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連載 葉祥栄 光をめぐる旅

葉祥栄─光、リアル、一元論の建築

土居義岳

04 Sep 2024

Keywords
Architecture
Columns
Essays
Japan

福岡を拠点とした葉祥栄が次々と作品を完成させた90年代に、九州大学で教鞭をとりその活動を同時代に目撃した建築史家の土居義岳が、葉祥栄の建築の真髄に迫る。

 

ポストモダンと呼ばれた時代のなかで

かつてポストモダンは虚構と戯れた。それは虚構をつくりつつ、それを暴いた。建築は本来的にある理想にもとづく構築である。いわゆる自然状態にはないもの、構想された制度、理想、夢、主義などに立脚する。それゆえに建築は一種の虚構として構想される。良くも悪くも。

その1990年代、葉は私に、もはや非建築であることにしか可能性はないと語った。私の目には、虚構ではなくリアルなものを信じる葉はむしろ異端であると映った。

 

二分法、切断、幾何学

建築は支持と被支持の対話であると一般的に考えられている。古代神殿における柱梁構造、ゴシック建築におけるヴォールトとリブの関係、建築の本質は柱か壁かというルネサンス以来のテーマ、などにこうした二分法は生きていた。

ヴィオレ=ル=デュクは建築を、個々の石と、石から石に伝えられる応力に還元した。構造力学は構造体に仮想のすなわち虚構の切断面を想定して、その断面に作用する応力を計算する。支持/被支持という古典的な哲学の延長線上にある。

支持される屋根は規則的で幾何学的である。ドームはもともと組積造の原理でできている。球形や円形などのように応力を計算しやすく構造的に有利な形態が選ばれる。その結果、こうした原理は支持/被支持という対称的な構図により、平面をも支配する。円形や正方形といった幾何学が多用される。幾何学は観念的である。幾何学的な造形物は人工的なものなのである。

葉も初期には純粋な幾何学形態を使った。ところがすでに彼はこうした二元論からは自由であった。たとえば《コーヒーショップ・インゴット》(1977)は、ガラスという素材の可能性を追及していた。被膜のみに存在意義を見いだしていた。そこでは仮想の切断はない。むしろ異なる素材が出会う場所には、両者を緩衝しつなぐための第三の素材が強調される。エポキシや、シリコンである。素材は、欠如を補うのではなく、異質なものの出会いのために特別な意味づけがなされる。そうした意識にとってのリアリティとはなにか。

  • 《内野高齢者生活福祉センター・内野児童館》コンピューターフラフィック(葉祥栄アーカイブ所蔵)

リアリティ

《内住コミュニティセンター》(1994)や《筑穂町高齢者生活福祉センター+内野児童館》(1995)では、床は大地のそのままの延長である。そこでは平面がまず自由である。公園などでいわゆる獣道的なものをあとから整備して道とするのとすこし似ている。アプリオリな幾何学性から始めるのではなく、手続きは徹底して合理的であるがゆえに、ぎゃくに最初の偶然性がうまく表現のなかに反映される。

屋根は大地の上に漂う雲か霧のようである。鉄筋コンクリートによる自由で変化に富んだ曲面でできたシェル構造である。伝統的なヴォールトやドームとは異なる。支持/被支持という断面はなく、それ自身を支える構造である。屋根はあるいは林か竹薮に喩えることができる。柱は木や竹の幹を、屋根は茂った枝と葉を象徴する。村の人々は、この木陰で集う。

床は大地との、屋根は空との関係を示す。建築は大地と空のあいだに位置し、それらの力を受けながらも、そうした諸力をやりすごし、あるいはそれらを変換し操作し、両者のあいだに調和的に介在してゆく。

  • 《内野高齢者生活福祉センター・内野児童館》 撮影:葉祥栄(葉祥栄アーカイブ所蔵)

すなわち葉は二分法から自由である。支持と被支持、内部と外部、大地と床、人工と自然。それらの間に境界線を引かないために、媒介的な素材、平衡点、襞といった概念が浮上する。伝統的な二分法は、世界を二領域に分割した。その両者の一致こそが建築のリアリティを保証すると考えられてきた。そうしたリアリティはそもそも二分された世界の整合性を求める。しかし葉は、出発点において意図的に分断したものを最終的に一致させようとするのではない。こうした構図そのものを始めから見ない。彼にとって建築は、内と外の二分法、すなわち内部の囲い込みではない。それは環境全体の再秩序化でなければならない。

  • 《内住コミュニティセンター》内観、1995年頃の様子 撮影:土居義岳
  • 《内野高齢者生活福祉センター・内野児童館》内観、1995年頃の様子 撮影:土居義岳

自然の模倣

《太閤山ランド展望搭》(1992)の上から、環境芸術としての人工の霧を見る。景観としての霧というフィルターをとおして自然を眺めるという伝統的な美意識ではない。自然な霧も人工的なそれも、少なくともミクロにみれば同じ現象なのだ。そういう高揚しながらも冷静なある美意識が見られる。こうした感受性をもつ葉にとってリアリティとは何だろう。

  • 《太閤山ランド展望台》 撮影:葉祥栄(葉祥栄アーカイブ所蔵)
  • 《太閤山ランド展望台》立体的な中庭は中谷芙二子の霧の彫刻で満たされる。 撮影:葉祥栄(葉祥栄アーカイブ所蔵)

葉は虚構ではなく「リアル」から出発する。光、風、重力、素材といったものが重要である。光を一様にとり入れたり、光によって空間が格子状に描かれうるさまを示すことは、彼にとってのリアルである。間伐材をつなぎあわせた長大なアーチが重力でたわみながらある位置で落ち着いたり、格子状に編んだ竹が重力によってたわみ、ある位置で安定すること、立体格子の大屋根がそれにかかる応力にしたがって寸法を変えること、はリアルである。それは、かつてのリアリズムの素朴な次元をはるかに超えたものでもある。ちょうど雨、風、雲といった現象は、実体であるというよりはむしろ、温度、湿度、気圧などさまざまな指標の値の組合せによって最終的に決まるひとつのあらわれであるように。葉の建築は、多様なものの統一として、ひとつのリアルで美しいあらわれである。水蒸気が雪に変容するときのような結晶と言い換えてもよいであろう。

自然のように法則に従いつつ自由で多様であるこうした建築はリアルであり真摯である。そして虚構に依拠しないであくまでリアルなものを尊重しようとするひとつの真摯な哲学が、人柄にも、言葉にも、多くの優れた作品にも貫徹している。

『SD』誌の特集「葉祥栄:カリステニクス――柔らかい建築のための12の柔軟体操」(1997年1月号)など、数回の特集が組まれてきた。建築はカリステニクス、すなわち自重トレーニングである。重荷ではなく自分自身を支えるのである。自然は重力、湿度、温度、気圧によって決まる。葉の建築は人工物でありながら自然のように挙動するのである。

 

哲学者デカルトが生きた17世紀は光学が先端科学であった。科学者も哲学者も、顕微鏡や望遠鏡を構想した。それは『屈折光学』に顕著である。『宇宙論』や『気象論』や『人間論』にも接続して一体をなす。それら著作は、世界とは光の経路そのものであることの具体的で詳細な物語である。宇宙とは、そして自然とは光の一元論なのである。

《老人保健施設サンダイヤル》(1996)には巨大なガラスのアトリウムがある。これは高齢者介護施設である。老人たちを閉じ込めるのではなく、広々とした開放的な空間のなかで介護するとともに、利用者のプライバシーをも守る。こうして広く開放的なアトリウムが建設された。天井も壁もガラスであり、光は遮られない。

このアトリウムでは、構造は全部外部に露出されており、内部からはほとんど意識されない。つまり光は通すが、視覚的に望ましくないものは見せないという選択的なバリアフリーである。葉自身はゴシック教会建築における外部の控壁やフライング・バットレスと、内部から見たステンドグラスの関係に喩えている。しかし私見では、これはむしろ光の一元論である。

  • 《堀川病院サンダイヤル》内観、1997年頃の様子 撮影:土居義岳
  • 《堀川病院サンダイヤル》ガラス屋根 撮影:土居義岳
  • 《堀川病院サンダイヤル》ガラス屋根を支える構造 撮影:土居義岳

谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』は光と陰の二元論である。谷崎は陰を描きながら、この優れた二元論により室内と光という虚構を描く。あるいはロマネスク教会の肉厚の壁に穿たれた窓から入る光が石という物質の素材性を強調する。ゴシック教会のステンドグラスが地上に天上の世界を存在させる。草庵茶室の下地窓が自然現象として変化してゆく光の表情を室内に伝える。自然や超越を象徴し、なにかを照らし、あらわにする。

それとは対比的に、葉は光に満たされた陰のない世界を再構築する。同じように《光格子の家》(1981)や《日時計の家》(1984)は、キュービックな室内の各面から侵入する光の強さが比較されたり、ある時刻はあるスリットから、次の時刻には次のスリットから光がはいったりする。光そのものが主題である。このとき建築は一種の測光装置である。プリズムが光を要素に分解するように。プリズムは異なるふたつの物質という普遍的な状況を貫通する光を計測することで自然界を解明する普遍的な装置である。これに類似する意味で、葉の建築は光そのものをリアルな対象とする小宇宙なのである。

  • 《日時計の家》 撮影:新建築写真部(葉祥栄アーカイブ所蔵)
  • 《日時計の家》 撮影:新建築写真部(葉祥栄アーカイブ所蔵)

 

Top image:《堀川病院サンダイヤル》 撮影:土居義岳

土居義岳/Yoshitake Doi

1956年生。建築史。工学博士。
東京大学建築学科卒。同大学院博士課程単位取得退学。東京大学建築学科助手、九州芸術工科大学助教授、九州大学大学院教授をへて、九州大学名誉教授。フランス政府給費留学生としてパリ゠ラ゠ヴィレット建築大学およびソルボンヌ大学に留学。フランス政府公認建築家。
著作として『古典主義時代の建築ミッション』(ブイツーソリューション)、『空想の建築史』(左右社)、『建築の聖なるもの』(東京大学出版会)、『知覚と建築』(中央公論美術出版)、『アカデミーと建築オーダー』(中央公論美術出版)、『言葉と建築』(建築技術)、『対論 建築と時間』(岩波書店)、『建築キーワード』(監修・執筆、住まいの図書館出版局)など。共著多数。翻訳としてP・ラヴダン『パリ都市計画の歴史』(中央公論美術出版)、D・ワトキンとR・ミドルトン『新古典主義・19世紀建築〈1〉〈2〉』(本の友社)など。受賞として日本建築学会著作賞、日本建築学会賞(論文)。 

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