WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 ロンドン窓コラム

第3回 マニアの目から見たグラスハウス

川島奈々未(東京大学大学院)

29 Jun 2016

ロンドン南西部にあるキュー・ガーデンズ (王立植物園) は、子供の頃に幾度も訪れた記憶のある、個人的に馴染みの深い場所であるが、ふと建築的な観点からあらためて見てみたいと思い立ち、先日久しぶりに訪れる機会を得た。

  • キュー・ガーデンズの敷地は広く、一日がかりで歩き回った。
    園内には湖や様々なテーマの小庭園などがある

総面積132ヘクタールのキュー・ガーデンズは170年以上の歴史を持ち、敷地内には40以上の文化財指定建造物がある。その中でも印象的だったのは、19世紀に建てられたパーム・ハウスだ。この温室は、1844年から48年にかけて建築家デシマス・バートンと鋳鉄製造業者リチャード・ターナーによって建設され、現存するビクトリア時代の鉄とガラスの建築物で最も歴史的重要性が高いともいわれている。船体をひっくり返したような形をした鋳鉄のスペース・フレームは、まさに造船業の技術を応用して作られ、背の高いヤシの木を匿うのに十分なスパンと高さが柱を用いずに実現されている。

ガラス自体は建設当時のものではないが、1万6千枚のガラスで構成されるファサードはやはり壮観だ。さらに、内部で緑が生い茂る様やバルコニーを歩く見学者の動きがガラス越しに窺え、遠目に眺めただけでも内部への好奇心がくすぐられるような楽しい建築だ。

  • キュー・ガーデンズのアイコンともいえるパーム・ハウスの外観

19世紀の英国において、温室を先駆けとして発達した鉄とガラスの建築、いわゆるグラスハウス (glasshouse) には、屋根や壁、窓といったパーツの間に明確な境界が存在しない。その構図は、鉄骨のフレームをガラスという皮膜が覆い、空間が囲い込まれるという極めてシンプルなものだ。そのとき、ガラスは屋根であり、壁であり、そして同時に窓でもある。グラスハウスの発展の大きな要因は、産業革命を背景に、伝統的な組積造とは考えを異にするプレファブリケーションやモデュラー構法、大量生産という概念が出現したことである。そしてその技術は、温室だけではなく、展覧会場やダンスホール、劇場といったエンターテイメント性の高いプログラム、すなわち非日常的な空間の演出を目的として用いられた。

ここで仮に、パーム・ハウスのガラスすべてを窓として捉えるとしよう。そしてその性質を、第2回で触れたスコットの窓の三要素 (採光・換気・景観) の枠組みで解釈してみたい。まず、採光の役割を十分に果たしていることは明らかだ。設計者が当時の経験と実験値に基づいて太陽光の入射角まで考慮していたことからも、その重要性が伺える。換気に関しては、ヴォールト側面と頂部の垂直部分が開閉可能になっており、一部のガラスがその役割を継承している。最も興味深いのは、3つ目の景観を取り込むという機能だ。この景観という要素だけは、従来の窓を介した内外空間の関係性が逆転されている。

通常であれば自然の景観を外部から内部へ取り込むところを、グラスハウスの場合はむしろ内部に擬似的な自然環境を作り、植物の育成を促す。内部に非日常的な異国の風景、つまり華やかな“パラダイス”を作ることこそがグラスハウス建築の目的であり、人間の目は常に内部に向けられる。ここでは自然の中から居住空間を囲い込むだけではなく、その中にさらに擬似的な自然を囲い込むという、“入れ子構造”が生じている。グラスハウスのコンセプトには、自然でさえも支配したいという、この時代の科学への絶対的信頼が現れているのではないだろうか。

さて、温室内では熱帯雨林のような温度、湿度が保たれ、パーム・ハウスという名前からもわかる通り、ヤシ科などの植物標本が採取地域ごとに配置されている。内側の植物コレクションも、外側の建築物と同じくらいに見事である。

  • パーム・ハウスの内部に生い茂るヤシ科の植物。
    2階バルコニーからはヴォールトの構造や装飾を間近で見ることもできる

建設当時の19世紀には植物学ブームが一世を風靡しており、温室建築の需要が伸びたのも、それに由来する。大英帝国の植民地の拡大に伴い、有用植物や観賞植物が熱帯地域から持ち帰られ、貴族たちはそれらを収集し、飾ることを楽しんでいた。さらにこの頃、ロンドン園芸学協会 (Horticultural Society of London) や王立植物学協会 (Royal Botanic Society) が続けて設立されるなど、植物学は盛りを迎えており、ブームは一般庶民にまで波及していた。

英国の歴史に数多く登場する園芸や植物の流行の中でも、特にシダ植物の流行は、その期間と影響力のどちらをとっても類を見ないものであったようだ。“Fern fever”や“Pteridomania” (ラテン語でシダ植物門を意味する“Pterydophyte”と“Mania”からなる造語) と呼ばれるこのシダ植物への熱狂は、当時のアートやデザイン、文学など多様な分野に影響を及ぼした。1860年代のウェッジウッド、ミントン、ロイヤル・ウースターなど大手陶磁器メーカーの商品の多くに、シダをモチーフとしたデザインが施されていたこともその証拠の一つだといえよう。

  • キュー・ガーデンズの温室でもシダ植物が育成されている

“Pteridomania”の熱狂具合から察するに、英国人の旺盛な収集欲は彼らの国民的な特徴ともいえる。その収集癖を極めることで、英国人が植物学、地質学、鳥類学、昆虫学などを生み、近代博物学に大きく貢献したのは事実だ。大英博物館の圧倒的なコレクションはもちろん、その他の数多くある博物館や美術館を訪れれば必ずその情熱が伝わってくるだろう。また、定期的に各地で開催されているアンティーク・マーケットの盛況ぶりや、趣味としての古銭や切手収集の根深い人気なども、英国人のマニアックな一面を物語っている。このように類まれなるコレクター精神が、大英帝国の歴史と文化の形成に深く結びついていたのはいうまでもない。

グラスハウス建築の誕生も、エキゾチックな植物を収集し栽培したいというコレクターの欲望と、産業革命による工業技術の発達を誇示したいという技術者の欲望が、見事にマッチした偶然の結果であるともいえる。

  • ロンドン南西部で月に一度開催されるマーケット、Chiswick Car Boot Saleの様子

キュー・ガーデンズ園内に建つ高さ50 メートルのパゴダ (Pagoda) もまた、パーム・ハウスと同じく英国人が異国文化を母国に持ち帰った事例の一つである。時代はさらに遡るが、18世紀半ばの英国ではシノワズリブーム (chinoiserie:フランス語で中国趣味の意味) が巻き起こっており、1762 年に建設されたこのパゴダは、当時ヨーロッパ最大級の中国式建築であった。注目すべき点は、一見、中国風の意匠であるのに、近づいてみると実は英国の一般的なレンガ造りで、窓もごく一般的なアーチ状のものであるということだ。

設計者のサー・ウィリアム・チェンバースは1757 年に『Designs of Chinese buildings, furniture, dresses, machines, and utensils』を出版し、当時シノワズリデザインの第一人者であった。しかし、厳密に中国の建築意匠や技術を輸入することを目指していたわけではなく、彼のシノワズリ建築は中国的な装飾の要素を従来のヨーロッパ建築に取り入れたようなデザインだった。王立芸術院 (Royal Academy of Arts) の創立者の一人でもあったチェンバースは、 新古典主義者という学問的な一面も持ちあわせており、彼の本来の設計は様式に対して厳格であったのだ。グラスハウス建築では、植物を栽培するための空間という新しい機能が要求され、それに伴い窓に関する工業技術も発達し、窓のあり方に変化が見られた。

しかし、装飾を第一の目的として持ち込まれたシノワズリ建築の場合は、機能の新規性に結びつくことがなく、ヨーロッパ建築の根底に流れる歴史的な“様式”の思想を越えることができなかったのだろう。チェンバースにとっても、シノワズリ建築は主流の様式を革新するようなものではなく、単純に装飾的な参考にすぎなかったようだ。それ故にパゴダの窓には新規性を求めた中国意匠よりも、むしろ彼らのよく知る様式を尊重したアーチが採用された。窓のあり方を比較することで、英国人の収集癖に由来する様々なブームがどれほど建築の本質的な部分に影響を与えたのかがわかってくるので非常に興味深い。

ちなみに、チェンバースは、他にも園内にムーア式のモスクなど多数の異国風建築を建設しており、キュー・ガーデンズの庭園を、建築様式の立体百科事典として捉えていたかのようでもある。これもまた、異国の建築様式を集めたいという収集癖の現れであろうか。

  • 1762年に建設されたパゴダ。距離によって見えてくるものが違って面白い

最後に、話を現代に戻したい。パーム・ハウスを雛形として1851年の万博のためにジョセフ・パクストンによって設計された歴史的なグラスハウス建築、水晶宮 (The Crystal Palace) を知る人は多いだろう。最近、この水晶宮の再建プロジェクトが発足し、設計者を選出するためのデザイン・コンペティションが進行中であるという話を耳にした。グラスハウス建築が、産業革命という時代背景と、英国人のコレクター精神に由来する独特な文化とが重なって誕生した、歴史的な偶然の産物であったのに対して、新しい水晶宮のプロポーザルが単にオリジナルの復元ではなく、現代の情勢に相応しいグラスハウスとしてどのように再解釈されるのか、非常に興味を惹かれるところである。

パーム・ハウスの建設から約170年が経った現在でも、グラスハウスの行方は目が離せない。これまで3回のエッセイを通して、窓という切り口からロンドンの街を中心に英国の文化と歴史についてレポートしてきた。それぞれの雑学的な知識は、生活に直接役立たないような些細なことかもしれない。しかし、身近なところに街の文化を紐解くヒントを見つけるきっかけとなれば幸いである。

 

 

川島奈々未/Nanami Kawashima

1991年ロンドン生まれ。2014年東京大学工学部建築学科卒業。卒業設計にて辰野賞を受賞。2014年4月- 東京大学大学院建築学専攻隈研究室修士課程在籍。2015年5月-  2016年4月 Caruso St John Architects(ロンドン)にてインターンとして勤務。

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