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西沢立衛 中と外をつなげる窓

西沢立衛 (建築家)

06 Sep 2016

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Architecture
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建築家・西沢立衛氏は、住宅、教会、駅前広場、美術館など、幅広い設計分野で活躍しているほか、建築家の妹島和世氏との協働でSANAAを設立し、世界的にも活動している。これまでの主な作品として『金沢21世紀美術館』、ルーヴル美術館別館『ルーヴル・ランス』などがある。2010年には建築界のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞を受賞するなど、現代の建築界を牽引する一人だ。私たちは運河沿いにある西沢氏の事務所を訪れ、話を聞いた──。

 

──「窓をつくること」について、どのような考え方をお持ちでしょうか。

西沢立衛 (以下:西沢)  たとえば『森山邸』は鉄板でつくった箱型の建物群からなる住宅ですが、そのひとつひとつが閉鎖的なボックスにならないようにするため、窓を開けることが大きなテーマのひとつとなりました。日本の住宅で一般的に用いられている木造軸組構法の場合、そもそも開放的で壁がないわけですから、窓が単体でテーマになることはあまりないと思います。一方で壁でつくられた建物の場合、窓の開け方は重要な問題になります。

  • 『森山邸』 写真:Office of Ryue Nishizawa

『森山邸』では「箱を壊すように窓を開けよう」と考えていましたね。たとえば極端に大きな窓にしたり、2階と3階にまたがる位置やボックスの角に窓を開けたりと、様々なことをやってみました。けれども反省としては、箱の閉鎖感や箱っぽさをそれほど払拭できなかったと思います。

瀬戸内海に浮かぶ島、豊島(てしま)につくった『豊島美術館』の構造はシェルストラクチャーでした。一般的なシェルストラクチャーは貝殻のような形態で、通常は穴を開けたりはしないのですが、『豊島美術館』ではこのシェルに対して穴をどのように開けるか、ということを考えました。

──『豊島美術館』の大きくくり抜かれた穴も、窓の一種として捉えられるでしょうか。

西沢 窓か、穴か・・・・・・窓というと、少し違うような気もしますね。

──西沢さんにとって、「窓の定義」のようなものありますか? 

西沢 特に意識はしていないですね。『豊島美術館』の開口部にはガラスが入っていないので、レクチャーでは「穴」と呼ぶことが多いかもしれません。ただ、あの開口部を英語で訳すときは「ウィンドウ」ではなく「オープニング」を用いているので、日本語のニュアンス的には「開口」がいちばん近いかもしれませんね。

  • 『豊島美術館』 写真:森川昇

──『寺崎邸』は屋根がとても特徴的で、あらかじめ外に開かれることを想定してつくられているなと思いました。とはいえ、住むためには閉じなければいけない部分も必要ですから、どこかに内と外との境界が発生しているはずですよね。おそらく壁に対して窓をつくる場合とは異なる方法が採られているのだと思いますが、『寺崎邸』における境界の設定の仕方について、どのように考えていらっしゃいますか?

西沢 『寺崎邸』ではどちらかというと、壁でなく屋根が境界をつくっています。壁がつくる境界は単純で、その一枚で外と内が分かれます。これはヨーロッパの建物に多く見られます。一方、屋根がつくる境界は何重かになっており、外と内の間の軒下が中間領域 (バッファーゾーン) のような空間になっています。そのため内と外が領域としては分節されているものの、空間としては連続的になる。これはヨーロッパの「壁の建築」とは異なる特徴ですね。

  • 『寺崎邸』 写真:Office of Ryue Nishizawa

『寺崎邸』のような「屋根の建築」の特性は日本の建物によく見られます。たとえば奈良の唐招提寺にアプローチするとき、まず遠くから屋根が見えますが、どんどん建物に近づいていくうちに、あるところで屋根が見えなくなり、かわりに軒裏が見えてきます。その時点ではまだ建物の外にいるわけですが、この視界の変化によって、建築の領域に入ったことを意識させられる。

さらに進み軒下に入ると、まだ本堂の中には入っていないけれども、さきほどよりも建築の中にいる感覚が増したように感じられます。そのように、屋根には何重にも境界があり、外からいきなり中に入るのでなくて、様々な中間領域を経由して、徐々に中に入っていくアプローチがつくられているわけです。内と外を連続させ、自然と建築をつなげる点に「屋根の建築」の面白さがあると思います。

ヨーロッパの人が日本の民家を見ると「壁がない」といいます。本当はあるのですが、壁が紙や土でできているので、石やレンガで壁をつくってきた彼らからすると、いかにも弱々しい壁だと感じるらしく、建具のようなものにしか見えないわけです。じっさい、日本の民家の構造は軸組ですから、壁よりは柱梁が重要なストラクチャーになっている。

その意味で日本建築には壁というものがそもそもなく、窓もないわけです。他方でヨーロッパの「壁の建築」の場合は、窓はそうとう重要な部位になっているのだと思いますね。

──窓をしっかりとデザインするためには、西欧の建物のように、内と外を明確に分けるような壁が必要だということでしょうか?

西沢 たとえばパリの街並みの場合、複数の建物のファサードが街路空間をつくっているため、窓が都市空間の美しさにとって非常に重要な役割を持っています。パリは色々な意味で感嘆すべき都市ですが、オスマン通りのファサードの窓は本当に素晴らしいですね。

──西沢さんや、ともにSANAAで活躍される妹島和世さんの窓の開け方は、今までの建築家が開けてきた窓の開け方と異なると感じています。現代の建築関係者や建築学生は、それにとても影響を受けてもいます。たとえば2000年代の卒業設計では、ひとつの壁に複数の小窓をランダムに並べた「ポツ窓」と呼ばれるデザインが流行したことがあるのですが、これについてご自身ではどのように捉えていらっしゃいますか?

西沢 当時、どう考えて窓を開けていたのか、よく覚えていないのですが、窓に興味があったのは事実なんです。日本の都市に見られる建物の窓があまり好きではなかったかな。パリの例のような、都市空間に寄与する窓とは違い、美しさを感じませんでした。

日本の建物の場合、窓はあくまでも室内の要求に応えるかたちで設けられるので、外から見たときの美しさを意識しているわけではないのです。だから室内にとっても意味がありつつ、都市空間にとっても意味がある窓はないものかな、と考えていたのだと思います。ヨーロッパの街のようにはやれないにしても、アジアにはアジアなりに魅力的な窓があり、魅力的なファサードがあるのではないかと。

大きい窓を目指したいという意識もあったと思います。さきほどポツ窓という言葉が出ましたが、僕はそれよりももっと大きな窓が好きでしたし、今もそうです。それから正方形の窓もあまり好きではなかったですね。

──それは何故でしょうか?

西沢 ださく感じていました (笑) 。

──なるほど (笑) 。窓を機能面だけでなく美しさの観点からも考えたほうがよい、ということですね。ご自身が窓を設計する際に、特に心がけていることなどはありますか?

西沢 街路空間としての魅力を向上させる建物と、そうでない建物がありますが、建築のボリューム感やファサードの在り様と同じくらい、窓も重要です。ただし窓の場合、外観の問題だけでなく、室内の美しさや快適性にもダイレクトに関わるので、スタディには時間がかかります。僕の場合、どの部屋にも最低3つの開口をつけたい、と考えています。それは美しさの問題というよりも心地よさや通風・換気の問題です。室内に3つ開口を設けるだけですが、意外に簡単ではなく、いつも苦労しています。

──やはり窓の厚みのあり方は、窓の形やつくり方、じっさいのその場での感じ方や気持ちに影響してくるのでしょうか。

西沢 壁の厚みは大きな要素ですね。たとえばコルビュジエの『ロンシャンの教会』の窓は、あのぶ厚さが重要ですね。

逆に妹島さんの『梅林の住宅』は壁が薄く、開口を開けるとその薄さがダイレクトに表出するようになっていました。『梅林の住宅』で今も覚えているのは、既製品の70mmのアルミサッシのほうが壁よりも厚いため、窓が出っぱってしまうのです。あれはすごかったな。

ほかにも、サーリネンの『ジョン・F・ケネディ国際空港TWAターミナルビル』は、バックマリオンや柱などの建築部材のほか、家具、エアカーテン、ベルトコンベアーなどのすべてを彼が設計しているので、空間が全体としてたいへん独創的なものになっています。

ところがわれわれの建築は、窓も柱もドアもすべて既製品なわけです。サーリネンと比べると僕らの建築は、既製品を集めて並べ直すという意味で、創造的というよりも編集的な感覚に近いものがあるのではないかと思います。そうしたこともあり、最近の建築は、窓だけをクローズアップして写真を撮ると、誰の建築だかよく分からなかったりもする。その意味では、今日の建築は過去の世紀の建築と比べると、ちょっと味気ないものになっているんじゃないかとも思います。

 

──もしも新しい窓を自由にデザインできるとしたら、既製品によるものをどのように変えていきたいと思われますか?

西沢 いろいろありえるでしょうが、引き違いや外開きといった機械的な動きをするものよりも、もっと人間的な動きに合った開き方をする窓があれば良いなとは思いますね。洋服でいえば手でジッパーを降ろすとき、手の動きが微妙に曲線になるわけですが、ジッパーはそれに追従する柔らかさがある。ああいう感じで、人間的な動きをする窓があればなと思います。

軽快で、爽やかなアルミサッシも好きですが、木造建築の窓もやってみたいですね。日本の古い建築は、構造体、内外の仕上げ、建具などがすべて木という単一の素材でつくられていて、きれいなんですよね。その点からすると、日本の民家は贅沢なことをしていて、きれいなだけでなく、強さや迫力もある。自分もチャンスがあればつくってみたい。

──これまで見てきた世界の建築のなかで、特に印象に残っている窓はありますか?

西沢 やはりパリの街並みは素晴らしいと思います。ほかにもイスファハンのマスジェデ・シェイクやマスジェデ・エマム、イスタンブールのハギヤソフィアの窓も印象に残っています。

──日本の窓はどうでしょう?

西沢 窓ではないですが、京都にあるお寺の縁側。あの障子の開かれ方は素晴らしいですね。

現代建築でひとつ思い出すのは、安藤忠雄さんの窓かな。オリジナリティがあると思う。

──西沢さんにとっての窓をワンフレーズで表現すると、どのような言葉になりますか?

「オープニング」かな。窓を開けると外から風が入ってきたり、街と室内をつなげたりする。そのような開放感を象徴する部位であることに窓の魅力があると思います。

──風と仰いましたが、窓辺の空間を実際に体験することは重要ですよね。私も、『森山邸』にお伺いしたことがあるのですが、写真で見る印象とは全然違うなと感動したんです。窓をつくることを、本当によく考えていらっしゃるんだな、と。

西沢 「開く・閉じる」というのはわれわれの建築にとっての大きなテーマのひとつです。「開く・閉じる」を同時に成し遂げることは矛盾しているようにもみえますが、あらゆる建築が当たり前にやっていることでもある。僕はこれがとても面白い建築の問題だと感じています。『森山邸』のときも、開くことと閉じることが創造的な問題だということは強く意識していました。ただし『森山邸』では、分棟にしたり塀で囲まないようにしたりといったことも含め、建築全体で解こうとしていたので、窓だけの問題ではなかったかもしれませんが。

建築には外観と室内というふたつの要素がありますが、平面図を描いていると、どうしても間取りや機能、家具の位置といった、室内のことを考えてしまいます。他方で模型で建築を考えると、形や大きさ、外装、街並みとの調和といった、建築の外側のことを考えてしまう。

そのため平面図と模型でスタディをしていると、あたかも内と外とを別々に考えることができるような、おかしな錯覚が生まれてしまうのです。けれどもそれは、自分たちが目指しているわけではなく、模型と図面という建築を考えるための設計ツールが、建築家の想像力を限定しているということなのだと思います。

それらの設計ツールとは別に人間の経験というアプローチから建築について考えると、内と外はよりスムーズにつながるな、とあるときから思うようになりました。どれだけ閉鎖的な建物でも、開かれた建物でも、街で建物を見つけたらその中に入り、いろいろな活動をして外に出ていく・・・というように、人のアクティビティに則してみると内と外がスムーズにつながっているのですね。そういう意味では「経験」から建築を考えてみると、街も建築も庭もひと続きのものとして、内と外を分けずに考えることができるのかな、と最近は思っています。

 

 

西沢立衛/Ryue Nishizawa
1966年東京都生まれ。1990年横浜国立大学大学院修士課程修了。1990年妹島和世建築設計事務所入所。1995年妹島和世と共にSANAA設立。1997年西沢立衛建築設計事務所設立。横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA教授。主な作品に、金沢21世紀美術館*(2004年)、森山邸(2005年)、豊島美術館(2010年)、軽井沢千住博美術館(2011年)、ルーヴル・ランス*(2012年)などがある。受賞歴として、2004年ベネツィアビエンナーレ第9回国際建築展金獅子賞*、2006年日本建築学会賞*、2010年プリツカー賞*、2012年第25回村野藤吾賞など、多数受賞。(*はSANAAとして妹島和世との共同設計および受賞)
www.ryuenishizawa.com

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