連載 展覧会レポート:第16回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展 2018
「FREESPACE」を窓から覗く PART 3
16 Nov 2018
HOLY SEE PAVILION/ローマ法王庁パビリオン
アンドリュー・バーマン
キュレーター:
フランチェスコ・ダル・コ(建築史家/ヴェネチア建築大学教授/「カザベラ」編集長)、ミコル・フォルチ(ヴァチカン美術館現代美術部門ディレクター)
参加建築家:
ノーマン・フォスター(英国)、 藤森照信(日本)、フランチェスコ・セリーニ(イタリア)、アンドリュー・バーマン(米国)、ハビエル・コルヴァラン・エスピノラ(パラグアイ)、 フローレス&プラッツ(スペイン)、カーラ・フアサバ(ブラジル)、スミルハン・ラディック (チリ)、エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ(ポルトガル)、ショーン・ゴッドセル (オーストラリア)、マップ・スタジオ:フランチェスコ・マグナーニ+トラウディ・ペルゼル(イタリア)
サンマルコ広場の対岸から運河を挟んで向かい側に浮かぶサン・ジョルジョ・マッジョーレ島は、アンドレア・パラディオが設計したサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会と元・修道院が島のほとんどを占める。1806年、ナポレオンの命令によって修道院が閉鎖された後、ヴィットリオ・チーニ伯爵が1951年に島を買い取るまで、150年にわたり軍事占領され、荒廃していたという。チーニ伯爵が設立したジョルジョ・チーニ財団は、この島を復興・修復し、文化的な拠点とすることを目的としており、元・修道院を拠点にしている。2012年にガラスに関する作品のための展示スペースル・スタンツェ・デル・ヴェトロがオープンし、2014年にその前庭で杉本博司がガラスの茶室「Glass Tea House Mondrian/聞鳥庵」を発表するなど、ビエンナーレを訪れる人々にとっても馴染みの島となりつつある。
2013年からナショナルパビリオンの一つとしてヴェネチア・ビエンナーレに参加しているバチカン市国(国際建築展への参加は初)が今回、敷地としたのは、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の奥にある森。ローマ法王庁文化評議会議長を務めるジャンフランコ・ラバジ枢機卿がコミッショナーとなり、フランチェスコ・ダル・コとミコル・フォルチがキュレーターを務めた。1920年にグンナール・アスプルンドが森の墓地(Skogskyrkogården)に設計した森のチャペルに着想を得て企画されており、建築家たちが「チャペル」をそれぞれの理解で展開している。ヴェネチアに拠点を置くマップ・スタジオが設計したアプルンド・パビリオンと10組の建築家によるバチカン・チャペルと名付けられたフォーリーが豊かな森の中に点在する。
アンドリュー・バーマンが設計したチャペルは、正三角形のプランで、開放された一辺はヴェネチアの潟を見晴らすポーチになっており、何人かで座ることができる。ポーチの裏側にある内部は暗闇の空間で、角の上部にある切り込みから眩しい光が差し込んでおり、自分の内面と向き合う空間となっている。パンテオンが建てられた紀元前から今日にいたっても、高所から光を通す窓は宗教建築がもつ神聖さと切り離せない普遍性を持つ。この島で修道士たちが祈りを捧げていた1000年前から変わらない光が降り注ぐ一角は、ついその下で空を見上げてしまう魅力がある。
中央館
ARCHITECTEN DE VYLDER VINCK TAILLIEU(銀獅子賞受賞)
アーキテクテン・デ・フィルダー・フィンク・タユーは、「Unless Ever People – Caritas for Freespace」というタイトルで、ベルギーのメッレにある19世紀に創立された精神科病院でのプロジェクト「カリタス(CARITAS)」(2017年完成)の展示をしている。
当初の病院は、広々とした自由に入れる公園に各部門が分棟に配され、建物間には緑が溢れるというように、ヒューマンスケールをもち、独自の建築様式によって統一された場所であったが、移りゆく時代の要求に合わせて建物が建て替えられて、その統一性は崩壊していた。規則や規制を優先するあまり、人間らしい空間を失っていったことに危機感を感じたディレクターが、残された2棟のヴィラの解体を止めることを決め、設計競技を行ったのが2014年。その設計競技を勝ち取ったアーキテクテン・デ・ヴィルダー・フィンク・タユーは、建築的な知性・技術・人間性によって、古い建物を使いながらも今日的な精神科病院に変え、この場所を未来に繋げようとした。
病院のユーザーである(医者、患者、運営スタッフ)のニーズを満たしながら、特定の機能を持たず、病院の喧騒から逃れることができる建物となるように、患者たちは介護を受ける側として、模型のデザインについて議論し、交渉する立場としてプロジェクトに参加した。
すでにほとんど取り壊され、屋根すらも失っていた半壊の建物は1階と地下階の間の床もない有様であったが、建物は完全にオープンな状態になっていた。自然光が差し込み、建物自体が息を吹き返したような生命感に満ち溢れる中、温室やベンチが建物内に置かれ、手すりが巡らせてある内部と外部の中間のようなコモンスペースを作り出している。1階にあった窓は地面まで引き下げられ、もはや窓枠もなく、オープンな出入り口となった。
銀獅子賞受賞にあたり「ゆっくりと時間をかけて待つことで建築の未来を活性化し得るという自信を持つことができるプロジェクト」であることが評価された。
柴田直美/Naomi Shibata
編集者。1975年名古屋市生まれ。武蔵野美術大学建築学科卒業後、1999~2006年、建築雑誌「エーアンドユー」編集部。2006~2007年、オランダにてグラフィックデデザイン事務所thonik勤務(文化庁新進芸術家海外研修制度)。以降、編集デザイン・キュレーションを中心に国内外で活動。2010〜2015年、せんだいスクール・オブ・デザイン(東北大学・ 仙台市協働事業)広報担当。あいちトリエンナーレ2013アシスタントキュレーター。2015 年、パリ国際芸術会館(Cité internationale des arts)にて建築関連展覧会施設について滞在研究。2017年、YKK AP「窓学」10 周年記念「窓学展―窓から見える世界―」展示コーディネーター。
www.naomishibata.com