WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 巨匠たちが窓に込めた思い

第二回 フランク・ロイド・ライト
開放性以外の役割を与えられた「窓」

藤岡洋保

21 Nov 2024

Keywords
Architecture
Columns
Frank Lloyd Wright

フランク・ロイド・ライトはきわめて多作の建築家だったが《落水荘/フォーリングウォーター》(1936)と《ジョンソン・ワックス本社ビル》(1936)はその中でも際立つ傑作である。

《落水荘》は、周知のように、ピッツバーグから東に車で約2時間程度の森の中に建つ別荘で、ピッツバーグのデパート経営者だったエドガー・カウフマン Sr. の依頼を受けて設計されたものである。基礎を介さず、渓流が滝になるところの岩の上に平行に並ぶ4つの壁柱の上に居間などが6mもキャンティレバーで張り出すという、アクロバティックな構造の2階建て、一部3階建ての建物だが、建築界ではあまりにも有名なので、これ以上の説明は必要ないだろう。

この建物でまず注目したいのは、各室の天井高を抑えつつ、水平方向の空間の連続性を重視して、窓ガラスの存在をあまり意識させない配慮がなされていることである。

たとえば、主階の居間とテラス境の建具には、床から天井まで一枚もののガラスがはめられている。その上の書斎の渓流側の窓の片側はサッシュレスで、ガラスが壁の間にそのまま差し込まれている。その出隅側のサッシュは、開放感を出すために独特の納まりになっている。小割の窓割りの出隅を開放できるようにするために、その部分の小窓が回転するようにしてあるのである。

一方、《ジョンソン・ワックス本社ビル》では、《落水荘》と対照的に、オフィスの窓はフィックスになっている。入射光を拡散させるためだけでなく、その閉鎖性を強調するためもあってか、開口部には板ガラスではなく、細いガラス・チューブが上下に重ねられている。キノコ状の柱の間の天井全面に配された、間接照明の光を拡散するガラス・チューブがある広大なタイプ室からだけでなく、重役棟の個室などからも、外を見ることはできない。これは、社員の一体感を高めるための仕掛けでもあると考えられる。かつてライトが設計した《ラーキン・ビル》(1903)でも、中央部が吹き抜けだが、その周囲を各階床が巡り、閉鎖性を高めている(このビルのすぐ近くを鉄道が走っており、そのSLからの煤煙が内部に入らないようにするためでもあった)。

このように、ライトの建物には「共同体」への憧れのようなものを感じさせるものがある。たとえば、《ライト自邸》(1889)の食堂に見られるハイバック・チェアは、その例のひとつと考えられる。それによって、家族の親密感を演出しようとしているわけである。

また、ライトは、彼の自邸だけでなく、《ロビー邸》(1906)などの初期の住宅の窓にステンドグラスを多用している。それは幾何学的なモチーフによるもので、それぞれの建物がどのような原理で設計されているかを示唆する役割が与えられているようである。これらの窓は逆光を受けて輝いているが、外を眺めることに重きを置いたものではない。ライトは窓にさまざまな意味づけをしていたわけである。

藤岡洋保

1949年広島市生まれ。近代建築史研究者、東京工業大学大学院理工学研究科名誉教授。建築における「日本的なもの」や、「空間」という概念導入の系譜など、建築思想とデザインおよび建築家についての研究や近代建築技術史、保存論を手がけ、歴史的建造物の建築史的価値を示す報告書の作成などをしながら、その保存にも関わる。
主著に『表現者・堀口捨己─総合芸術の探求─』(中央公論美術出版、2009)、『近代建築史』(森北出版、2011)、『明治神宮の建築─日本近代を象徴する空間』(鹿島出版会、2018)、『堀口捨己建築論集』(編著、岩波書店、2023)など。2003年東京工業大学教育賞、2011年日本建築学会賞(論文)、2013年「建築と社会」賞(日本建築協会)、2021年海上保安庁長官表彰。

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