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October 22, 2021

ジャン・プルーヴェの窓 #2
──プルーヴェ自邸の窓

「プルーヴェ自邸」は過去に手掛けたプロジェクトの余りものを寄せ集めてつくられた興味深い事例である。連載「ジャン・プルーヴェの窓」の第2回目では、プルーヴェの他の実践がどのように自邸へと援用されているかを示しつつ、過去のどのプロジェクトにもない自邸独自の窓デザインを解き明かす。

 

プルーヴェは建築家?

プルーヴェは独学で建築を学んでおり、フランスにおける正式な建築士の国家資格をもっていなかった。他の建築家と常にコラボレーションしていたのは、そんな背景も理由にある。一方で、家具から建築まで多岐にわたるコラボレーションの結果、プルーヴェは建築家と構造エンジニアの資質を曖昧にしていく。そんな彼の職能を表現する肩書が、いくつか存在する。最も有名なものとして、ル・コルビュジエの著書(『モデュロールⅡ』)ではこう述べられている。「ジャン・プルーヴェは、とりわけ雄弁に『建設家』(Constructeur: 仏)を体現する。それは社会的な資格として、未だ法的に認定されていないが、我々が生きてゆく時代で切に求められている職能だ」と。プルーヴェのもとで働いていた日本人建築家・早間玲子氏が昨今執筆した著書(『構築の人、ジャン・プルーヴェ』)では、「構築家」とも訳されている。また、プルーヴェの先進性をいち早く紹介したケネス・フランプトンの著書(『現代建築史』)では「職人的技術者」(artisan/engineer: 英)とされている。
そんなプルーヴェが生涯たった一度、建築家の如く、建物の構想から設計、そして施工までもひとりで実現したプロジェクトがある。ナンシーの住宅とも呼ばれる「プルーヴェ自邸」(Maison de Jean Prouvé: 仏)だ。奇しくも、このプロジェクトが実行されたのは、創作の場であった自身の工場を去ることになった時のことである。

 

リアセンブルされる部品たち

1954年3月、プルーヴェは旧アトリエ・ジャン・プルーヴェ、そしてマクセヴィルと23年間働いてきた工場を追われ、それを契機に自邸の建設を決めることとなる。なぜなら、マクセヴィルの片隅に捨てられる予定で置いてあった、かつてプルーヴェによってデザインされた部品の援用を思いついたからである。元同僚たちが、それらをこっそりトラックに載せて工場から運び出したことで自邸は着工する。プルーヴェは「余りもの」ともいえるそれらの部品から、自分の直感を頼りに現場で即興的に案を練り上げ、家族と一緒に快適な家に仕立てるのである。後日、捨てられるはずであった部品の代金は「慣例の割引価格(高額)」として、ステュダル社から請求されるのだけど。
敷地はナンシー駅から徒歩25分ほどの小高い丘の中腹で、土砂崩れが度々起こっており、建設はほとんど不可能だといわれていた。しかし、プルーヴェは同年5月にその土地を購入し、6月から9月の3ヶ月という短い期間で自邸を完成させるのである。

  • Jean Prouvé ©︎ ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 E4396
    Photo ©︎ Centre Pompidou, MNAM-CCI Bibliothèque Kandinsky, Dist. RMN-Grand Palais / Fonds Cardot et Joly / distributed by AMF

 

プルーヴェ自邸を特徴づける5つの窓

この建物は北面をソリッドな壁として、南面に凹凸のある、東西に細長い平屋建ての外形が採用されている。南面に開けたファサードは敷地環境に応答しており、中央に大きなガラス窓、その他は1メートル幅を共通とした援用部品で構成され、内部の間取りとも呼応する特徴的な窓をいくつも有している。

  • 平面図

 

窓1: 書斎の窓
個室群のひとつで、建物の最西端に位置する書斎の石壁には、小さな窓が設けられている。初期のアイデアでは扉として設計されており、東側にある木製扉とシンメトリーの関係で、外部-内部(廊下)-外部の動線を確保し、廊下を通り抜けできる間取りであった。結果として汎用品を流用したとみられる幅850ミリ高さ1メートル弱、少し縦長の鋼製枠フィックス窓は、西から東へ、廊下に明かりをいれる役割を担う。27メートルの廊下を照らすガイドライトのように、そして内部の軸線と直行して建物を貫通する視線をつくりだす、無骨な石壁との対比も魅力的な窓である。

  • Jean Prouvé ©︎ ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 E4396
    Photo ©︎ Centre Pompidou, MNAM-CCI Bibliothèque Kandinsky, Dist. RMN-Grand Palais / Fonds Prouvé

 

窓2: 回転するガラス窓
幅3メートル、高さは屋根形状に沿って3メートルから2.5メートルへとなだらかにカーブする。3ミリ厚の折り曲げ薄板鋼鈑を溶接して組み立てた、プルーヴェ自邸のために製作された唯一のオリジナル窓である。南側端部の支柱上下に円錐状のヒンジが埋め込まれており、その軸を支点に回転する、窓枠を不要とした鉄製回転扉でもある。φ80ミリ、4.5ミリ厚の回転軸部の鉄骨丸柱は、屋根を支える柱の役割も果たす。ピポットヒンジ(軸吊り丁番)といえば想像し易いと思うが、そのディテールは1931年プルーヴェが30才の時に初めて取得した特許の実作である。天気のよい日には一瞬にしてリビングルームを外部へ開放し、直接ゲストを迎え入れられるように想定されたサブエントランスでもある。完成した当初、窓の開閉中にシングルガラス(8ミリ厚)が割れてしまい、それ以降中桟が追加されている。

  • 西/東立面図

 

窓3: 丸窓
プルーヴェの窓でもっとも有名な窓である。以降のプロジェクトでも頻繁に登場する窓だが、よく見比べてみると細かい相違点がみられる。「スタンダード・チェア」と同じく、都度改良を加えていた単品生産の部品、リブ付アルミ製壁パネルの丸窓である。アルミの細かい波板を使って1メートル幅に設定されたパネルには、280ミリ四方均等に直径190ミリの丸窓がレイアウトされている。水回りにセットされたパネルには機能性が優先され、浴槽やキッチンカウンターの高さにあわせて、パネル下端から1.1メートル以上にのみ丸窓が設けられており、換気のために可動するハネ(Lame: 仏)も装備する。
もうひとつはエントランスの両開き扉としての部品、リブ付アルミ製扉パネルの丸窓である。ここでは反対に、開口率をあげるためパネル下端500ミリまで丸窓がセットされている。最も劇的なシークエンスとしては、内部から外部へ扉を開ける時である。円形に切り取られた複数の丸窓からみえる外部の景色が、扉を開けることで大きく長方形に切り取られた景色へと変化するドラマチックな窓でもある。

 

窓4: 上げ下げ窓
居室群である、書斎、子供部屋、主寝室、ゲストルーム、そしてキッチンの一部に上げ下げ窓が使われている。それらは1メートル幅の部品で、内外に木板が張られたシャッター付鋼製壁パネルの上げ下げ窓である。「モザール広場の集合住宅」でも使われていたシャッターとサッシの上げ下げをスムーズにおこなう機構も内蔵されている。窓の上部に木の板張りが施されているのは、他のプロジェクトにも転用できるようにデザインされたバッファで、ここで使われている壁パネルは、第二次世界大戦後に緊急用住宅のためにつくられた部品の転用でもある。1メートルはプルーヴェにとって基本的なモデュールであり、特に2メートル×3メートルの子供部屋はベッド、小さな本棚、勉強机、肘掛椅子を幾重にもレイアウトできる最小限かつ効率的な空間としてデザインされている。

  • 南立面図

 

窓5: リビングルームの窓
プルーヴェが田舎風レストラン(Auberge: 仏)と呼んでいたリビングルームには暖炉が設えてあり、その斜め向かいには地面から直接生えているヤシの木が家主のごとく鎮座していた。高さ2.8メートル全幅8メートルのガラスのカーテンウォールは自邸の中でもひと際大きい窓で、内部から外部へと向かう視線を妨げる構造的要素も入念に避けられている。ガラスの継ぎ目を最小限に、2.3ミリ厚の薄板鋼鈑を折り曲げてつくられた縦桟は1.6メートル間隔で配置され、横桟は階高の中央部分からシンメトリーに1メートル間隔でシングルガラス(8ミリ厚)を分割している。リビング一面に設けられた窓から我らの視線は無意識に外へと導かれ、市内の景色を一望しつつ、すぐそこにある植物が借景となって、まるで森のなかにいるような錯覚を引きおこす。

  • Jean Prouvé ©︎ ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 E4396
    Photo ©︎ Centre Pompidou, MNAM-CCI Bibliothèque Kandinsky, Dist. RMN-Grand Palais / Fonds Prouvé / distributed by AMF

 

プルーヴェの窓と共存するストラクチャー

敷地の北側は土圧を担保する構造壁のようにみえるが、そうではない。土圧を受けないフレームのユニットが屋根荷重の一部と平面(長手面)の風圧力を負担する。それは等高線に沿って敷地の傾斜部分を削り取り、短手方向に2メートルまたは3メートル間隔で敷き詰められたL字型のストラクチャーで、四方をスチールアングルで固定された3ミリ厚の薄板鋼鈑と、床の骨格となるH形鋼125×58から成る、自立するメイン・フレームである。薄板鋼鈑の奥行きは戸棚や引違扉付収納として使われていることを鑑みれば、本棚の構造同様、メイン・フレームを薄板鋼鈑で連結していけば妻面(短手面)の風圧力に対しても有効であったと思う。しかし、プルーヴェは解決案として、面外に作用する500ミリ厚の組積造の壁(石壁)を東西両端部に耐力壁としてセットした。組積造の壁は開放的な平面ファサードとは異なる閉鎖的な妻面ファサードをつくりだし、内部では鋼製枠フィックス窓(窓1)と共存する。

  • メインフレーム詳細図

屋根を支えるリビング上部の鉄骨梁は、これより前に設計されたトロピカルハウス(1949年)の床梁を転用している。この梁はリビングとキッチンの壁を境に2分割されており、合計4本の鉄骨丸柱で支えられている。リビング中央に見える独立柱と壁際にある他2本の柱は、その直径を50ミリとして家具の支柱に近いプロポーションで空間に擬態化させている。もうひとつはエントランスの脇にあるL-165×105×45の柱で、3ミリ厚の薄板鋼鈑を折り曲げてつくられた2つの部材を、溶接でひとつの部品に組み立てている。L字状の断面は、同様の手法で製作されている鉄製回転扉(窓2)の戸当たりも兼ねる。「スタンダード・チェア」や「クリシー人民の家」でも随所にみられた薄板鋼鈑による工業化の片鱗は、部品に機能を重複させるプルーヴェらしいデザインも内包する。さらに45ミリという柱の見付は、これに接続するリブ付アルミ製扉パネル(窓3)の厚みに準じたディテールから決まっており、ひとつの部品で2カ所の入隅部ディテールを解決させる合理的なカタチ(型)でもある。ヤシの木の裏側でもL字柱が使われているのだが、一見すると平面的シンメトリーで別部品のようにみえる。しかし、それは上下回転させただけの、長さの異なる同じ部品である。隣に接続するキッチンのリブ付アルミ製壁パネル(窓3)は機能的というよりも、L字状の柱を反復させ、ディテールの共通化を計るために、ここへセットされている。

  • ガラスのカーテンウォールおよび鉄製回転扉詳細図

 

屋根面は「ルソー木版」(Panneaux “Rousseau” : 仏)と呼ばれる幅1メートルで規格化された長物積層圧着木版を使って、最大7.5メートルのスパンをわずか30ミリで実現している。角度をもった北面のメイン・ストラクチャーから柱代わりとなる部品、リブ付アルミ製壁パネルとリブ付アルミ製扉パネル(窓3)、木板張りシャッター付鋼製壁パネル(窓4)までのスパンは4.5メートル、ここまでは屋根にわずかなムクリが設けられている。一方、鉄骨梁の先では自重によって自然に垂れ下がる形状になるところを、ガラスのカーテンウォール(窓5)を構成する縦桟が屋根をリフトアップする柱となることで、重力に逆らうようなソリがつけられている。つまり、縦桟は、カーテンウォールの方立としてだけではなく、圧縮力を負担する柱として設計されており、材長2.8メートルありながら見付幅60ミリを実現していることになる。

 

  • 断面図

このシカケを実現させたのが、1メートル間隔で配置されたH型断面の横桟で、これらが柱の座屈止めとして機能しているのである。さらに、メイン・フレームのスタンス(奥行)によってつくられる固定端同様に、柱(縦桟)から先に延びる庇は屋根先端に曲げモーメントを誘発する。すなわち、「ムクリ+ソリ」の構造システムはピン支点のみで構成される連続両端固定梁であり、曲率の変更点を中心にシンメトリーとなる曲げモーメントによって、自重のたわみから解放された興味深いストラクチャーなのである。

  • 曲げモーメント図

ただ純粋に構築的(tectonique: 仏)観点からプルーヴェにデザインされてきた建築の部品は、構造/非構造という関係を希薄にし、建築を自律させるために配慮すべき重力や外部応力からも建物を解放したといえるだろう。同時に、それらの部品からつくりだされた5つの窓から見える景色は、内部空間に呼応した外部空間として明確に峻別されている。車の行き交う目抜き通りから門をくぐって、険しい坂を50メートルほど登った先に「プルーヴェ自邸」は今も建っている。1984年3月23 日プルーヴェはこの世を去るが、3年後の1987年に彼の自邸は歴史的建造物に指定され、ナンシー市によって買い取られたのである。

参考文献
ル・コルビュジエ: モデュロール 2, 吉阪隆正訳, 鹿島出版会, 1976.
構築の人、ジャン・プルーヴェ, 早間玲子訳, みすず書房, 2020.
フランプトン, K.: 現代建築史, 中村敏男訳, 青土社, 2003.
ライシュリン, B. et al.: ジャン・プルーヴェ, TOTO出版, 2004.
山名善之: ジャン・プルーヴェの工場製・組立住宅における実験的試み, 10+1 No.41, LIXIL出版, pp.90-97, 2005.
ジャン・プルーヴェ自邸「エポック・メーキング」再検討9, GA HOUSE 21, A.D.A. EDITA Tokyo, 1987.
佐山恭彦, 石田潤, 岩岡竜夫: ジャン・プルーヴェ研究 その10: ナンシーの住宅に関する考察, 日本建築学会大会(東海)学術講演梗概集 F-2, 建築歴史・意匠(2003), pp.353-354, 日本建築学会, 2003.

参考資料
Archives Jean Prouvé: Archives Départementales de Meurthe et Moselleに現存する設計図書(アーカイブナンバー: 230J648 / 合計29枚)。

 

横尾真/Shin Yokoo
構造家、1975年生まれ。東海大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了後、池田昌弘建築研究所を経て2004年にOUVI設立。2016年東京理科大学大学院理工学研究科建築学専攻博士後期課程修了。博士(工学)。2017-2019年、ベオグラード大学特別講師(2017年度文化庁在外研修制度1年研修生)。2020年よりシンガポール国立大学客員上級研究員。おもな構造設計作品に、SNARKとの協働「中郷の家」(2019)、atelier nishikata設計の「4 episodes」(2014)、POINTとの協働「ジュッカイエ」(2009)など。おもな論文に、『E.ボーデュアン、M.ロッズ、J.プルーヴェによる『クリシー人民の家」の意匠的特徴について』(日本建築学会技術報告集、2015年6月)、『「ビュックの飛行クラブハウス」にみられる建物の特徴と構成部品の関係』(日本建築学会計画系論文集、2015年6月)、『「ヴァカンス用住宅 B.L.P.S. 」にみられる建物の特徴と構成部品の関係』(日本建築学会計画系論文集、2017年9月)など。