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連載 中国建築の窓

第1回 古典建築のなかの窓【穴編】

市川紘司(建築史)

24 May 2013

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Architecture
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日本建築における開口部は「ま」。西洋建築における開口部は「あな」。それでは中国建築における開口部は? 古典から現在まで、日本人が知っているようで知らない中国建築における窓の文化についての論考。

 

間としての窓、穴としての窓

中国の伝統建築の中心は木造である。もとより日本の木造建築も中国を起源とするものであった。よって窓についても、中国建築と日本建築の考えかたは基本的に同じだと言ってよいであろう。すなわち、構造を支える柱と柱の「間 (あいだ) 」が、そのまま建築の開口部=窓・門となるのだ。ただし日本と異なるのは、中国には、レンガや石や土によって作られた建築もまた非常に多いことである。広大な国土と多数の民族で構成される「中国」においては、建築もまた、ひとつの系統に収まることはないのである。そして当然こうした建築において、窓は、構造体=壁面に穿たれる「穴 (あな) 」として存在することになる。つまり、レンガ造や石造を中心としてきた西洋建築における開口部にも通じる特徴を、中国建築も比較的多く有するのである。 「間」としての窓と、「穴」としての窓。中国で建築の窓を考えるためには、この二つのパターンの双方を捉える必要がある。そしてこの二種の窓は、中国の建築のなかで、それぞれきわめて独特のデザインや方法によって作られているようである。本稿ではまず、後者の「穴」としての窓について考えるために、中国庭園のなかで見られる窓に注目してみたい。とくに、北京の「頤和園」に代表されるような北方系の巨大庭園ではなく、上海の「豫園 (よえん) 」や蘇州の「拙政園 (せっせいえん) 」などの、江南地方に多数存在する文人が所有した小規模な庭園である。この地方にある庭園の多くは明代 (14-17世紀) に作られたものであるが、一部は世界遺産に登録されるなど、書や詩などとともに当時の文人文化の興隆を示するものとなっている。

 

文化を表象する窓

庭園空間に足を踏み入れるとまず気になるのは、一つ一つの窓のかたちが、一定ではないことだろう。白色に塗り込められた壁面には、円形や六角形といった単純なものから、植物や動物などのモチーフが想像されるものまで、じつに様々なかたちで窓が開けられている。さらに窓枠のなかには、レンガや瓦を積み上げることによって描かれた模様を有するものも少なくない。

  • 様々なかたちの窓 《蘇州獅子園》

こうした模様を有する窓はとくに「漏窓 (ろうそう) 」「花窓 (はなまど) 」などと呼ばれる。日本語では「透かし窓」とも言われるとおり、うしろの庭園空間を模様の隙間から透かして見せるような、あるいは漏れ伝えさせるような役割を果たしている。「窓は西洋文化においては光や新鮮な空気を取り入れるものでしかないが、中国人にとっては、それは一つの額縁であり、庭園はつねに窓の外側に位置する」と述べたのは、蘇州出身の建築家イオ・ミン・ペイであったが、その言葉のとおり、江南庭園において窓は、ガラスがはめ込まれているか否かのちがいに関わらず、換気や採光といった実際的な機能よりも、視覚的な効果が重視されている点で共通する。庭園空間を静謐な風景画のように切り取る「額縁」として、あるいはその風景と微妙に重なる装飾模様として、窓はおもにデザインされているのである。

実際のデザインを見てみよう。たとえば模様としてよく用いられるのは、ボタンや梅といった花弁、魚のうろこ、あるいは太陽や火のアイコンとしての「卍 (まんじ) 」などであるが、これらはみな中国では「縁起もの」として好まれた記号であると言ってよいだろう。こうした吉兆をねがう模様は、「喜」や「寿」といった漢字によってかなり直接的に (キッチュに) 描かれる場合もある。 文人が庭園に望んだのは、煩雑な俗世界から切り離された自分ひとりのためのみやびな小世界であったはずだが、とはいえこのような民間の風習が潜り込んでいるのは興味深い点である。また、琴や棋といった、いわゆる文人文化の象徴的アイテムは、窓模様においても、窓全体の形態においても、よく見られる。

かようにして、形態にしろ模様にしろ、江南庭園の窓には当時の文人文化や生活像が様々なかたちで反映されている。その結果として、窓のモチーフは非常に多彩となっており、そもそも職人による手作業と創意から生まれているわけだから、基本的に同じものは一つとしてない。

  • 異なる模様の窓 《蘇州留園》

しかし特筆すべきは、一つ一つの窓の姿形は全然ちがうにも関わらず、それらが集合するさいの全体のバランスは微妙に保たれていることである。形態や模様が異なるときには間隔を一定に設えられたり、あるいは仮に間隔が異なっている場合には形態や模様を似させたり、その工夫の仕方は様々であるが、こうした操作によって、乱雑さと規則性が微妙に折衝する関係が生み出されているのだ。

 

空間をスイッチさせる門

上で述べたとおり、中国庭園における窓は、きわめて特徴的なかたちとなっているわけだが、これは門も同じである。瓶や葉などかたどられるかたちのバリエーションの多さは窓と同様であるが、とりわけよく見られるものは、円形の門だ (正円のものは「満月門」、底が大地につき少し欠けたものは「平底円門」と呼ばれる) 。観覧者は、屈曲する外部廊下から庭園へ、あるいは庭園から庭園へと移動するさいに、こうした門を何度も何度もくぐることになる。

  • 洞門 《蘇州拙政園》

ところでこの門は中国語では「洞門 (どうもん) 」と呼称されるものである。「洞門」とは、通常であれば「ほら穴の出入り口」またはそこに設けた門戸というような意味になるのだが (木津雅代『中国の庭園 山水の錬金術』) 、なぜ庭園空間をむすぶ門にも、その名前が与えられているのだろうか。 中国人の空間認識から考えてみよう。古くから中国では、山中にある洞窟が、仙人の暮らす天や世界全体とつながっていると見なす伝統があるという。洞窟という狭く閉ざされた空間のなかに、その真反対とも言うべき巨大な宇宙的空間を見るわけである。こうした空間認識は、小さな壺の内側には巨大な宮殿がひろがっていた…という「壺中天 (こちゅうてん) 」と呼ばれる物語にもよく表れているところであろう。大小、広狭という両極端の空間性を表裏一体のものとしてとらえ、反転させたり、結び合わせたりするような発想が中国にはあるのだ。 こうした発想を踏まえて、ふたたび中国庭園の「洞門」を考えてみると、この門の意図がわかるはずである。庭園と庭園をむすぶ出入り口が「洞門」と呼称される理由は、「洞門」をくぐる手前とその先にある空間はまったく別のものである、ということを指示するために他ならない。「ほら穴」に入ったのちにはまったく異なる「天」の空間と出会うように、である。実際、壁によって小分けにされた庭園空間の一つ一つは完結したものとして設計されているから、庭園から庭園へと移動することは世界をまたぐことにも等しいのである。そして「洞門」が特異な形態をしているのは、観覧者がそれをくぐるさいに、「前後の空間が異なっている」という認識を強く持たせるためだと言えるだろう。

 

市川紘司/Kouji Ichikawa

1985年東京都生まれ。東北大学大学院工学研究科博士後期課程。研究テーマは中国近現代建築の歴史、理論。建築同人誌『ねもは』編集長。

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