第14回 立ち止まるための窓 フィールドオフィス・アーキテクツ《跑馬古道公園》編
22 Jan 2025
- Keywords
- Architecture
- Columns
- Taiwan
今回は、自身が設計した《跑馬古道公園》について紹介してみたい。
台湾県郷に2021年に完成したこの公園はかつて、台湾軍の訓練所(宿舎)としてつくられた「明徳訓練班」という場所であった。1950年代より、戒厳令下の台湾で「軍事教育」や「反共思想訓練の場」として使われていたが、1987年の戒厳令解除と情勢の変化により、20年ほど前から使われなくなった。この街では暗い過去の遺物として残っていた場所だ。
礁溪という街は宜蘭県を構成するデルタ地帯・平原の北部にある。街のすぐ後ろには山が迫り、海までも車なら15分でいける。元々は原住民が住んでいたが、清朝の頃に漢民族が多く移住してきたようだ。日本統治時代に温泉が掘られ、現在では台北から1時間で来られる温泉街として毎週末観光客で賑わっている。僕の住んでいたところからも車で30分くらいの場所で、冬になると毎週のように古びた温泉に浸かりにいった。
この訓練所跡地は礁溪の街中で、廃墟としてしばらく存在していた。ホテルや飲食店がどんどん増える密度の高い観光地の街中で「ぽかん」と空いた5.7ヘクタールほどの大きな土地は、塀に囲われて日常生活からは遠ざけられていた。
その「ぽかん」とした土地を市民に開かれた公園にするプロジェクトに、僕はフィールドオフィス・アーキテクツ在籍時に参加した。コンペから実施設計まで関わり、現場監理も一部担当した。プロジェクトは、大きく2つの方法で進めた。
ひとつは、新たな建物をつくらず、20棟ほど残るコンクリートのありふれた軍の建物を解体、あるいは部分的に解体(=「減築」)して、引き算的な方法で公園スペースに変えていくことである。建物が密集するこの街中で「都市の空白」という敷地のポテンシャルを活かすためであり、ポツポツと窓の開いた閉鎖的な建物同士をつないでいくための方法でもある。
敷地内には大きく育った木が数多く残る。軍の施設だった頃、建物を隠すために各棟に沿って植えられた木々である。減築の過程において、多くの建物は半外部の東屋のように残すことになったのだが、古いサッシを取り除くだけで、木々の見え方が一変する。単なる穴になった窓を通して外を見ると、窓枠やガラスの存在がいかに大きなものだったかがわかるのだ。さらに建物同士をつなぐため、歩道を通す部分は柱梁だけを残し開放的にするなど、引き算で開口部をつくることによって、周りの木々はさまざまな様相を呈する。さらに屋根を抜いてみると、これまで見えなかった梢が顔をだし、全く新しい景色となる。軍の施設としての既存建物の環境が、建物に穴をあけていくことで現れてくる。縦横に自由にあけられた開口部は、敷地内の植物を取り込み、ランドスケープと建築物の境界をあいまいにする。
屋根にとどまらず、建物の腰のあたりから上の部分をすべて切断し、取り払ってしまった部分もある。あえて既存の窓を途中の位置で切ることによって、等間隔に並ぶ窓のリズムを残し、それを腰掛けられるベンチにしている。さらにそのリズムに対応するかたちで床スラブに穴をあけ、そこに植栽を植えた。環境と内部空間をつなぐ「窓」は床にもつくれてしまうのだ。
設計のもうひとつの方法は、もう少しスケールが大きい。平坦だった敷地の中に起伏のある地形を新たに挿入し、方向性と場所性を与えることである。基本的には背後に迫る大きな山に向かって人々が座れるよう、傾斜をもった大きな地形をつくり、それが既存の建物をも貫いていく。この地形の下には、解体した建物の瓦礫が埋まっている。
この街は山が近い。しかし温泉街の発展に伴って乱立した高層ホテルなどによって、山の存在はめったに意識されなくなっていた。この地形は、風景を切り取る窓と同じように、人の姿勢に働きかけ、風景を見せる装置でもある。
長らくこの敷地を街から切り離していた道路沿いの塀は、他の建物と同じように部分的に切断することで、視覚的にもオープンなものとなった。道路に面し最も目立っていた二階建ての建物はファサードだけを残し、そこに新たにつくった地形が貫入することで、道路の騒音を遮りつつ、背後には静かなパフォーマンス・スペースを生み出した。地形は観客席になり、山を目の前に望む特等席にもなる。
これらすべての動作が、この公園を不思議なものにしている。それは、廃墟を新しく綺麗にするというより、むしろその「廃墟性」を強調し、自然に還っていく過程を設計したようなものだったのかもしれない。その過程で窓は穴になり、あるいは隙間になり、外に開かれていった。山、木々や地形などのランドスケープを風景として幾通りも切り取り、しまいにはそれが内部に侵入することを許してしまう。
あらためて窓を、閉鎖した空間にプシュッとあけた穴と捉えると、そもそもこの場所を公園化すること自体、街に窓をあけるようなものだったとも言えそうだ。窓辺に少し立ち止まって外の景色を見るように、街の中で立ち止まるための空白の場所である。
田熊隆樹/Ryuki Taguma
建築家。1992年東京生まれ。 2017年早稲田大学大学院修士課程卒業。 大学院休学中に中国からイスラエルまで、アジア・ 中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する。2017- 2023年まで台湾・宜蘭イーランの田中央工作群(フィールドオフィス・アーキテクツ)にて、公園や美術館、 駐車場やバスターミナルなど大小の公共建築を設計する。 2018年ユニオン造形文化財団在外研修、 2019年文化庁新進芸術家海外研修制度採用。