WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 窓の変遷史

第1章 アルミサッシの初期の様々な試み

真鍋恒博

23 May 2014

ディテールを窓から読み解く

アルミサッシ以前の建築用アルミニウム
スチールサッシに代って登場したアルミサッシは、現代では凡そすべての建築で使われおり、アルミニウムはサッシやカーテンウォールなどの非構造材用金屬として、最も重要な位置を占めている。しかしこのアルミニウムも、初期には「銀色の装飾的金属」として使われていたことがある。フィラデルフィアの税関ビル(United States Custom House、設計:Ritter & Shay、1934)は日本にはあまり紹介されていないアールデコ建築の秀作だが、内部の装飾・ドア・手摺等にアルミニウムが多用されている。実際に見たことがあるが、銀色のアルミと金色のブロンズの組合せは、現代のアルミニウムとは異なる使い方と言う印象であった。

アルミサッシの黎明期:欧米の非鉄金属サッシ
アルミ合金製のサッシの最も初期のものとしては、1920年代からドイツでジュラルミン製のサッシが使われていた。アルミサッシはその後、スイス、アメリカ、カナダで盛んに使われ、一時イタリアでも使われた。電力が安価なカナダではアルミニウムの生産が早くから行なわれ、アルミサッシも、量は少ないが早い時期から使われていた。なおアメリカでは、アルミニウム以前には押出成型のブロンズサッシが一般化していた。

エンパイアステートビル(1931)で軽量化のために採用されたアルミサッシは、その後一般に使われるようになり、1960年代にはスチールサッシはほとんど使われなくなった。第二次世界大戦後は航空機用のアルミ地金が過剰になり、建築用にも使われるようになった。1949年頃にはスチールサッシの10%増し程度の価格で競争入札されるほどで、このころ急速にアルミサッシの需要が伸びた。1960年代には、ロール成形でスチールサッシと同様の断面のアルミサッシもつくられていた (図-1) 。

  • 図版1 初期のアルミサッシバー断面の例
    現在は閉断面材が多用されているが、当初はスチールサッシと同様のT型などの開断面であった。ロール成形品もあったようだが、この図は断面形状から押出成形と思われる。(「図説 近代から現代の金属製建築部品の変遷 第1巻 開口部関連部品」1996・建築技術刊、図302より転載。元資料:「新建築金物」、山本貞吉・斎藤祐義著、1965・城南書院)

押出成型技術の完成以前
アルミサッシ等の型材は押出成型 (融点以下に加熱したアルミ塊を高圧で金型から押し出す方法) で製造されているが、この技術が普及する前にも既にサッシにアルミニウムを使う試みがあった。

〈アルミ被覆サッシ〉
1931年、近三ビル(発注時:森五商店東京支店、設計:村野藤吾、独立後処女作と言われる) で、わが国最初のアルミサッシが使われた。ただし現在のアルミサッシとは違い、鋼製上げ下げサッシの枠・框にアルミ(住友SAL)を被せた複合構造のものであり、東京建鐡の製作であった。表面はまだアルマイト(陽極酸化被膜)処理が行われておらず、透明ラッカー吹付け仕上げであった。このサッシは1955年の増築時に取外して調査した際には、中のスチールはぼろぼろで真黒になっていたとのことである (この残骸が日本軽金属・蒲原工場に残されていたとのことであったが、未確認) 。

アルミ被覆サッシは東急会館(1954増築、後の東横百貨店西館) (図-2) などに使われた。押出型材の供給が未だ十分ではなかったため、昭和20年代後半まで使われていたようだが、使用例はわずかであったと思われる。東横百貨店(現・東急百貨店東横店)もその後すっかり改装され、建物自体が渋谷駅の大規模再開発で解体される運命にある。

なお当時の建築へのアルミニウムの使用例には、こうしたサッシのほかに、教文館(設計:佐藤武夫) 屋上の全アルミ建築の増築 (1950年ごろ) や、銀座・三井菊秀ビル(設計:佐藤武夫・石川寛三、1952)のアルミ外装などがある。

  • 図版2 アルミ被覆サッシ
    鋼板枠にアルミ板を張ったカーテンウォール。東急会館(1954竣工、設計:坂倉準三)は玉電ビル(1938部分竣工、設計者不詳) の増築だが、1954竣工時には玉川電鉄は東横電鉄に吸収されており、ビル名も改称された。さらに後の増築(1968)で絶対高さ制限を超えた建物となる。現在の東急百貨店東横店西館。(不二サッシ社内資料。本図は前掲書・図303より転載。)

〈改修用アルミ被覆サッシ〉
上記のアルミ被覆サッシとは別に、既存のスチールサッシの枠に被せるタイプの改修用アルミサッシがある。初期の使用例としては、東大、一橋大、三菱銀行計算センター(市ヶ谷)などが挙げられるが、これは現在でも使われている。筆者が長くいた東京理科大学神楽坂校舎(7号館)でも、1963年新築当時の鋼製サッシの腐食が進行していたため、1992年にスチールサッシの障子と方立を除去し既存枠にアルミを被せる工法で改修された。

〈プレファブ住宅での試み〉
戦後の復興の一環としてプレファブ住宅の試作がいろいろ行われている。1949~1950年に日本建鐡と東京大学星野・坪井両氏の協力で試作(6戸)された住宅では、航空機用アルミ材の残材を利用したアルミサッシやドアが採用されていたが、価格の問題等で開発は断念された。

〈削り出しによる試作〉
同じく昭和20年代、押出成型が可能になる前から、不二製作所 (後の不二サッシ) では、鋳物のアルミ角棒からスチールサッシを模してプレーナーで削り出したサッシバーを使った、辷(すべ)り出し・内倒し等のサッシの試作研究が行なわれていた。

──この連載は、拙著「図説 近代から現代の金属製建築部品の変遷 第1巻 開口部関連部品」 (1996年、(株)建築技術刊) 、および研究室の修士論文(2005年度、齋藤大輔君、未発表)の内容をもとに加筆したものである。

 

真鍋恒博/Tsunehiro Manabe
1945年生まれ。東京大学工学部建築学科卒業、1973年東京理科大学工学部建築学科専任講師、1975年同助教授、1993年同教授、2013年同名誉教授。工学博士。2000年日本建築学会賞 (論文)受賞。専門分野:建築構法計画、建築部品・構法の変遷史。主要著書:「図説 近代から現代の金属製建築部品の変遷 第1巻 開口部関連部品」 (1996年、建築技術) 、「建築ディテール 基本のき」 (2012年、彰国社) 、「図解建築構法計画講義」 (1999年、彰国社) 、「住宅部品を上手に使う」 (1992年、彰国社) 。

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