WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 葉祥栄 光をめぐる旅

動きの中の建築

百枝優

26 Dec 2024

Keywords
Architecture
Columns
Essays
Japan

学生時代から葉祥栄の建築に影響を受けてきたという建築家、百枝優氏。カナダ建築センター(CCA)が所蔵する葉祥栄資料を読み解く滞在型プログラム「Find and Tell」にも参加した百枝氏が、「動き」をキーワードに葉の建築と言葉を考察する。

 

 

建築は動かないものだと考えられている。例えば室内の壁を塗装する際、石膏ボードを2枚貼りしてパテ処理し、目地の無いプレーンな壁面を作ることがある。このような収まりは建物の挙動によって、結局ヒビが入ってしまうことが多いのだが、目地の無い「観念的な壁」に惹かれる建築家は多い。しかし、葉祥栄はこのような考え方をとらない。彼は建築が「動くもの」だと知っていたからである。

葉祥栄は、硬い物質と物質の間で、動きを吸収するジョイントを「光」に置き換えることで建築を成立させた。また「UFO」のように浮遊感のある住宅や、「甲殻類」のように今にも動き出しそうな体育館を設計した。そして自然現象への「応答」を建築の形態に置き換えようとした。建築を、その時代ならではの素材と技術の瞬間的な統合として、車や飛行機のように大地から切り離された自由なものとして、太陽に顔を向ける向日葵のように自然の摂理に即した動的なものとして捉え、設計したのである。

 

動く光のジョイント:《光格子の家》

インテリア、プロダクトのデザインから出発した葉祥栄は《コーヒーショップ・インゴット》をきっかけに自然現象へ興味を向けた。インテリアと建築の違い、それは移ろう外部環境と直接的に相対することである。人工照明と異なり太陽の光は常に変化し続け、時を刻む。こうした自然の動きを建築に取り込んだのが《光格子の家》である。

葉祥栄は、それまで屋根と床があれば住宅は成立すると考えていた。家族というものは、子どもの成長によって構成員が変化するものであり、それに対応するもの、変化を許容する空間が住宅であるという考えである。しかし《光格子の家》では、クライアントが子どものいない夫婦だったために、家族の変化ではなく、太陽の変化に着目した。また、起伏のあるランドスケープをそのままの高低差で室内に取り込むことで、グリッドによる視覚的な均質さと異なる、自然光の移ろいと地形による抑揚のある空間を生み出した。

「人と技術と自然のそれぞれのインターフェイスには、必ずゲル状の柔らかな緩衝帯や空隙(空気はバネになる)が内包されねばならない。」 葉祥栄「カリステニクス」, Shoei Yoh 12 Calisthenics for Architecture, SD 9701, 1997, p.142

《光格子の家》は「ステンレスの家」である。壁面はステンレスで構成され、それらの隙間に光を通している。それまでの実践でガラスの扱いに長けていた葉祥栄は、硬い物質とそれらの動きを吸収するジョイントに意識的であった。ステンレスパネルとダブルのチャンネル、その隙間を埋めるガラスは、全てシリコンで接着することでミニマルな要素による平滑で抽象的な空間を作り出している。彼は、2つの物質の「間」の動きに対して、現象的かつ構法的にアプローチした。

  • 《光格子の家》パネル詳細図(葉祥栄アーカイブ所蔵)

自由な「非建築」:《木下クリニック》

葉祥栄の「非建築」において参照されたのは車や飛行機などの工業製品の収まりだった。だが、そうした技術観に加え、大地との縁を切ることで建築に自由を与えようとしたプロジェクト、それがUFOのような外観が特徴的な《木下クリニック》ではないだろうか。

「つまり、その想像の世界の中で建物が移動するのが、僕にとっては当然のこととして行われているわけです。……。建築基準法のいちばん最初に、『建築とは土地に定着するものなり』と書いてあるわけです ね。それへの反発が、僕の出発点になっているわけですよ」 葉祥栄、鈴木博之(座談)「テクノロジーとコスモロジーのあいだ」,特集 葉祥栄 建築文化9月号 KENCHIKU BUNKA SEP. 1987 VOL.42 NO.491 p.136-137

建築史家の鈴木博之との対談の中で葉祥栄は、《コーヒーショップ・インゴット》が異なるサイズ、用途に変形(トランスフォーメーション)したり、実際とは異なる場所に移動(テレポーテーション)するという夢想について語っている。そして建築を大地から切り離したビジョンを提示したアーキグラムやスーパースタジオから大きな影響を受けたことに言及した。葉祥栄は「インスタントシティ」のように、ポータブルなものも地球を覆ってしまうほど巨大なものも環境デザインの一種であると考えた。照明器具のようなプロダクトから、屋外コンサート施設まで幅広くデザインした彼のキャリアを決定づけた話である。

また、葉祥栄はNASAなどの最新技術に関心を持っていた。昨今ドローンなどの技術開発が進むが、自動車や航空力学の世界では「空飛ぶ車」が1900年初頭に空想された。そして現在は「空飛ぶクルマ」として、「車」というイメージを超えた空を自由に移動できる新しい「クルマ」が構想されている。宇宙技術においては、既に宇宙空間で滞在できる宇宙ステーションがあるように、地球あるいは別の星で「空飛ぶケンチク」が実現する日が来るかもしれない。科学技術に大きな信頼を置いた葉祥栄の「非建築」は、建築を「ケンチク」としてゼロから考え直し、既存の制約から解放された自由を獲得する試みであった。

風景として留まる甲殻類:《小国ドーム》

《小国ドーム》は、日本初の3000m2を超える大規模木造建築である。小径木芯持材(間伐材)の活用、コミュニティの再生、木材同士を球体の金物で接合する「立体トラス構法」の開発、大臣認定の取得など、いくつもの課題、困難を乗り越え、木造建築の「ブラックボックス」をこじ開けた前人未到のプロジェクトだ。新しい木構造の実現に加え、体育館としての機能とランニングコストに配慮した天窓からの自然採光、直射光を避けるために斜めに掛けられたガラスカーテンウォール、コンクリートの客席部など、適材適所で素材の性能を最大限に発揮させることで達成した建築の完成度は恐るべきものである。

こうした建築的挑戦に加え、間伐材を小国町に住む子どもたち一人一人に見立て、彼らの名前を一本一本に記したことは大変興味深い。単体では弱い存在を集合させることで地域のコアを生み出す。このことによって、小国町への愛着を育むとともに、子どもたちがいつか故郷を離れる際にも記憶の中の風景として《小国ドーム》が残ることを葉祥栄は意識していた。

「奥深い山の谷間にはまり込んだようなこの体育館は、滑り出しそうな気配を感じさせる。形態と大地の接し方が、常にミニマムになるよう意図されているからである。」 葉祥栄「AMBIENT DESIGN MATRIX」,特集 葉祥栄 建築文化9月号 KENCHIKU BUNKA SEP. 1987 VOL.42 NO.491 p.80)

《コーヒーショップ・インゴット》の時に思い描いた「変形」し「移動」する建築のイメージは《小国ドーム》にも引き継がれていた。《小国ドーム》以降、葉祥栄は「コンピュテーショナル・デザイン」のフェーズに向かうが、「恣意性」の在り方は大きな分岐点と言えるだろう。葉が「甲殻類」と呼んだ《小国ドーム》では、恣意的にライズを決め、それを構造家が計算するという一元的な設計プロセスを経てアーチ形状が決定された。その後展開するコンピュータを駆使した形状最適化では様々なパラメーターの設定が可能になり、より伸びやかで有機的な形態が生み出されていく。小国の風景として留まっていた「甲殻類」は「銀河」や「浮雲」に進化していくのである。

「銀河」から「浮雲」へ:《ギャラクシー富山》《小田原市総合体育館プロポーザル》

「自然現象でない限り、三次元曲面は相当の努力がないとできないという話ですね。」 葉祥栄 岩元真明 水谷晃啓 佐藤利明 (ロングインタビュー)「木造とコンピュテーションが出会った時」, 葉祥栄アーカイブズ 2020年3月号 Shoei Yoh Archives Report in March 2020 p.63)

《小国ドーム》の竣工後、葉祥栄は、磯崎新がバルセロナで提案した《モンジュイックの室内競技場》のコンペ案に触発され、三次元曲面の建築に挑戦していく。その最初のプロジェクトが《ギャラクシー富山》である。ここでは、複雑な曲面の応力分布を光によって可視化した「光弾性実験」が大きな役割を果たした。当時、松井源吾によって研究されていたこの方法と同次の干渉縞を、メッシュ状の模型をつくることで確認できたからである。自重と積雪加重に対する屋根の変形結果はコンピュータ解析によって数値として導き出されるが、それらは模型を通して、葉祥栄が最も信頼を置く光(と影)によって体感することができた。

重力を始めとする自然現象との対話の中で建築の最適解を探ろうとしていた葉祥栄にとって、コンピュータ・シミュレーションは「魔法のように」感じられた。積雪荷重に応答した結果としての三次元曲面の屋根は鉄骨トラスで形成され、その内部に生じる複雑な幾何学的空間を彼は「銀河」と呼んだ。全ての部材寸法が異なる複雑な屋根は、コンピュータ制御技術によって経済的にも実現可能になった。

《ギャラクシー富山》の工事中に取り組んだという《小田原市総合体育館プロポーザル》は、「浮雲」と名付けた大屋根が特徴的なプロジェクトである。ここでは《ギャラクシー富山》における屋根端部の水平線は消失し、太陽の向きや風の流れ、周辺環境に対する最適な建ち方を目指して屋根に「非対称連続的変化」を施している。各部屋に必要な高さや柱の位置など、様々なパラメーターがコンピュータで同時に解析されることで連続的変化を可能にする「トポロジカルな建築」に変容していったのである。

素材のふるまい:《グラスステーション》《内住コミュニティセンター》《筑穂町高齢者生活福祉センター及び内野児童館》

《ギャラクシー富山》において鉄骨による積雪荷重への応答を実現した葉祥栄は、その後ガラス、コンクリート、竹という異素材を用いて、自然現象との対話を続けた。

葉祥栄は「かぶせるかひっぱる」という対比的な言葉で、《グラスステーション》と《内住コミュニティセンター》を比較、説明している。《グラスステーション》は、コンピュータと風洞実験によって実現したガラスによる極小曲面の等張力膜である。外周のコンクリートフレームの内側に張られたガラスの膜面は、テニスラケットのガットのように均等な張力を与えることで変形を抑制している。《内住コミュニティセンター》は地域の人々と一緒に製作した竹の格子網を型枠にして、コンクリートを打設してつくったシェル構造である。葉祥栄は、だぶだぶのひだやヒラヒラと跳ね出した端部など、一見無駄に見える余剰部分の効用は「存在感」であり、小さな子供たちの遊び場になっていると述べている。《グラスステーション》は引張力による無駄を省いた緊張感による美しさの表現であり、《内住コミュニティセンター》は圧縮力による大らかな居場所の発見であった。

うねるようなドーム状のコンクリート屋根が特徴的な《筑穂町高齢者生活福祉センター及び内野児童館》においては、柱間の距離に合わせてライズが変化するパラメーターを採用した。そのことで構造とコストの両面で合理的かつ一体的な計画が可能になっている。《内住コミュニティセンター》の正方形平面から解放された不定形平面は、端部の水平庇が全体を拘束する役割を持つことで形状を維持している。

「小国町のゲートですから……。木で絶対にできないものを作らなければ木に申し訳ないとも考えました。」 葉祥栄 江副直樹(インタビュー) 葉祥栄の建築 Shoei Yoh+architects 1970-2000 p.69

これは《グラスステーション》に関する葉祥栄の考えである。素材の適性に意識的だった葉祥栄は、コンピュータ解析を通して、構造、構法、コストといった多面的な合理性を追求しながらも、その結果として生物のように有機的な建築形態を獲得していく。「ふるまう」ということばは、もともと鳥が羽をのびのびと動かして飛び回る(振るい舞う)ことから来ているが、葉祥栄は、彼自身が影響を受けたと語るフライ・オットーの「フォーム・ファインディング」を実践し、「素材そのもののふるまい」を建築の形態に置き換えようとした。ガラス、竹、コンクリート、それぞれの物性を活かし構造と構法に昇華させたこれらの建築からは、舞うような生命的な動きを感じることができる。

儚い生命体としての建築

前述の対談の中で、葉祥栄は建築の生命観について触れている。建築は未来永劫、普遍のものではなく、取り替え続けることでのみ、生き永らえることができる。また、人間と同じく生まれてから死ぬまで、どのような幸せな生を送らせることができるかが重要であり、そのためには変化に対する適応能力を持たせたいと語った。伊勢神宮における式年遷宮のような生命観である。

「私たちは揺らぎながら、つんのめったり、吊り革にぶら下がったり、両足でふんばって立っている。木も草もそうであるように、建築も同じことである。」 葉祥栄 「カリステニクス」 葉祥栄:カリステニクス 柔らかい建築のための12の柔軟体操 Shoei Yoh: 12 Calisthenics for Architecture SD 9701 p.15

葉祥栄は、人間や植物、生き物のように建築を捉えた。それは回り続ける地球と共に、自然の揺らぎの中で存在する、儚いものであるからだ。彼は自然の理をもって人間と建築に切実に向き合った。建築を自然と共にある、いつでも分解可能な移ろうものとして捉えること。地域の素材を活かしてコミュニティを循環可能な未来に向けて動かすこと。できるだけ軽やかで大地に影響を与えず、変形可能、移動可能なものとして建築を構想し直してみること。これらは切迫した地球環境への配慮が求められる現在においても、未だ革新的な思想ではないだろうか。葉祥栄は、光を始めとする様々な動きの中に建築を見出したのである。

 

Top image:《小田原市総合体育館プロポーザル》カナダ建築センター所蔵(葉祥栄資料/ARCH402245/本人寄贈)© Shoei Yoh

百枝優

1983年長崎県生まれ。百枝優建築設計事務所代表。九州大学BECAT特任准教授。一級建築士。2006年九州大学芸術工学部環境設計学科卒業。2009年横浜国立大学大学院Y-GSA修了。隈研吾建築都市設計事務所を経て、2014年に独立。2019年にカナダ建築センター(CCA)に招聘され、滞在研修プログラム「Find and Tell」において葉祥栄作品に関するエッセイを執筆。建築作品に《Agri Chapel》《Four Funeral Houses》《Farewell Platform》《CYCL》等。AR Emerging Architecture AWARDS 入選、準大賞(2017,2018)、DFA Design For Asia Awards 大賞(2017,2021,2024)、日本建築学会作品選集新人賞(2018)、日本建築美術工芸協会芦原義信賞(2021)など国内外で受賞。

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