WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 葉祥栄 光をめぐる旅

コーヒーショップ・インゴット-「ガラスの塊」としての建築

井上朝雄

01 Aug 2024

Keywords
Architecture
Columns
Essays
Featured Architecture
Japan

建築構法の専門家で、現在3Dスキャナを用いた葉作品のデジタル復元に取り組む井上朝雄氏が、国内最初期のガラス建築である《コーヒーショップ・インゴット》の革新性を明らかにする。

 

ガラスの塊

ガラス建築のルーツは1851年の《クリスタル・パレス》1にさかのぼることができる。技術的な裏付けは設計者であり造園家のジョセフ・パクストン2自身の出自にあるが、この鉄とガラスからなる新しい建築は、それまで石の塊であったそれらを「ガラスの塊」へと変えるきっかけとなり、その後の建築を新たなステージへ引き上げた。

もうひとつのガラス建築の記念碑的な作品は、ミース・ファン・デル・ローエによる《フリードリヒ街のオフィスビル案》(1921)と《ガラスのスカイスクレイパー案》(1922)である。これらは計画案であり実現した建築ではないが、石の塊であるドイツの街並みにそびえたつ、ミースが提示した「ガラスの塊」としての建築像は、多くの建築家に多大な影響を及ぼしたといってよい。

しかし、この「ガラスの塊」としての建築が実現するにはそれから半世紀待たねばならない。それがノーマン・フォスターによる《ウィリス・フェイバー・デュマス本社ビル》(1975)だ。ほぼ時を同じくして、この日本においても「ガラスの塊」としての建築が実現した。葉祥栄の《コーヒーショップ・インゴット》(1977)である。

ほぼ同世代である二人の建築家、ノーマン・フォスターと葉祥栄は、ともに1960年代前半にアメリカで学生時代をおくり、その後、辺境の島国で事務所を立ち上げ数々の名作を生み出していった。《ウィリス・フェイバー・デュマス本社ビル》では、黒の熱線吸収ガラス3をパッチフィッティングシステムで支持している。パッチフィッティングシステムはピルキントン社4が開発した構法で、ガラスをメカニカルに支持するDPG構法5の源流ともいえるものである。一方、《インゴット》は熱線吸収反射6の複層ガラス7を構造シリコンの接着力でケミカルに支持するSSG構法8である。DPG構法もSSG構法も、1990年代以降のガラス建築の隆盛を支えた、新しいガラス支持方法であり、それらをいち早く採用し「ガラスの塊」としての建築を実現している点において、同時代性もあるだろうが、意外なほど二人の活動はシンクロしていて面白い。

  • 《コーヒーショップ・インゴット》模型写真。1980 年頃(葉祥栄アーカイブ所蔵)

本来インゴットとは、精錬した金属を利用しやすいように塊にしたものであり、一般的には、「地金」や「鋳塊」とも訳され、金や銀の場合は「のべ棒」ともいわれる。およそガラス建築の名称に似つかわしくないこの名称が付けられたのも、この建築を「ガラスの塊」としてとらえれば合点がゆく。今はなき、《インゴット》への理解をより深めるため、本作をデジタル復元することで、《インゴット》が《インゴット》足る所以を紐解いていきたい。

 

インゴット以前、インゴット以後

葉祥栄は1970年、30歳のときに福岡市で独立し、デザイン事務所を立ち上げる。独立後最初の仕事が大分市の《カフェソーラー+エアサービス》(1970)であり、この作品でその後の葉の作風を方向付ける2つの事柄に挑戦している。ひとつはSSG構法であり、もうひとつは発光する家具(ここではテーブル)である。つまり、《カフェソーラー》は、その後の「光の建築」シリーズやルミナス・ファーニチャーの原点ともいえる作品である。

SSG構法は、1960年代のアメリカで生まれた新しい技術で、当時の日本ではまだ実績のなかった構法である。《カフェソーラー》では、葉はこの新しい技術に挑戦した。SSG構法は、ガラス方立構法から派生した構法と位置付けることができる。ガラス方立構法は、ガラスの自重を下枠でメカニカルに支持し、ガラスにかかる風圧力を上下枠に加え、ガラスの方立にも構造シリコン経由でケミカルに伝達するもので、今日においても自動車のショールームなどでよくみられるものである。その後、ガラスの方立が金属の方立に置き換わるかたちでSSG構法へと発展していき、カーテンウォール用の2辺SSG9として1960年代後半に登場し、1971年に、ガラスの自重も構造シリコンで支持する世界初の4辺SSG10がアメリカで実現した。このような世界的な技術情勢のなかで、葉はこの《カフェソーラー》において日本で初めてSSG構法に挑戦したのである。しかし、地震や強風などの非常時においても構造シリコンがガラスを支持しきれるのかという技術的不安から、《カフェソーラー》では残念ながら2辺SSGとなった。葉は4辺SSGを実現できなかった悔しさから、《自邸》の増築(1976)の際に、屋根ではあるが3層合わせガラスの支持で4辺SSGに挑戦しており、《インゴット》での4辺SSGは満を持してのものであった。世界初の4辺SSGは1971年であったので、《カフェソーラー》で4辺SSGが実現していれば、葉に4辺SSGのパイオニアというもうひとつの勲章が加わっていた。

発光する家具は、その後、いくつかのインテリアデザインで展開され、ルミナス・ファーニチャーや、ライティングチューブ、ワイヤレスランプを経て、「影のない物質には質量がないように見えるし、影の濃さは光の強さを感じさせる」、光と影のデザインによって、重さ、軽さという質量の知覚を操作する「光による質量変換」へとたどり着く。その質量変換の最たるものが《インゴット》であり、鉄骨のフレームをガラスで覆った直方体は、日中は熱線反射ガラス11の銀色が金属の塊となり重さを、黄昏時は境界であるガラスの消失によって内と外とが一体化し透明性を、夜間は自らが発光して光の塊となり軽さを演出した。

葉はこのケミカルに支持する構造シリコンを気に入り、色々な部位の接合に用いた。例えば、《木下クリニック》(1979)、《光格子の家》(1980)、《シルバービルディング》(1981)では、トップライトのガラスの固定に構造シリコンを使用している。また開口部において、ガラスの1辺を金物のヒンジで接合し、残りの3辺をシリコンで接着し、硬化後、3辺をカットしレインバリアとして用いる構法を、《自邸》の増築の際に開発した。《木下クリニック》および《風格子の家》(1983)では、それをさらに発展させ、ガラスの4辺をシリコンで接着し、硬化後3辺をカットすることでレインバリアとし、残った1辺をケミカルなヒンジとして使う構法を開発した。このように、葉は構造シリコンという新しい接合方法に信頼をおいていた。毎回同じ業者と信頼関係を構築しながら、自邸において構造シリコンの耐久性や変形への追従性を試し、新しい構法開発まで行っていたのである。

《インゴット》以後も、葉は4辺SSGに取り組んでいる。《カフェソーラー》、《自邸》の増築、《インゴット》、《光格子の家》、《アクト6》(1985)まで、構造シリコンは同じ業者との協働で打設してきた。《アクト6》では、3m×6mもの複層ガラスによる4辺SSGを現場施工で実現した。前面道路へ倒れ掛かるようなファサードが特徴的であり、脱落防止用の金物が取り付けてある。この頃から、他の建築家もSSG構法を採用するようになり、構造シリコンの耐久性や、万が一脱落した場合の対策などが議論されるようになった。葉自身も、設計する建築の規模が大きくなるにつれ、大手のガラスメーカーと協働でSSG構法に取り組むようになった。《小国町交通センター》(1987)、《西部ガスミュージアム》(1989)では、脱落防止用金物は必須となり、ガラスは現場で取り付けるのではなく、工場であらかじめ構造シリコンでガラスをサッシ枠に固定し、現場ではそれらを取り付ける方法を採用した。葉自身は構造シリコンの接着信頼性に疑いがなかったのであるが、時代がそれを許さず、《小国町交通センター》と《西部ガスミュージアム》では、品質の安定性から工場でのガラスの接着、および脱落防止の金具を伴った4辺SSGとなった。

  • 《西部ガスミュージアム》撮影:岡本公二(葉祥栄アーカイブ所蔵)

葉が切り拓いた日本のSSG構法は、1980年代後半から90年代初頭にかけて、多くの建築家によって採用されたが、接着信頼性への不安から4辺SSGでは脱落防止金物が必要となり、純粋に平滑なガラスファサードの実現が難しくなったこと、事故が起きた場合の責任体制の曖昧さなどから、その後冬の時代を迎えた。

 

デジタル復元

《インゴット》は竣工からわずか9年後の1986年に道路拡幅のため解体された。なくなってから40年近く経つが、今なお《インゴット》のもっていた革新性は色褪せていない。実際の《インゴット》を体験することはもう叶わないが、コンピュータ上の仮想空間であれば、《インゴット》を疑似的に体験することは可能である。

九州大学葉祥栄アーカイブに残された《インゴット》の設計図書および写真をもとに、BIMを用い3Dモデルを構築した。図書と写真の相違も多くあったが、その場合は写真を優先した。また、これらの資料からはわからないエントランス周囲のガラス収まりなどのディテールについては、関係者にヒアリングすることによってデジタル復元を行った。

復元した《インゴット》をSketchfabにアップロードしたので、ぜひ、皆さんにも、「ガラスの塊」である《インゴット》を体験してほしい。

 

 

注釈

1:1851年にロンドンのハイドパークで開催された第1回の万国博覧会のパビリオン。鉄とガラスの巨大な建造物で、プレファブ建築の先駆けともいわれている。

2:Sir Joseph Paxton(1803-1865)。イギリスの造園家、建築家、政治家。数々の温室建築を手掛け、アルバート公のもと、《クリスタル・パレス》を建造する。

3:ガラスの原料に微量の金属を添加することにより、可視光線より波長の長い電磁波(熱線)をガラス内部に吸収し、太陽光線の透過する割合を低減させ、冷房効果を高めるガラス。

4:19世紀にイギリスで創業されたガラス製造企業。フランスのサンゴバン社と並ぶヨーロッパを代表するガラス製造企業である。1950年代に、溶融した錫の上に溶融したガラスを浮かべて平滑な板ガラスを連続的に生産する方法であるフロート法を開発した。21世紀になり日本板硝子の傘下に入った。

5:ガラス建築を実現する構法のひとつで、ガラスを支えるサッシをなくすため、孔を開けた強化ガラスを点で支持するもの。外部にサッシなどのガラス支持部材があらわれないので、ガラスの透明性を強調できる。Dot Point Glazingの略。

6: 熱線吸収ガラスの表面に薄い金属膜を塗布することにより、熱線を反射し、太陽光線の透過する割合をさらに低減させ、冷房効果を高めるガラス。

7:ガラスの弱点である断熱性能を向上させるために2枚のガラスの間に中空層を設けたもの。

8:ガラス建築を実現する構法のひとつで、ガラスを支持部材に構造シリコンで接着したもの。外部にサッシなどのガラス支持部材があらわれないので、ガラスの塊感や透明性を強調できる。Structural Silicone Glazingの略。

9:ガラスの4辺のうち、2辺を構造シリコンでケミカルに支持し、残り2辺をサッシ等でメカニカルに支持したもの。

10:ガラスの4辺すべてを構造シリコンで支持したもの。

11:ガラスの表面に薄い金属膜を塗布することにより、熱線を反射し、太陽光線の透過する割合を低減させ、冷房効果を高めるガラス。

 

Top image:《コーヒーショップ・インゴット》夕景。撮影:新潮社(葉祥栄アーカイブ所蔵)

井上朝雄/Tomo Inoue

九州大学大学院芸術工学研究院准教授、環境設計グローバル・ハブ・ディレクター。
東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修了、九州大学助手、助教を経て、現職。専門は、建築構法・建築生産。建築のしくみ、建築をつくるしくみ、建築をつかうしくみの研究に取り組んでいる。九州大学葉祥栄アーカイブでは、葉祥栄建築のデジタルアーカイブおよびデジタル復元に従事する傍ら、九州の内田祥哉建築のデジタルアーカイブ化にも取り組んでいる。また、環境設計グローバル・ハブ・ディレクターとして、海外の連携大学との共同研究および教育連携にも力を入れている。鉄骨考古学を提唱し、イギリス植民地時代のヴァナキュラー建築の年代特定に取り組むほか、アッサムベンガル鉄道の図面のアーカイブ構築にも従事している。

MORE FROM THE SERIES

RELATED ARTICLES

NEW ARTICLES