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コラムやレポート

March 18, 2020

窓辺のひとびと │ 岸辺幼稚園(代々木上原)

窓からのぞく部屋の様子、窓から外を眺めると見える景色、移りゆく車窓の風景。人の生活に曖昧な境界線として存在し続ける窓は、当たり前のようにそこにありつつ、ときに風景を絵画のようにも切りとります。小説家  滝口悠生さんとともに窓のある風景を巡り、その窓に寄り添う人の様々に耳を傾けます。

まず訪れたのは東京の住宅街にある幼稚園の窓辺です。岸辺幼稚園は日本で初めてつくられた私立の幼稚園で、百年近くこの土地で子どもたちを見守ってきました。朝の登園の騒がしさも落ち着いたころ、園長であり創設者の孫にもあたる中島茂子さんにお会いし、時折園児たちの声が園庭や教室から聞こえる園長室でそっと話をうかがいました。

 

May 18, 2018

第1回 妙喜庵待庵

文化・宗教が色濃く存在し、建物にも装飾が用いられるのが当たり前だった時代において、あえて華美な装飾をあしらわずにつくられた特異な建物、それが茶室である。茶が主役とはいえ、四時間にも及ぶ茶事で客を退屈させないために、そこには一見して分かる装飾が無くとも、さまざまな工夫が隠されている。本連載では日本建築に大きな変化をもたらした茶室の窓に着目し、その特色を解説していく。

妙喜庵待庵
第1回として、国宝の茶室・妙喜庵待庵を取り上げる。待庵は、利休がつくったとされる二畳敷隅炉[注1]の席で、現存する日本最古の茶室とされている。待庵なしにはそれ以降の茶室が成立しないと言い切れる、非常に重要な茶室である。

September 17, 2015

第1回 フランス窓 ─パリの呼吸と眼─

私がパリで生活を始めて6年が経った。自身の日々の生活が常に変化する中で、パリの街並みは変わることなくそこにあり続ける。通りやセーヌ川の向こう岸に見える小さな窓が並ぶ壁の風景は、私がここにくるずっと前から変わることなく、また室内から窓越しに見える通りの往来は非日常のような賑わいを感じさせるが、それはパリの営みの中で何度も繰り返されている。

窓はパリという都市の歴史や文化の中で、建物の一要素でありながら決して小さくはない役割を持ち、一つの象徴として存在してきたことに疑いはない。一方でパリの生活の中で窓の周りで起きていることのほとんどは、日常的なことであるかあるいは日常の中のほんの些細な変化にすぎないのも事実である。

パリの窓とは? 今現在その本質を率直に答える準備がない。その答えが本当にあるかもわからない。ひとまず、立ち止まってしまいそうなこの問いを前に進めるべく、様々な「パリの窓」の断面を一つずつ切り開いていこうと思う。パリの窓の浮上を期待し、それへの接近を目指して。

January 14, 2020

第5回 北イタリア・モデナの
“伝統的な”バルサミコ酢

ぶどうから造られる果実酢で、イタリア料理には欠かせない調味料、バルサミコ酢。北イタリアの都市モデナでは中世より貴族や皇帝の間で疲労回復や消化剤の薬として使用されていた。モデナがバルサミコ酢発祥の地といわれるのは、バルサミコ酢の原料となるぶどうの品種[注1]にとって土壌や地形、気候の条件が最適であったこと、そしてバルサミコ酢を熟成させる際に必要な温度が最適であったことが挙げられる。

中でも今回とりあげるモデナのバルサミコ酢は“伝統的な”バルサミコ酢と呼ばれ、通常のバルサミコ酢とは区別されている。違いはその生産方法にある。普段スーパーなどで目にするような一般的なバルサミコ酢の場合、木樽で3、4年ほど酢酸発酵させた後に、ワインビネガー[注2]、着色料、香料、カラメルなどを添加して造られるが、“伝統的な”バルサミコ酢は何も添加せず、10年以上もの年月をかけ、木樽で熟成されることで生み出されるのだそうだ。これらは厳密にはスローフードに登録されていないものの、“伝統的な”バルサミコ酢として認定されるためには、欧州連合によって定められた厳しい審査をクリアし、D.O.P[注3]に認められる必要がある。

こうした方法でバルサミコ酢の生産をおこなうのが、今回目指す醸造所「アチェタイア・セレニ」だ。蒸留所まではアペニン山脈の麓に点在する丘陵地を縫うように、坂道を何度も上り下りしなければならない。醸造所を訪れたのは10月頃で、ちょうど紅葉でぶどう畑が色づき始めた頃だった。

  • 赤と黄に色づくモデナの丘陵地の景色
March 28, 2019

写真は窓辺で生まれる―写実への闘い

先駆者たち(1) ニエプスとダゲール

Photographieの実験報告で紹介した比率にもとづき、多量の水で硝酸を薄め、硝酸銀溶液を配合した。はじめて硝酸銀溶液を作る場合も、同様の報告を参考にされたい。薄紙の片面を硝酸銀溶液で濡らしてカメラオブスクラ1 の背面に配置し、縁を貼り付け、平らの状態を保った。窓の外の住宅のイメージを薄紙にしっかりと写すために、カメラオブスクラのレンズが住宅と平行なるようにセットした。この状態でカメラオブスクラを放置し、2時間後に戻ると、光に照らされた硝酸銀が茶色に変色していることが確認できた。2

June 28, 2016

第3回 アラブ世界研究所

ひとりの建築家が彗星のごとくこの世に現れ、人々を驚かせることがある。今回取りあげる建築、「アラブ世界研究所」もまた、フランス人建築家、ジャン・ヌーヴェルの存在を世界に知らしめた、初期の代表作である。国際コンペを勝ち抜いたヌーヴェルの提案は、あらゆる人々の度肝を抜かせたことだろう。前回取りあげたル・コルビュジエが窓を横長にぶち抜いてみせたのに対して、ヌーヴェルは建物の正面全身に、不思議な採光窓を纏わせた。意味と敬意と、美しさをもって。

  • photo: James Mitchell
February 3, 2020

Ch.2 フレーム―視覚的な装置、あるいはトロンプ・ルイユ(だまし絵)としての窓

マンテーニャからライアン・ガンダーまで

 

アーティストは外の世界と対峙したり、自己の内面を見つめるものであるが、いずれにせよ多くの場合、「窓」という枠組みの制限を受ける。直方体のキャンバスや白紙を埋めていくよう期待され、逃れることはできないが、数え切れないほど多くの可能性や果てしない宇宙で画面を満たすことなど、不可能だ。窓やキャンバス、白紙は外へと通じる開口部で、全体のほんの一部分に過ぎず、目に見える現実世界のわずかな片鱗のみを映し出している。窓やアート作品とは限りある画面であり、やむなく妥協した末の、断片に過ぎない出口あるいは入り口といえる。一方で、テレビ画面、本のページ、写真、スマートフォンやタブレットなど、現代生活の大部分にそうした直線的な境界線の介在が増えていることもまた事実だ。こうしたいわば「窓」は、制限ある視野をもたらすものというよりは、異世界へつながる魔法の扉、あるいは不可思議で本物とみまごう描写といえるだろう。

October 5, 2015

記憶を切り取る象徴 あるいは表象の出入口

エアコンから吐き出される空調の音が大きくなり小さくなり、掛け時計の秒針は大げさに鳴り響くように一秒一秒を真っ当に刻む。窓からは茶色がかった山々の稜線と、出所も知れないどこからか漂う煙突の煙が流れているのが見える。視線を部屋に戻し、もう一度窓の外に目を向けたとき、その煙は跡形もなかった。

彼女は、いつだって唐突だ。ある日突然に彼女のソーシャルメディアから、この世の美しさを正しく凝縮したような景色がポストされる。そして私はまた、彼女が創作の旅に出たことを知る。

“窓”。この旅で写されたそのどれもがペーソスにあふれて見えるのは、冬だったからかもしれないし、風邪をひいていたからかもしれないし、もう私が彼女の側にはいないからかもしれない。

これは、彼女と巡った雪の残る東北での記録であり、その前後を彩った旅先での思い出と、共に過ごした10年と少しの軌跡だ。

December 18, 2019

両開き窓

戸がそれぞれ左右の端部を軸に、中央から左右に水平回転する開き方。内側に開くものと外側に開くものとがある。左右の戸が同寸で1方向に開くものを「観音開き」、左右を大小の戸にするものを「親子開き」という。16世紀以降フランスで使われている掃き出しの観音開きの窓を「フレンチウィンドウ」と呼ぶ。

October 18, 2017

第2回 風景のための開口部

採光、通風、人の通行・・・。開口部には色々な用途がある。いずれも物理的に何かがそこを通過するために開けられたものである。しかしそれ以外の開口部も存在する。ガラスという素材がもつ透過性によって、内部から外部へと向かう視線のために作られた窓、つまりそこにある風景を享受するために設けられた開口部である。物理的な開閉は目的でないため、「羽目殺し」と呼ばれる固定窓になることが多い。

1.「切り取られた風景」──フレーミングされた窓

1-1.美術館

「世界で一番好きな美術館は?」と聞かれたら、迷わず「ルイジアナ現代美術館」と答えるだろう。そして一番のお気に入りがこの展示室である。ジャコメッティの彫刻はいつも同じ位置にあり、変わるのは壁に掛けられた絵画と、窓の向こう側の景色である。フレーミングされた景色はまるで一枚の巨大絵画のようである。季節によって、時間帯によって、天候によって、景色は変わり、いつ行っても歓びと感動を与えてくれる。大きく一歩踏み出した人(ジャコメッティの作品)は永遠に時が止まっているが、その背景にある風景は絶え間なく変化し続けている。

February 7, 2019

第24回 イラン・東ギーラーン編「家を“置く”」(後編)

東ギーラーンの村、Kachalamでは、ある男性が初対面にもかかわらず車で村を案内してくれた。途中、ひときわ古さの目立つ一軒の家を発見した。「ここを見たい」と言うと車を停め、ありがたいことに住人の老夫婦を連れて来てくれた。建物の一階に夫婦二人で住んでいるという。片方の屋根がなくなり半壊状態にあるこの家は、今回見た中では最も古いものであったと思う。彼らとの意思疎通があまりできない中で得た情報を信じるなら、築140年とのことである。

  • Kachalam村で最も古そうな家
September 6, 2016

第一回 トーベ・ヤンソンの窓

写真家ホンマタカシが自身の写真とテキストで切り取る、気になる窓。連載第一回目は、作家・トーベ・ヤンソンへのオマージュとしてささげられた最新の写真集 『A song for windows』から、写真集未収録作品を含む5枚の写真とスケッチをお届けします。

舞台の小屋は、ムーミンで有名なトーベ・ヤンソンが、毎夏20年以上を過ごした、フィンランドの群島にある小さな島にあります。島は、グルリと周囲を歩いて7分くらいの無人島で、小屋のサイズは幅4メートル×奥行き5.45メートル、高さ2.2メートル。

May 28, 2019

第4回 ボルミダ渓谷・
段々畑の赤ワイン

イタリア北西部のジェノバから車を走らせて2時間程度、ピエモンテ州の南部にボルミダ渓谷は位置している。渓谷は400~800mと標高が高いため、夏季と冬季の温度差が激しい。冬になると気温が5℃まで下がることもあるという。

渓谷を眺めてみると斜面地に畑が点在している。観察してみると、斜面をそのまま利用したものに加え、傾斜地を段状にしてつくられた段々畑があることに気付く。

  • ボルミダ渓谷の段々畑
April 19, 2018

第19回 インド・キナウル地方「張り出しの村」(中編)

キナウル地方では、標高2~3,000mの谷沿いに集落の多くが営まれている。かつて秘境と呼ばれたであろう北インドの山の上のこんな場所でも、バスは毎日運行していた。バスの揺れさえ我慢できれば(それがひどいのだが)案外すんなりと移動できてしまう時代である。

  • 谷沿いにあるサングラの街
December 7, 2017

第15回 東チベット・色達 「赤いスリバチ」(後編)

ラルン・ガル・ゴンパの中心に降りてみると、ちょうど講義や集会の終わった時間なのか、僧侶たちが次々と僧院に出入りしているところだった。同じ色の袈裟を着た人々が中心に吸い込まれ、そして散っていく姿が、スリバチ地形と呼応した生活リズムとなっているようで興味深い。

  • 町の中心の僧院に集まる僧侶たち。建物も服も同じ色
September 20, 2017

第1回 光のための開口部

儚く、か弱いけれど、北欧の光には不思議な魅力がある。おそらく、移ろいやすいものだからこそ、北欧の人は太陽の光を特別なものとして、崇めているのではないだろうか。

筆者が北欧デンマークで暮らしたのは2006年から2008年の2年間。住んでみて、北欧のほとんどの家では窓にカーテンをつけないことに気づき、驚いた。家の中が外から丸見えでもお構いなし。むしろ窓辺に花を活けたり、置物を飾ったりして、室内インテリアを自慢気に見せているのである。しかし一番の目的は、太陽の光をなるべく多く室内に取り込むことにある。

August 10, 2018

第2回 如庵

利休によって生み出された茶の湯の文化を広め、牽引したのは、戦国武将であるといってよいだろう。利休の高弟である利休七哲が、全て戦国武将であることからも明白である。
当時、茶の湯が戦国武将の間で広く親しまれたのは、こうした武将たちが乱世を忘れ無心で茶と対峙できる静謐な場と時を欲したからともいえよう。生死と隣り合わせの武将たちの茶室、そしてその窓はどのようなものであっただろうか。

 

 

如庵
第2回は、国宝の茶室・如庵を取り上げる。如庵は、戦国武将であった織田有楽(長益)による二畳半台目向切[注1]の小間の席で、利休の待庵とは対極ともいえる茶室である。織田有楽は、かの有名な織田信長の末弟であり、戦国時代を生き抜いた武人であったと同時に、利休と同じ時代に生き、利休十哲に数えられる茶人であった。
当初は京都・建仁寺正伝院にあったが、明治に東京・麻布の三井本邸、そして昭和初期に神奈川・大磯の三井別邸へと移され、現在は愛知県・犬山城の麓の有楽苑にある。
如庵に座せば、一目で天才と分かる。天下人の弟の才たるやこれほどか、と唸らされる茶室である。

June 15, 2018

第20回 インド・キナウル地方「張り出しの村」(後編)

一晩で縫いあがったズボンを受け取りに、小さな村を歩いて再び家を訪ねた。お母さんは羊毛から生地を織り、それをお父さんがズボンに仕立てるらしい。『桃太郎』のおじいさん・おばあさんみたいな分業。青年は、田舎から離れて大きな街に拠点を持ち、仕立てられたズボンを売っているという。

  • 「ズボンの家」外観