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国際基督教大学(ICU)ディッフェンドルファー記念館と大学礼拝堂の窓 
保存、継承、そして

岸 佑

17 Apr 2024

Keywords
Antonin Raymond
Architecture
Columns
Essays
Japan
Vories

初期キャンパス計画をヴォーリズ建築事務所が作成し、その後アントニン・レーモンドが担った国際基督教大学。キャンパスの中央に位置する「ディッフェンドルファー記念館」と「大学礼拝堂」では、ヴォーリズからレーモンドへと大規模な改修を経て引き継がれる建物の姿を見ることができる。研究者がこれら二つの建物の窓からその歴史を紐解く。

 

 

はじめに
新宿からJR中央線快速電車に乗ること、およそ30分。JR武蔵境駅に到着する。「国際基督教大学行き」のバスへ乗り継ぎ、およそ10分。終点で下車すると、正面ロータリーの奥に十字架をファサードに据えた「大学礼拝堂」が見える。近づいていくと、その背後に建っている建物が見えてくる。「ディッフェンドルファー記念館」(以下「D館」)だ。二つの建物は、キャンパスのほぼ中央に位置し、大学正門から伸びる直線道路のアイストップの役割を持っている。東京都三鷹市にある国際基督教大学(以下ICU)のキャンパスは、中島飛行機三鷹研究所の跡地に設立された。現在、講義棟として用いられている大学本館は、研究所の建物を教育施設に転用したとして知られる。大学の初期キャンパス計画はヴォーリズ建築事務所が作成し、1957年にヴォーリズが病気療養で退いたのちは、短期間だがアントニン・レーモンドがキャンパス計画を担った。

  • 渡り廊下でつながる「ディッフェンドルファー記念館」(右)と「大学礼拝堂」(左)

「大学礼拝堂」は1954年竣工で、竣工時の礼拝堂はヴォーリズ建築事務所が設計した。背後の「D館」の竣工は1958年で、こちらもヴォーリズ建築事務所が設計を手掛けている。その後、「大学礼拝堂」は1959年に増築工事(1960年竣工)が行われて現在の姿となった。増築工事はレーモンド設計事務所が手掛けている。「D館」は2017年に、「大学礼拝堂」は2020年にドコモモ・ジャパンの選定建物に加えられた。「D館」はその翌年、2021年に国登録有形文化財に登録されている。

 

「D館」と窓

「D館」は、芝生空間を挟んで大学本館と正対し、正面北側の湾曲するファサードをのぞき、打ち放しコンクリートスラブと開放的なガラス窓が特徴的なモダニズムの外見をもつ。平面は、ロの字で、北側には講堂、南側には学生ラウンジ、売店、教会事務室、文化系のサークル部室を配した。

「D館」の建設経緯については、『建築家ヴォーリズの「夢」』(勉誠出版、2019年)に詳しい。それによれば、国際基督教大学の創立者たちは、戦後日本の新設大学にふさわしい建物としてヴォーリズにモダニズムを求めたようである。決して豊かではない大学創設前後の財政状況のなかで、経済と効率を最大化させて建設するモダニズムは、最適だったのかもしれない。「D館」の設計は、ヴォーリズ事務所の若手所員である片桐泉が担当した。片桐は「D館」とほぼ同時期に、御茶ノ水にある《近江兄弟社ビル》の設計も担っている。

  • 「D館」東側立面

窓に注目して「D館」を見るならば、1958年竣工時のアルミサッシが現存している点が重要である。ビル用の国産レディメイドサッシが販売されたのは1959年のこと。したがって「D館」のサッシは、いわばオーダーメイドのアルミサッシである。現在の主流の押出成形による制作ではなく、鋳造で制作された。引倒しの欄間がついた引き違い窓で、見付幅を細くするために、無目と方立の内部にスチールの補強を組み込んだ。枠と中桟を細くし、中桟の位置を低く取ることで、外周の手すりと高さを揃えて、眺望を確保している。

「D館」は竣工後、2回大きな改修を行なっている。特に2021年の改修では、個別空調設備の導入やエレベーターの設置など設備面でのリニューアルが行われ、それに伴い一部の間仕切りの撤去などが行われた。その際に大きな問題となったのが窓サッシである。竣工時からのサッシが数多く残っていたものの、窓の開閉に支障が生じ、また気密性が低いために使用者から性能面での不満の声があった。そのため、日常的に使う機会の多い南側を中心に窓サッシを更新する一方で、一階の学生ラウンジ北側や講堂ホワイエ部分など、歴史的価値の高い部分を中心にオリジナルサッシを保存した。南側の更新したサッシでは、オリジナルのサッシの中桟の高さと揃えるために、一枚ガラスとし、中桟を化粧格子にしている。また、窓と欄間は引き違いとしたため、見付けの幅は大きくなったが、割り付けはオリジナルと同じになるよう制作した。

  • 改修時に更新されたアルミサッシの窓

「大学礼拝堂」と窓

竣工当初の「大学礼拝堂」は、正面に薔薇窓と三連アーチをもつ建物で、内観・外観ともにクリーム色を中心に統一されていた。最初に計画されていたベルタワーは建設予算の都合から実現していない。レーモンドによる増築工事は、構造部材のほか、正面妻側にせり出た左右の外壁、ナルテックス、階段、二階席などを残して、それ以外をほぼ全面的に直した。全体はコンクリートの色を中心に統一され、身廊が4スパン分西側に延長された。北側には通路とベルタワーが新設された。建物の正面には大庇が付けられ、コンクリートの目地切り壁に柱型を設けて十字架を据えることで、正面の垂直線が強調された

  • 「大学礼拝堂」東側正面

増築前の内部は、外壁と同じクリーム色で統一されていたと思われるが、増築後は天井と壁が合板で覆われた。ジグザグとした形が側面から天井まで回り込んでいるように見えるため、目黒の《聖アンセルモ教会》を彷彿とさせるが、中から見て三角柱に見えるものは、実際には内装の壁面をふかしたものである。天井は鉄骨のトラスが組まれており、折板に見える合板は鉄骨のトラスのなかで吊られている。2001年には側窓の最上部のサッシがジャロジーに変えられた。

  • 「大学礼拝堂」正面内観
  • 折れ壁のスリットから光が差し込む

礼拝堂増築工事の前後で大きく異なる印象を与えるのは、色に加えて窓である。増築前の礼拝堂は正面に薔薇窓を持ち、スパンの間を側窓としていた。増築後は、薔薇窓を埋めて十字架を据え、側窓に折れ壁を加えることで開口を斜めに向け直し、スリットに変えた。側廊の窓に嵌め込まれたガラスの表面には、ノエミ・レーモンドによるものと思われるステンドグラス調のペイントが施されている。ペイントは、ガラス表面に模様に合わせてエッチングを施し、その上から着色を施した。

  • ペイントが施された側廊の窓
  • デザイン・モチーフは聖書に由来すると思われる

ヴォーリズとレーモンドの共存

レーモンドは、ICUについて「敷地は、面積も場所も壮大であった」が、「すべては善意と節約によるもので、物を大きく見ることができない布教的な気分に支配されていた」という印象を記した。レーモンドによれば、ヴォーリズの大学礼拝堂は「植民地スタイル」、「D館」は「建築事務所の実習生による準現代風なもの」で、キャンパスプランはなく「でたらめに配置され」た「無秩序で弱気な努力の結果」だとした。ヴォーリズのために弁解するならば、キャンパスプランは存在し、施主の要求や予算との兼ね合いのなかで進められていた。ヴォーリズは、「最小の経費で最大の効果をおさめる」とのモットーに基づいて、「何より先ず教育そのものに関心を持ち、真に教育の目的に適合した建造物を設計しなければならない」と述べている

  • 「大学礼拝堂」北側外観

例えば、「大学礼拝堂」から「D館」へつながる北側通路は、レーモンドの増築工事で実現したが、ヴォーリズによるマスタープランから既に存在していた。いわば、ヴォーリズによって計画されたものが、レーモンドによって実現したともいえよう。実際、施主であるICUでは、ヴォーリズによる竣工工事を第一期、レーモンドの増築工事を第二期とみなしている。レーモンドによって目地切りされたコンクリート色の外壁は、隣接する「D館」との調和を図るために「D館」を引用したのではないか、とも想像できる。

 

おわりに

一見すると交わらないように思われるヴォーリズとレーモンドが、モダニズムのデザインを介して交わるという点に、戦後日本におけるモダニズムの展開の一端をみることができるだろう。与条件に基づき最大限の努力をするのが建築家であるとすれば、ヴォーリズもレーモンドも施主の要求に「最大の効果」をもたらすべく、それぞれの仕方で仕事を成した。レーモンドとヴォーリズの建築が並び立つ姿を見ることができるのは、日本で唯一、ICUキャンパスのなかだけである。

窓の事例集
国際基督教大学(ICU)ディッフェンドルファー記念館 / 大学礼拝堂
17 Apr 2024

岸 佑

1980年仙台市生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は、近現代日本史、日本近現代建築思想。現在、都内の大学で非常勤講師をつとめる。DOCOMOMO Japan理事、東京建築アクセスポイント理事。共著に『建築家ヴォーリズの「夢」』、訳書にマーク・ウィグリー『白い壁、デザイナードレス』などがある。

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