17 Sep 2015
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意外に感じるかもしれないが、ロンドンという都市の良いところは“乱雑”さにあると思う。実はロンドンでは、街のいたるところで異なる時代背景をもつ要素が、互いの領域をオーバーラップさせながら共存している。例えば、個々の建物のスケールで見てみれば、その多くが度重なる改築や増築によって更新されていて、新旧の境界を見極めるのは難しいことがわかる。また、街区の構成を取ってみても、歴史的に都市全体のプランニングが実施されることがなかったこの街には、グリッドや幾何学的な軸といった基本的ロジックは存在せず、それぞれの場所をつなぎ合わせるように有機的な街路のネットワークが広がっている。
人間のスケールを超えた高層ビルが建つシティ・オブ・ロンドンの金融街を歩いていても、街路自体は18世紀ジョージアン時代の曲がりくねった構成のままで、不思議なミスマッチ感を覚える。この街のイメージは、曖昧な境界を持つ個々の要素の無造作な連続体、つまりシークエンスとして形成されているように感じる。ロンドンが「村の集合体」としばしば言われるのにも納得がいく。
だが、物理的なシークエンスだけではない。この街で生活していると、日常のさりげない一場面で時間のシークエンスを感じることがある。3回の連載のうち初回である今回は、窓に着目しながらシティスケープのワンシーンを切り取り、この街の歴史や文化を読み解くための手がかりとしたい。
まず、ロンドンの街並みが東京のそれと大きく異なるのは、基本的に組積造の建築であるという点である。日本の伝統的な軸組構法では、柱や梁によって骨組みが構成され、そこに床、天井、窓、建具などの造作が取り付けられる。軸組の段階ではパーティションが存在せず、平面構成や機能は造作の付設によって初めて決定されるものだ。そして窓などの開口部は、壁と同様に造作の一部であり、塞がれていない柱間として捉えることができる。
一方、レンガ造の場合、壁は造作ではなく、構造、すなわち軸組の一部として扱われる。開口部はそのソリッドな壁に開けられた穴ということになる。何もない状態のところを塞がないままにして窓を設けるのと、密に積み上げられた壁に穴を開けて窓を設けるのとでは考え方や素材の扱い方が自然と異なってくる。構造上、開口上部のレンガを支えるためには、まぐさ (lintel) もしくはアーチを設ける必要がある。伝統的にドアや窓上部のまぐさ石に施された装飾は控えめな場合が多かったが、ファサード・デザインの一部として重要な役割を果たしていたようだ。アーチの場合、要石 (keystone) と呼ばれる、構造が崩れないよう締める役割を果たす頂上部分の部材は、装飾的にもアクセントとなっていることが多い。
ちなみに現代の構法では、鉄筋コンクリートや補強レンガ、スチールのまぐさが用いられ、開口上部のアーチがファサードにおいて表現されないことが多いようだ。
こうして、窓上部のまぐさやアーチに注意を払いながらレンガ造のファサードを眺めていると、しばしば塞がれた窓に出くわす。明らかに形式上は窓であるが、開口がレンガによって埋められてしまっている。これは“blind window”と呼ばれるもので、1696年にウィリアム3世によって導入された窓税 (window tax) と関係している。導入当初、基本税2シリングに加え、窓の数が10以上20未満の場合は4シリング、20以上の場合は8シリングの税が各世帯に課されたのだ。
国民はなるべく徴税を逃れようと、既存の住宅の窓を塞ぐようになり、その名残りが現在も見られる。産業革命と都市化が進展するにつれ、医療関係者や知識人から衛生面を懸念する声があがり、やがて1851年に窓税は廃止された。英語には、ぼったくりを意味する“daylight robbery”という慣用句があるが、これもこの時代の窓税を背景に生まれたものだそうだ。窓税は万人が基本的な権利として享受できるべき日光と空気に税をかけているようなものであるという意味が込められている。
ウエストミンスターで見かけた18世紀初頭のクイーンアンズゲートの住宅にも窓税の名残りが見られた。窓税の導入後に新築された住宅には、将来窓税が廃止された際に開けることを想定して、予めblind windowが設けられることも多かったようなので、この家もその一例かもしれない。しかしここで特徴的なのは、縦に並んだハーフ・スパンのblind windowの上部を見上げるとわかるように、ちょうど煙突の位置に対応していることだ。
ある見解では、暖炉付近のコールド・ドラフトを防ぐため、開口が避けられたのではないかとも言われている。すなわち、ファサードのデザインの都合上、あえて必要のないblind windowを設けた可能性があるということだ。要石に少々グロテスクではあるがこだわったデザインが施されていることからも、窓周りの装飾や配置のリズムがファサード・デザインにおいていかに重要であったかが伺われる。
ところで、一般的にジョージアン時代の住宅の窓が閉じた印象を与え、生活のプライバシーを守る一方で、インダストリアル建築の開口は大きく、オープンである。産業革命に伴い錬鉄の大量生産が可能となったことは、レンガ造でもより大きなスパンの開口を設けられることを意味した。錬鉄はこれまでまぐさに用いられていた石材よりも強度があり、長い部材を作ることができた。ヴィクトリア時代になると、工業建築や馬屋、 店頭のファサードに錬鉄のまぐさが使用されたが、木の化粧材によって隠されることが多かった。産業革命の発祥の地である英国には、いまだに多くの工場や倉庫が残っており、再利用されている。ロンドンの東部に位置するショアディッチの“Tea Building”や“Old Truman Brewery”も再利用された工業建築の好例である。
ショアディッチはかつて印刷、衣服、タバコ、食品加工などの産業で栄えていたエリアで、現在残っている街並みは20世紀に建てられた大通り沿いの大型のショールームや倉庫、そして裏の路地に並んでいた小規模の商業建築に由来している。Tea Buildingはもともと1930年代にリプトン株式会社によって紅茶の倉庫とベーコン加工工場として使用されていた建物で、現在はオフィススペースやギャラリー、レストランとして使われている。メタルフレームの窓枠をはじめ、建具や床材などオリジナルのものが残されている。同じエリアにあるOld Truman Breweryもビール蒸留所の跡地がオフィス、商業、イベントスペースに再利用され、今では200以上ものクリエイティブ・ビジネスの活動拠点となっている。
東京と比べれば、そう規模も大きくないロンドンだが、それでもエリアが変われば雰囲気も全く異なる。先日、イーストのごちゃごちゃとした雑多な空気とは一転して、シティの中心部にひっそりと隠れた“haven”を見つけた。ロンドンブリッジ付近のSt Dunstan-in-the-East教会だ。その歴史は1100年頃にまで遡り、建設されて以来、度重なる修復や増築を経てきた。1700年頃にクリストファー・レンの設計によって加えられた尖塔も含め、1941年のロンドン大空襲で大きな被害を受けたが、その後再建されることなく、現在跡地は公共の公園として残っている。かつて教会の内部空間であった場所に置かれたベンチに座り、南に流れるテムズ川の方面をふと眺めると、廃墟となってガラスがない状態のゴシック窓のフレームの中に、遠方で空高くそびえ立つシャードが切り取られていた。
この教会のゴシックの窓は、歴史が積み重なり変わりゆくロンドンの街並みを長年見守ってきたはずである。今後はどのような風景を切り取っていくのだろうか。新旧があまりにも当たり前のように共存しているこの街では、時間の蓄積をつい忘れがちだ。今回は街並みやファサードという外からの視点で窓について探求してみたが、残り2回では内部空間や生活との関係にも触れてみたいと思う。
川島奈々未/Nanami Kawashima
1991年ロンドン生まれ。2014年東京大学工学部建築学科卒業。卒業設計にて辰野賞を受賞。2014年4月- 東京大学大学院建築学専攻隈研究室修士課程在籍。2015年5月-Caruso St John Architects(ロンドン)にてインターンとして勤務。