CULTURE

"窓"をめぐるコラムやレポート

May 18, 2018

第1回 妙喜庵待庵

文化・宗教が色濃く存在し、建物にも装飾が用いられるのが当たり前だった時代において、あえて華美な装飾をあしらわずにつくられた特異な建物、それが茶室である。茶が主役とはいえ、四時間にも及ぶ茶事で客を退屈させないために、そこには一見して分かる装飾が無くとも、さまざまな工夫が隠されている。本連載では日本建築に大きな変化をもたらした茶室の窓に着目し、その特色を解説していく。

妙喜庵待庵
第1回として、国宝の茶室・妙喜庵待庵を取り上げる。待庵は、利休がつくったとされる二畳敷隅炉[注1]の席で、現存する日本最古の茶室とされている。待庵なしにはそれ以降の茶室が成立しないと言い切れる、非常に重要な茶室である。

March 18, 2015

窓の彩りを考える

テキスタイルコーディネーター/デザイナーの安東陽子さんは、ベテランから若手まで多くの建築家が手がけた作品において、窓まわりのテキスタイル演出を担当。窓に彩りを加えると、空間がより表情豊かになります。安東さんのこれまでの作品の一部を振り返り、窓の彩りについて考えてみましょう──

  • 「SUS福島工場社員寮」2005年 (株式会社布 在職中作品)
    設計:伊東豊雄建築設計事務所、 写真:阿野太一
September 20, 2017

第1回 光のための開口部

儚く、か弱いけれど、北欧の光には不思議な魅力がある。おそらく、移ろいやすいものだからこそ、北欧の人は太陽の光を特別なものとして、崇めているのではないだろうか。

筆者が北欧デンマークで暮らしたのは2006年から2008年の2年間。住んでみて、北欧のほとんどの家では窓にカーテンをつけないことに気づき、驚いた。家の中が外から丸見えでもお構いなし。むしろ窓辺に花を活けたり、置物を飾ったりして、室内インテリアを自慢気に見せているのである。しかし一番の目的は、太陽の光をなるべく多く室内に取り込むことにある。

September 17, 2015

第1回 フランス窓 ─パリの呼吸と眼─

私がパリで生活を始めて6年が経った。自身の日々の生活が常に変化する中で、パリの街並みは変わることなくそこにあり続ける。通りやセーヌ川の向こう岸に見える小さな窓が並ぶ壁の風景は、私がここにくるずっと前から変わることなく、また室内から窓越しに見える通りの往来は非日常のような賑わいを感じさせるが、それはパリの営みの中で何度も繰り返されている。

窓はパリという都市の歴史や文化の中で、建物の一要素でありながら決して小さくはない役割を持ち、一つの象徴として存在してきたことに疑いはない。一方でパリの生活の中で窓の周りで起きていることのほとんどは、日常的なことであるかあるいは日常の中のほんの些細な変化にすぎないのも事実である。

パリの窓とは? 今現在その本質を率直に答える準備がない。その答えが本当にあるかもわからない。ひとまず、立ち止まってしまいそうなこの問いを前に進めるべく、様々な「パリの窓」の断面を一つずつ切り開いていこうと思う。パリの窓の浮上を期待し、それへの接近を目指して。

September 6, 2016

第一回 トーベ・ヤンソンの窓

写真家ホンマタカシが自身の写真とテキストで切り取る、気になる窓。連載第一回目は、作家・トーベ・ヤンソンへのオマージュとしてささげられた最新の写真集 『A song for windows』から、写真集未収録作品を含む5枚の写真とスケッチをお届けします。

舞台の小屋は、ムーミンで有名なトーベ・ヤンソンが、毎夏20年以上を過ごした、フィンランドの群島にある小さな島にあります。島は、グルリと周囲を歩いて7分くらいの無人島で、小屋のサイズは幅4メートル×奥行き5.45メートル、高さ2.2メートル。

June 28, 2016

第3回 アラブ世界研究所

ひとりの建築家が彗星のごとくこの世に現れ、人々を驚かせることがある。今回取りあげる建築、「アラブ世界研究所」もまた、フランス人建築家、ジャン・ヌーヴェルの存在を世界に知らしめた、初期の代表作である。国際コンペを勝ち抜いたヌーヴェルの提案は、あらゆる人々の度肝を抜かせたことだろう。前回取りあげたル・コルビュジエが窓を横長にぶち抜いてみせたのに対して、ヌーヴェルは建物の正面全身に、不思議な採光窓を纏わせた。意味と敬意と、美しさをもって。

  • photo: James Mitchell
October 5, 2015

記憶を切り取る象徴 あるいは表象の出入口

エアコンから吐き出される空調の音が大きくなり小さくなり、掛け時計の秒針は大げさに鳴り響くように一秒一秒を真っ当に刻む。窓からは茶色がかった山々の稜線と、出所も知れないどこからか漂う煙突の煙が流れているのが見える。視線を部屋に戻し、もう一度窓の外に目を向けたとき、その煙は跡形もなかった。

彼女は、いつだって唐突だ。ある日突然に彼女のソーシャルメディアから、この世の美しさを正しく凝縮したような景色がポストされる。そして私はまた、彼女が創作の旅に出たことを知る。

“窓”。この旅で写されたそのどれもがペーソスにあふれて見えるのは、冬だったからかもしれないし、風邪をひいていたからかもしれないし、もう私が彼女の側にはいないからかもしれない。

これは、彼女と巡った雪の残る東北での記録であり、その前後を彩った旅先での思い出と、共に過ごした10年と少しの軌跡だ。

December 17, 2014

第1回 窓の本棚

建築家の大西麻貴さん、百田有希さん夫婦の若き建築事務所o+hに、「本棚」の制作を依頼。そこからスタートしたプロジェクト。作品完成までを追う、連載コンテンツの第1回目です。

 

“小さな建築のような本棚”をつくってください…!

私たち窓研究所は、「窓は文明であり、文化である。」の思想のもと、窓に特化した研究活動“窓学”を2007年より開始。その研究成果として、これまでに国内で5冊、海外で3冊の書籍を出版いたしました。

しかし、これらの書籍が書店で並ぶ「建築」コーナーは、一般的には“理系の専門書籍が並ぶエリア”。アカデミックな印象が強いため、多くの人に手にとってもらいたいと願う私たちにとって、そのハードルはひとつの課題でした。

こどもから大人までが手に取りたくなる、きっかけづくりが必要。その、プロジェクトをカタチにするパートナーとして、最も適した人は誰なのか。私たちが考え制作を依頼したのが、大西麻貴さん、百田有希さんの建築事務所、o+hでした。

  • 二重螺旋の家(2011)
October 3, 2018

第3回 桂離宮 賞花亭

利休による茶の湯の成立以前から、貴重品であった茶に親しみ、自由に楽しんでいたのは貴族である。その茶室は、「貴族の好み」と呼ばれ、草庵風(田舎家風)の造形のものが多い。一見すると草庵風の素朴な意匠であるが、上品で優雅な意匠をもつ。なお、厳密には茶室でなく、「茶屋」と呼ぶべき自由な創作ゆえ、「亭」と名のつくものが多い。

桂離宮 賞花亭
第3回は、桂離宮・賞花亭をとりあげる。桂離宮には御茶屋が散在し、四季を楽しむ4つの茶屋──秋の月波楼、冬の松琴亭、春の賞花亭、夏の笑意軒──が有名である。
そのうち今回とりあげる賞花亭は、間口二間、奥行き一間半のスペースに、土間を囲むように4枚の畳をコの字型に敷いた腰掛のような亭で、池を掘った土による築山の上に建つ茶屋風の建物である。
賞花亭の北面はすべて開放されており、もはや壁すらない。暖簾がかかるのみであり、池側に向かって眺望が望め、窓も大きく開けられており、周囲の緑に溶け込むような、非常に開放的な構成である。

August 10, 2018

第2回 如庵

利休によって生み出された茶の湯の文化を広め、牽引したのは、戦国武将であるといってよいだろう。利休の高弟である利休七哲が、全て戦国武将であることからも明白である。
当時、茶の湯が戦国武将の間で広く親しまれたのは、こうした武将たちが乱世を忘れ無心で茶と対峙できる静謐な場と時を欲したからともいえよう。生死と隣り合わせの武将たちの茶室、そしてその窓はどのようなものであっただろうか。

 

 

如庵
第2回は、国宝の茶室・如庵を取り上げる。如庵は、戦国武将であった織田有楽(長益)による二畳半台目向切[注1]の小間の席で、利休の待庵とは対極ともいえる茶室である。織田有楽は、かの有名な織田信長の末弟であり、戦国時代を生き抜いた武人であったと同時に、利休と同じ時代に生き、利休十哲に数えられる茶人であった。
当初は京都・建仁寺正伝院にあったが、明治に東京・麻布の三井本邸、そして昭和初期に神奈川・大磯の三井別邸へと移され、現在は愛知県・犬山城の麓の有楽苑にある。
如庵に座せば、一目で天才と分かる。天下人の弟の才たるやこれほどか、と唸らされる茶室である。

April 1, 2015

第2回 窓の本棚

「窓の本棚」プロジェクト第2回。私たち窓研究所は建築事務所o+hに、小さな書店やギャラリーなどで、本の全国巡回展を開催するための什器の制作をお願いしました。作品のコンセプトは、“小さな建築のような本棚”です。今回は、大西麻貴さん、百田有希さんからの提案内容を、ご紹介したいと思います。

大西:今日は模型でお見せします。まだ途中ではあるのですが、広がっていって空間を作る「屏風 (びょうぶ) 案」と、「建物案」の2つをデザインしています。

October 18, 2017

第2回 風景のための開口部

採光、通風、人の通行・・・。開口部には色々な用途がある。いずれも物理的に何かがそこを通過するために開けられたものである。しかしそれ以外の開口部も存在する。ガラスという素材がもつ透過性によって、内部から外部へと向かう視線のために作られた窓、つまりそこにある風景を享受するために設けられた開口部である。物理的な開閉は目的でないため、「羽目殺し」と呼ばれる固定窓になることが多い。

1.「切り取られた風景」──フレーミングされた窓

1-1.美術館

「世界で一番好きな美術館は?」と聞かれたら、迷わず「ルイジアナ現代美術館」と答えるだろう。そして一番のお気に入りがこの展示室である。ジャコメッティの彫刻はいつも同じ位置にあり、変わるのは壁に掛けられた絵画と、窓の向こう側の景色である。フレーミングされた景色はまるで一枚の巨大絵画のようである。季節によって、時間帯によって、天候によって、景色は変わり、いつ行っても歓びと感動を与えてくれる。大きく一歩踏み出した人(ジャコメッティの作品)は永遠に時が止まっているが、その背景にある風景は絶え間なく変化し続けている。

May 23, 2016

第1回 パンテオン

驚異のドームに、一筋の光 パンテオン(イタリア・ローマ)

建物には、いくつかの穴が開いている。そのうち私たちが日常生活の中で触れている穴が、ふたつある。ひとつは「誰か」が出入りするための穴、出入り口。ひとつは「何か」が出入りするための穴、窓。

November 16, 2018

「FREESPACE」を窓から覗く PART 3

HOLY SEE PAVILION/ローマ法王庁パビリオン
アンドリュー・バーマン

キュレーター:
フランチェスコ・ダル・コ(建築史家/ヴェネチア建築大学教授/「カザベラ」編集長)、ミコル・フォルチ(ヴァチカン美術館現代美術部門ディレクター)

参加建築家:
ノーマン・フォスター(英国)、 藤森照信(日本)、フランチェスコ・セリーニ(イタリア)、アンドリュー・バーマン(米国)、ハビエル・コルヴァラン・エスピノラ(パラグアイ)、 フローレス&プラッツ(スペイン)、カーラ・フアサバ(ブラジル)、スミルハン・ラディック (チリ)、エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ(ポルトガル)、ショーン・ゴッドセル (オーストラリア)、マップ・スタジオ:フランチェスコ・マグナーニ+トラウディ・ペルゼル(イタリア)

サンマルコ広場の対岸から運河を挟んで向かい側に浮かぶサン・ジョルジョ・マッジョーレ島は、アンドレア・パラディオが設計したサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会と元・修道院が島のほとんどを占める。1806年、ナポレオンの命令によって修道院が閉鎖された後、ヴィットリオ・チーニ伯爵が1951年に島を買い取るまで、150年にわたり軍事占領され、荒廃していたという。チーニ伯爵が設立したジョルジョ・チーニ財団は、この島を復興・修復し、文化的な拠点とすることを目的としており、元・修道院を拠点にしている。2012年にガラスに関する作品のための展示スペースル・スタンツェ・デル・ヴェトロがオープンし、2014年にその前庭で杉本博司がガラスの茶室「Glass Tea House Mondrian/聞鳥庵」を発表するなど、ビエンナーレを訪れる人々にとっても馴染みの島となりつつある。

2013年からナショナルパビリオンの一つとしてヴェネチア・ビエンナーレに参加しているバチカン市国(国際建築展への参加は初)が今回、敷地としたのは、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の奥にある森。ローマ法王庁文化評議会議長を務めるジャンフランコ・ラバジ枢機卿がコミッショナーとなり、フランチェスコ・ダル・コとミコル・フォルチがキュレーターを務めた。1920年にグンナール・アスプルンドが森の墓地(Skogskyrkogården)に設計した森のチャペルに着想を得て企画されており、建築家たちが「チャペル」をそれぞれの理解で展開している。ヴェネチアに拠点を置くマップ・スタジオが設計したアプルンド・パビリオンと10組の建築家によるバチカン・チャペルと名付けられたフォーリーが豊かな森の中に点在する。

アンドリュー・バーマンが設計したチャペルは、正三角形のプランで、開放された一辺はヴェネチアの潟を見晴らすポーチになっており、何人かで座ることができる。ポーチの裏側にある内部は暗闇の空間で、角の上部にある切り込みから眩しい光が差し込んでおり、自分の内面と向き合う空間となっている。パンテオンが建てられた紀元前から今日にいたっても、高所から光を通す窓は宗教建築がもつ神聖さと切り離せない普遍性を持つ。この島で修道士たちが祈りを捧げていた1000年前から変わらない光が降り注ぐ一角は、ついその下で空を見上げてしまう魅力がある。

  • ©Akiko Tsukamoto (Window Research Institute)
    白く塗装した木の構造に半透明のポリカーボネート板で仕上げてある。内装は黒い塗装の合板である。特定のスタイルを持たず、森の環境になじむように設計されている。
November 15, 2017

第3回 往来のための開口部

開口部の用途のひとつに、物質的なモノの行き来がある。基本的に内部空間と外部空間との境界面に開口部は設けられるものである。そこを通じて人やモノの往来が可能となる。遮断されていた空間が開け放たれ、内部と外部が連続すると、様々な変化が生じる。例えば外部からの刺激として、新鮮な空気が流れ込んだり、鳥のさえずりや波の音など外界の音が耳に入ってきたり、花の芳しい香りがしたり、様々な刺激が加わるであろう。その逆に、内部のアクティビティを外に持ち出し、その境界をなくすこともある。例えば、屋外で食事をしたり、読書したり、音を奏でたり、などの行為が外部と連続するケースである。

今回紹介する開口部は、人の往来を目的に設けられたもので、開放することで内部と外部がシームレスに連続するものを取りあげる。ガラスという透過性のある素材が果たす役割が大きく、視覚的には境界をなくし、外部と連続させている。

1.住宅

庭に面して、ガラスの大きな掃き出し窓が連なっているのが特徴のこの住宅は、デンマークの建築家アルネ・ヤコブセンが設計した《コックフェルトの別荘》(1957年)である。引戸式もしくは蝶番式のガラス窓の開閉によって、内部と外部を行き来できる。居室は一段高いところに設けられ、外部のウッドデッキ(縁側)に出て遠くを見やると、海を望むことができる。ウッドデッキへは各居室から行き来でき、そこから階段を使って庭に下りることができる。芝生が敷き詰められた緑の庭では、ガーデニングパーティやバーベキューが行われたのではないだろうか。

デンマークでは1950年代後半にこれと類似の住宅が多く設計されている。《ハルドー・グンログソン自邸》(1958年)、《ポール・ケアホルム自邸》(1963年)などが知られているが、日本の伝統建築を参照したと言われている。常に時代を先取りするヤコブセンは、それよりも早く「引戸」や「縁側」の仕組みを住宅に取り入れ実現させている。

デンマークに限らずヨーロッパでは「引戸」という概念はなかった。襖で空間をフレキシブルに開閉する日本の住居が彼らにとっては新鮮で、画期的かつ機能的とみなされ、戦後のモダンハウスの潮流となった。日本の雑誌『The Japan Architect』が1956年6月に海外向けに英語で発売されたのをきっかけに、写真で目にする機会が増えたことがその背景にある。引戸を開け放つと、庭を鑑賞するための縁側が設けられ、内部と外部をつなぐ緩衝領域、いわば「中間領域」を形成している。

December 21, 2015

第2回 恐怖と歓楽、そして劇場として

パリの街は20の行政区に分けられている。1区はルーブル美術館があるあたりの地区で地図上でもパリのほぼ真ん中に位置する。その地区から外に広がるように時計周りに螺旋を描いて番号がつけられ、最後の20の番号はパリの東部に位置する。その最後の20区内、ベルヴィル地区にある大学で私はパリでの建築活動を始めた。モンマルトルに次ぐ小高い丘の上にあるこの地区は、現在移民街となっている。学生が集う安く飲めるバーの他に多くの中国系や北アフリカ系の人々が営む店舗があり、あるいは東欧系の人々が多く生活していて、昼夜パリの中心部とはまた違う賑わいとにおいを感じることができる。ベルヴィル通りの坂を登っていけばパリの街を見晴らせるベルヴィル公園がある。ここの公園からのパリの眺めが美しいことから、「美しい街」という意味のベルヴィル(Belleville)がこの地区の名前になったと言われている。

  • パリの行政区
September 17, 2015

第1回 煉瓦色のシークエンスを辿って

意外に感じるかもしれないが、ロンドンという都市の良いところは“乱雑”さにあると思う。実はロンドンでは、街のいたるところで異なる時代背景をもつ要素が、互いの領域をオーバーラップさせながら共存している。例えば、個々の建物のスケールで見てみれば、その多くが度重なる改築や増築によって更新されていて、新旧の境界を見極めるのは難しいことがわかる。また、街区の構成を取ってみても、歴史的に都市全体のプランニングが実施されることがなかったこの街には、グリッドや幾何学的な軸といった基本的ロジックは存在せず、それぞれの場所をつなぎ合わせるように有機的な街路のネットワークが広がっている。

人間のスケールを超えた高層ビルが建つシティ・オブ・ロンドンの金融街を歩いていても、街路自体は18世紀ジョージアン時代の曲がりくねった構成のままで、不思議なミスマッチ感を覚える。この街のイメージは、曖昧な境界を持つ個々の要素の無造作な連続体、つまりシークエンスとして形成されているように感じる。ロンドンが「村の集合体」としばしば言われるのにも納得がいく。

  • 新旧が共存するロンドンの街並み
December 5, 2014

第1回 アンデス山脈水平事情

この窓に関するコラムをどう展開していくべきか、少し戸惑っている。というのも柱、床、階段、屋根などなど数ある建築を構成する要素の中で、僕はこれまであまり「窓」というものについて注意を払ってこなかった。なので、ありたいていの手法かもしれないが、まずは言葉の起源から探ってみることにする。

僕が今暮らしているチリは公用語はスペイン語。スペイン語で窓は「Ventana=ヴェンタナ」。これはラテン語の「Ventus(風)」から来ているとされている。それに付随したスペイン語の単語だとViento(風)、Ventilacion(換気)なども挙げられる。なので、やはりスペインでは窓は風や空気にまつわる言葉なのだ。とりわけ、アラビアの影響を強く受けた歴史深いスペイン南西部アンダルシア地方の強烈な日差しと、砂埃の舞う強風が吹く痩せた土地においては。この辺りは、ペドロ・アルモドバルの映画 “Volver” などを見ると、その窓の語源についても、イメージが喚起される。

しかし幾ら語源を探求してみたところで、ラテンアメリカ諸国の多くは既にオリジナルの言語を放棄し、16世紀の大航海時代に押し寄せた外来のスペイン語に上書きされてしまった。ここ500年ほどの文化的歴史を紐解いてみても、あまり深みのある含蓄は得られそうにない。だから、もっと自分がこのチリと言う国で暮らしてみて、旅してみて感じたことからこのコラムを積み立てていこうと思う。つまり、3年弱この国で過ごして窓について感じたこと。それは窓のごく基本的な作用のひとつ、風景を切り取るということへの執念だ。

  • 圓通寺、京都、1678年
October 15, 2018

第22回 インド・キッバル「かくれた穴」(後編)

高地の朝は寒かった。
しかし、宿の3階にあるテラスに出てみると驚くほどあたたかい。たしかに気温は低いのに、太陽の下は暑いぐらいである。むしろ、痛いほどの日差しが降り注ぐ。思えばチベット人は皆、鼻や頬の上が真っ黒に日焼けしている。彼らの顔は、高地に住む人間ゆえの太陽との近さを物語る。タルチョ(チベット仏教の五色の旗)がはためくテラスを見渡すと、キッバル村での様々な生活風景を覗くことができる。

  • 宿の3階テラス
June 19, 2018

第1回 ヴェッサーリコ村のニンニクの窓

さんさんと降り注ぐ太陽の下で育てられるレモン、カビを生やすことで芳醇な風味に熟成される生ハム、風通しのよいパーゴラの下で育てられる葡萄からつくられるワイン。魅力的なイタリアの食べ物がつくられる風景には、パーゴラや熟成室など各地域独特の建築がみられる。イタリアの食べ物は、このような地域特有の気候や地理を活かした建築との関わりのなかで生み出されているのではないだろうか。そんな問いを持ったことから、私は2016年2月から一年間イタリアに留学し、食と建築の調査を行なった。その際に研究対象としたのが、スローフードによって保護される伝統的食品群だ。

スローフードは、1986年にローマのスペイン広場にマクドナルドが開店する際に、イタリアの食文化が失われることを危惧して反対運動が起きたことを発端に、ワイン・フードジャーナリストであったカルロ・ペトリーニによって立ち上げられた団体である。ペトリー二は、自著の冒頭で以下のように述べている。「ガストロノモ(美食家)とは感性を研ぎ澄まし自分の舌を肥やすことから、その食べ物がどんなものでどのように作られたかまでを視野に入れている人間なのである。」

スローフードは、伝統的、地域的な食文化が失われてしまうことを危惧し、指定した食品にロゴマークをつけることで市場に流通させやすくする保護活動や、生産者や料理人、消費者のネットワークをつくる活動を行なっている。今回の研究対象としたワインやチーズ、生ハム、野菜、果物などのスローフードに登録される食品は、光や熱、風、冷気や湿気などの地域特有の気候や地理的条件といった身の回りの自然を活かしながら生産されている。

そこで、このコラムのシリーズでは研究事例の中から気候や地形と密接に関わる建築部位である窓に着目し、スローフードに登録される地域固有の伝統食のおいしさと、身の回りの自然を活用する窓との関係に迫る。

 

今回はその中からイタリア北部のピエモンテ州に位置するヴェッサーリコ村のニンニクの生産に関わる窓について紹介したい。

March 8, 2016

第2回 奥行きがもたらす生活の深み

朝の空気が冷たくパリッとするようになり、サマータイムの終了がいよいよ秋の終わりを告げ、長い冬の訪れを知らせてくれた。ヨーロッパ各国で実施されているこのサマータイムという制度は、3月末から7ヶ月の間、標準時間を1時間進めるというもので、その起源は20世紀初めの英国人建築業者ウィリアム・ウィレットの提言に遡る。彼はある夏の朝、とっくに太陽が昇っているにもかかわらず、街の人々が家の鎧戸を閉めたまま眠っている状況を見て、せっかくの日光が浪費されているように感じたという。やがてウィレットは“The Waste of Daylight”と題したパンフレットを刊行し、標準時間の調整によって日照時間を有効活用することの意義を説いた。実際に制度として導入されたのはその十数年後の1916年のことであった。
第一次世界大戦が始まると資源の節約が英国政府の切実な関心事となり、石炭の消費量の抑制を目的として日光の活用が採用されたのだ。

  • ハイドパークもすっかり秋模様。夏には日光浴を楽しむ人々で賑わっている。
July 8, 2013

中野正貴『東京窓景』

東京の風景を“窓”越しに捉えたこの写真集は、さまざまな東京の“窓辺”へと私たちを誘い、その部屋の住人だけが目にしている東京の日常風景を見せてくれます。いわば、住人それぞれが持っている「個人的な東京」を“窓辺”ごと、切り取って集めた1冊です。

“窓”の向こうにあるのは、私たちがパソコンやTV画面を通して何度となく目にしている、あるいは通行人として実際に紛れたことのある、よく見慣れた東京の姿です。しかし、“窓”の内外を合わせて目にする東京の姿には多くの発見があり、とても新鮮に映ります。例えば、私たちが意識している風景と、見えていても見過ごしている風景との対比。目まぐるしく変化し続ける都市の時間軸と、そこに暮らす個人の時間軸との対比。“窓辺”にあふれる住人それぞれの個性の対比もあります。

ところで、この写真集に収められた東京の風景が、どこかよそよそしく、私たちに不安な感情をも呼び起こすのはなぜでしょう。とある部屋の住人になり代わって“窓”を眺める私たちの目には、東京に暮らす無数の人々の存在が、都市のエネルギーとなって感じられます。その存在は、まぎれもなく私たちの生活の一部となっているのですが、“窓”を隔てた別世界の住人模様として眺めることも可能なので、フィクションのように感じます。実際に私たちは、“窓”の内外を行き来しながら、確かな自分とおぼろげな自分とを演じ分けているのかもしれません。

作者は巻末でこう述べています。「人々はパソコンや携帯電話の画面の中の仮想現実の風景に、より親近感を覚え始めた。内側へ内側へと侵食する腐食物は、人々の現実味を鈍麻させる。虚構から虚構を創り出すその根拠のない連鎖反応は、人々をニヒリズムへと導く。いつの頃からか我々東京人は、混沌とした都市全体を正視することを拒否した。」

“窓”は本来、私たちと現実の都市とをつなぐものでもあります。しかし、この写真集には“窓”に隔てられた「2つの東京」の姿があります。現実味ある内側の東京と、仮想現実化して見えだした外側の東京。“窓”越しに2つを重ね合わせ、「1つになった東京」の姿を想像することが、都市に生きる私たちにとって必要なのでしょう。さあ、あなたの住む“窓辺”は、あなたの街とどのようにつながって見えますか?

 

『東京窓景』
著者|中野正貴
出版|河出書房新社
出版年|2004年
定価|2,900円+税

March 9, 2015

庭園美術館の窓

Sumally (サマリー) 』とは、“Want(欲しい)”、“Have(持っている)”の2つでモノを分類していく「この世界に存在するすべてのモノの”百科事典”」をコンセプトに誕生した、ソーシャルネットワーキングサービスだ。そのSumallyの立ち上げ人でCEOの山本憲資氏は、ファッションカルチャー誌で編集者として活躍した経歴を持つ。現在でもトレンドカルチャーを体感することは欠かさない山本氏が、2014年11月にリニューアルオープンした東京都庭園美術館に足を運んだ。アール・デコ様式の建築が生み出す、窓と光の関係についての考察──

November 4, 2018

「FREESPACE」を窓から覗く PART 2

アルセナーレ会場
ROZANA MONTIEL ESTUDIO DE ARQUITECTURA

メキシコを拠点とするロザナ・モンティエルにとっての「FREESPACE」は、空間を自由にすることと、自由に振る舞うことであり、場所づくりのアクションのための空間である。また彼女は、建築を「social construction(社会的建設)」となぞらえ、「美しさとは贅沢なものではなく、要件と機能から切り離すことはできない基本的なサービスである」という。

「Stand Ground」というこのインスタレーションは、中世の国立造船所跡であるアルセナーレ会場にある、コルデリエ(Corderie)と呼ばれる船を係留するロープなどの製造所だった長い柱廊の空間にある。「change barriers into boundaries(障壁を境界に変える)」という彼女の設計理念をそのまま表すように、垂直に立っていた壁面が地面に敷かれた。アーチ型の窓もそのまま再現された床になった壁面の代わりに、外部世界のいきいきとした生活の様子がわかる映像が壁面に投影されている。垂直に空間を隔てていた壁を壊すことで、閉ざされた展示空間と窓から見える風景が一体になっており、通常は垂直に見ている窓が平面となり、その横を歩くという不思議な体験ができる。展示壁は、リサイクルされたヴェネチアの煉瓦を使用し、実寸で床に再現された。

彼女は建築を作るというプロセスによって、その場所が変わるということに正面から取り組み、その場所を活性化させる「FREESPACE」を作るために以下の実践を行なっている。

1. コンテクストの中でコンテンツを探すーコミュニティとの協力
2. 障壁を水平線に転換するーオープンなコミュニケーション
3. 空間の認識を変えるー創造的に空間を使う
4. 周辺景観を既存要件とするー既存のインフラの再活用
5. マテリアルを再指定するーテクスチャーで場の雰囲気を作り出す
6. 一時的に働くー都度の要求の変化に対応
7. 美しさは基本的な権利の一つであると信じる

  • 壁面には、壁面の向こうのヴェネチアの運河の様子が同時中継で投影されている。
    Photo by Sandra Pereznieto
June 13, 2016

第3回 華やいだ通りの情景

パリの街を散歩するのは楽しい。異なる時代に異なる理由で生まれた道が交錯し、通りを行けば幅の違う道に様々な時代の建物やカフェやショップを発見することができる。通りにはショーウィンドウが連続していて季節によって様々な華やかさ賑やかさ楽しさがある。通りから一歩人通りの少ない路地へ入り込むと、陽の光は弱まって通りにあった喧騒は遠く離れていく。通り抜けに使ったパサージュは美しく、またそこも季節によって彩られている。中心部を少し離れると、変化に富んだ道が現れ始める。かつてパリの外側の村だった時代の名残である。坂を登り切った場所から今来たパリの街を一望することができる。

  • Passage Jouffroy のショーウィンドウ