WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 チリ窓コラム

第3回 チロエ島 カモメが舞う場所

原田雄次 (Smiljan Radic)

30 Jun 2015

今回はチリ本土とは異なる文化を有するチロエ島 (Isla de Chiloé) について書こうと思う。チロエ島はサンチアゴから南に1,100kmほど南に位置し、面積8,400k㎡は日本の四国の半分の大きさにあたる。島内の人口は約10万人で、そのうち4万人が島の中心の街カストロに住んでいる。古くから木造文化が発達しており、特に島内の町々に点在する木造教会群は「チロエの教会群」として世界遺産にも登録され、その数は全部で159棟に及ぶ(そのうち世界遺産に登録されているのは16棟)。

内湾側の町の波打ち際には海にせり出した木造の桟橋住居が建ち並び、それはまるで京都の伊根の舟屋群を彷彿とさせるような水際の美しい風景を築いている。チロエ島はこうした居住や地名・食事など本土とは異なる文化を有する島ということで、日本で言う所の沖縄・あるいは北海道のようなポジションに相当すると思う。

そうした地域の人々を「しまんちゅ」や「どさんこ」と呼称するように、ここではチロエ出身者は「チロテ」と呼ばれている。気候的には寒冷針葉樹林帯に属し、牧歌的な風景からしても北海道のそれに近い。雪こそは降らないが、実際にチロエ島の付近の元住民であるマプーチェ族のDNAは、日本のアイヌや琉球族のそれに近いという研究結果も報告されているのが興味深い。

木造文化圏かつ多雨地域(年間降水量約2,000mm)ということもあり、伝統的な家屋は日本のそれと類似点が多い。例えば多くの住宅の基礎は高床になっているし、もちろん屋根は一様に勾配がついている。古い木造教会の接合部は金物を用いず、継手仕口を駆使して巨大木造構造物を構築している。他にも柱の基礎が無垢の石となっている。

こうした様式は、日本の農家の古民家でも見受けられる。さらに驚いたのは伝統住宅の中央には、日本の囲炉裏のような装置がしつらえられているのだ。チリは土足イス文化なので囲炉裏の所が床レベルから一段下がって、ちょうど掘りごたつのようになっている。これは年間を通じて冷涼な気候のチロエ島では暖をとるためとしてはもちろん、調理の場としても用いられるためだ。

一方で前回までのサンチアゴバルパライソといった中央部の地中海性気候の地域でよく見受けられた、爽快に開け放つことができる引き戸をあまり見かけることはない。やはり多雨でありながら基本的に低湿冷帯なので、どちらかというと気密性を重視する家の造りとなっているのだろう。

またチロエ住宅の特徴として挙げられるのは、ウロコ状に張り巡らされたファサードだ。これは主にカラマツ材をおよそ20cm四方にカットしたもので、チロエを中心とした南部の住宅ではよく見受けられる。それそれが色とりどりに彩られ、まさにバルパライソのトタンの南部バージョンといった感じだ。このかわいらしい住まいの表情が、チロエの観光地としての人気を押し上げることに一役買っているのではないだろうか。

こうした木に対する仕事の息吹は今もなお根づいており、チリ南部の職人はすばらしい仕事することで知られている。それは何も建築に関係するものだけにとどまらず、例えば優れた造船技術をゆうし、水際を歩いているとそれら木造船工場と出くわすこともある。「少し中を見せてください」と頼むと、彼らは快く中に招き入れてくれた。工場の中は木の穏やかで優しい香りが立ち込めている。そして木のストラクチャが心地よいリズムを刻み、滑らかで美しい合理的なカーヴがそれに寄り添っている。

さらに海岸線沿いを歩いていると、この島のハイライトであろう桟橋住居群が目に入ってくる。これらの住宅は”palafito=パラフィート”と呼ばれ、直訳すれば水上家屋と言う意味だ。もともとこのパラフィート様式の建物は、19世紀後半にチロエのいくつかの港に製材業者のために設けられた住居・宿・卸倉庫であった。

しかし1940年の農村部からの人口流入によって、チロエの主要産物であるジャガイモが疫病に冒された。困窮した農民たちは理論上誰のものでもない海辺を占拠し、自らのための簡素なパラフィートをこしらえた。

ここでは潮が引いたときに魚や貝を採取することができたし、わずかな土地を所有しそれを耕すこともできた。要するにその起源は世界中どこにでもある人口流入による土地のスラム化ということになる。

しかし現在ではこのパラフィートがチロエを象徴する風景となっており、多くの観光客がこのランドスケープと生活が一体となったユニークな景色を写真に収めるために、はるばる訪れるのだ。近年このパラフィートに着目し、ツーリズムと結び付けた新たな試みを企てている若い建築家も現れている。

そうした建築家ユニットのうちのひとつEugenio Ortúzar + Tania Gebauerにお会いして、彼らの仕事や職場を拝見させていただいた。彼らはここチロエのカストロで自らが手がけたパラフィート物件を拠点に活動している。彼らの代表作のひとつであるパラフィート・スール・ホステルを、設計者のひとりであるターニアさんに案内していただいた。

プロジェクトの敷地は、典型的なパラフィートが建ち並ぶエリア(ペドロ・モン地区)の一画にある。このあたりはカストロの中心部からのアクセスも良く、またチロエらしい景観を有していることから近年観光地化が進んでいる。このホステルは既存のパラフィートの一部をリサイクルして建設されている。彼らのアイデアは大きく3つの要素で構成されている。

1) 通りからのアクセス:チロエの景観をショーケース化し、街に開放している

2) インテリア:自然光と古材のリサイクルによる温かな空間

3) 海へのビスタ:吹き抜けのリビングから見るピクチャレスクな窓群

この地域のテクスチャの見本となるよう、これらの形式にしたがって通りのファサードは例のカラマツ材のウロコ模様で覆われている。同時に、ここを訪れる旅行者のために上部はチロエのショーウインドウとして視線が通りから海へと抜けている。内部のリビングは2層分の吹き抜けとなり、海に開かれている。

このスペースは潮の満ち干き(最大約2m)や、美しいアウストラル運河、干潟の生物たちを眺めるといった体験を共有し、時間を過ごすための空間だ。そしてそれらの窓たちはいずれも眼前の湾に広がるチロエのランドスケープを収めるためだ。

彼らのデザイン手法である、「その土地のランドスケープや体験を踏襲し、通りとその奥に潜む美しい風景をささやかにつなぐ行為」は、僕が前回紹介したバルパライソのプロジェクトに通じる所も多く、そういう意味でも興味と好感を抱いている。

チリの現在の建築シーンの面白味は、やはりチリらしい雄大なランドスケープと建築が一体となって、あるいは独立して孤高に佇んでいるところだと思う。チリ人がそうした風景を愛で、その風景を抱くためのシェルターをこしらえるというのは素晴らしい文化行為だと僕は感じている。

一方で、チリのそうした一部の富裕層のための富の象徴としての建築のあり方に疑問を呈する者がいるのもまた事実だ。そういう意味でこのチロエでの、地域の伝統とランドスケープと現代的なツーリズムを建築的所作によって次世代に繋いでいこうとしている彼らの試みは、封建的なチリの建築的状況に一石を投じているのではないだろうか。

こうしたチリの特異なランドスケープ群と新しい関係性で建築を構築できる人が増えていけば、今後もきっとその建築作品を通して、あるいはそこから見える景色によって、その土地土地の新たな魅力を我々に教えてくれるだろう。

 

 

原田雄次/Yuji Harada 建築家。1986年神戸市生まれ。2008年横浜国立大学工学部卒業、2011年横浜国立大学大学院工学府卒業。2012年- Smiljan Radic(チリ、サンチアゴ)に師事

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