中村拓志 窓と愛着 自作を通した窓の試行を訊ねる
19 Aug 2013
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「愛着」をテーマに多数のプロジェクトを発表し、注目を集める建築家 中村拓志へのインタビュー。「窓」の役割や魅力、課題について伺った──
人は“窓”に寄っていく
僕は、人間の振る舞いをデザインするという意識で設計しています。人間は空間の中で動き回って、ある行動をして要件を満たしたりその行動を基にある感覚を得ます。僕はこの建築固有の体験を豊かにするために、人間の振る舞いに着目しているのです。“窓”に関していうと、人って窓のあるところに寄っていくような習性がありますよね。その“窓の力”を利用して、人間の行動をデザインすることが多いです。
例えば、狭山湖畔霊園の休憩棟は、大きな傘のような建築なのですが、傘のような架構の下に、360度グルっと窓が連続しています。そのひさしは1.35mの高さで、立っていると外の風景が見えないのです。周囲はとても景色が良いのに、あえて閉じられた内省的な空間です。お墓参りしてちょっと疲れた人たちが、傘のような安心感のある空間に入ってくると、屋根に導かれて自然と窓のほうに寄っていって、思わず窓辺のベンチに座ってしまう。そうすると急に風景がバーッと開けるという窓です。まるで「どうぞゆっくり休んでいってね」と建築が人に語りかけるように。座ると風景が開けて、ボーっと故人を偲んだり、思い出に浸って遠くを見渡せる。そういう“一連の行動”を、窓を通じてデザインしています。
行動をデザインする際には、その施設が持っている機能を考えて、ふさわしい行為を抽出します。同じ霊園内に礼拝堂も建設中ですが、そこでは、“人々が祈る”という行為について考えたんです。故人が眠っている森に対する崇拝の気持ちは、どの宗派にも共通するんじゃないかと。そして、手を合わせるということは祈りの根源的な行為だと。そこで、森に包まれるというように三角形の敷地に木を植えて、枝を避けるように壁を倒すことで、合掌造と呼ばれる形式を考えました。
合掌造といえば白川郷などの民家にみられる形式ですが、ここでは三次元的な合掌造とすることで、様々な方向の地震力に耐え得る合理的で現代的な架構としています。人が合掌する手のひらの中の小さな空間を大きくして、その先に森があるという空間です。建築が人々の祈るという行為に寄り添い、この場所にしかない臨場感を作り出しているのです。
自然との関係を豊かにするために、“窓周辺“をデザインする。
窓は中と外をつないだり、中の人と外の環境をつなぐ役割があると思います。僕は東京の都心に建つ「Dancing trees, Singing birds」では、建築と木を非常に近い状態で設計しました。その中で、直径10センチ以上の枝は全部3次元で測量して、それをコンピューター上でモデリングデータにして、風が吹いたらどういう動きをするのかを計測した上で、木に寄り添うように建築を建てるということをやっています。既存の木と建築が、ちゃんと共存関係にあるようにしたくて。
木を全部伐採して建物を建てるのではなくて、木々の隙間に建築が寄り添うように建っているような新しい建ち方というのが、今も今後も僕らがやらなきゃいけないことなんじゃないか、かつ中の人と木という自然を、もっと日常的に、もっと結びつけたいという思いがあります。そういうときに、“窓”は、まさにつなぐ役割をしてくれますね。
例えば、録ミュージアムでは枝がどっち方向に向いているのか、設計段階から全部分かっているので、きれいな下枝がある側にピクチャー・ウインドーのような窓を取って、大きく深い窓台を作って、そこをベンチにしたり、テーブルにしたりするんです。そうすると、人がスーッと建築に近づいていって、そして窓辺に触れ、見上げると木がすごく近くに感じられる。そういう木と建築と窓、それから人、これらが常に近い状態を作り出すことで、自然を感じられる場として“窓”を作ります。
しつらえとしては、床から450mmなのか700mmなのかで、窓台が椅子にもテーブルにもなり、あるいはディスプレイボードとしてとか、いろんな関係が生まれるので、高さと大きさというのは重要ですね。同時に、触れるところでもあるわけです。僕は、建築と木との身体的なかかわり方というのをずっと大事に設計してきましたけど、そういう観点からいくと、例えば玄関のドアノブというのは、人間と建築の握手だと思っているんですね。
最初に握手して、それで開けて入るという、建築と人間のコミュニケーションだと。窓もグっと引いて開ける、そのときの触れた質感は、すごく大事にしています。あるいは、単に窓だけを設計すればいいということではなく、窓から入ってきた光が、どういうふうに反射して室内に入ってくるのかとか、そういう“窓周辺の仕上げ”というのも、その窓を魅力的にし、窓辺で起こるコミュニケーションを豊かにしてくれる、すごく重要な部分ですね。
僕が窓を作る上で今まで以上に大事にすべきと思うのは風なんです。完全に締め切ってエアコンで室内環境をコントロールするのではなくて、中間期の天気のいい日は、どんな気持ちいい風を入れるのかという、そこの思慮深さみたいなものがやっぱり建築家に求められていると思います。そういう、写真には写らない豊かな現象というのは、人を快適で豊かな気持ちにしてくれるので、それをすごく大事にしています。
例えばOptical Glass Houseという広島の住宅では、交通量の多い道路側に、音は遮断するけれども光は入れる窓があって、その内側に緑の庭があり、さらにその内側に本当の内外を仕切る窓を開けているのですけど、その窓の手前には水盤を配置しました。窓の内側には、LDKがあって、さらに奥庭もありますけど、昔の長屋と同じで、ちょっとした打ち水効果で、窓の外の空気が水盤によって冷えて、奥庭と前庭の温度差で風が起きるような仕掛けをしているんです。その風を視覚化するために、超軽量のカーテンを吊るして、風が起こることを知る装置としているのです。長屋の風鈴と一緒ですね。
窓の外の環境をデザインすることで、窓からすごく気持ちいい風が入ってくるとか、あるいは、冷気がちゃんと入るか、暖気が抜けるかと考えたり、かなり広い範囲で“窓周辺”のモノとかコトをデザインしています。
愛着をデザインする
僕は、5年ぐらい前に『恋する建築』という本を書きました。僕が目指す建築のゴールというのは、使う人と建築の愛着で、じゃあ愛着をデザインするにはどうしたらいいのかというプロセスを一般の人に届く言葉で本にしました。愛着というのはある種、コミュニケーションのデザインだと思うのですけど、どうやっているかというと、長く使い続けられるということをベースにしたうえで、一つは身体的なかかわりというのを大事にしています。触れたり、座ったり、寄りかかったり、そういう建築を体で感じるチャンスをたくさん作ろうとしています。
もう一つは、ずっと見ていたくなる、そばにいたくなるということを大事にしています。それは言い換えると、時間によって刻々と表情を変えていく予想のできない現象を建築で作り出すことで、ずっとその場所に座って、建築の作り出す現象を見続けても、飽きない、いつも新たな表情が発見できる。それも愛着につながっていきます。
例えば、House SHの白いおなかが膨れたような状態は、窓辺を設計しているんです。大きなトップライトがあって、光をドーンといれるライトウェル (光の井戸) という形式ですね。光を上から取り入れて、そのあと各室内に採光するというやり方で、トップライトを設けた下の壁がボワッと凹んで、そこがベンチになっています。カンガルーのおなかのような、お母さんの膝の上に座っているような感覚になります。そして上から落ちてくる光が刻々と、朝だったら青白く、昼には黄色く、夕方には赤くなるという、色や光の角度でいろんな表情を起こしてくれる。そういうものに、まさに身体性と、現象があると思うのです。Optical Glass Houseの窓も、教会のステンドグラスに似ていて、ずっと見ていて飽きないんですよね。
そういう意味では、僕が愛着のデザインの中で大事にしている、身体性と現象について、実は“窓”が大きな支えになっています。窓は、室内のコントロールされた環境に穴が空いて、外の予測できない現象が、たくさん通過していくような場所ですよね。同時に、人は窓に寄っていくような習性があるので、非常に身体的な接点になる場所です。なので、この二つを満たすために、“窓の在り方”をかなり深く考えていますね。
窓は予想しえない出来事を連れてくる
“窓”が面白いなと思ったきっかけは、最初に設計した銀座のLanvinショップ。ものすごい数の窓を開けたんですよ。アクリルを冷やして、収縮している間に穴に入れて、常温になって膨張する力だけで固定しているという窓です。それを作ったときに、光がものすごくきれいに床に落ちて、太陽の移動によって渦巻くように変化して。窓が作り出す予想を超えた現象、図面を引いてうんうん考えたりしていても予想もつかなかった現象が、設計者として驚いたし、お客さんも喜んでくれた。そこが設計する喜びなんじゃないかなと思ったのですね。設計で練りに練って考えても、それを上回るかたちで予想できない現象が起きる。実は、それを見たいがために設計しているようなところがあって。それはOptical Glass Houseも同じでした。そういう予想のできなさ、刻々と空間の表情が変わっていくさまに魅了されてからですね。そこからもう本当に”窓”にはまっちゃって。
建築家って「本当は全部予想してたぜ」と言っているほうが格好いいですけど (笑) 。でもそんなわけないですよね。予想できないことだらけですよ。窓はそういう驚きがあるんですよね。だから”窓”に毎回こだわります。
これからの窓は、写真には写らない出来事を大事にすべき
既製品としての窓に関していうと、昔と比べてサッシ自体の断熱性能が上がって、結露も起きにくくなったし、熱も入ってきづらくなって、窓周辺の環境というのはものすごく向上した。それによって、窓というのが居心地のよい滞在の場にしてもらったなという思いはあります。
まず、シンプルな窓がいいですね。風景を見たり、外と中をつなぐ物なのに、窓自体が主張してしまうと、余計な情報が増えてしまいます。水切とか押縁とかあるいはコーキングの部分というのは、情報としてはいろんなものを引きずってしまうので、見ている人にとって本当に外だけを感じるということには、なかなかならない。だから、僕はコーキングがない窓を作ってもらいたいですね。あれがないだけで、空間としてはかなりすっきりしてくる。
それから、触り心地のよさ。全部アルミで作るのではなく、触る部分だけ木にするとか、触ったときの人の気持ちが考えられている窓があってもいいのかな。金属は工業製品としては優秀ですけど、触ったときのヒヤッという質感が、快適であるとか触り心地とか、そういうものを求めている今の現代と、どこかでずれてきている気がするのです。
あとは開閉のときの気持ちよさというか、バフッという質感、音感というか。そこにはもう少しこだわりたいですね。触れ合う部分、瞬間のデザインみたいなものを、もっと考えていくべきじゃないかなと思います。音とか、風とか、触り心地とか、そういう写真に載らない中に、豊かさがあるじゃないかと思う。窓というのは、まさにそういうところも本題にできるメディアなので、これから面白い広がりがあるんじゃないかな。
“MY BEST WINDOW”
……いっぱいあって決められないですね (笑) 。あ、マラケシュに行ったときの窓は、よかったです。出窓になっていて、クッションがあって背もたれが向かい合っていて、中庭に面していて。中東の中庭は本当にすごく気持ちいいです。周辺は砂ぼこりが舞っている環境なのに中はとても清潔で、ちり一つなくて、タイルが涼しげで、水の音がポコポコとして、小鳥がオレンジをついばみに来てさえずって、音がすごく反響するのです。その反響した音が、窓からスーッと聞こえてきて。アラブの模様で抜いた板戸がガラスの外側についていて、穏やかな日差しが柔らかくなって拡散して。すごく気持ちのいい、窓に包まれているような出窓で、好きでした。
要は、身体的で、現象としても多様なんですよ。僕が目指している空間の一つのバリエーションともいえる窓です。
中村拓志/Hiroshi Nakamura
1974年 東京生まれ。1999年 明治大学大学院理工学研究科博士前期課程修了。隈研吾建築都市設計事務所を経て2002年 NAP建築設計事務所設立。http://www.nakam.info/jp/