WINDOW RESEARCH INSTITUTE

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窓とパッシブ

小玉祐一郎 (建築家)

10 Jun 2013

Keywords
Architecture
Ecology
Interviews
Windowology 10th Anniversary Exhibition & Symposium

「パッシブ」をテーマに多数のプロジェクトを発表し、注目を集める小玉祐一郎へのインタビュー。「パッシブ」から考える「窓」の役割や魅力、課題について伺った。

パッシブの目指すもの。ロー・エネルギーと、本当の快適さ

パッシブの反対語はアクティブです。その意味で、「パッシブは受け身という意味で、積極的の反対だから、あまり良い語感でない」と言う方もいますが、しかし、実は、本来のパッシブの意味はとても深いのです。

我々の世界でパッシブという言葉を言い始めたのは、1970年代半ば頃です。在来のエネルギーをあまり使わないで、建物の性能をきちんとデザインし、それを活かして環境を制御する。そういうことをパッシブと言ったのですね。つまり、非常に狭い意味では、エアコンのような建築設備に頼らないで、快適な空間を作るための建築的な手法、という定義になるかと思います。

環境を制御するという機能は、建物に求められている基本的な性能ですから、バナキュラーな建築以来、すべての建築が持っています。ところが、20世紀になってエネルギーが潤沢に供給される時代になると、人工照明や暖冷房を使って制御すれば、容易に快適な住まいがつくれ、建物自体のデザインも自由になるという考えが広まりました。実際、エネルギーを使うことによって、かつてない技術革新が急激に進み、私たちは多くの恩恵を受けてきました。20世紀は人類史のとても特異な時代ですね。

今は、電気やガス・石油などの非常に質の良い、いわゆるハイ・エネルギーをたくさん使って物事を解決するという発想の、限界が見えてきた時期です。「それで失ったものは何か?」ということを考える必要があります。一番分かりやすい例は、地球環境問題でしょう。エネルギーを浪費して環境負荷を増やしたために、温暖化が進み、生態系が壊れる。エネルギーや資源の浪費の副作用として出てきた現象です。だから、省エネルギーやクリーン・エネルギーの開発が求められている訳です。

一方、ハイ・エネルギーに対してロー・エネルギーという言葉を使う場合もあります。何がなんでも質が良くて高級で、どこでも使える電気やガスなどハイ・エネルギーだけに頼っているのではなしに、質は悪いがたくさんある太陽や風のようなロー・エネルギーを活用しようということです。太陽エネルギーを凝縮して電力というハイエネルギーを創るという発想もありますが、直接利用したほうが効率も高いのです。ある意味では、パッシブというのは、ロー・エネルギーを活用することだと言ってもいいかなと思います。

パッシブが求められているもう一つの理由は、独自の快適性です。人工照明やエアコンとは別の、自然の快適さ。建物を閉じることによって、それをみすみす失ってしまったということもありますね。便利な人工環境化が進めば進むほど、内部の空間は均質で退屈になってきた。もったいないですよね。

豊かさの本質みたいなものを追求すると、基本的には自然と人間との関係をどうやって再構築するかという所に戻ってくるような気がします。3.11の後、かなりの人がそういうふうに思い始めたのではないでしょうか。自然というものは快適なばかりでなくて、災害も引き起こすし、とても恐ろしいものだけれど、そういう自然との兼ね合いをどうやって作るかと、人々が考え始めてきていると思います。自然と人間との関係作りについて、20世紀的な自然を克服するという発想が変わりつつある、歴史の大きな転換期なのかもしれません。エネルギーで、文字通り力尽くで問題を解決するという発想の見直しは、すごく身近なところにあるように思えます。

パッシブ・デザインの一つの目的は、ハイ・エネルギーの節約――省エネルギーです。ハイ・エネルギーの用途は拡大する一方であり、ロー・エネルギーでも間に合う用途にはロー・エネルギーを活用した方が良いのです。そして、もう一つの目的は、均質でつまらない人工環境をもっと快適に、楽しく、豊かにするということです。そういう二つの面が、パッシブにはあると思います。

“窓”は、環境を制御する装置である
建物というのは、常にたくさんの要素が「入って来て、また出て行く」というダイナミックな状況にあります。空気も、光も、熱もそうですし、人間の出入りもあります。いろんなものが時々刻々「出たり入ったりしている」、そういう状況が建物なのです。その流れをどのようにコントロールするか。それらが建物自体によってうまく制御されれば暖房も冷房も照明もいらないのではないか。これがパッシブの発想ですね。しかし、外界の状況は常に変化しているので厄介です。それなら、いっそ外界から「しっかり閉じて、設備的にコントロールしよう」という発想もある。例えば、完全に24時間空調で快適な空間を作りましょうというような、アクティブな発想ですね。アクティブな発想を前提にすると、外部と徹底的に遮断した方が省エネルギーになるということにもなります。それに対してパッシブは、建物本来の機能である、「物を通す」「光を通す」「熱を通す」ことをきちんとやろうということですから、アクティブとの違いがよくわかるでしょう。

では、どうやって熱の出入りや、光の出入りをコントロールするのか、となりますが、その時に“窓”はとても大きな役割を持っています。例えば、太陽の光を利用するには、明るさを入れる場合も、明るさを遮る場合もあります。太陽の熱の利用も同様です。しかし、“窓”は、冬は特に熱を失う場所でもあります。そのような、「いつ入れるか、いつ欲しいか」というのは、風の場合も、光の場合も、熱の場合も、それぞれ異なります。窓の役割はとても大きい。どのようにして取り入れるか、制御するかは、人による開けたり閉めたりという作業を考える訳ですが、“窓”を誰が開けるか閉めるかは、人々のライフスタイルにも関連します。つまり、「どういう状態が快適か」を住人が自ら考えることになります。そもそも“窓”自体がどういう役割をしているか、性能や特長を掴まえておく必要がありますね。ですから、“窓のデザイン”はとても大事なのです。

外界と中を繋ぐ装置である“窓”は、たくさんの機能を持っています。閉めるだけではありません。外の環境が悪ければただ閉めるしかありませんが、開けて光や熱や空気を取り入れることができます。“窓”はたくさんの機能を持っているので、デザインのし甲斐があります。“窓”をデザイン、設計する方にとって、さまざまな機能を求められるということは、解決も一通りではないということです。それが難しいので単純にしようと、遮るだけの機能を重視してエアコンに頼れば良いと考えるのは本末転倒でしょう。

我々は、いろいろな建物を設計する場合に、「“窓”は環境装置である」という言い方をしています。環境装置としての“窓”という考え方です。光、風、熱というような環境を制御して快適にする機能というのが、建物の基本的な性能ですけれど、とりわけ“窓”は大きな役割を持っていると思います。そういう環境を制御することが、“窓”の担っている重要な役割と言えます。

自分で環境を楽しみ、自分で制御できるような“窓”のシステムがあればいい

 

我々のモットーは、“Passive Design for Active Life”です。アクティブな生き生きとした生活をするためには、家はパッシブに作った方が良いという意味です。それには、自分の感覚で窓を閉めたり開けたりして、自然の変化を楽しみ、制御できるような“窓”のシステムが欠かせません。

そもそも、なぜ“窓”を閉めてしまうのでしょうか。昔は、例えば、四季の変化を感ずるように内外の関係をうまく持ちたいと考えていました。「あはれ」とか、「いとをかし」とか、「爽やか」とか、「清々しい」とか、そういう感情を楽しんでいた筈です。それが、なぜ無くなったかと言うと、ある意味では、外の環境が悪くなったからです。だから、遮った方が良いという状況が増えてきました。音がうるさい、空気が悪い、など。そうすると、まず閉じた上で、中の環境を作った方が早いという発想が生まれます。エアコンに代表されるような暖房や冷房や人工照明が出現すると、環境が悪くても、ある程度の快適さや、あるいは性能は得られますよ、となってきますよね。

スイッチのオン、オフだけで室内の環境が簡単に制御できる時代になってきましたが、本当にそれが住まいにとって良いことなのかどうかを考える時期でもあります。エアコンが普及するほどに、多くの人は、便利だけれどあんまり快適ではないと思っているかも知れません。省エネルギーの面からも、快適さの面からも、別の方法があるのではないかと考えるようになってきました。今の時代は、ようやく、そういうパッシブな価値観になってきたのではないかなと思います。

またエネルギーを使って、エアコンのような設備を使えば使うほど外気が汚染されてしまいます。汚染が進むとさらにそれらが必要になってきます。そういう悪循環の構造があるでしょう。でも、東京などでも空気がかなりクリーンになってきていて、住みやすい環境になってきているとすれば、それを活かす可能性が東京でだって無い訳ではありません。大事なのは、悪循環だから仕方なく住むのだと言うのではなくて、「より豊かな住まい方をするためには、どういう環境を作らなければいけないか考えましょう」というのが、今の地球環境の考え方ですよね。外界が汚染されたので、やむを得ず、それに合わせて建物を閉鎖的にしていきましょうという要請が無いわけではないけれども、出来ればそれを脱却したい。その枠組みを超えたいというふうに、皆さん思い始めているのではないかなと思います。

最近の若い建築家の仕事を見ていると、とても外界のことを気にしています。外界のことを気にして、狭い敷地の都市の宅地であっても、なるべく外界との接点を持っていこうとしていますよね。外界に開こうとしています。開かなければコミュニティとして成立しないですし、環境としても成立しない訳です。そのように考え方が段々変わってきています。かつては、エアコンさえあれば家はバラックでも快適に住めると考えた人もいたでしょうが、今の若い人たちは、そういうふうには思っていないのではないでしょうか。とても良い事ですよね。

科学的アプローチの限界と、目に見えない価値への挑戦

「“窓”は、環境を制御する装置である」と言いましたが、“窓”には、物理的な環境を制御する機能もたくさんあるし、社会的な機能を制御する機能もたくさんあります。機能という概念は20世紀の重要な概念で、いろいろなケースを当てはめて使われてますが、限界もあります。機能という捉え方を狭く考えると、そこから漏れるものもたくさんあります。でも、その漏れるものも含めて、窓は環境を制御する装置だと考えています。

近代の機能主義は、ある意味では、まず壁をつくり、必要な時に必要な穴を開けて外部とつないでいくという作業をしてきたと言えます。そうすると、定量化できないものは無視され、捨てられがちです。「存在しないこと」になってしまいます。快適さや楽しみなどというものは、そもそもあまりうまく定量化できないでしょう。微妙なところは「無し」にされてしまう。ヨーロッパの窓の概念もこれに近い。それに対して日本の窓は、柱の間の「間」に由来する「間戸」ですから、出自が全く違います。寒冷地と温暖地という違いもありますが。

ハイ・エネルギーに頼る建築には、近代の機能主義の弱点みたいな所が現れています。定量的な分析は進化しており、有用ですが、なお、「そこから漏れるもの」も考えて設計をしないといけません。その意味で、“窓”を設計するということは、建築を設計することに近いですね。

定量的な分析の進化によって、かつては測れなかったものが段々測れるようになってきました。測定技術や方法が進歩した成果です。また、とても煩雑で厄介な計算も、コンピュータの普及によって次第に可能になってきました。非定常な熱の計算や気流の流れも予測できるようになりました。

実は、パッシブ・デザインが出来るようになった1980年代というのは、パソコンが普及し始めた時期なのです。時々刻々の変化を非定常と言うのですが、そういう熱や空気の解析が、パッシブ・デザインを生んだとも言えるのです。

フランク・ロイド・ライトは、その鋭い感覚で、今でいうパッシブ・デザインをしていますが、失敗例も成功例もあります。もうちょっと科学的にやれば、カンだよりの失敗は避けられたでしょう。また、日本の伝統的な民家などは、気候調整の巧みな工夫がたくさんあると言うでしょう。良い例がたくさんありますが、失敗したものも山のようにあります。経験でやっていくとそうなってしまいます。

昔からのバナキュラーな民家の知恵を科学的に掴めるようになってきて、デザインに反映できるようになってきたと言ってもいいでしょう。私事ですが、昔、風の研究をやっていた頃は、どうやって風を可視化するかが大変でした。風の流れを見るために煙を流すとか、粉を流すとか。近頃のコンピュータによる「見える化」は、凄いですね。熱や光の実験を代替するシミュレーションと同様、デザインツールとしても使えます。

日本に限らずいろいろな所で、それぞれの地域の気候に合った設計が求められています。それが実現可能になってきています。科学的なアプローチが、我々の分野にも大きな貢献をしている訳ですけれど、でもなお、捉え切れない所もあるのは明らかです。科学的にまだまだ見えないものであっても、我々は「ある」と感じることができるし、分っています。デザインツールを駆使しながら、そこから漏れる地域の特性や身体感覚も含めて、設計をしていますが、そこはいつも難しいというか、面白い所ですね。スマートハウスやスマートシティではとかくエネルギー効率が求められがちですが、そのような計画にも、このようなパッシブ的な発想、地域や身体感覚の発想が組み込まれるといいですね。

“MY BEST WINDOW”

日本の夏の快適さを話す時に、例に挙げるのは、慈光院の“窓”です。実を言うと“窓”ではなく、ただの「間戸」――開口部なんですけれど。“窓”のもつ外界との関係をよく示していて、とても好きな場所です。本当にもう何も無く、空気が流れている。様々な光の変化がある。穴をあける発想のヨーロッパの窓とは逆で、必要な時に閉めるのです。まさに、「間戸」ですね。そういう柱と柱の間を、季節や時間の変化に対応して、臨機応変に処理する装置が“窓”だと考えると、いろいろな面白い発想が出来るのではないかなと思っています。そういう意味で、慈光院の“窓”は面白いですね。

 

 

小玉祐一郎/Yuichiro Kodama 
1946年 秋田県生まれ。1969年 東京工業大学建築学科卒業。1974年 東京工業大学大学院博士課程修了。1974年 東京工業大学建築学科助手。1978年 建設省建築研究所 入所 主任研究員・室長・部長を歴任。1998年 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科教授。 (株) エステック計画研究所主宰。一級建築士、工学博士

著書 
『パッシブ建築設計手法事典』/彰国社、『エコ・ハウジングの勧め』/丸善、『環境と共生する建築』/建築資料研究社、『住まいの中の自然』/丸善、『都市建築のビジョン』/日本建築学会 ほか

作品 
「つくばの家Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ」、 「飯田川小学校」、「水戸・八幡町の家」、「高知・本山町の家」、「エスペランサ(集合住宅) 」ほか

受賞歴 
日本建築学会作品選奨 (2005年、2012年) 、グッドデザイン賞 (2004年、2005年) 、日本建築家協会環境建築賞 (2005年)、環境・省エネルギー住宅 (2000年) 、サステナブル建築賞 (2012年) ほか

Top image: Marina Melchers, Japan House Sao Paulo

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