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連載 窓からのぞく現代台湾

第12回 原住民のための、ちいさな教会(台東編)

田熊隆樹

20 Jun 2024

Keywords
Architecture
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Taiwan

現在、台湾では人口の7%ほどがキリスト教を信仰しているという。日本では1%ほどらしいから、その比率は結構高い。隣の国なのに宗教事情はかなり違うものだ。この島にキリスト教が持ち込まれたのは大航海時代も終盤にさしかかった17世紀前半、オランダやスペインが台湾を領有しはじめた頃まで遡るが、初期に広まったのは高雄や屏東、台南など南部の街が多かった。屏東の台湾現有最古のカトリック教会(万金聖母聖殿)は1870年に再建されたもので、煉瓦造の教会は今見ても街中に異質なものとして屹立している。

一方、原住民の多く住む東海岸は、土地の狭小さ・交通の不便さから植民地経営も進まず、外部文化が流入するのも遅かった。しかし現在、台湾の原住民にはキリスト教徒が多い。僕の知り合いの何人かの原住民も、礼拝やミサによく行っていた。かつて中国の黄土高原を訪れた際、住民のほとんどが家に十字架を飾っていることに驚いたが、台湾東海岸に多く住む原住民の人々についても同じような意外さを覚えた。原住民といえば彼ら独自の、伝統的な信仰や祭りを持っているものだと思っていたし、それらは世界宗教とは異なる土着のものと認識していたからだ。しかしどうやら、世界はそう単純なものでもないらしい。現代の原住民の実際は、キリスト教と独自の宗教・文化を共存させた生活を送っている。

主にアミ族やプユマ族が多く住む台東県には、たくさんの教会が建っている。「台湾東海岸の主に原住民のための近現代キリスト教会」という存在は、なんとも台湾の複雑さを表しているようだ。そんな中から、今回はある夏に訪れた二つの教会を紹介したい。

  • 白冷会会院教会(設計:KarlFreuler神父)

1949年に中国大陸で宗教の自由が制限されると、大陸のカトリック教団の多くが拠点を台湾に移した。台東県にも1953年にはスイスのカトリック教団・白冷会(ベツレヘム・ミッション・ソサエティ)の神父たちが移住してきて、原住民の生活に分け入り、(衝突もあっただろうが)慈善活動を通してカトリックを拡め、この地の近代化に寄与してきた歴史がある。他の教団の宣教師も台東にやってきたが、特にこの白冷会は学校や病院、幼稚園や養老院をつくったりと、原住民の経済的自立を支援し、彼らの伝統的な生活を尊重しながら宣教を続けたところに特徴があるという。新約聖書のアミ語訳をつくったのも彼らだ。

白冷会は50年代以降、台東で多くの教会を建てた。スイスから建築家を連れてきて設計させたものもあったし、神父自らが設計者であることもあった。「白冷会会院教会」は1966年にKarl Freuler神父が設計したもので、RC造で作られた食堂や教会、事務室や展示室などがぐるりと中庭を囲む修道院のような構成をしている。シンプルな近代建築に見えるが、中庭や周囲に育つガジュマルや椰子の木が濃い影を落としている姿は台湾らしく、建物の全景が見渡せない。入り口を入ってすぐに、中庭へ向く北側が開放されたロッジアが伸び、信者はここを通って教会に向かうようになっている。

  • 白冷会会院教会の中庭とロッジア。奥に教会入り口がある

木の扉から教会をのぞくと、緑がかったクリーム色の光が窓からぼんやりと入っているのが見えた。教会は左右対称な縦長の長方形で、せいの大きな格子梁が力強い。左右(南北)は空色の華奢な鉄サッシに嵌めた乳白色のアクリル板建具が、柱の間を端正に埋めている。その開口部は上下に分けられ、上は回転窓、下は開き戸になっている。全開にすれば風が気持ちよく通り抜けそうだ。面白いのは、南北の開口部から入ってくる光がまったく違う色をしていることだ。南側の窓の外を見ると、壁柱と水平板でつくったブリーズ・ソレイユが大きな影を作っていた。こういう建物の彫りの深さは、日差しの強い台東の環境へ応えた形だろう。樹木と庇、アクリル板によって濾過された太陽光が、目にも優しい光となって信者を照らすのである。

この教会には木でつくった椅子や机、棚、祈祷台などが見られるが、その調度品のどれもが、白冷会がつくった木工学校の生徒たちによる製作だという。食堂部分にも、工夫を凝らした手仕事による木サッシが見られた。虫の侵入を防ぐため(食堂には不可欠の機能だ)、網戸自体が回転窓の開いた位置に飛び出て固定されている。単純だが理にかなっていて、端正な建築の中でも人間味を感じる部分だ。柱梁で簡潔、経済的なRC造の近代教会にも、窓辺の光・風の取り入れ方にこの地の環境に対する配慮がはっきりと表れている。こうした配慮は、白冷会が宣教する際の態度とも関係しているのかもしれない。

  • 食堂の回転窓 断面図

小馬天主堂は1965年から40年間台東に過ごした神父であり建築家、Felder Julius氏の代表作だ。教会の屋根は海辺の椰子の木よりも低く、親密な距離感で村に立っている。この教会は7角形平面をしていて、祭壇に最も注意が向くよう、中心性を持った構成になっている。内部の壁が斜めに傾いているのも、集まってくる現地民が一人でも多く神父の話に耳を傾けられるような配慮である。7角形をバットレスで支えることで無柱空間を実現し、軽いRC屋根のズレは高窓をつくり、ぼんやりと祭壇を照らしている。構造と音、光の取り入れ方が一体となったその空間は、人々への宣教に大いに役立ったことだろう。今見ても新鮮で魅力的な、小さな教会だ。

往時は30人以上いたという白冷会の神父も、現在では5、6人が残るのみである。しかし老人となった彼らはこの亜熱帯の太陽の下で、なおも人々に尊敬されながら生活している。中国と世界を巡る情勢変化の中でなかば偶然的に台湾の東海岸にやってきたスイス人神父たちの苦労や努力は、僕には想像できない。宗教的使命を持ちながらも、人々の生活そのものを支えていこうとした彼らの人生。それは現在も使われるいくつものちいさな教会たちによって、この地に留まり続けている。

教会をながめていたら、村の日が暮れた。海パンを履いたアミ族の少年が、家族に頼まれたゴミを捨てに来た。ちいさな教会は、すっかり村の生活の背景となっている。

  • 教会のゴミ捨て場に来たアミ族の少年

田熊隆樹/Ryuki Taguma

建築家。1992年東京生まれ。 2017年早稲田大学大学院修士課程卒業。 大学院休学中に中国からイスラエルまで、アジア・ 中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する。2017- 2023年まで台湾・宜蘭イーランの田中央工作群(Fieldoffice Architects)にて、公園や美術館、 駐車場やバスターミナルなど大小の公共建築を設計する。 2018年ユニオン造形文化財団在外研修、 2019年文化庁新進芸術家海外研修制度採用。

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