May 24, 2013

窓の概念

原広司 (建築家) × 五十嵐太郎 (建築史・建築批評家)

時代に影響を与え、問題を提起し続けてきた建築家 原広司に五十嵐太郎が聞く。 集落調査や、自作から「窓」の概念を探るインタビュー。

五十嵐 今日は、原先生に窓を巡って、いろいろとお話をうかがいします。よろしくお願いします。 先生は集落調査などで世界各国の集落建築をフィールド調査してこられたと思いますが、その中で、これまで見た窓のことを、思い起こしていただいて、いくつか、原先生の記憶に残っている窓を教えていただけますか。

ロンシャンの窓の起源は、ガルダイヤの集落にある

  • 「ロンシャンの窓」

原 まず、集落調査で、アルジェリアにあるムザップの谷に、小さな町が丘状に建っていて、その上にモスクがある。ガルダイヤっていう名前の町に行くと、コルビジェのロンシャンの窓がある。

五十嵐 ええっ、そうなんですか。

原 やっぱり、近代建築っていう意味でいうと、ロンシャンの窓は凄かった、凄い窓だと思うんだけど。コルビジェは、それ気がついていたんだと思うんだけど。コルビジェが、「デザインに困ったらガルダイヤに行け」っていうふうに言ったとか言わないとか(笑)、そういう話がある。 コルビジェの、ようするにピロティや屋根、それからインドでやった「ファトマの手」という、魔よけなんですが、それがガルダイヤに行くと、そういったコルビジェが作品のなかで一般化していったデザインボキャブラリーが、大体、揃っている。その中にあの窓もあるんです。

僕は、ロンシャンの方を先に、30才になった時に行って、本当に驚いて、素晴らしい窓だと感動した。僕らが学生だったちょっと前か、時を同じにして、ロンシャンができたんですよ。それで写真を見て、非常に驚いていたのが行って見てみたら、想像しているよりか遥かに大きな窓だった。

そのあとで、ガルダイヤに行って、あっ、これがコルビジェの窓だ、と。コルビジェもやっぱり伝統を非常に勉強していた。あの当時、シャンディガール計画など、さかんに活動をやっていますよね。なるほど、こういうボキャブラリーを探してきたのかというふうに思ったのです。

インテリアからみると、大きな窓。外に対しては小さいけれども。あれは非常に印象的ですね。 歴史的な繋がりというか、そういうものを感じさせる窓だと思います。

あれはコルビジェが発見した窓ではなくて、彼らは要するに、どちらかといえば、そういう記号、造形、言語を、そういう深い歴史の中から拾い上げてきて作品にしたのだなという、そういう感じがして、そういう意味で、「窓」というのはやっぱり素晴らしい。

バックミンスターフラーのモントリオール万博のドームの窓

あともう一つは、バックミンスターフラーのモントリオール万博のドーム。あれはほんとに綺麗。 僕が今まで見た近代建築の中で一番凄い。それが全部、水晶玉みたい。ガラスじゃないですか。だから全体が窓になる。フラーっていうのは、ほんとに天才だと思った。ようするにそのガラスの一つのユニットというか、そのユニットに日除けが出来てるんですね。

五十嵐 そうでしたか。

原 日除けがね、シャッターが閉じるような。後ほど、皆が作り出すような、回転するやつじゃなしに、むしろもっとクリエイティブなものかな。 それが全部、日の当たる方向にそれが出来ていて、その一つひとつが窓なんだと思いました。ほんとに綺麗だと思うんですね、球面の中で整っていて。

夕陽が落ちてくると、魔法の水晶玉みたいに見える。中に電車が通っていたり、アメリカの国旗が下がってたりする。そういうところの背面に、窓なのか、窓に仕立ててる何かというのかな、そういうものです。ほんとに凄いなあと思いました。

五十嵐 あんまり窓を制御してるところの写真を僕は、見たことがなかったですね。

原 インテリアで写真が映ってると、後ろのほう、なんとなくスクリーンみたいなのが非常に不規則な形で、雲みたいなのがかかってるんですね。それが一つひとつ、全部日除けなんです。あれは、上手いなあと思って。実際は、内側からやっているから、熱的にほんとに効果があるのかは、どうかと思うけど、陽は遮ることができる。

カーテンウオールで、なにか制御するっていうところで、熱を制御するやり方が非常に面白い。なかなか一般的にカーテンウオール作っても、ガラス面で処理するっていうか、そういうことは比較的やりやすいけれども、なかなか上手い装置っていうのは出来ないのが現実です。あれは非常に特殊なドームを、そういうフレームで作っているから、出来たっていう例だと思います。

自作の窓を語る

五十嵐 他に、原先生ご自身が設計されたものの中で、この窓はというものを教えていただけますか。

梅田スカイビル、有孔体としての窓

  • 「梅田スカイビル」
    Photo : 大橋富夫

原 僕はね、「有孔体」という発想があって、どういうふうにして孔を作っていったらいいのか。 窓を作ったらいいのか。そういうことを内田祥哉先生のところで、ビルティング・エレメントというものを勉強させてもらっていた。その中でやっぱり「開口部」が一番ディテール的にも、それからいろんな作り方の上でも面白いというか、一番大事じゃないかというように思っています。

有孔体理論のときは、普通の窓をどうやって作ろうかと思っていって、初め、面に孔を開けてたんですね。実はそれから何にも拘ってないような建物になっていくんだけれども、それは何故かといいますと、意識の上では、立体的な、三次元的な孔はどうやったら開くのか?という問題にすり替えたんですね。

つまり、「三次元的な窓っていうのは、どういうものになるのか?」ということを考えた。それを非常に分かりやすく言うと、梅田のスカイビルに、ドーナツみたいな、変形した丸い孔を開けました。あれは孔なのか、窓なのかっていうのはありますが、三次元的な「孔」を開けた。 実際には、建物を貫いていくような、半ドーナツ状の窓としてイメージしています。

僕は住宅の窓の設計のときも、みんな反射性住居と呼ぶのだけれど、それが「立体的な窓の設計」「三次元的な窓」という感覚に近いんですね。

自作 札幌ドームの「ものすごい、大きな窓 “∞”」

  • 「札幌ドーム」
    Photo : 大橋富夫

札幌ドームも、これも比較的に分かりやすいと思うんだけども、ドームがかかっている部分のクローズド・アリーナと、それからドームがかかっていなくて、サッカーコートが置いてあるオープン・アリーナとあって、大体似たような形で作っていて、無限大記号みたいな感じなんです。その結節点に窓があって、それも、もの凄い大きな窓がある。

どういう窓かっていうと、高さは大体11メートルで、幅が90メートルの窓が自動的に全部グッと引き込まれて、その両脇の中に収められるんですが、サッカーコートが浮いて、そこに入り込んでいく。出たり、入ったりして、入ってからもう一回、回転しますけれども。 そういうような立体的な窓というか、三次元的な窓っていうのをずっと考えてきたように思う。建築の、いわゆる「表面に開ける孔、窓」というのと、「貫通していってしまう孔、窓」、その違いみたいなものも含めて、窓は、僕が考えてきたテーマです。

五十嵐 五十嵐研究室で建築家の窓についての言説を抽出分析して、「窓の格言」という研究をしました。そのなかで原先生の格言として、「建築的行為は、閉じた空間を穿孔することにある。」を取上げました。

原 ようするに、初めに「閉じた空間」があった。つまりそれは、「存在しない空間」、「死んだ空間」です。それがあって、それに「孔を開けること」、それは窓なわけであり、それがようするに建築ではないかということです。その認識は、比較的に僕の基本的なイメージだよね。

つまり、建築をするっていうことは、孔を開けて、「外界」と「死んだ空間」を生きた空間にすること。そういう行為自体が、基本的に建築である。建築であるんだけれども、それは全ての人にいえるのではないか。つまりなにかそういうことが人間の存在っていうこと自体人間の意識の始まりみたいなものである。だから、全ての人が共有していることなんじゃないかと、僕は思ってるんです。

そういう死んだ空間、存在しない空間があって、「それを破っていくのが窓」じゃないかと考えています。

五十嵐 そういうことで窓が存在する、と。

原 そう。結局、建築っていうのは、穿孔作業だ。なにかドリルで開けたりノミで開けたりする行為。それをやると、外界と繋がっていく「他者」っていうものが、初めて「私の開けた孔」によって、他者と結ばれるというイメージなんです。だから、生きているっていうことは、そういうことなんじゃないかと思います。

五十嵐 二次元、先ほどおっしゃられた、面として二次元であるということ。わりとイメージとしては中から外っていう感じがあったのかなと思うんですが。その次の、三次元の貫通する時は、中から外なのか、外から中なのかって、これ両方ありますよね。

原 それは両方ですね。だから、一つの球からドーナツ型になって、孔が幾つもたくさん開いていると、幾何学ではそれを「二つ孔が開いてる」と思うんですね、二人乗りボートっていう比喩をいうんですね。N個空いてると、N人乗りのボートっていうか、そういうこと。

あの、例えば、浮輪は一人用じゃないですか。 二人用浮輪っていうのは、考えられますよね、繋がってて八の字になってる、それが二人用。三人用浮輪っていうのがあって、大体、そういうシンプルな条件でいくと、ようするにこの世には、球か一つ空いてるやつか、N個、それから二つ以上のやつはみんな一緒で、そのくらいしかない。

世の中には形というはそのくらいしかない。そういうふうに考えると、孔、開口っていうのが非常に重要。幾何学形態を決定する時に、決め手になるのは、そういう孔の数です。窓とは、立体的な窓がいくつ開いてるかっていう話。

大抵、窓を作るやつは、一つくらいしか立体的には分からないんですけど、実際に、超高層のカーテンウオールのところに、いくつか孔があいているような例、N人乗りボートみたいなことは、できることはできるんですけど。その孔を開けるっていうことは、形態に影響を及ぼすっていうか、作用をする。うまくいけば、その立体的な、三次元的な孔をうまく開ければ、建築全体ができちゃう。そういう建築全体を決定する存在が窓であると思います。

だから、分かりやすいんだけど、超高層に幾つか孔が開いてるっていうような、そういうのは、あんまり褒められたもんじゃない、それ程高度ではない。つまり孔を一つ開けたら、建築形式がそこでパッと出てくる。だから単に孔を開ける時には、表面上に孔を開けるっていうものじゃなくて、それによって周りの空間を含めた、例えば外の形も含めたようなものが一緒に出てくるような窓であれば本物の窓・孔なんじゃないか、そういう気がしてるんですよ。窓を、単に孔を開けてるだけではなく、孔が開いたら、それはどういう作用を全体として及ぼしていくか?そういう意味で窓や開口部を捉えることは建築的に重要ではないか。

例えば、実際にトンネルなんかも同じですよね。トンネルの入り口と出口に両方あって、立体的な孔になってるんだけど、このトンネルの中のある雰囲気を出すじゃないですか、それによってね。あれと同じように作ったら、孔を開けたら凄く景色が決まるっていうか、うまく出来てるかどうかは別として、いろんなところで、そういうことがあり得ると思います。最初に閉じた空間があって、そこに孔が開いたらコミュニケ―ションができて、それを人間であることと、建築家であることと一体化して捉えて、それで他者と私も一体化して捉えることができるというようなことをよく考えていくと、きっとそういうような、建築形式にまで結びついていくような、そういう世界に窓はあると思います。

五十嵐 凄くよく分かりました。最後に一つだけ。二次元、三次元ってきたので、もし四次元のイメージがあれば、それだけ最後に聞きたいなと。

原 基本的に孔を開けるっていうことは、「時間」が入っている。「移動」がそこに入っている。三次元であると同時に、四次元でもある。 建築っていうのは、もともと光を考えたり、音を考えたり、なにかするっていうのは、実は、決して三次元のことを考えているんじゃなくて、「N次元のこと」を考えてるんですね、もともとは。だから、はなから環境論的に、これを捉えるっていうことは、N次元空間は捨てて、例えば、物凄くいい建物とか、古い建物を含めて、やっぱりN次元の空間をちゃんと表示していて、でもそれを三次元で説明したりしている。「時間を入れなさい」みたいな話で、せいぜい四次元かなっていう意味です。

だけど、そうじゃなくて、もともと建築はN次元の空間を相手にしている。相手にしているんだけども、それは非常に分かりにくいっていうか、難しくなる。僕は「様相」って言い出したのは、そういう「N次空間」っていうふうに捉えていって、それで孔を空けると素晴らしいという意味。実際にそうだと思う。

つまり、素晴らしい窓っていうのは、N次元的にできてる。風が入ってきたり、その風景が見えたり。それで、シークエンシャルですよね。窓の前を人が通っていたり、鳩が飛んだりなんかしている。そういう、「我々がN次元空間の中で生きてる」という認識を改めてできる。そのためには、窓っていうのは非常にいい題材だと思うんですよ。つまり、「うまい窓を開ける」っていうことは、きっとそういう凄い環境論的な意味も持っている。

単なるデザインではなしに、環境論的な意味でも何かある。それがある意味では「環境」って言い出して、空間っていうのは、ちょっともう少しいろんなファクターが入ってきてるというような認識が、大体、できてきて、それじゃあ建築は常にどうやったらN次元空間の窓を作ることができるかどうかということで、これはもうやっぱり、今日的なテーマですよね。

五十嵐 最後に、先生の格言がもうひとつ増えましたね。「素晴らしい窓は、すでにN次元的である」ということですね。

原 そうですね。

五十嵐 さらに追加されたという感じで。大体、これぐらいで終了させていただきます。ありがとうございます。

 

 

原広司

プロフィール 1936年川崎生まれ|59年東京大学工学部建築学科卒業|64年同大学数物系大学院建築学専攻博士課程修了、工学博士|64年東洋大学工学部建築学科助教授|69年東京大学生産技術研究所助教授|82年同教授|97年同大学を退官、同大学名誉教授|70〜98年設計活動をアトリエ・ファイ建築研究所と協同|99年原広司+アトリエ・ファイ建築研究所に改名|01年ウルグアイ国立大学Profesor Ad Honorem

主な作品 「田崎美術館」日本建築学会賞|「ヤマトインターナショナル」AD Award、第一回村野籐吾賞|「梅田スカイビル」日経BP技術賞大賞|「JR京都駅」2001 Brunel Award建築部門奨励賞|「内子町立大瀬中学校」日本建築学会作品選奨、公共建築百選|「札幌ドーム」日本建築学会賞技術賞

主な著書 67年『建築に何が可能か』(学芸書林)|73〜79年『住居集合論1〜5』(鹿島出版会)|87年『空間〈機能から様相へ〉』(岩波書店)サントリー学芸賞|87年『集落への旅』(岩波新書)|98年『集落の教え100』(彰国社)|01年『Hiroshi Hara』(WILEY-ACADEMY)(共著)|04年『DISCRETE CITY』(TOTO出版)|09年『YET』(TOTO出版)

 

 

五十嵐太郎

東北大学大学院教授。建築史家。建築批評家。

東京大学大学院はかせ修士課程修了。博士(工学)。ヴェネチアビエンナーレ国際建築展2010日本館コミッショナー、あいちトリエンナーレ2013芸術監督。著書に「被災地を歩きながら考えたこと」「現代建築家列伝」「新宗教と巨大建築」、「過防備都市」など。