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コラムやレポート

June 25, 2020

穂村弘 短歌に詠われた窓たち(後編)

歌人・穂村弘さんが振り返り、考察してゆく、短歌にさまざまに詠われてきた「窓」。古代から現代へとたどってきた前編に引き続き、この後編ではさらに、車窓や病院など動く/動かざる空間における「窓」、果ては想像の空間やヴァーチャルな世界における「窓」までも考えていきます。
歌が生の皮膜に触れようとするとき、そこにふと現れる「窓」は、とても印象的です。


【車窓】

前回は、我々が日々の暮らしの中で、毎日のように目にする窓についての短歌を紹介した。具体的には部屋の窓、教室の窓、会社の窓である。今回は、そこからさらに範囲を広げて、さまざまな窓たちに目を向けてみよう。まず始めは乗り物の窓である。​

太陽を機窓船窓車窓にと嵌めて見にけり今日一日に  丹羽利一​

旅の歌である。にも拘わらず、旅先の珍しい風景などではなく、どこにいても見える「太陽」を詠っているところがユニークだ。ただし、特別な点がある。作中の〈私〉は一日の間に飛行機、船、そして電車(もしくは車、バス)と乗り換えながら、それぞれの窓越しに「太陽」を見たのである。「機窓」「船窓」「車窓」という窓の変化によって、一つでありながら別のもののような不思議な「太陽」を感じたのだろう。​

車窓から見える景色は抜歯屋がペンチをならべ微笑むインド  大西ひとみ​

こちらは素直に旅先の景色。と云いつつ、車窓から見えたのはなんと「抜歯屋」である。並んだペンチを見ても、教えられなければなんだかわからないだろう。そんな商売があるとは、さすがインド。​

食堂車の窓いっぱいの富士山に驚くお父さん、お母さん、僕  穂村弘​

一方、こちらは日本の風景。だが、時間的には遡って昭和である。現在では電車の高速化によって「食堂車」はほとんど絶滅しかけているらしい。必然的に「食堂車の窓」というものも、この世から消え去ってしまうことになる。​

助手席に座る人にも役割がほしくてすべての窓を開いた  鈴木晴香​

ドライブをしているのだろう。「助手席に座る人」の「役割」が地図のナビゲーションとか音楽をかけるとか運転者に飲み物を飲ませることではなく、「すべての窓」を開くというところが面白い。そんなことをしても実質的な意味は限りなくゼロに近い。でも、その無駄こそがきらきらした青春の空気感を生んでいる。​

するするとトナリの車の窓が開き「おばさん九十位?」と坊や  正田敬子​

わざわざ窓を開けてそんなことを聞いてくるとは、ずいぶん失礼な話。だが、短歌になると妙に面白い。「坊や」という表現に作者の心の余裕が感じられる。前の歌も同様だが、この世には開く窓と開かない窓の二種類があることを改めて思う。

May 13, 2020

穂村弘 短歌に詠われた窓たち(前編)

古代から現代まで、短歌が織りなしてきた言語表現の小宇宙。その中には、物言わぬまま私たちの日々に溶け込んできた「窓」が、印象的に詠われている歌も見受けられます。
歌作のみならず、歌論も多く手がけてきた歌人・穂村弘さんが全2回で振り返り、考える「窓の歌」たち。その歌もまた、私たちが世界を感じる「窓」なのかもしれません。


【古代の窓、近代の窓​】

今回、改めて調べてみて気づいたのだが、窓という言葉の起源は古い。我が国最古の歌集である万葉集にも既に現れている。​

窓越しに月おし照りてあしひきの嵐吹く夜は君をしそ思ふ  作者未詳『万葉集』

窓越しに月が照り渡って山風が吹く夜はあなたのことがしきりに思われる。そのように詠われた作者の思いは、現代の我々のそれと変わるところがないようだ。当時の窓は明かり採りの高窓だったらしい。​
そんな窓に大きな変化が起こるのは近代になってからのことである。

朝な夕なガラスの窓によこたはる上野の森は見れど飽かぬかも  正岡子規​​

朝となく夕となく一日中眺めていても窓からの上野の森の景色は見飽きることがない。ごく普通の内容に思えるが、実はここには特別な感情が込められている。ポイントは「ガラス」である。​

「なによりもまず窓にガラスが入ったということが近世以前と異なる条件だが、子規の歌はとくに、病床の窓にガラスを贈られ、横臥して庭を見ることが出来たところより歌われたもので、ガラスが透明である、というあたりまえのことが、新鮮であった喜びである」​『岩波現代短歌辞典』より​

May 18, 2018

第1回 妙喜庵待庵

文化・宗教が色濃く存在し、建物にも装飾が用いられるのが当たり前だった時代において、あえて華美な装飾をあしらわずにつくられた特異な建物、それが茶室である。茶が主役とはいえ、四時間にも及ぶ茶事で客を退屈させないために、そこには一見して分かる装飾が無くとも、さまざまな工夫が隠されている。本連載では日本建築に大きな変化をもたらした茶室の窓に着目し、その特色を解説していく。

妙喜庵待庵
第1回として、国宝の茶室・妙喜庵待庵を取り上げる。待庵は、利休がつくったとされる二畳敷隅炉[注1]の席で、現存する日本最古の茶室とされている。待庵なしにはそれ以降の茶室が成立しないと言い切れる、非常に重要な茶室である。

June 9, 2020

滝口悠生 │ 第2回 サジヤ(渋谷・神山町)

窓からのぞく部屋の様子、窓から外を眺めると見える景色、移りゆく車窓の風景。人の生活に曖昧な境界線として存在し続ける窓は、当たり前のようにそこにありつつ、ときに風景を絵画のようにも切りとります。小説家  滝口悠生さんとともに窓のある風景を巡り、その窓に寄り添う人の様々に耳を傾けます。

渋谷の喧騒を抜け、「奥渋」といわれるエリアに入る遊歩道沿いに料理とワインの店「サジヤ」があります。田中さんと池上さんのおふたりが10年近くこの場所で営んでいるお店です。まず目に入るのがふたつの古い窓で、なんとも愛嬌のある見た目。おふたりとこの窓との関係が気になり、滝口さんと訪問しました。

 

March 28, 2019

写真は窓辺で生まれる―写実への闘い

先駆者たち(1) ニエプスとダゲール

Photographieの実験報告で紹介した比率にもとづき、多量の水で硝酸を薄め、硝酸銀溶液を配合した。はじめて硝酸銀溶液を作る場合も、同様の報告を参考にされたい。薄紙の片面を硝酸銀溶液で濡らしてカメラオブスクラ1 の背面に配置し、縁を貼り付け、平らの状態を保った。窓の外の住宅のイメージを薄紙にしっかりと写すために、カメラオブスクラのレンズが住宅と平行なるようにセットした。この状態でカメラオブスクラを放置し、2時間後に戻ると、光に照らされた硝酸銀が茶色に変色していることが確認できた。2

September 17, 2015

第1回 フランス窓 ─パリの呼吸と眼─

私がパリで生活を始めて6年が経った。自身の日々の生活が常に変化する中で、パリの街並みは変わることなくそこにあり続ける。通りやセーヌ川の向こう岸に見える小さな窓が並ぶ壁の風景は、私がここにくるずっと前から変わることなく、また室内から窓越しに見える通りの往来は非日常のような賑わいを感じさせるが、それはパリの営みの中で何度も繰り返されている。

窓はパリという都市の歴史や文化の中で、建物の一要素でありながら決して小さくはない役割を持ち、一つの象徴として存在してきたことに疑いはない。一方でパリの生活の中で窓の周りで起きていることのほとんどは、日常的なことであるかあるいは日常の中のほんの些細な変化にすぎないのも事実である。

パリの窓とは? 今現在その本質を率直に答える準備がない。その答えが本当にあるかもわからない。ひとまず、立ち止まってしまいそうなこの問いを前に進めるべく、様々な「パリの窓」の断面を一つずつ切り開いていこうと思う。パリの窓の浮上を期待し、それへの接近を目指して。

August 10, 2018

第2回 如庵

利休によって生み出された茶の湯の文化を広め、牽引したのは、戦国武将であるといってよいだろう。利休の高弟である利休七哲が、全て戦国武将であることからも明白である。
当時、茶の湯が戦国武将の間で広く親しまれたのは、こうした武将たちが乱世を忘れ無心で茶と対峙できる静謐な場と時を欲したからともいえよう。生死と隣り合わせの武将たちの茶室、そしてその窓はどのようなものであっただろうか。

 

 

如庵
第2回は、国宝の茶室・如庵を取り上げる。如庵は、戦国武将であった織田有楽(長益)による二畳半台目向切[注1]の小間の席で、利休の待庵とは対極ともいえる茶室である。織田有楽は、かの有名な織田信長の末弟であり、戦国時代を生き抜いた武人であったと同時に、利休と同じ時代に生き、利休十哲に数えられる茶人であった。
当初は京都・建仁寺正伝院にあったが、明治に東京・麻布の三井本邸、そして昭和初期に神奈川・大磯の三井別邸へと移され、現在は愛知県・犬山城の麓の有楽苑にある。
如庵に座せば、一目で天才と分かる。天下人の弟の才たるやこれほどか、と唸らされる茶室である。

October 18, 2017

第2回 風景のための開口部

採光、通風、人の通行・・・。開口部には色々な用途がある。いずれも物理的に何かがそこを通過するために開けられたものである。しかしそれ以外の開口部も存在する。ガラスという素材がもつ透過性によって、内部から外部へと向かう視線のために作られた窓、つまりそこにある風景を享受するために設けられた開口部である。物理的な開閉は目的でないため、「羽目殺し」と呼ばれる固定窓になることが多い。

1.「切り取られた風景」──フレーミングされた窓

1-1.美術館

「世界で一番好きな美術館は?」と聞かれたら、迷わず「ルイジアナ現代美術館」と答えるだろう。そして一番のお気に入りがこの展示室である。ジャコメッティの彫刻はいつも同じ位置にあり、変わるのは壁に掛けられた絵画と、窓の向こう側の景色である。フレーミングされた景色はまるで一枚の巨大絵画のようである。季節によって、時間帯によって、天候によって、景色は変わり、いつ行っても歓びと感動を与えてくれる。大きく一歩踏み出した人(ジャコメッティの作品)は永遠に時が止まっているが、その背景にある風景は絶え間なく変化し続けている。

March 18, 2020

窓辺のひとびと │ 岸辺幼稚園(代々木上原)

窓からのぞく部屋の様子、窓から外を眺めると見える景色、移りゆく車窓の風景。人の生活に曖昧な境界線として存在し続ける窓は、当たり前のようにそこにありつつ、ときに風景を絵画のようにも切りとります。小説家  滝口悠生さんとともに窓のある風景を巡り、その窓に寄り添う人の様々に耳を傾けます。

まず訪れたのは東京の住宅街にある幼稚園の窓辺です。岸辺幼稚園は日本で初めてつくられた私立の幼稚園で、百年近くこの土地で子どもたちを見守ってきました。朝の登園の騒がしさも落ち着いたころ、園長であり創設者の孫にもあたる中島茂子さんにお会いし、時折園児たちの声が園庭や教室から聞こえる園長室でそっと話をうかがいました。

 

March 18, 2015

窓の彩りを考える

テキスタイルコーディネーター/デザイナーの安東陽子さんは、ベテランから若手まで多くの建築家が手がけた作品において、窓まわりのテキスタイル演出を担当。窓に彩りを加えると、空間がより表情豊かになります。安東さんのこれまでの作品の一部を振り返り、窓の彩りについて考えてみましょう──

  • 「SUS福島工場社員寮」2005年 (株式会社布 在職中作品)
    設計:伊東豊雄建築設計事務所、 写真:阿野太一
September 20, 2017

第1回 光のための開口部

儚く、か弱いけれど、北欧の光には不思議な魅力がある。おそらく、移ろいやすいものだからこそ、北欧の人は太陽の光を特別なものとして、崇めているのではないだろうか。

筆者が北欧デンマークで暮らしたのは2006年から2008年の2年間。住んでみて、北欧のほとんどの家では窓にカーテンをつけないことに気づき、驚いた。家の中が外から丸見えでもお構いなし。むしろ窓辺に花を活けたり、置物を飾ったりして、室内インテリアを自慢気に見せているのである。しかし一番の目的は、太陽の光をなるべく多く室内に取り込むことにある。

June 2, 2020

電動窓

スイッチやリモコン操作により、主に電気による動力で開閉できる窓を「電動窓」と呼ぶ。直接触れずに開閉が行えることから手の届かない場所への設置や重量のある窓を開閉させる用途に使われる。近年はインターネットテクノロジーと結びつくことでスマートフォンからの開閉操作も可能になっている。

June 28, 2016

第3回 アラブ世界研究所

ひとりの建築家が彗星のごとくこの世に現れ、人々を驚かせることがある。今回取りあげる建築、「アラブ世界研究所」もまた、フランス人建築家、ジャン・ヌーヴェルの存在を世界に知らしめた、初期の代表作である。国際コンペを勝ち抜いたヌーヴェルの提案は、あらゆる人々の度肝を抜かせたことだろう。前回取りあげたル・コルビュジエが窓を横長にぶち抜いてみせたのに対して、ヌーヴェルは建物の正面全身に、不思議な採光窓を纏わせた。意味と敬意と、美しさをもって。

  • photo: James Mitchell
September 6, 2016

第一回 トーベ・ヤンソンの窓

写真家ホンマタカシが自身の写真とテキストで切り取る、気になる窓。連載第一回目は、作家・トーベ・ヤンソンへのオマージュとしてささげられた最新の写真集 『A song for windows』から、写真集未収録作品を含む5枚の写真とスケッチをお届けします。

舞台の小屋は、ムーミンで有名なトーベ・ヤンソンが、毎夏20年以上を過ごした、フィンランドの群島にある小さな島にあります。島は、グルリと周囲を歩いて7分くらいの無人島で、小屋のサイズは幅4メートル×奥行き5.45メートル、高さ2.2メートル。

July 11, 2019

写真は窓辺で生まれる―象徴と写実

先駆者たち(2) タルボット

「大通りの眺め、パリにて」、1843年

1843年5月から6月にかけて、ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットはイギリスを離れフランスに滞在していた。旅の目的は有望なカロタイプ技術者の育成、そして海峡を挟んだ向こう側にも自身の技法を広め、商業的成功を収めること。ダゲールのそれに比べ、彼の手法は紙をベースにしたネガを用いることで複数枚のプリントを作成することができるという大きな利点を持っていた。熱心なアシスタントであったニコラス・ヘンネマンの協力のもと、機材と共にレイコック・アビーから400マイルもの旅路を経て、パリ中心部、「テュイルリー宮殿を正面に見据える、カルーゼル広場に面した背の高い寂れた建物」1にスタジオを開いた。イポリット・バヤール(自身の発明に目を向けようとしないフランス政府に対する抗議として、1840年10月に自ら被写体となり撮影した「溺死した男」の写真で知られる)、アンリ・ヴィクトル・ルニョー、ジャン=バティスト・ビオ、アルマン・フィゾーやジャン・ルイ・ラセーニュなど紙ネガを使用した写真の先駆者たちは、5月29日の夜にタルボットと夕食を共にした後も、彼のスタジオに通っていたようだ。

October 3, 2018

第3回 桂離宮 賞花亭

利休による茶の湯の成立以前から、貴重品であった茶に親しみ、自由に楽しんでいたのは貴族である。その茶室は、「貴族の好み」と呼ばれ、草庵風(田舎家風)の造形のものが多い。一見すると草庵風の素朴な意匠であるが、上品で優雅な意匠をもつ。なお、厳密には茶室でなく、「茶屋」と呼ぶべき自由な創作ゆえ、「亭」と名のつくものが多い。

桂離宮 賞花亭
第3回は、桂離宮・賞花亭をとりあげる。桂離宮には御茶屋が散在し、四季を楽しむ4つの茶屋──秋の月波楼、冬の松琴亭、春の賞花亭、夏の笑意軒──が有名である。
そのうち今回とりあげる賞花亭は、間口二間、奥行き一間半のスペースに、土間を囲むように4枚の畳をコの字型に敷いた腰掛のような亭で、池を掘った土による築山の上に建つ茶屋風の建物である。
賞花亭の北面はすべて開放されており、もはや壁すらない。暖簾がかかるのみであり、池側に向かって眺望が望め、窓も大きく開けられており、周囲の緑に溶け込むような、非常に開放的な構成である。

November 15, 2017

第3回 往来のための開口部

開口部の用途のひとつに、物質的なモノの行き来がある。基本的に内部空間と外部空間との境界面に開口部は設けられるものである。そこを通じて人やモノの往来が可能となる。遮断されていた空間が開け放たれ、内部と外部が連続すると、様々な変化が生じる。例えば外部からの刺激として、新鮮な空気が流れ込んだり、鳥のさえずりや波の音など外界の音が耳に入ってきたり、花の芳しい香りがしたり、様々な刺激が加わるであろう。その逆に、内部のアクティビティを外に持ち出し、その境界をなくすこともある。例えば、屋外で食事をしたり、読書したり、音を奏でたり、などの行為が外部と連続するケースである。

今回紹介する開口部は、人の往来を目的に設けられたもので、開放することで内部と外部がシームレスに連続するものを取りあげる。ガラスという透過性のある素材が果たす役割が大きく、視覚的には境界をなくし、外部と連続させている。

1.住宅

庭に面して、ガラスの大きな掃き出し窓が連なっているのが特徴のこの住宅は、デンマークの建築家アルネ・ヤコブセンが設計した《コックフェルトの別荘》(1957年)である。引戸式もしくは蝶番式のガラス窓の開閉によって、内部と外部を行き来できる。居室は一段高いところに設けられ、外部のウッドデッキ(縁側)に出て遠くを見やると、海を望むことができる。ウッドデッキへは各居室から行き来でき、そこから階段を使って庭に下りることができる。芝生が敷き詰められた緑の庭では、ガーデニングパーティやバーベキューが行われたのではないだろうか。

デンマークでは1950年代後半にこれと類似の住宅が多く設計されている。《ハルドー・グンログソン自邸》(1958年)、《ポール・ケアホルム自邸》(1963年)などが知られているが、日本の伝統建築を参照したと言われている。常に時代を先取りするヤコブセンは、それよりも早く「引戸」や「縁側」の仕組みを住宅に取り入れ実現させている。

デンマークに限らずヨーロッパでは「引戸」という概念はなかった。襖で空間をフレキシブルに開閉する日本の住居が彼らにとっては新鮮で、画期的かつ機能的とみなされ、戦後のモダンハウスの潮流となった。日本の雑誌『The Japan Architect』が1956年6月に海外向けに英語で発売されたのをきっかけに、写真で目にする機会が増えたことがその背景にある。引戸を開け放つと、庭を鑑賞するための縁側が設けられ、内部と外部をつなぐ緩衝領域、いわば「中間領域」を形成している。

April 22, 2020

高所用窓

吹き抜けなどの高いところに設置し、暖かい空気が上へと移動する性質を利用した「重力換気」を可能にする窓。スイッチやリモコン操作、もしくはボールチェーン(手動)で開閉を行う。ボールチェーンによる開閉が特徴的で、窓を開閉させる軸とチェーンが連動しており遠隔でチェーンを引くと窓が開閉する。

January 14, 2020

第5回 北イタリア・モデナの
“伝統的な”バルサミコ酢

ぶどうから造られる果実酢で、イタリア料理には欠かせない調味料、バルサミコ酢。北イタリアの都市モデナでは中世より貴族や皇帝の間で疲労回復や消化剤の薬として使用されていた。モデナがバルサミコ酢発祥の地といわれるのは、バルサミコ酢の原料となるぶどうの品種[注1]にとって土壌や地形、気候の条件が最適であったこと、そしてバルサミコ酢を熟成させる際に必要な温度が最適であったことが挙げられる。

中でも今回とりあげるモデナのバルサミコ酢は“伝統的な”バルサミコ酢と呼ばれ、通常のバルサミコ酢とは区別されている。違いはその生産方法にある。普段スーパーなどで目にするような一般的なバルサミコ酢の場合、木樽で3、4年ほど酢酸発酵させた後に、ワインビネガー[注2]、着色料、香料、カラメルなどを添加して造られるが、“伝統的な”バルサミコ酢は何も添加せず、10年以上もの年月をかけ、木樽で熟成されることで生み出されるのだそうだ。これらは厳密にはスローフードに登録されていないものの、“伝統的な”バルサミコ酢として認定されるためには、欧州連合によって定められた厳しい審査をクリアし、D.O.P[注3]に認められる必要がある。

こうした方法でバルサミコ酢の生産をおこなうのが、今回目指す醸造所「アチェタイア・セレニ」だ。蒸留所まではアペニン山脈の麓に点在する丘陵地を縫うように、坂道を何度も上り下りしなければならない。醸造所を訪れたのは10月頃で、ちょうど紅葉でぶどう畑が色づき始めた頃だった。

  • 赤と黄に色づくモデナの丘陵地の景色
May 23, 2016

第1回 パンテオン

驚異のドームに、一筋の光 パンテオン(イタリア・ローマ)

建物には、いくつかの穴が開いている。そのうち私たちが日常生活の中で触れている穴が、ふたつある。ひとつは「誰か」が出入りするための穴、出入り口。ひとつは「何か」が出入りするための穴、窓。

December 18, 2019

両開き窓

戸がそれぞれ左右の端部を軸に、中央から左右に水平回転する開き方。内側に開くものと外側に開くものとがある。左右の戸が同寸で1方向に開くものを「観音開き」、左右を大小の戸にするものを「親子開き」という。16世紀以降フランスで使われている掃き出しの観音開きの窓を「フレンチウィンドウ」と呼ぶ。

April 1, 2015

第2回 窓の本棚

「窓の本棚」プロジェクト第2回。私たち窓研究所は建築事務所o+hに、小さな書店やギャラリーなどで、本の全国巡回展を開催するための什器の制作をお願いしました。作品のコンセプトは、“小さな建築のような本棚”です。今回は、大西麻貴さん、百田有希さんからの提案内容を、ご紹介したいと思います。

大西:今日は模型でお見せします。まだ途中ではあるのですが、広がっていって空間を作る「屏風 (びょうぶ) 案」と、「建物案」の2つをデザインしています。

February 3, 2020

Ch.2 フレーム―視覚的な装置、あるいはトロンプ・ルイユ(だまし絵)としての窓

マンテーニャからライアン・ガンダーまで

 

アーティストは外の世界と対峙したり、自己の内面を見つめるものであるが、いずれにせよ多くの場合、「窓」という枠組みの制限を受ける。直方体のキャンバスや白紙を埋めていくよう期待され、逃れることはできないが、数え切れないほど多くの可能性や果てしない宇宙で画面を満たすことなど、不可能だ。窓やキャンバス、白紙は外へと通じる開口部で、全体のほんの一部分に過ぎず、目に見える現実世界のわずかな片鱗のみを映し出している。窓やアート作品とは限りある画面であり、やむなく妥協した末の、断片に過ぎない出口あるいは入り口といえる。一方で、テレビ画面、本のページ、写真、スマートフォンやタブレットなど、現代生活の大部分にそうした直線的な境界線の介在が増えていることもまた事実だ。こうしたいわば「窓」は、制限ある視野をもたらすものというよりは、異世界へつながる魔法の扉、あるいは不可思議で本物とみまごう描写といえるだろう。

December 5, 2014

第1回 アンデス山脈水平事情

この窓に関するコラムをどう展開していくべきか、少し戸惑っている。というのも柱、床、階段、屋根などなど数ある建築を構成する要素の中で、僕はこれまであまり「窓」というものについて注意を払ってこなかった。なので、ありたいていの手法かもしれないが、まずは言葉の起源から探ってみることにする。

僕が今暮らしているチリは公用語はスペイン語。スペイン語で窓は「Ventana=ヴェンタナ」。これはラテン語の「Ventus(風)」から来ているとされている。それに付随したスペイン語の単語だとViento(風)、Ventilacion(換気)なども挙げられる。なので、やはりスペインでは窓は風や空気にまつわる言葉なのだ。とりわけ、アラビアの影響を強く受けた歴史深いスペイン南西部アンダルシア地方の強烈な日差しと、砂埃の舞う強風が吹く痩せた土地においては。この辺りは、ペドロ・アルモドバルの映画 “Volver” などを見ると、その窓の語源についても、イメージが喚起される。

しかし幾ら語源を探求してみたところで、ラテンアメリカ諸国の多くは既にオリジナルの言語を放棄し、16世紀の大航海時代に押し寄せた外来のスペイン語に上書きされてしまった。ここ500年ほどの文化的歴史を紐解いてみても、あまり深みのある含蓄は得られそうにない。だから、もっと自分がこのチリと言う国で暮らしてみて、旅してみて感じたことからこのコラムを積み立てていこうと思う。つまり、3年弱この国で過ごして窓について感じたこと。それは窓のごく基本的な作用のひとつ、風景を切り取るということへの執念だ。

  • 圓通寺、京都、1678年