University of Iowa(アメリカ)のインターナショナル・ライティング・ プログラムに参加。2019年、Villa Waldberta(ドイツ)のライターズ・レジデンシーに参加。主な作品は『Goodbye, Bird』(2012)、『Robinson』(2012)、『Ocean』(2014)、『P/F』(2020)

滝口悠生/Yusho Takiguchi
1982年東京都生まれ。2011年「楽器」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2015年『愛と人生』で野間文芸新人賞、2016年「死んでいない者」で芥川賞を受賞。他の著書に『寝相』『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』『茄子の輝き』『高架線』『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』などがある。

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