写真は窓辺で生まれる―象徴と写実
先駆者たち(2) タルボット
「大通りの眺め、パリにて」、1843年
1843年5月から6月にかけて、ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットはイギリスを離れフランスに滞在していた。旅の目的は有望なカロタイプ技術者の育成、そして海峡を挟んだ向こう側にも自身の技法を広め、商業的成功を収めること。ダゲールのそれに比べ、彼の手法は紙をベースにしたネガを用いることで複数枚のプリントを作成することができるという大きな利点を持っていた。熱心なアシスタントであったニコラス・ヘンネマンの協力のもと、機材と共にレイコック・アビーから400マイルもの旅路を経て、パリ中心部、「テュイルリー宮殿を正面に見据える、カルーゼル広場に面した背の高い寂れた建物」1にスタジオを開いた。イポリット・バヤール(自身の発明に目を向けようとしないフランス政府に対する抗議として、1840年10月に自ら被写体となり撮影した「溺死した男」の写真で知られる)、アンリ・ヴィクトル・ルニョー、ジャン=バティスト・ビオ、アルマン・フィゾーやジャン・ルイ・ラセーニュなど紙ネガを使用した写真の先駆者たちは、5月29日の夜にタルボットと夕食を共にした後も、彼のスタジオに通っていたようだ。