23 Feb 2017
フランス、ドイツの伝統
毛皮取引でケベックに入っていたフランス系の人たちは、ミシシッピー川沿に南下して、ニューオリンズまでのルイジアナに入植し、また、ドイツ系の人たちはペンシルバニアから、アレゲニー山系各地に入植していった。さまざまな入植者達の家は、初期の小さな家から、次第に大きな家を建てるようになり、やがてヨーロッパの建築様式を住宅に体現した立派な家へとなっていった。
ダッチドアとフレンチ窓
オランダ系の入植地では、ドアが上下に分かれていて、通常は下だけ閉め、上半部は風通しや採光のために開けておく。アヒルやニワトリなどの家畜や犬などが台所に入ってこないようにするためであった。ミシシッピー沿いのフランス系入植地では、湿気の多い南部ということもあり、ベランダをめぐらせた高床が多く、ベランダに面した窓は通風のために床までの縦長窓であった。
開放的な外部居間のあるドッグトロット
農業移民がまず行ったのは開墾と家作りで、必要最小限の部屋とともに、雨でも作業のできる空間が大切であった。安全確保のために犬を飼うことが多く、ベランダはドッグトロットと呼ばれることもあった。
穀物や干し草の倉庫
大草原を開墾して収穫が多くなると、穀物を貯蔵したり、干し草を収納しておく倉庫や納屋が必要となった。馬車を利用してできるだけ省労力で作業ができるような工夫をしていた。
荷物昇降の扉とフード
ドイツからの移民が建てた農家の2階に、荷物を揚げ降ろしするため扉があり、滑車を取り付けるための出桁にはフードと呼ばれる小さな屋根が付いている。
ヘビーティンバー住宅の小さな窓
ドイツ系入植地の初期住宅では、ドイツ風のヘビーティンバー住宅が建てられ、窓は小さかった。
鉄のカーテンがあるベランダ
ニューオリンズのフレンチ・クオーターでは、2階や3階のベランダまわりに、19世紀中頃の鋳鉄製レース飾りが多く残っている。柱やペディメントにも鋳鉄の飾りが使われ、南部の中心都市として栄えた当時がしのばれる。
玄関扉と窓の美学
初期のアメリカ住宅では、玄関前に廂がない家が多いので雨の時に不便だろうと思っていたら、玄関のことをマッドルーム(泥の部屋)と呼ぶので、「なるほど傘の開け閉めは部屋の中でするのだ」と気づいた。マッドルームを少しでも明るくするために、扉まわりの採光がデザインポイントになっている。
玄関ホールの採光
玄関扉まわりからの採光が、玄関ホールを適度に明るくし、客を迎え入れる
階段室のトップライト窓
階段室が家の中央にある場合は壁からの採光が難しく、トップライトを設けるようになった。暖炉の煙突とともに、外観では塔状のアクセントになり、内部では上からの光で空間に高揚感を与える。
八木幸二/Koji Yagi
建築家。1944年愛知県一宮市生まれ。1969年東京工業大学建築学科卒業、同大助手。OTCA専門家派遣 (シリア田園都市省) 、クインズランド大学研究員、オクラホマ大学客員助教授、MIT 客員研究員、東京工業大学教授を経て、現在京都女子大学教授。