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記事 内田祥哉 窓と建築ゼミナール

内田祥哉 窓ゼミナール 開講

内田祥哉 (建築家)

10 Mar 2016

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Architecture
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建築構法学の創始者による、窓と建築についての私塾

建築家でありながら、建築構法学を打ち立てた学者でもあり、今なお第一人者として活動を行っている内田祥哉氏。教鞭を執っていた東京大学での『建築構法』の講義は、「床、壁、天井、窓といった毎年異なる部位の話を通じて、構法や構法計画のエッセンスを学ぶ」という内容だった。

内田氏が東京大学で最後の教鞭を執ってから約30年後の、2015年6月。いま建築界の第一線で活躍する若手建築家・研究者が、都内某所に集結した。ここで、東京大学の講義にならい、「窓」を通じて建築を考える「窓ゼミナール」が開講した。第1回のテーマは、「総論――窓の成り立ち」。窓を切り口として、内田氏流の「構法」についての考え方、さらには「建築設計」についての考え方を、後進の設計者や研究者に伝え、また、互いにコミュニケーションをとりながら建築の未来を考えていく場を目指す。

参加者である総勢25名の若手建築家・研究者からの自己紹介の後、ゼミナールがスタートした。

内田祥哉 僕が『建築構法』の講議をやっていたのは東京大学にいたころで、いまから30年ほど前のことです。当時と違うことは、それぞれ自己紹介をしていただいたように、参加者のみなさんが経験豊かで、最前線の建築にどこかで触れている方たちだということです。皆さんは、絵をご覧になって連想される範囲が、学生とはまったく違うはずです。

そういうわけで、プロ同士、阿吽の呼吸でわかるような話をしようと思います。絵は話の見出しだと思って見てください。中には見たこともないようなものもあるでしょうし、見飽きているものもあるでしょう。見飽きているものにたいしては、新しい発想で批判をもらえると大変嬉しいです。それから、古いものには古いものの良さがありますから、それを話し合えるといいですね。一方的な講義にはできればしたくないと思っています。

今後ゼミナールは 3ヵ月に1度、全6回開催の予定。窓研究所ウェブサイトではゼミナールの第1回目の模様を、数回の連載形式でお届け。ゼミの幹事として尽力するのは門脇耕三氏、戸田穣氏、藤原徹平氏の3氏。今回はその中から、戸田氏による内田祥哉論をご紹介する。

 

近代日本建築学の末子 (戸田穣)
「物の組立て方を考える立場から、吾々は『建物の各部は、空間の仕切りとして価値づけられている』と仮定し、『空間を仕切る道具を Building Element と呼ぶ』事にする」。しびれる文章だ。内田祥哉へのわたくしの関心はこの一文に発する。これは、電電公社営繕部から東京大学に移った内田が、最初に着手した研究「Building Element (BE) 論」で、《BE》を定義した第一論文にあたる。ひどく抽象的だ。20世紀の半ばに、このような建築の原理的な考察が、なぜ改めて必要だったのか。

1958年に東京大学に講師として着任した内田は、建築学第一講座を担当する。そこは、在来工法などを「一般構造」の名で講じて建築設計教育を担う、いわば建築の一般教養科目のような位置にあった。内田の研究者としての最初の志は、この「一般構造」に、「建築構法」という新しい名を与え、建築一般を科学的な分析の俎上に載せうるような記述の体系を築きあげることにあった

この時、導入されたのが《Building Element》という概念である。冒頭の引用における、建物各部を空間の仕切りとする仮定と、その仕切りをBEとする定義から、内田は演繹的に次の一文を導き出す。「この仮定によれば Building Element は、一般には厚さがあり、二つの表面を持ち、各々表面は仕切られた二つの空間に対応している」。

ここから内田は、《BE》を表現する記号を考案し、建物各部を記号化して記述する独自の記述法を編みだしていく。

20世紀後半には、都市の「配置」「動き」「密度」を論じた高山英華の都市計画、建築を住意識の現れとして記述しようとした西山夘三・吉武泰水に連なる建築計画など、建築・都市に対する原理的な考察と記述が追求された。内田の建築構法は、建築の還元主義的な科学化を志向した近代日本建築学の正統な末子だといえるだろう。

内田は1977年の主著『建築生産のオープンシステム』のあとがきで、「科学と芸術と技術について、それぞれの分野にふさわしく記述しよう」としたと語っている。建築を語る言葉の端々にみえる直截さ、率直さ、あるいは時に身も蓋もないほどの建築史的構想力 (ミースは和小屋である!) にみえるのは、やはり演繹的論理性に支えられたサイエンティストとしての横顔ではないだろうか。

 

 

戸田穣/Jo Toda
1976年生まれ。建築史。博士 (工学) 、金沢工業大学講師。共著=Le Public et la politique des arts au siècle des Lumières, Bibliothèques d’architectureほか。翻訳=クロード・パラン『斜めにのびる建築──クロード・パランの建築原理』、ル・コルビュジエ『マルセイユのユニテ・ダビタシオン』 (山名善之と共訳) ほか。

 

 

内田祥哉/Yositika Utida
建築家、工学博士、東京大学名誉教授、金沢美術工芸大学客員教授、工学院大学特任教授、日本学士院会員。1925年東京生まれ。東京帝国大学第一工学部建築学科卒業。逓信省、日本電信電話公社を経て、東京大学教授、明治大学教授、金沢美術工芸大学特認教授、日本学術会議会員、日本建築学会会長を歴任。主な作品:1951年東京電気通信第一学園宿舎、1956年中央電気通信学園講堂、1962年自宅、1970年佐賀県立博物館、1980年佐賀県立九州陶磁文化館、1980〜2002年武蔵学園キャンパス再開発、1993年大阪ガス実験集合住宅NEXT21。主な受賞:日本建築学会賞(1970年度作品、1977年度論文、1982年度作品)、1996年日本建築学会大賞。主な著書:1977年「建築生産のオープンシステム」彰国社、1981年「建築構法」市ヶ谷出版、1986年「造ったり考えたり」、1993年「建築の生産とシステム」住まいの図書館、2002年「[対訳]現代建築の造られ方」市ヶ谷出版、2009年「日本の伝統建築の構法—柔軟性と寿命—」市ヶ谷出版、2014年「建築家の多様 内田祥哉 研究とデザインと」建築ジャーナル。

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