アンドレア・デプラゼス × ロラン・スタルダー × 貝島桃代 『Swiss Window Journeys』刊行記念鼎談
17 Dec 2024
2024年4月12日、書籍『Swiss Window Journeys: Architectural Field Notes』の刊行を記念して、チューリッヒ市内の注目すべき窓を巡る街歩きツアーがスイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETHZ)の「建築のふるまい学」講座によって企画された。ツアーの終着点となったチューリッヒ旧市街ニーダードルフにある書店Never Stop Readingを会場に、アンドレア・デプラゼス氏(ベアス&デプラゼス アーキテクテン/ETHZ教授)、ロラン・スタルダー氏(建築史家/ETHZ教授)、貝島桃代氏の3者がスイス建築における窓の役割や意味について鼎談を行った。
貝島桃代(以下:貝島) この本には、スイスで活動する建築家たちに窓の設計へのアプローチについて話を伺ったインタビューの数々が収録されていますが、最後にもう1本、デプラゼスさんにもインタビューを行いたいと思っていました。ベアス&デプラゼス・アーキテクテン(Bearth & Deplazes Architekten)がETHZとの教育研究プロジェクトで設計した《新モンテローザ・ヒュッテ》(New Monte Rosa Hut、2009)がこの本に収録されているからだけでなく、私が皆さんの作品の大ファンだからです。早速ですが、私からの一つ目の質問は、デプラゼスさんたちの初期のプロジェクトで、とても面白い窓を持つ《セヴガインのタワーハウス》(Tower House in Sevgein、1999)に関するものです。リビングには空間の幅いっぱいに伸びる大きな窓が一つあり、他の窓は壁を打ち抜き加工したような造りになっていますね。これらの窓にはどういった意図を込められたのですか?
アンドレア・デプラゼス(以下:デプラゼス) この住宅は、ライン渓谷を見渡せる素晴らしい場所で暮らしたいという一家のために設計したものです。最初の案では、建物の存在感を最小限に抑えようと、平屋を敷地の斜面に埋め込んで一体化させることを考えていました。しかし、もっとコンパクトで複数階に分割されているかたちにして欲しいとのことだったので、全体をぎゅっと圧縮した結果、建築面積が小さくなった分、丈が伸びたのです。リビングには「消えた壁」とも呼べる開口部があり、そこに窓ガラスをはめ込むことで、ライン渓谷の絶景を一望できるようにしました。各部屋は階段と一体でスキップフロアになっており、垂直方向に構成されています。
てっぺんの屋根裏空間にはベルックス(デンマークの天窓専門メーカー)製の窓を使っていますが、遮光装置や躯体に取り付けるための部品がすべて一体化されている製品で、DIY感覚で設置できるのが気に入りました。あのように半分内側、半分外側に倒れて開閉する窓を一からつくると普通とてもコストがかかるので、ならば既製品をそのままファサードにも使ってみようという考えに至りました。メーカーからは、天窓は屋根に使うために設計されたものだと反対されましたが、「屋根に設置されようが、壁に設置されようが、ディテールは同じなのだから、窓からしたらわからないからいいでしょう」と説得を試みました。結局、想定外の使用方法だということでメーカー保証は得られませんでしたが、気にせずに屋根の窓と同じ要領でファサードの外側から取り付けました。
ちなみに、この経験は後にモンテローザのプロジェクトでも活きました。自然換気ができて遮光装置も備わっていながら、あまり大きすぎない窓を各部屋に設けたかったので。最近では多くの建物にかなり大きな窓がついていますが、大きいと問題を引き起こすこともあります。でも、この話はまた後でもいいですね。先に問うべきもっと重要な質問があります。「家に窓は必要か」ということです。
ロラン・スタルダー(以下:スタルダー) 「家に開口部は必要か」と言い換えてもいいですか? 窓のない家をつくることはおそらく可能ですが、開口部は少なくとも一つは要りますよね。人が通ったり、もし火を使うなら熱や煙を逃したりするための。さもないと、入ることも出ることもできないので、建物としては使えません。まるで地下牢です。興味深いことに、レオン・バッティスタ・アルベルティも、窓については独立した分類を立てずに「開口部」として論じていますね。
デプラゼスさんは、窓の構成や施工の側面についてお話されましたが、貝島さんが「ふるまい学」の観点を導入してくださったことの価値は、窓の使われ方の側面に焦点を当てている点にあると思います。窓というものは、内と外の間に構築されるさまざまな関係をどう表現しているかによって特徴付けられます。例えば、内外を純粋に視覚的に結んだり、眺めを支配したり、風や太陽と関連付けられたりする窓がありますね。こうしたいろいろな特性と言いましょうか――「機能」と呼ぶのは違いますね――を建築家が発現させることで、窓の特徴が形成されていくのです。換気や採光といった問題に関していえば技術的に解決できるので、ご質問への回答としては「はい、窓のない家をつくることはおそらく可能です」になりますが、しかし、窓がもたらす空間的特性は代替できません。
貝島 窓のない建物は地下牢のようだとおっしゃいましたが、それはもはや生者ではなく、死者のための場所である墓のようだと私は感じました。地球上の生命は太陽との関わりがあって誕生しましたし、光も空気も生きるために必要な基本的要素ですよね。だから、外との繋がりをつくる窓はやはり必要だと思うのです。
窓は近現代建築の歴史を通して一番発達した要素だと言えると思うのですが、スタルダーさん、どう思いますか?
スタルダー やはり内と外、つまり人と環境、個人と社会が交わる境界を表現しなければならない要素なので、とても高度に発達していますね。特にここ50、60年でしょうか、音やエネルギー、光などに関するさまざまな新しい要求に応えられるようにするにはどうすべきかという問題に多くの関心が注がれてきました。ですから、窓は最も複雑さが表出する要素の一つだとは言えますが、一番かどうかを決めるのはあまり重要ではないかなと思います。
デプラゼス ファサードは、どのような造りでも、いつも建物の中で最もコストがかかる部分ですが、これもそういった複雑な内外の関係が絡んでくる部分であることが理由ですね。もし学生たちに「窓は何に役に立ちますか」と問いかけたら、一般的に思い浮かべるような正解はすべて順当に出してくれるはずなのに対して、先ほどのように「家に窓は必要ですか」と問うと、そう簡単には答えられない複雑な問題になるのも、そういうことです。
イランを旅した時、私はイスファハーンやシーラーズで中庭式住居が主要なタイポロジーである素晴らしい街を訪れたのですが、そこでは通りに面する窓が無いのです。あのような、いろいろなもので溢れかえっていない簡素な場所が都市の一画にあるのはとても面白いです。チューリッヒに置き換えると、今、私たちがいるこのニーダードルフにだけ窓が無いようなことですが、想像するのも難しいですよね。体験するとかなりのカルチャーショックを覚えると思います。
窓が本当に重要なものとして認識されるのは、それが何よりもまず採光のためにあるということに気づくときだと思います。何百万年後に宇宙が終焉を迎えるとき、光はなくなり、闇だけが残ると物理学者は言いますが、「闇」と聞いたとき、私は地下牢でも墓でもなく、そのような無光状態を思い浮かべます。私たちは太陽の光のおかげで生きていられるのです。この生命を維持する光を建物内に確実に送り届けるために、我々建築家はいろいろと工夫をしなければなりません。これにはさまざまなアプローチがあります。例えば、ルツェルン州メッゲンにあるフランツ・フュエグ設計の《ピウス教会》(Pius Church、1966)には窓がなく、光が透過するほど薄い大理石で覆われています。直接光は射し込まず、建物全体がランタンのように淡く輝くのです。光を、U値(熱貫流率)といった単なる数値だけでは語れない超物質的なものへと昇華させる一つのアプローチですね。
スタルダー そうした数値で捉えられる域を超えた側面という話のつながりで、私から貝島さんに質問があります。なぜ、窓の「ふるまい」について誰も語ることのなかったスイスというこの土地が、貝島さんの窓研究にとって豊かな土壌となったのでしょうか?
貝島 1990年代に学生として初めてスイスに来た時に感じたことなのですが、こちらの建築家たちは、建築の一つ一つの要素に意味や美しさを持たせることに深い関心を持っていますよね。なぜだろうと不思議だったのですが、次第にそれがゴットフリート・ゼンパーの時代(19世紀中頃)やそれ以前までさかのぼる長い歴史をもつ問題、文化であることを理解しました。農業が伝統的に重要でありながら気候が厳しいスイスでは、人々は必死に努力して技術的な問題解決能力を発展させてくる必要があったわけですよね。こうした文化が、どうもこの土地の窓という要素にも表れているように思うのです。例えば、この本でも取り上げた「魂の窓(seelenfenster)」という古い窓がありますが、丸太壁に開けられた簡素なスリットで、人が亡くなるとき、魂がアルプスや空へ帰れるように開かれ、木の板や引き戸でまた閉じられます。重々しさはなく、きわめてミニマルで美しい窓です。
デプラゼス そこに何か日本とスイスの文化的な共通点を感じられたのですか?
貝島 スイスでは、窓は壁に穴をくり抜いたり打ち抜いたりする感覚でつくられますが、気候が温暖な日本では家の建て方が異なります。窓は柱と柱の間の空間を塞ぐ役割を持ち、一般的に、引き戸の形式の建具を使います。こうした構造的な違いがあるものの、どちらの国にも、空間をどのように開いたり閉じたりするかの問題を、生活の豊かさという観点に重きを置きながら技術的に解決することに関心がある点で似ているように思います。だからスイスは、私にとって窓まわりのさまざまなふるまいを論じるのにとても面白い場所になっているのです。
スタルダー スイスは、いろいろな気候や建材、工法の寄せ集まりでもあります。ざっくり言うと、ドイツ語圏には木造の伝統があり、例えばティチーノ州のある南部(イタリア語圏)には石造りの伝統がありますね。長い間、建築はその地域ごとの気候や手に入る素材と密接に対応している必要がありました。しかし、近代化によって状況は一変しました。既製品の天窓を屋根だけでなく壁にも設置できたという先ほどのデプラセズさんのお話は、今では国や地域、気候に関係なく、どんな窓でも自由につくれるのが当たり前になっていることを象徴しているように思います。ここまで来た現代において、窓の課題として何を挙げますか?
デプラゼス すごくいい質問ですね。今の窓は設置される場所から本当に独立していますからね。スイスの窓は、厳しいエネルギー要件を満たすためにどんどん分厚くなり、地域性を失った重厚で汎用的な工業製品になっています。個人的に一番面白いと感じているのは、窓の「用途」――「機能(function)」という言葉は、数学的な「関数(function)」を思わせるので使いたくありません――をいかに複合化させるかという課題です。例えば、適切な窓を適切な場所に設置することで、家を暖める用途を持たせることができます。自然光には熱も含まれているので。でも、室温が上がりすぎてしまわないように、開口部の大きさはよく考えなければいけません。現代の窓は造りが複雑なので、多くの建築家は、こうした問題をエンジニアやファサードコンサルタントといった専門家に任せています。私たちも、カタログや規格表を頼りに、ほぼほぼ固定された選択肢の中から製品を選ぶことに慣れてしまっていますが、デジタル技術を活用して細かくカスタマイズされたものをつくることが可能になっている今、特定のニーズに応じた特性を備えた窓のデザインを考えるのは面白いと思います。カスタマイズされた窓の開発、貝島さんが取り組むのにいい研究テーマかもしれませんね。
貝島 そうですね。もともと窓は、特定の場所の環境と暮らしに密接に結びついたきわめてローカルなものでしたが、近代工業化はその製造プロセスに変革をもたらし、規模を拡大させました。今の時代は気候変動といった環境問題も考慮する必要がありますが、これは今後も窓を考える上で取り組まなければならない課題の一つですね。スイスには、小規模な窓製造業者がたくさんいるので、それぞれの地域に合わせてカスタマイズされた窓を製造し、変化するニーズに応じてイノベーションを進められる可能性があります。イノベーションといえば、とても挑戦的かつ美しいプロジェクトである《新モンテローザ・ヒュッテ》について、デプラゼスさんに少しお話をしていただきたいです。スイスには、人間が過酷な環境にしばらくの間滞在することを可能とするヒュッテ(hütte:山小屋)を建ててきた長い歴史がありますが、これは窓と技術の関係について考える上でとても興味深いビルディングタイプです。
デプラゼス 私は今でも、モンテローザのプロジェクトに取り組んだ学生たちの仕事をとても誇りに思っています。施主はETHZとスイス山岳会(SAC)だったのですが、両者の間に面白い拮抗関係がありました。ETHZは常にイノベーションを望んで、未来のためのソリューションを試すことに前向きだったのに対し、SACはなるべくリスクを避け、従来的なアプローチを取ることを求めました。私たちの学生たちは、その間で板挟みになったのです。優秀な修士生のグループで、2年以上かけて設計に取り組み、建設可能な状態まで持っていきました。一つ、大きな争点となったのが階段のデザインでした。
プランは円を基調とするのですが、学生たちは上下動線を外壁に沿ってらせん状に巡らせることを提案しました。この階段を照らす窓は、エントランスから6階まで360度回転しながら上っていきます。つまり、階段と並走するかたちで、まずは東側から始まり、次に双耳峰であるカストールとポリュックスが見える南側へと移り、最後にマッターホルンを望む西側へと回って、素晴らしいパノラマを取り込んでいます。でも、「なぜ階段をプランの中心に置いて、その周りに部屋を配置していないのか。こんなの全然ダメだ」とSACのエンジニアたちが言ったのです。学生たちは「いいえ、あなた方はこのデザインを理解していません」と、その狙いを説明しました。太陽光に照らされ続けるこの帯状の窓は、建物全体を暖めるパッシブな暖房装置でもあるのです。暖められた空気は建物内を上昇し、空調設備を通じて熱交換器に送り込まれ、シャワーの温水などを供給しています。本当に効きが良くて、熱を逃すために管理人がときどき窓を開けることもあるほどです。
学生たちは、窓が複数の役割を持ち得るものであることを理解し、その可能性を追求することを楽しんでいました。帯状の窓を、ファサードの一部を覆う太陽光発電パネルを横断させるように配置することも試みました。最終的に、学生の主張は正しく、彼らの提案の方が優れているとSACのエンジニアは認めました。
ある論評でこの建物は「結晶(crystal)」という言葉で形容されていますが、面白いのは、学生自身は一度もそのような表現を説明に用いていないのですよね。設計の過程では一貫して、悪天候時に身を寄せるための場所としての「ヒュッテ」や「中世の要塞」と表現していました。そういったものの現代版としてイメージされたこの建物の客室には、小さな窓――例のシンプルなベルックス製の天窓――から光が入ります。これらの窓の配置は二段ベッドの各段の高さに合わせているのですが、ファサードに規則性のあるパターンが見られず、各階の位置がはっきりと読み取れないのはこのためです。ちなみに、帯状の窓は、また別の窓メーカーと協力して製作したのですが、そのメーカーは学生たちが何を目指しているのかしっかりと汲み取り、学生たちの意欲に触発されて、ベストなデザインを実現するために最適な部品や接合方法を積極的に提案してくださいました。目指したデザインを実現するために頑張る学生たちの姿も素晴らしかったです。
貝島 とても素敵なお話ですね。
スタルダー あと一つ話さなければいけない議題がありますね。皆さんにとっての理想の窓とは何ですか?
貝島 沖縄の海岸沿いに備瀬というとても美しい集落があるのですが、そこには私が今まで出会った中で一番驚きのある窓があります。集落の家々は非常に特殊な様式で建てられていて、地面から浮かせた約8メートル四方のプランを持つ平屋建築で、柱で支えられた屋根が架けられています。その周りを緑が美しい生垣――高さ3、4メートルほどあるフクギの防風林――が囲んでいます。他に余計なものは何もなく、それですべてなのですが、その窓は独特な奥行き感を獲得しているのです。まるで窓が庭そのもの、生垣そのものになったかのような、家と自然が一体化した空間が広がっています。
デプラゼス 窓が昇華されているようですね。
貝島 ええ、ランドスケープと化す窓なのです。いつか自分もあのような窓をつくれたらと思っています。
スタルダー 私は、ある意味それとは正反対の事例を紹介したいです。1920年代に、ここチューリッヒのベルビューにある店(絨毯店「Forster」)のために設計された窓です。私の学生の一人もこの窓について素晴らしい研究を行いましたが、反射を無くすために設計されたショップウィンドウで、ガラスが平らではなく、垂直方向に湾曲しています。この窓もまた複数の役割を兼ね備えていて、窓の可能性を美しく多次元的に――形態的にも、空間的にも――示しています。通行人が商品をはっきりと見えるようにするだけでなく、地階にも光を送り込んでいます。面としては室内を雨風から守る役割を果たし、空間としてはショーケースの役割を果たしています。「ガラスの窓」であり、「視覚の窓」であり、「光の窓」でもあるのです。空気を入れ換えるための工夫もされているはずですから、「換気の窓」でもありますね。貝島さんにご紹介いただいた窓は、ご紹介いただいた窓は「隔て」を溶かす窓、つまり「閾」(繋ぎの空間)と化す窓ですが 、このショップウィンドウは、それと同じことをとても近代的な方法で実現しています。一つ、近代の事例の方の有利性を挙げるとすれば――あくまでも歴史家からするとの話ですが――窓の可能性を考察する上で、より明確に分析し、理解することができる点にあります。
デプラゼス 要するに、この事例も空間的な窓であるということですね。
スタルダー ええ、間違いないでしょう。
デプラゼス 私の関心は、まさにそこにあります。窓は、単なる面を超えて、内と外を介在する空間になり得るのです。窓をこの方向で追究していきたいと思います。
貝島桃代/Momoyo Kaijima
2017年からスイス連邦工科大学チューリッヒ校建築ふるまい学教授。1992年塚本由晴とアトリエ・ワン設立。日本女子大学住居学科卒業、東京工業大学大学院修士課程修了後、2000年東京工業大学大学院博士課程満期退学。2000〜2009年筑波大学芸術系講師、2009〜2022年同准教授。ハーバード大学デザイン大学院(2003年、2016年)、ライス大学(2014〜2015年)、デルフト工科大学(2015〜2016年)、コロンビア大学(2017年)、イェール大学(2023年)などでも教鞭を執る。住宅、公共建築、駅前広場などの設計に携わる傍ら、「メイド・イン・トーキョー」、「ペット・アーキテクチャー」、「コモナリティーズ」などの著書を通じて都市、郊外、農村、山村、漁村の建築に関する数々の調査・研究を発表している。2018年第16回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館キュレーター。2022年ウルフ賞芸術部門(建築)受賞。
アンドレア・デプラゼス/Andrea Deplazes
1960年スイス・クール生まれ。1982~1988年スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETHZ)で建築学を学び、ファビオ・ラインハルトに師事。1996年からスイス建築家協会会員。1997~2001年ETHZ建築学科建築・施工学助教授。2001年グラウビュンデン州クールとチューリッヒを拠点とするベアス&デプラゼス・アーキテクテンをバレンティン・ベアスとダニエル・ラドナーと共同設立。2002年ETHZ建築学科建築・施工学正教授に就任。2003~2005年ETHZモンテローザ・スタジオの一環で《新モンテローザ・ヒュッテ》の基本構想をまとめ、2007~2009年ベアス&デプラゼス・アーキテクテンとしてプロジェクトを完成させる。2005~2007年、2008~2010年ETHZ建築学科学科長を歴任。
ロラン・スタルダー/Laurent Stalder
スイス連邦工科大学チューリッヒ校建築論教授。19世紀から21世紀の建築史・建築論と技術史の関係に主眼を置いて研究・執筆を行う。主著に「Architektur Ethnographie[建築民族誌]」(『Arch+』2020年3月号)、『Un dessin n’est pas un plan[ドローイングは図面ではない]』(Caryatides、2023年)、『On Arrows[矢印について]』(MIT Press、2025年刊行予定)など。
Top image: New Monte Rosa Hut, Switzerland (2009) by Bearth & Deplazes with Studio Monte Rosa ETH Zurich © Tonatiuh Ambrosetti