August 27, 2019

mitosaya 薬草園蒸留所
発見から始まるものづくり

江口宏志(蒸留家)× 中山英之(建築家)

かつての薬草園を改修し、そこで育つ植物や全国の生産者から直接仕入れる果物を原料に蒸留酒を製造する、日本で初めての蒸留所が千葉県大多喜町に誕生した。

「mitosaya 薬草園蒸留所」と名付けられたこの施設のオーナーは、かつて書店「ユトレヒト」代表として長く出版に携わってきた江口宏志氏。氏は、同じく出版社の代表を務めていたクリストフ・ケラー氏が、南ドイツの田舎で営む蒸留酒づくりについて知ったことを発端にケラー氏の下、ドイツで蒸留家修行を始める。

そして帰国後、植物を原料に生み出される蒸留酒、ボタニカル・ブランデーの蒸留所をつくる本プロジェクトを始動させた。ユニークな施設の建築設計・監理を手掛けたのは、分野の枠を超えて活躍する気鋭の建築家、中山英之氏。旧薬草園が蒸留所に生まれ変わるまでを伺った。

 

──なぜ植物を原料にした蒸留酒を専門とする蒸留家を目指そうと思ったのですか。

江口宏志 自然からの小さな発見を形にするのに、「蒸留」という技術を用いることでそのエッセンスを凝縮して取り出すことができる。それに魅了されています。

  •    

──ドイツでの蒸留修業中、特に影響を受けたことについて教えて下さい。

江口 原料の栽培や収穫からはじまり、醸造や蒸留といった蒸留酒をつくる工程はもちろんのこと、できあがったお酒のボトルやラベルといったアウトプットまで、一つの確固たる美意識に基づいていることに感銘を受けました。さらに言えば、蒸留酒をつくる環境や生活する場所、家族や従業員との関係もその美意識の中には含まれているのです。

──一方、中山さんは建築家としてこれまで多彩なプロジェクトを手掛けておられます。旧薬草園の蒸留所への改修にはどのような部分から取り掛かりましたか。

中山英之 蒸留所を設計するのは当然初めてで、蒸留と醸造の違いも正直なところよく分かっていませんでした。お酒は好きでたくさん飲んでいたんですが(笑)。なのでケラー氏の元で蒸留家の修行をされていた江口さんを訪ねて、僕も工程を学びにドイツに行きました。

事前に見ていたウェブサイト上のケラー氏は、レトロなファーマースタイルのファッションをまとって、ビンテージのレンジローバーに乗りフルーツを集める、とってもお洒落な人物でした。でも行ってみると、機能的な作業着を着て白いフォードのバンに乗った男がそこにいた。

トラクターも何もかも、見せるためと使うためのモノが、全部二セットある感じなんです。そうやって、ブランドにイメージを与えることと、しっかりとしたものづくりに取り組むことが、等しく大切にされていることが最初の驚きでした。

もちろんそうした表面的な部分だけではなく、たとえば果物の絞りかすを回収して、そこから天然ガスを生成するためのプラントが地域に整っていたり、お酒づくりを含む生産の全体が、ひとつの環境として地域の風景を形づくっていることが、とても印象的でした。

──そして江口さんは帰国後、日本全国で蒸留酒づくりのできる場所を探して、この千葉県大多喜町の数千坪に渡る旧薬草園の敷地に出会います。蒸留所のイメージはすぐに浮かびましたか。

江口 もちろん全国には素晴らしい場所がたくさんあります。ただ、この場所には30年かけて育ってきた500種類もの植物という、他ではけっして手に入らない時間があります。それだけで他とは全く違うと感じました。あとは場所に合わせてやれること、やりたいことを整理していきました。

中山 この旧薬草園がオープンしたのは、ちょうど平成のバブルと呼ばれた数年間が始まったあたりの頃です。建物に加えて施設内の設備はそのぶんとても立派につくられていて、サイズや配置も含めて、蒸留所に転用するにはおあつらえ向きでした。

  • 候補地決定のきっかけとなった検討図
    Ⓒ中山英之建築設計事務所

大型の浄化槽もあり、既存建物に最低限の手を加えて、あとは蒸留器を持ち込めば、ほぼそのままの状態でボタニカル・ブランデーの蒸留所に転用できそうなことが分かった。

倉庫には植物を乾燥させるための立派な乾燥機などもあって、新たに蒸留所をつくるというよりは、既にあるものを再利用するアイデアを、そのままここでのものづくりに結び付けていくプロセスだったと言った方が正確かもしれません。

──具体的にはどの部分を改修されましたか。

中山 僕たちのやった仕事は大きく二つあります。そのうちの一つはアプローチの変更で、これも仕事というよりは、発見と言った方がいいかもしれません。

この敷地へのもともとの入口は、大きな鉄門のついたアスファルト舗装の立派な道でした。道の先には素敵な薬草園が広がっているのですが、このままではどこかの「施設」に来た感じがして、小さな蒸留所には不釣り合いに思えました。

  • 施設全景。スケッチ上部中心の「FACTORY」が
    現在蒸留施設として改修・活用されている。
    来場者は右下の小道から敷地へと入っていく
    Ⓒ中山英之建築設計事務所

そんなとき、鉄門から続く石垣の片隅に、かわいらしい階段を見つけたんです。もともとは巨大な受水槽に通じる点検用の通路だったのですが、直接給水に変わった際に不要になったタンクを、今回を機に撤去してもらっていたんです。

その階段を登ると、タンクがあった場所を通り抜けた先に、薬草園側からこちらに下りてくるもうひとつの階段が待っていました。緑に囲まれた小さな階段をたどるとそこには薬草園が広がっていて、蒸留工場に転用する建物と二棟のガラスの温室がその先に見えました。

この方向から見た建物は本来なら側面にあたるのですが、むしろこちらの側が「mitosaya」にとっての正面だったのだと、その時気づきました。

  • 入口のゲートを抜けると山野英之氏によるサインが
    目に飛び込んでくる

もともとのアプローチでは、蒸留施設になる建物がまずあって、その裏手に温室が並んでいた。その配置がくるっと90度回転することで、正面から見ると小さなストリートに新たに蒸留棟と二棟の温室が仲良く横一列に並ぶことになった。

見る方向を変えただけで、気づいていなかった蒸留所の顔が浮かび上がってきて、すぐにグラフィック担当の山野英之さんにお願いするサイン計画のスケッチを書き留めました。

やったことのもう一つは、もともとあった建物たちに機能を割り振って、そのうちの「管理棟」と呼ばれていた建物を蒸留所へと改修したことです。

とはいえこの仕事も、既存の建物をできるかぎりそのままに、最低限の手数で転用することを考えました。具体的には既存の四角いエントランスホールの両側の壁を壊して丸いかたちの壁に変えて、新しく丸いかたちになった部屋に、正面にあったアーチ形の開口と同じ形のドアを並べた、ほとんどそれだけなんです。

  • 蒸留施設のスケッチ。各⼯程ごとの部屋がホールに接続する
    Ⓒ中山英之建築設計事務所

ドアの先にあった部屋は、それぞれ発酵室、蒸留室、セラー、濾過・加水・ボトリング室兼、江口さんのラボに変わりました。このホール中心部分の丸い部屋は、ドアにつけられた窓越しにそれぞれの工程を眺めることができる、見学のための場所でもあります。

調べてみると、蒸留工場のつくりにはいろいろな型があるのですが、江口さんが蒸留を学んだドイツでは、蒸留の各工程を温度や衛生環境の違いに応じて区画するスタイルが一般的でした。

今回の工場でもドイツ式を採用して、既存の室構成をそのまま転用することで、各工程ごとに異なる環境の部屋を順序良く行き来できるようにプランを考えました。

  • 蒸留施設中央のホールから蒸留器を臨む

──ホール部分は天井がガラスになっています。

中山 蒸留器は大きな湯沸し器ですから、蒸留室は高温になります。ガラス天井を新しく設置したのは、屋根とのあいだの空間を、排煙窓から熱気を排出する空気の通り道にするためなんです。

ガラスなのはもちろん、窓から入ってくる光をホールに取り入れるためです。換気と採光を両立させる工夫をするなど、ここでもなるべく少ない手数で既存を転用することを考えています。

  • 蒸留施設ホール部分の排煙窓と
    ガラス天井を通した採光と空気の流れ
    Ⓒ中山英之建築設計事務所

──天井や壁の仕上げも既存のままなのですか。

中山 天井を剥がしたときに出てきた銀紙付きの断熱材が、既存の排煙窓の光を受けて室内をぐっと明るくしていたので、断熱補強後の天井面や、新設した壁の一部を、同じ銀紙仕上げにすることにしました。

壁も基本的にはそのままですが、新設した部分は塗らなければならないので、床の防水材から色を拾ったグレーにしています。そんなふうに、自分たちでデザインしているというよりは、そこにあるものと「しりとり」をするみたいな感じで、既存の建物を蒸留所として機能するものにしていきました。

セラーについては唯一、室温を一定に保つ必要があるために、壁を新設してしっかりと断熱材を回す必要がありました。通常は壁の裏に隠される断熱材を、作り付けの棚もろとも吹き付けてそのまま仕上げにすることで、岩をくりぬいたようなセラーになりました。

  • セラー内部の様子。ここで蒸留酒が熟成される

セラーのドアに嵌められたペアガラスの小さめな窓から、蒸留されたお酒を熟成させるためのガラスケースが並んでいる様子を見ることができます。

お酒というのは、直接人の役に立つものというよりは、なんというか、人生をちょっぴり色づけしてくれるような存在ですよね。最低限の工事、みたいな話ばかり強調してしまいましたが、必要なものだけ組み立てられたものであっても、それらがどこかで、ロマンのようなものを宿す何かであってほしいなと思いながら、設計しています。

──今回のプロジェクトで困難だった点はありますか。

中山 とにかく蒸留所をつくることは初めてだったので、設備に必要なインフラの容量や、関連する法規との整合性について、一から勉強しなければなりませんでした。

具体的には、酒造免許に関わる設備のスペックについては税務署と、工場の衛生環境については保健所と、それぞれかなりシビアな折衝がありました。それからもちろん、建築基準法や消防法も。

  • 中山英之氏

正直に言うと、見学したドイツの蒸留所はもっと大らかというか、たとえばちょっとした屋根がかりのあるほとんど外のようなところで、果物をマッシュする作業をしていたりする。

発酵や蒸留は殺菌性の高いプロセスですから、語弊があるかもしれませんが、衛生状態については加水とボトリングの工程にさえ気を遣えば良い、といった考え方なんですよね。日本ではそうはいきませんでした。

──薬草園には二つの温室もあります。こちらも手を加えずに使用できる状態だったのですか。

中山 そうですね。ボイラーの設備は生きているので、燃料を注げば冬の間も温室仕立てにできます。小さくて背が高い方の温室は、江口さん自身が、園内にたくさんあったプラスチックのプランターや、展示ケースに使われていたガラス、ビニルハウス用の金属フレームをリメイクしてつくったショップ仕立てになっていて、こちらが嫉妬するくらい素敵です。

あと、これは目立たないのですが、園内が快適なのは排水溝や側溝など、足元の設備がとてもしっかりつくられているおかげなんです。やっぱりもともとが公共の施設だったので、そうしたところにちゃんとお金がかかっている。そこは本当に幸運だったと思いますね。

公営の建築の立派さに触れましたが、この施設がオープンした頃は、日本全国にいろいろな公営のテーマパークがつくられた時代でもありました。でも、そうした施設の多くが、同じように閉園を余儀なくされているのが今の時代なんですよね。そういう意味ではmitosayaの試みは、もしかしたら離れたふたつの時代を、この先に結びつけるようなところもあるのではないかと思います。

──そしてmitosayaの場合は幸運にも、その中で豊かに育つ植物の存在があった。

中山 バブルと縮小の時代を結んで未来に繋ぐなんて、ちょっと格好つけすぎましたね。まあでも、そこでつくるのがお酒なので、とりあえず難しいことは飲んでから考えればいいかなって、思っています(笑)。

──たとえば小石川植物園のように、ゆくゆくはこの場所も50年、100年と植物と共にある存在になっていくかもしれないですね。

中山 そうなるといいですよね。それは、もう僕らの次の世代の物語ですね。植物は、われわれがいなくなっても、彼らの物語は終わらないので。

──最後にmitosayaのこれからについて、今考えていることをお聞かせ下さい。

江口 僕が決めることはあんまりなくて、日々、敷地の様々なところで花が咲き実がなり、生産者のおじさんから電話がかかってくる。どうすればそれを面白いものにできるか、って考えていくことが楽しくて仕方ないので、そんなことやってたら、あっという間に時が経ちそうです。

 

江口宏志/Hiroshi Eguchi
蒸留家。ブックショップの経営やアートブックフェアの運営に関わった後、2015年に蒸留家へと転身。2018年に千葉県大多喜町の旧薬草園を改修し、果物や植物を原料とする蒸留酒、オー・ド・ヴィーを製造する「mitosaya薬草園蒸留所」をオープンした。千葉県鴨川市で植物の栽培と採取を行う、農業法人株式会社苗目の取締役も務める。
mitosaya.com

中山英之/Hideyuki Nakayama
建築家、東京藝術大学准教授。1972年、福岡県生まれ。1998年、東京藝術大学建築学科卒業、2000年、同大学院修士課程修了。伊東豊雄建築設計事務所勤務を経て、2007年に中山英之建築設計事務所を設立。2014年より東京藝術大学准教授。デビュー作の住宅《2004》でSD レビュー鹿島賞および吉岡賞を受賞。
主な著書に『中山英之|1/1000000000』(LIXIL出版)、『中山英之/スケッチング』(新宿書房)、共著書に『建築家の読書術』、『建築のそれからにまつわる5本の映画, and then: 5 films of 5 architectures』(いずれもTOTO出版)がある。
http://www.hideyukinakayama.com/