EMIアーキテクテン
15 Dec 2022
ロン・エイドラー、エリー・モサイェビ、クリスティアン・インダビッツィンの3名によって、2005年にチューリッヒで結成されたEMIアーキテクテン。住宅を主軸に活動を展開し、数々のコンペティションに勝利。設計のみならず、都市計画、研究、教育にも力を入れ、エリー・モサイェビ氏は2018年より、ETHチューリッヒ校にて建築およびデザイン学教授を務める。
同校にて貝島桃代氏の主宰する建築のふるまい学研究室が、モサイェビ氏とエイドラー氏にこれまでのプロジェクトや窓のデザイン・アプローチについて、チューリッヒのスタジオで話を訊いた。
──これまで皆さんは数多くの住宅プロジェクトをチューリッヒとその周辺地域で手がけ、様々な住まいのかたちを考案してきました。しかし近年、スイスの都市計画法は都市部の高密度化をさらに推し進め、建築による質の高い暮らしの提供がますます難しくなっています。こうした状況のなか、窓は皆さんの建築にとってどのような役割を果たしているのでしょうか。また歴史的に高価なものであった窓は、今ではコストが下がった半面、エネルギー政策における基準の厳格化が進み、高度に規格化されています。より一般的に、私たちはこの窓という建築要素をどのように扱っていくべきなのか、お話を伺いたいと思います。
エリー・モサイェビ(以下:モサイェビ) 私たちが窓について議論するとき、大体の場合はプラン(平面計画)の美しさの観点からはじめます。美しいプランに対するこだわりは、ETHでペーター・メルクリ教授のスタジオで議論された研究から受け継がれたものです。私たちにとって、窓はプランを有機的に構成する要素のひとつであり、住人が住まいの中をどのように移動し、その際に何を目にするかを決定する重要な役割を担っています。窓が外観にどう現れるかという問題も重要ですが、私たちは特に建物の内部における窓の役割に重きを置いています。したがって、窓の具体的な役割はプロジェクトごとに違います。プロジェクトごとに、窓には異なるストーリーがあるのです。
たとえば、チューリッヒのホッティンゲンにある《シュタインヴィー/イーリス通りの集合住宅》(2011–15)では、住戸への入り方が計画の肝となっています。明るいところから暗いところへと移動する通常の行程を反転させて、暗めのエントランス・ホールからエレベーターに乗って住戸に入り、三連窓からの光が入る明るい部屋へ徐々に向かっていくかたちにしました。
この三連窓のつくりは割とシンプルで、金属と木でできた枠をもつ開き窓の形式をとっていますが、特異な点があります。サッシを窓枠の側面に留めるのではなく、上下端にピボット・ヒンジ(軸吊蝶番)で取り付けて、3枚とも開閉できるようにしているのです。こうしたピボット・ヒンジを用いた窓もまた、メルクリ教授の設計では定番のもののひとつです。教授の「ザプフェンバンドフェンスター」 という口調がずっと耳に残っています。それから、私とクリスティアンはエルンスト・ギーゼル(1922– 2021)の設計による《ヘーギバッハ通りの集合住宅》に6年間住んでいたのですが、そこにもザプフェンバンドフェンスターがありました。その経験は住み手の視点を構築する上でも、大いにためになりましたね。
ロン・エイドラー(以下:エイドラー) スイスの集合住宅では通常、住戸は各階に整然と並べられています。そして、床はよくある板張り、壁は白といった慣習的な決まりや、施主から当たり前に期待されることが沢山あります。そんななか、窓と扉はある程度自由にデザインできる要素なのです。窓や扉は、人が部屋から部屋へどのように移動し、外の世界とどのように繋がりをもつかを決定付けます。たとえば《ガイベル通りの集合住宅》(2014–17)は交差点の角に位置し、街に開かれた環境にあるため、通りとも、付近の建物とも関係性をもっていますが、こうした環境においては一定のプライバシーも確保する必要があるので、チューリッヒの伝統的な出窓から着想した凸型の窓や凹型の窓を設けることで対応しました。
モサイェビ ここでは外に突き出した二連出窓を建物の顔となる正面外観に設えています。そして側面には、ロンが言ったように、出窓を内側に凹ませたような2つの開き窓からなる窓を設け、室内扉と組み合わせました。この窓と扉は一体となって、隣り合う部屋の連結部を構成する役割を担っています。窓によって部屋の角が開かれ、通りや庭を斜めに見通せる抜けを確保できたのですが、そこにあえて重厚感のあるものを加えたら面白いだろうと考えて、扉と組み合わせてみたのです。完成してみたら、この建物は独特な個性を醸し出しながらも、周囲の建物と似たようなスケールとヴォリューム感をもつため、風景に馴染むものになりました。
凸型と凹型の窓のアイデアは、《シュパイヒ区画の住宅・商業複合ビル》(2011–15)でも取り入れました。交通量の多い通りに面しているため、この建物の出窓は遮音を考えてつくったものですが、外観にリズムを与える役割も果たしています。また、内外を結び付けることや、ひとつの窓を通して同じ部屋から色々な眺望を得られるようにすることをここでも意識しました。
──皆さんの設計手法では、壁と窓が等価に扱われているように感じます。まずは壁をつくり、次にそこに窓を穿つ、というようなヒエラルキーにはなっていないといいますか……。
モサイェビ 窓のない壁を描くようなことは、私たちは絶対にしないと思います。イメージ・スケッチの段階でも開口部は必ず描きます。窓と壁の話で言いますと、たとえば《シュパイヒ区画の住宅・商業複合ビル》は鉄骨造なので、理論上は壁を減らして開口部をもっと広く取ることも可能でした。しかしそうはせず、前面のオフィス部分には帯状の連窓を、住居部分にはプライバシーへの配慮から壁にくり抜いたような窓をそれぞれ設け、いわばハイブリッドなつくりにしました。岩の塊のような外観の裏に鉄骨を忍ばせたことで、内外に独特の張りのある関係が生まれました。私たちはこの建物の両義的な表現と自由な形態が気に入っています。
エイドラー 《フライホーフ通りの集合住宅》(2015–19)では、窓と扉のテーマをまた違ったかたちで展開させています。この建物は、チューリッヒの基準からするとやや小さめの、4、5部屋からなる低価格の賃貸住戸で構成されています。各住戸の玄関は、キッチンとダイニングを兼ねる広い部屋に直接繋がっていて、必要であればリビングも寝室として兼用できるつくりになっています。プランが細かく区切られているのはこのためです。
各部屋は扉で締め切ることができ、大きさもほとんど同じですが、たとえばキッチンの奥の壁にある2つの扉に見られるように、それぞれデザインの異なる扉によって特徴付けられています。キッチンとリビングを繋ぐ扉は、天井までの高さがあり、幅が80cmであるのに対し、隣の扉は高さ2m、幅1mとなっていて、まぐさが付いています。
大きさに明らかな差を付けたことによって、この扉たちは人間のように各々が個性のある姿をもつことになりました。異なる位置に付いている取手がその性格の違いをさらに際立たせています。取手は身長に反比例して、すらっとしている方には95cm、ずんぐりした方には115cmの高さに付いています。柱に人間のようなプロポーションを与えたり、「キャラクター付け」したりすることがあるように、この2つの扉にも性格を与えてみたのです。優雅さよりも、表現豊かなことで知られるローレル&ハーディのイメージです。
この建物の窓枠は、様々な使い方ができる家具のような役割も果たします。水平に備え付けられた部材は棚にもなりますし、外を眺める際に寄りかかって使うこともできます。窓台の緩やかな勾配にも機能性があります。勾配は窓台によじ登ってしまうことを防ぐだけでなく、より多くの光を取り込むのにも役立ちます。こうしてすべての要素に複数の意味をもたせているのです。
モサイェビ 私たちは扉と窓を同類のものとして捉えています。見方によっては、窓は扉の一種に過ぎないといえるかもしれません。どちらも、部屋にスケール感をもたらす上でとても重要です。しかしそれだけでなく、人の身体とどのように関係するのか、どれくらい重いのか、どう使われるのか、どんな素材でつくられるのか、高価なものであるべきかどうかなど、検討事項がいくつもあります。これら一つひとつの側面に意味があり、どれも日々の暮らしの感じ方に影響を及ぼします。
──先ほどのお話にあったザプフェンバンドフェンスター(ピボット・ヒンジ窓)についてもう少しお話しいただけませんか。
エイドラー ザプフェンバンドフェンスターは、スイスでは忘れられかけている存在で、窓業界が急成長しはじめた1960年代頃に姿を消したようです。それまでは窓の標準規格はなく、建築家が独自にデザインしたものを建具職人が製作していたのです。私たちがこのザプフェンバンドフェンスターという発明品を蘇らせることができたのは、そのつくり方をまだ知っている窓の製造所を見つけることができたからです。この窓を気に入っている理由は、たとえば引き違い窓とも共通することですが、抽象的でなく単純明快だからです。それに大きな窓をひとつつくるより、この縦長の窓を連窓として設置すれば、それぞれを必要に応じて自由に開くことも可能になります。
──窓は、やはりコストを考慮して規格サイズに合わせて設計されているのでしょうか?
エイドラー 窓のサイズは工業規格に委ねるようなものではなく、プロポーションや人体寸法から導き出されるべきものだと私たちは考えています。ヨーロッパ各国には伝統的に用いられてきた窓のプロポーションがあり、スイスではフランス窓の一種である縦型の窓が広く使われてきました。サイズは技術的要因によって決まってくる部分もあります。たとえばザプフェンバンドフェンスターのサッシは片持ち構造になっているため、大きくなればなるほど安定させるのが難しくなります。
コストという点に関しては、私たちが事務所を立ち上げた頃とは状況が大きく変わりました。10年前、窓は貴重で高価なものでしたが、今は割と安くなっています。たとえば《シュヴァメンディンゲン・ドライエックの集合住宅》(2014–23)の窓は、単位面積当たりのコストでいえば外壁よりも安いのです。ただし、これには窓のディテールも関係しています。この集合住宅の窓は床から天井までの高さがあり、床スラブがまぐさの役割を果たしています。そして、窓の下部分は強化ガラスのはめ殺しにしているため、手すりを設置する必要がなくなりました。部品の数を減らせば、コストも下がります。
──窓を天井高いっぱいのサイズに引き伸ばす判断は、合理性という観点とは別に、住人がどのように暮らし、どのように家具を配置するかといった点にも影響していそうですね。
モサイェビ 大いに影響していますね。プランを検討する際、私たちは必ず家具も描き込みますが、ある程度自由にアレンジできるような余地も残すようにしています。竣工した建物に入居者が入ってしばらく経ってから訪れてみると、想像していなかったかたちで使われていることもありますが、それはそれでよいと思っています。たとえ天井高いっぱいの窓の前に、ソファが外に背を向けて置かれていたとしても、全く問題ありません──私たち自身もそうしたことがあるので!
私たちが常に念頭に置いていることのひとつに、部屋、建物、ひいては周囲に広がる都市の、それぞれの異なるスケールをいかに繋ぎ合わせるかがあります。つまり、私たちの窓は必ず都市的な発想とも紐付いているといえます。たとえば《シュヴァメンディンゲン・ドライエックの集合住宅》では、外形が微妙に角張っていますが、これも周りの都市環境に対応させるための工夫です。突き出ている部分は出窓の発想のある種の発展形で、東西を主軸とする各住戸に、南北方向へ斜めの眺望を取り込めるようにしています。こうして住人誰もが、自宅に居ながら周囲の環境を全方位に感じられるようになっているのです。
──チューリッヒの高密度化がますます進み、より多くの人が密集して暮らすようになっているなか、こうして眺望を正面からではなく斜め方向から取り込むのは、視線の衝突を避けながらも都市との繋がりを生み出すための面白い手法にもなりますね。
モサイェビ これだけ高密度な状況でしたので、衝突の回避よりも、視界を広げ周囲の団地や庭の奥まで視線を通すことが目的になりました。近くにあるものばかりでなく、遠くにあるものにまで視線が通れば、なんだか家の中が広くなったような感覚を得られます。だから私たちはどのプロジェクトにおいても、建物を周囲の庭や風景といかに結び付けるかを重視しています。そしてもちろん、これは都市の高密度化の問題とも関係しています。高密度化によってオープンスペースへの圧力が増すほど、こうした空間の価値はさらに高まるのです。
──つまり、高密度な建築を要求されるなかでも、皆さんのように周囲の状況に気を配り窓を活用することで、よりよい居住空間の実現が可能になるのですね。
モサイェビ さまざまな敷地条件に応答することは、実際のところ素晴らしい契機となります。私たちの建築の形態に関するアイデアの多くも、そうするなかで着想を得ています。そこから形態と要求されている密度とのバランスをいかにとるかが、言うまでもなく肝要で、大体どのプロジェクトでも、プランを周囲の都市環境と調和させることが、ひとつの重要なゴールになるのです。
たとえば《グガッハの集合住宅》(2011–15)は、都心部と(チューリッヒの郊外地域である)エルリコンの中間地帯にあります。以前は建て込んでいるような場所ではありませんでしたが、今や敷地は大きな開発エリアの中心にあり、西側には森、南側には既存の住宅街、北側には新たな開発予定地があります。こうした環境に対して、2箇所をロッジア(半屋外空間)によって切り開いた、十字型の住戸プランを考案しました。これにより建物は全方向に開かれ、周りの森や街並み、そして団地の敷地内を見渡せるようになりました。外観と窓は、こうした様々な眺望を織り合わせる役割を果たしているのです。また、四方に展開する十字型プランが住戸内に横方向への広がりをもたせ、ゆとりをもたらしている一方、力強く、高やかで、優雅なヴォリュームの間に豊富な緑を配した全体計画は、団地のアイデンティティを確立し、コミュニティ意識を生み出すことにも繋がります。このように膨大な数の住戸がある場合──グガッハにはおよそ200戸ありますが──どうにか団地としての一体感を生むための工夫をしなければいけません。
対照的に、初期に手がけた《ブリュクグリエッカーの集合住宅》(2009–14)は、1950年代に建てられた一戸建てや長屋といった、比較的小規模な住宅が開発されてきたエリアにあります。こうした環境に馴染むよう、指のように伸びる細長い3階建てのヴォリュームを配し、大きなロッジアを備えることで、居住空間を拡張し、周囲の緑と直接的に繋げました。ロッジアにはカーテンレールを設けたため、半屋外空間を仕切ったり閉じたりできます。
──ロッジアやバルコニーも皆さんの設計手法にとって重要な要素のようですね。こうしたものは設計要件にも含まれているのでしょうか?
エイドラー はい、屋外空間が要件に含まれていることはよくあります。ここ中央ヨーロッパの気候を考えると、実際には一年のうち3、4カ月しか使うことができませんが。こうした理由から、私たちは屋外空間の従来のあり方を問い直し、拡張を試みているのです。
個人的には内外の中間にあって、年中使うことのできるウィンター・ガーデン(サンルーム)の可能性を考えるのが面白いと思っています。このアイデアは、たとえばプフェフィコーンで最近竣工した《シュール通りの集合住宅》(2018–21)で試してみました。ここには暖房も水道もないので、床面積に算入せずに済みました。窓はすべて開くので、バルコニーとしての用途を含め、住人は思い思いに使うことができます。
──エリーさんは、ミラノの建築家ルイジ・カッチャ・ドミニオーニ(1913–2016)について博士論文を書かれました。カッチャは第二次世界大戦の直後から、急激に変化するミラノにおいて、高密度な都市環境や工業生産技術に対応した住宅建築を主に設計しましたが、彼の手がけた窓も、当時の周囲環境へ明確に応答するようにつくられていたのではないでしょうか。
モサイェビ カッチャは、たとえばミラノ大聖堂といった教会などの特定の風景を切り取るようにして、とても綿密なかたちで窓を用いました。ディテールは独自のものを考案していて、その発想にはいつも驚かされます。
大まかに分けて、カッチャの住宅建築作品は2種類あります。一方は都心部に建ち、周りの環境が強く意識されており、外観や色彩、建築要素やプロポーションが周囲と連続性をもつように設計されているものです。《サンタンブロージョ広場の集合住宅》(1949)が一例です。他方は《ニエーヴォ通りの集合住宅》(1956)や《カルボナーリ広場の集合住宅》(1961)のように、ミラノの郊外に建ち、どことなく未来的な姿をしているものです。
施主は主に、その当時ミラノの都市経済を牽引していた、資本家や実業家といったオート・ブルジョワジー(上層中産階級)の人々でした。カッチャはこうした戦後エリート御用達の建築家として、建築を通じて彼らに独自のアイデンティティを与えたのです。ディテールにはとにかく創意工夫を凝らし、その新しい建築と窓のデザインには、古いパラッツォに関する豊富な知識も取り入れました。彼は新たな中流階層の自己像を、建築で表現する方法を模索していたのです。
戦後、こうした住宅建築の施工はまだ職人の手に頼っていたので、そうは見えないかもしれませんが、建築要素に規格品や量産品は一切使われていません。カッチャがディテールを描き出し、大工や金物工がそれをつくっていたのです。
──カッチャ研究が皆さんの作品にも影響を与えているのは想像に難くありません。たとえば、住宅を都市と関係付けながら設計する手法といった点には、共通点があるように思います。
モサイェビ カッチャから受けた影響については、特に《シュタインヴィー/イーリス通りの集合住宅》に関連して訊かれることがよくあります。しかし、個人的にカッチャとの繋がりを最も強く感じている点は──これは研究をする前からも共通していることですが──プランに対する愛です。私たちは、住まいの中を移動しながら色々なものを見て体験するフラヌール(都市空間を彷徨い楽しむ遊歩者)として、住人を思い描くのが好きなのです。驚きや楽しさは、暮らしに豊かさと変化をもたらします。突き詰めれば、そのために必要なのは広い空間ではなく、たくさんの記憶に残るような光景や場面をデザインしようという意志なのです。
エイドラー・モサイェビ・インダビッツィン・アーキテクテン/Edelaar Mosayebi Inderbitzin Architekten (EMI Architekten)
ロン・エイドラー、エリー・モサイェビ、クリスティアン・インダビッツィンによって、2005年にチューリッヒで設立。建築の設計や施工監理にとどまらず、都市計画、展示、出版まで幅広い活動に取り組んでいる。住宅建築を研究・教育・実務活動の主題としてきた。2011年より、主要なプロジェクトではバウムビェーガー&シュティーグマイヤー・アーキテクテン(Baumberger & Stegmeier Architekten)と協働。共同代表の3氏とも、2014年よりスイス建築家連盟会員。インダビッツィン氏は、2015–16年にスイス連邦工科大学ローザンヌ校、2017–18年にモサイェビ氏とエイドラー氏と共にスイス連邦工科大学(ETH)チューリッヒ校にて教鞭を執り、2020年よりカールスルーエ工科大学教授。モサイェビ氏は、2012–18年にダルムシュタット工科大学にて住宅デザイン学教授を務め、2018年よりETHチューリッヒ校建築・デザイン学教授。エイドラー氏は、2020年よりチューリッヒ応用科学大学建設デザイン学講師。
http://www.emi-architekten.ch/
貝島桃代/Momoyo Kaijima
2017年よりETHチューリッヒ校「建築のふるまい学」教授。日本女子大学卒業後、1992年に塚本由晴とアトリエ・ワンを設立し、2000年に東京工業大学大学院博士課程満期退学。2001年より筑波大学講師、2009年より筑波大学准教授。ハーバード大学デザイン大学院(2003、2016)、ライス大学(2014–15)、デルフト工科大学(2015–16)、コロンビア大学(2017)にて教鞭を執る。住宅、公共建築、駅前広場の設計に携わるかたわら、精力的に都市調査を進め、著書『メイド・イン・トーキョー』、『ペット・アーキテクチャー・ガイドブック』にまとめる。第16回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館キュレーター。2022年にウルフ賞(芸術部門)受賞。
シモーナ・フェラーリ/Simona Ferrari
建築家・アーティスト。2017年よりETHチューリッヒ校「建築のふるまい学」助手。ミラノ工科大学、ウィーン工科大学、東京工業大学(文部科学省外国人特別研究員)にて建築学を学ぶ。2014–17年にアトリエ・ワンの海外プロジェクトに携わる。現在、チューリッヒ芸術大学美術学修士課程在学中。進行中のプロジェクトに「ユーロパン 15」(2019)コンペ勝利案《アチェターティ社工場跡》(イタリア・ヴェルバーニア、メタクシア・マルカキと共同設計)がある。
Top image: BS+EMI Architektenpartner, Guggach residential complex, Zurich, Switzerland, 2011-15 : ©︎Roland Bernath