28 May 2019
イタリア北西部のジェノバから車を走らせて2時間程度、ピエモンテ州の南部にボルミダ渓谷は位置している。渓谷は400~800mと標高が高いため、夏季と冬季の温度差が激しい。冬になると気温が5℃まで下がることもあるという。
渓谷を眺めてみると斜面地に畑が点在している。観察してみると、斜面をそのまま利用したものに加え、傾斜地を段状にしてつくられた段々畑があることに気付く。
今回取り上げるのはこの段々畑で生産され、スローフードに登録されている赤ワインだ。この厳しい自然条件の中、ワインを生産するためにどのような工夫がなされているのか見ていきたい。
現地の生産者を訪れる前に、この段々畑を利用して生産される、ワインに関する野外博物館があると聞き行ってみることにした。モンテ・オリヴェート(Monte Oliveto)と呼ばれるこの博物館は11世紀につくられ、かつては実際にここで原料となるぶどうの生産が行われていたという。段々畑はこの土地で丘陵地の侵食を防ぎ農作物を育てるため、僧侶たちによってつくられたのだそうだ。こうして段々畑をつくる技術はこの土地に広がっていったのだ。
1980年代まで、この土地では「ドルチェット」と呼ばれる赤ワインに用いられる品種のぶどうが広く育てられていた。だが人口が減少し過疎化が進んだことで、多くのぶどう畑がヘーゼルナッツを大量生産するための土地へと取って代わられてしまった。
そこで1990年代後半に地元の若いワインメーカーが立ち上がり、この段々畑を再活用したワイン生産を始めたのだそうだ。ボルミダ渓谷のコルテミーリア(Cortemilia)という地域でワイナリーを経営するエンツォ・パトローネ氏、そして彼の妻であるエレナさんもまたそうした若いワイン生産者だ。
「標高450m程度あるこの土地でワイン生産をするには、荒れ果てていたこの段々畑を再活用するしかなかったんだ。」
パトローネ氏は語る。このボルミダ渓谷の段々畑にはモルタルやセメントは用いられず、代わりにランガ石(Langa Stone)と呼ばれる地域に広く採石される石のみを積み上げてつくられるのだという。
「一般的に言って、コルテミーリアのような寒冷地では赤ワインの原料となるドルチェットのような品種のぶどうは育たない。そこで活用したのがランガ石だ。これを積んでつくられた段々畑は日中に熱を蓄え、夜に放射することでぶどうを冷気から守っている。さらに畑を南向きの斜面地に配置しているのには、南から吹く温かい風によってぶどうを寒さから守る役割もあるんだ。」
段々畑の石積みのところどころにアーチ状のくぼみがあった。これは収穫したぶどうや道具などを仮置きするための場所で、さらに収穫につかれたときの休憩場所でもあるのだという。収穫はいまだに機械ではなく手摘みで行われているため、重いかごを持つ必要があるのだ。パトローネ一家はこうした自然を活用する伝統的なぶどう栽培の方法を継承しながら、この地でワインの生産を行っている。
こうして収穫されたぶどうは圧搾され、アルコール発酵の後ワインセラー(熟成庫)で熟成される。通常、ワインは安定した温湿度の場所でゆっくりと熟成されることでより複雑なアロマ、風味が生まれるとされているため、熟成庫は温度変化の少ない地下に配置されることが多い。
一方、パトローネさん一家のワイン熟成庫は屋根からの日射など温度変化が著しい、建物の2階部分に設置されている。しかもコルテミーリアは冬には5℃、夏には25℃と戸外の温度変化が激しい地域だ。不思議に思い理由をパトローネさんに訊ねた。
「ワインの熟成は通常10℃から14℃までの室温の安定した場所で行なわれることが多いけれど、わたしたちの熟成庫は温度変化の影響を受けやすい2階にある。それは私たちがワイン生産を始める20年前、チーズを生産していたときに使っていたこの場所をワインの熟成にも活かせないかと考えたからなんだ。チーズの生産には地下の熟成庫は必要なかったからね。そこで2階に窓を設え、その開閉によって温度変化を最小限に抑えることにした。こうして夏は窓を開けることで風通しをよくして室温を調節し、冬は窓を閉めることで適温を保つことができる。窓はこの場所でワインをつくるには不可欠な存在なんだ」
確かにパトローネさん一家の熟成庫には日がさんさんと差し込む大きな窓が設えられていた。一般的に思い浮かべるワインセラーのイメージとは全く異なる、明るく風通しのよい空間だ。
さらにこの窓は上下がそれぞれ開閉式となっている。下段は中央から内側に両開き、上段は真ん中で折ることで、自由に窓の角度を調整できるようになっている。窓を開ける際は、中央にあるレバーハンドルをひねることで、緊結していた上下の窓を分離させる。さらに、上半分の窓は折れ目部分の蝶番についているロックを外すことでさらに大きく開くことが可能だ。
こうしてボルミダ渓谷で栽培されたぶどうは12か月間の熟成を経て赤ワインとなる。完成したワインは淡い紫の色合いを帯びたルビーレッド色をしている。ベリーやスパイスの香りと入り混じって、かすかに草のような香りがした。
「ボルミダ渓谷・段々畑の赤ワイン」生産工程
ボルミダ渓谷・コルテミーリアは標高450mの寒冷地に位置している。冷気から守るためワイン生産に使用するぶどうの栽培は、日光と南から吹く温風があたる段々畑でおこなわれる。段々畑はランガ石と呼ばれる石積みでつくられることで、日中は熱を吸収、夜間には熱を放射し冷気からぶどうを守っている。9月末にぶどうの収穫を終えると圧搾と一次発酵の工程を経て、ワイナリーの二階にある熟成庫で熟成させる。熟成庫には気温に合わせて上下で開き方が調節できる窓を設え活用することで、温湿度を一定に保つ環境をつくっている。こうしてより複雑なアロマや風味をもつ赤ワインが生産される。
正田智樹/Tomoki Shoda
1990年千葉県生まれ。転勤族の父と共に、フランス、インドネシア、中国、ベルギーを高校卒業まで転々と移り住む。2014-15年には東京工業大学塚本由晴研究室にて「WindowScape3 -窓の仕事学」で日本全国の伝統的なものづくりの工房の調査を行う。2016-17年イタリアミラノ工科大学留学。現地ではSlow Foodに登録されるイタリアの伝統的な食品を建築の視点から調査。2017年東京工業大学建築学専攻修士課程修了。2017-18年Slow Food Nippon 調査員として、日本の伝統的食品生産を調査。2018年-現在、竹中工務店設計部在籍。