September 24, 2020

滝口悠生|第3回 自宅

窓からのぞく部屋の様子、窓から外を眺めると見える景色、移りゆく車窓の風景。人の生活に曖昧な境界線として存在し続ける窓は、当たり前のようにそこにありつつ、ときに風景を絵画のようにも切りとります。小説家  滝口悠生さんとともに窓のある風景を巡り、その窓に寄り添う人の様々に耳を傾けます。

今回の窓は滝口さん自身にとって最も身近な窓です。
仕事場であり、自宅でもある家の窓。新型コロナウイルスの影響下、多くの人にとって、家や職場、様々な場所との距離感が変容しつつあるこの数か月。これまで滝口さんの傍にあったいくつかの窓と、いま目の前にある窓、それぞれの姿が見えてきます。

 

いまの家に引っ越したのは2年前で、その前に住んでいた家には8年住んでいた。
前の家は一戸建ての二階と三階を借りて住んでいて、私の仕事部屋は三階にあった。天井が斜めになった、屋根裏部屋のような部屋だった。その家に住みはじめた頃はまだ小説家としてデビューしていなかったから、そこが自分の仕事部屋になったのはたぶん住みはじめて何年かしてからだったと思う。

家の一階には大家さんが住んでいて、古い家だったが角地で駐車場に面していたので三面が開けていて、採光のいい明るい家だった。

仕事部屋は南東側にあって、二面に腰窓があった。南側の窓の前に、近所の古道具屋で買った机と椅子を置いていたのだが、いつ頃から部屋をそうやって使っていたのか、もうよく思い出せない。小説家としてデビューしたのはその家に住みはじめて2年目の秋で、その家で過ごした記憶は、小説を書く仕事をする者として過ごした記憶にどんどん上書きされて、その前のことはずいぶん曖昧になってしまった。

机はたしかイギリスかどこかの小学校で使われていたもので、スタッキングできるようになった赤い鉄のフレームも、木の天板も、古びていた。子ども用だから当然小ぶりなのだが、私は体が小さいからか、大きさも高さもちょうどよかった。天板にはたくさんの傷やナイフで書かれた落書きがあった。椅子も同じ店で見つけたスクールチェアで、テーブルと合わせてみるとちょうどいいサイズだった。

腰かけると、正面には南向きの窓があった。そんなに大きくない窓だから、仕事をしていても机の上に日が差して眩しいとかいうことはなかった。窓からは道を挟んだ向かいの家の屋根と、その奥に並ぶ家の屋根の連なり、そしてその先に中学校の校舎が見えた。

仕事をするときは、雨とか真冬でなければたいていは窓を開け、網戸にして仕事をした。平日の昼には、中学校のチャイムの音や、教室や廊下の笑い声とか、はしゃいだ学生の声が聞こえた。私はそこでいろんな原稿を書いた。

2年前、8年住んだ家を離れて移ったのはやはり古い二階建ての家で、今度は階下ではなく隣に大家さんの住む家があった。

私が仕事をする部屋は、小さな庭に面した一階の一室になった。前の家よりも大きな本棚を置き、本棚が作り付けられた仕事用の机と、長時間のデスクワークでも体への負担が少ないというワークチェアも買った。これまで使っていた机と椅子は二階の書斎に置かれた。

今度の仕事部屋にも南側と東側の二面に窓があった。どちらの窓も前の仕事部屋と同じ方角だったが、窓の大きさは今度の部屋の方がずっと大きく、どちらも庭に面していた。前の部屋は三階で今度の部屋は一階という違いもあった。窓をつぶさないように南向きの窓の横の壁につけるかたちで仕事机を置き、仕事をしているとき私の正面にあるのは窓からの景色ではなく、机の上に造りつけた本棚と壁になった。

新しい家の仕事部屋の居心地、そして机と椅子の使い心地は、それまでとは全然違うものだった。仕事部屋に限らず、新しい家で生活をはじめると、最初のうちはどこでなにをしていても環境が変わった新鮮さとぎこちなさとがない交ぜになっていて、前より便利に感じることもあれば不慣れで不便に感じることもあった。私は家のなかのいろいろな場所に、新しい自分の仕事部屋に、だんだんと慣れていった。

前の家の三階からは中学校が見えたが、今度の家は庭を隔てて隣に小学校があった。前の家ではチャイムや喧噪が遠く聞こえるだけだったが、今度の家では休み時間の校内や校庭の賑やかさはもちろん、授業中の先生の声や校内放送やチャイムの音もよく聞こえた。午後の下校時間になるとふざけて鳴らされた防犯ブザーの音が毎日のようにする。私は仕事中に音楽をかけたりはせず、といってあまり静かなのもだめで、この新しい仕事部屋の音環境は個人的にとてもいい塩梅だった。

しばしば外の音に気をとられて仕事を中断したりもするのだけれど、小説を書くときにそうやって手をとめたり気が散ったりするのは必ずしもマイナスに働くものでもなくて、外に飛んでいた意識がまた原稿に戻ってきたときには、さっきまで思っていたのとは違う方向へ文章が進んだりしておもしろい。私は新しい家の新しい仕事部屋でもいろんな原稿を書いた。

 

引っ越しをして2年になろうとしていた今年の春先、新型コロナウイルスの影響が日本でも出はじめ、妻が仕事場に行かず家で仕事をするようになった。
デザインの仕事をしている妻は大きなモニターを置いて作業をするスペースが必要で、私は自分の仕事部屋と机を妻に明け渡した。私はふだんノートパソコンで原稿を書いているので、やろうと思えば家のなかのどこでも仕事ができた。本を読む時間も多いが、それもどこでも読める。

とはいえどこかに居場所を定めようと、二階の書斎で仕事をすることにした。書斎といえば聞こえはいいが実際は物置みたいなもので、一階に置ききれない本や雑多なあれこれを置いたりしまったりしている部屋だった。以前の仕事机と椅子は、たまに腰かけて本を読んだり、簡単な事務仕事などをする以外はほとんど使われず、引っ越し以来この部屋に置かれていたが、そんな経緯で、2年ほどのブランクを経て私はふたたびその椅子に腰かけ、その机で原稿を書くことになった。

雑然としていた部屋を片づけて、本や物を整理し、模様替えもした。二階のその部屋の窓もやはり南と東にあった。東の窓は腰窓で、外には大家さんの家のベランダがすぐそこに見えた。机ははじめこの東の窓の前に置いてあったのだが、仕事ができるように本棚などを動かした関係で、机も南の窓の前に移動した。南の窓はベランダに出られる大きな掃き出し窓で、ベランダの向こうには小学校の敷地が見えた。一階の仕事部屋だと、南の窓からは小学校との境の塀とうちの庭しか見えないが、二階の窓からは高さがある分、塀の向こうの小学校の裏庭が見え、生えている木や小さな畑、水場、校舎、渡り廊下なども見えた。聞こえる音は変わらず賑やかだった。

妻と違って私はもともと家で仕事をする時間がほとんどだったから、コロナウイルスの騒ぎのなかでも生活はそれまでとほとんど変わらなかった。仕事もそこまで大きな影響は受けず、報道を見て政府の対応に不審を抱いたり、出勤や外出を控える世の中の動向に注目したりしつつも、自分の仕事は淡々と、粛々と進み、変わったことといえば妻が一日じゅう家にいることと、自分の仕事場が一階から二階に移ったことぐらいだった。

私の体は、かつての机と椅子にすぐ慣れた。新たに整えた二階の仕事部屋で、私は、かつて過ごした場所に戻ってきたような落ち着きを感じながら仕事をした。使い慣れた机と椅子のせいもあったに違いないが、机の位置を変えた影響がどうやら大きかった。

部屋のなかをわずか1メートルほど移動し、東から南に90度向きを変えただけだが、前にある窓が変わると机に向かったときの景色は全然違うものになった。それまでの、間近に隣家のベランダが迫っていた東側と違い、南側の窓の前方には遮蔽物のない空間が広がっていた。その下には自宅の庭や小学校の裏庭があるのだが、二階からの視界を遮るのは畑の横の木の頭くらいで、その先の校舎のあたりまで空間が抜けている。

模様替えのときはあまり深く考えていなかったのだが、二階のその部屋の南の窓から見える景色は、前の家で三階の仕事部屋からいつも見ていた景色に似ていた。屋根が連なる向こうに、南の空と学校が見える。体が覚えた落ち着きと懐かしさは、たぶんそのせいだった。

私はすぐ道に迷うし、あまり方向感覚は鋭くないと思うのだが、前の家の仕事部屋でいつも見ていた南の方角にも、知らず知らず気を引かれていたのだろうか。違う場所からでも、同じ方角を見ていれば、季節や時間に応じた日の向きや明るさはおおよそ似たものであるはずで、空の感じや日の感じ、影の向きなどから、無意識のうちにその方角に顔や体を向けようとしているのかもしれない。

そう思うと、前の家に住みはじめるまで暮らしていた実家の自室も二階で、窓は南を向いていて、前は空き地でなにもなかったことに思い至った。いまの家よりも前の家よりもさらに長く過ごした実家の部屋の、時間帯によって変わる明るさや暗さ、そして窓の向こうのなにもない空間のことも、光景や出来事というよりは身体的な記憶として残っているのかもしれない。南側の窓からなにもない外を見る。そのことが、自分の体と自分のいる場所の関係における根強い基準として働いているのだろうか。

あるいは、と数年前にアメリカのアイオワ州の大学で3か月ほど過ごしたときにいた部屋のことも思い出す。アイオワと東京は、気候も、日の角度や明るさも、昼間の日の長さも、全然違った。その部屋の窓は西向きだったけれど、昼過ぎになるとよく日の入るその部屋も、その部屋の窓からの眺めも私は気に入っていた。たぶん部屋が四階で眺めが高く、目の前に川が流れていて、遠くまで空間が抜けていたからで、やっぱり大事なのは窓の向こうになにもない空間が広がっていることなのかもしれない。

外からの音が、仕事に好ましい中断と再開の契機をもたらしてくれるのと反対に、仕事があまり進まないときに窓の外の広がりはその滞留を逃がす先にもなる。窓の外を見て、外の音を聞くことで、凝ったものを解す。

私はこの先もずっとそういう景色を好ましく思い続けるのか。それとも、これから過ごす場所や環境に応じて、体と場所の関係や、好ましく思う景色も変わっていくのだろうか。
前の小学校は2月末から休校になって、しばらくは聞き慣れた音が聞こえなくなって寂しかった。学校が5月に再開すると、また窓の外の音が戻った。

妻は徐々に自分の事務所に通って仕事をする日が増えたが、一階の仕事部屋は妻が使っているあいだに物の置き場や部屋のなかのあれこれが妻用にカスタムされていて、私はいまも二階の部屋を使い続けている。当分はいまの場所で仕事をするつもりだ。

 

滝口悠生/Yusho Takiguchi
1982年東京都生まれ。2011年「楽器」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2015年『愛と人生』で野間文芸新人賞、2016年「死んでいない者」で芥川賞を受賞。他の著書に『寝相』『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』『茄子の輝き』『高架線』『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』などがある。