第一回 トーベ・ヤンソンの窓
06 Sep 2016
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写真家ホンマタカシが自身の写真とテキストで切り取る、気になる窓。連載第一回目は、作家・トーベ・ヤンソンへのオマージュとしてささげられた最新の写真集 『A song for windows』から、写真集未収録作品を含む5枚の写真とスケッチをお届けします。
舞台の小屋は、ムーミンで有名なトーベ・ヤンソンが、毎夏20年以上を過ごした、フィンランドの群島にある小さな島にあります。島は、グルリと周囲を歩いて7分くらいの無人島で、小屋のサイズは幅4メートル×奥行き5.45メートル、高さ2.2メートル。
そして、四方に、サイズ幅112センチ×高さ114センチの窓がついています。3人ギリギリ寝れるくらいのスペースです。
夏のフィンランドは朝6時前に明るくなって、夜10時くらいにならないと暗くなりません。
僕は、その島の光の移り変わりを、4つの窓から眺め続けました。
『A song for windows』は、昨年からの窓研究所での、窓の写真のリサーチによって生まれた写真集です。出版社はスウェーデン人のTony Cedertegが1人で運営する、Librarymanという名前の、これまた小さな出版社から発刊されました。
また、写真集には『少女ソフィアの夏』におさめられたそれぞれが独立したストーリーである22のそれぞれの章から、引用されたテキストが挿入されています。
『少女ソフィアの夏』
1.目をあけないでもぐる人なんて、いないさ – わたし泳ぎたい
2.ストーブ兼用のかまどの火はまだ燃えていて、長靴がぶらさがっている天井に、炎の影がゆらめいていた。長靴は、かわかすためにぶらさげてあるのだ。床におりると、とても冷たかった。ソフィアは窓の外をながめた。 – 月あかり
3.そして、苔の穂がひらく。そろいの高さにうかんだ地面のふちかざりだ。陸の牧草地のように、風に吹かれていっせいにゆれる。うっすらとしか見えない薄絹のようなあたたかいベールが、島じゅうにかけられる。そして、ベールは一週間で消えてしまうのだった。こんなにもすがすがしく鮮やかに野生の自然を感じさせてくれるものは、ほかになかった。 – おばけ森
4.ふたりは歩きながら、船乗りのお葬式について話した。アオーナたちは遠くかなたで、二重唱や三重唱をひびかせながら、うたいつづけていた。石だらけだった岬のくびれたところが、冬の嵐ですっかりすがたを変え、いちめんの砂浜になっていた。 – アオーナ鳥
5.外には夏特有の南西の風がそよぎ、家も、そして島全体も、夢をさそうかのようなかすかなひびきにつつまれていた。母屋のラジオから天気予報が聞こえてくる。日ざしが、窓辺をこえてさしこんできていた。 – ベレニケ
6.「天使が男か女か、だれも知らないのは、みんな、長いワンピースを着ているからだって思うかい?」
「ばかばかしいこと、きかないでよ。ワンピースを着てるんなら、その天使がどっちか、決まってるでしょ。いい? よく聞いててね。ある天使がべつの天使のことを、どっちなのか確実に知りたいときは、その天使の下を飛んで、のぞいてみることね。つまり、ズボンをはいてるかどうか、たしかめればいいの。」 – 牧場にて
7.食後にお皿を窓からほうりすてるなんて、じわじわと沈みつづけて、やがては滅んでゆく建物に住んでいるなんて、なんだか、すてきにかっこよく思えてしかたがなかった。 – ヴェネチアごっこ
8.おばあさんは、岩に腰をおろした。そして、わずかずつずりおりていって、谷間の底にストンと落ちたとたん、ほっと、ひとりになれたのだった。たばこに火をつけると、波立つ気配もない海のうねりを見つめていた。ゆっくりと、岬のむこうからボートが見えてきた。パパが、網をしかけようと、暗礁をまわっているのだ。 – 凪
9.翌朝、マッペは母屋に入ってくると、伸びをはじめた。まずは、おしりを高くそらして前足をのばし、つぎに後ろ足をのばしてから、目をつむって揺りいすで爪をとぎだした。それからベッドにとびのって眠ったのだが、全身に、ゆったりと優越感をただよわせていた。 – 猫
10.養分を海藻と腐った魚からとっている原始林は、高く育ち、びっしりとおい茂っている。そして、島のできるかぎり上のほうにまではびこり、もうこれ以上のぼれない境界線のあたりにサルヤナギとナナカマドとカワラハンノキが立ちはだかって、せいいっぱい、かがみこんでいた。たれさがった枝の中を、両手をひろげて進んでいくと、まるで泳いでいるようだった。エゾノウワミズザクラと、それからとくにナナカマドは、花がひらくと、猫のおしっこくさかった。 – 洞穴
11.草原が、信じられないくらいすんなりと、やわらかく、まるでほほえむようにくぼんだのだった。そして森を食う怪獣は、打ちくだかれた力の見本のように、あらぬ方向をむいたまま、しずかに横たわっていた。 – 国道
12.木箱は、一つ残らずひきあげられた。正しいところへおさまったのか、まちがったところへ行ったのか、なんてことはべつにして、だれにひろわれたにしても、海のもくずと消えずにすんで、ともかくむだにだけはならなかったわけだ。あつまっていた舟たちは、朝方、ほとんどおなじ時刻に、思い思いの方向に散っていった。それぞれの方向へ、黙々と去っていったのだった。夜が明けた海は、しずかにひろがり、なにひとつうかべていなかった。風は静まり、雨もやんでいた。 – 夏至祭
13.ちがう鳥たちが、ちがう鳴き声でさけびながら通りすぎた。暗闇の中は、説明も真似もできないような知らない音や気配で、みちみちていた。これでは絵に描いて見せることさえできない。 – テント
14.島に住む人はだれでも、おりにふれ、水平線のかなたをながめやるものだ。いつもおなじところにある見慣れた岩島の曲線や航路標識を見やり、すべてがいつもどおりで見晴らしがいいと、ほっと安心するのだ。 – おとなりさん
15.このナイトガウンは、数えきれないほどの危機に瀕している。そうそう、あのときのことを思い出してみよう……。あるとき、心やさしい親戚の人たちが、パパをおどろかせ、喜ばせようと、島へないしょで掃除をしにきた。そして、家族が気に入っていたものをたくさんすててしまったのだが、なかでもひどかったのが、このナイトガウンを海に流してしまったことだった。 – ナイトガウン
16.毎年数週間、岩のすきまが花ざかりになり、その鮮やかなことといったら、フィンランドじゅうさがしても、あんなにきれいな色の花はない。多島海域でも本土沿岸の緑ゆたかな島に住む人たちは、気の毒にも、ごくふつうの庭に満足して、子どもには草とりをやらせ、自分は腰を痛めながら水くみをしている。ところが海の小島なら、自分のめんどうは自分でみる。雪どけ水をすい、春の冷たい雨を受けたあと、ようやく夜露に恵まれる。乾燥機に見舞われても、来年の夏を待って花をつける。小島の植物だから、慣れたものだ。根の中でしずかに“時”を待っている。「だから、植物のために心を痛めたりする必要はないんだよ」と言うのが、おばあさんの口ぐせだった。 – 巨大なプラスチック・ソーセージ
17.二列に並んだ灯が、ゆっくりと弧をえがいて、島にむかって、すべるように近づいてきた。 – 悪者の舟
18.「なにやら、たいそうすばらしい気がするよ。晩年のひとときを、こうやって、夏も終わろうというときに味わえるというのはねえ……。しずかだねえ……。だれもが自分の道を歩んでいる。やがてはみんな、おだやかな夕焼けの岸辺で出会うんだ。」 – 訪問
19.一匹のクモをマッチ箱にとじこめ、なつかせようとして以来、ソフィアの夏は、毛虫やオタマジャクシや、イモムシやハチやアリなど、近付きがたい生きものたちであふれかえっていたのだ。虫たちのほしがるありとあらゆるものをあたえ、そのうちに、自由までもあたえてやったりしていたのだった。 – ミミズの研究
20.海をみはっていると、水平線がみるみる黒くなってきて、黒いかたまりがひろがり、海面が期待と恐怖で暗くかげった。その黒いかたまりが近づいてきて、するどくヒューヒューささやきながら島に着いたかと思うと、通りすぎていった。またしずかになった。 – ソフィアの嵐
21.あれは十二時ごろからだった。とても暑かったある日のこと、カゲロウのダンスが、島のいちばん高い松の木の上ではじまった。カゲロウは、蚊と混同してはいけない。まっすぐ立った状態で、かすみのようにあつまって、テンポをそろえて舞うのだ。マイクロスコープ級の小さなカゲロウは、何百万何千万と群がって、あがったりさがったり、高音の歌をうたいながら、一糸乱れぬ正確さで踊る。 – 不吉な日
22.気づかないうちに、日ごとに夜が暗くなっていたのだ。 – 八月に
講談社 「少女ソフィアの夏」 (トーベヤンソン 著/渡辺翠 訳) より引用
『A song for windows』
著者:ホンマタカシ、 初版刊行:2016年、サイズ:190 × 270 mm、ページ数:40頁、出版社:Libraryman
ホンマタカシ/Takashi Homma
1962年東京生まれ。2011年から2012年にかけて、自身初の美術館での個展『ニュー・ドキュメンタリー』を、日本国内三ヵ所の美術館で開催。写真集多数、著書に『たのしい写真 よい子のための写真教室』、2014年1月に続編の『たのしい写真 3 ワークショップ篇』を刊行。現在、東京造形大学大学院客員教授。