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July 21, 2021

ジャン・プルーヴェの窓 #1
──ディテールに宿る4つの構築的特徴

金物職人として自身のアトリエを立ち上げながら、ル・コルビュジエをはじめとした先進的な建築家との協働を通して、自身もモダニズムを先導する建築家となっていったジャン・プルーヴェ。建築だけではなく家具のデザインにおいても知名度が高いプルーヴェは、戦後の復興期には、工場で製作した部品を現場で組み立てるプレファブリケーションの分野を切り開いた。プルーヴェの実践を構法と意匠の両面から研究している構造家の横尾真が、実験的な窓の試みを解き明かす。

 

1901年フランス、ナンシー市に生まれたジャン・プルーヴェは生涯にわたって多くのデザイン(主に家具や建物のコンストラクション)に関わった人物である。キャリアの初期は、アール・ヌーヴォー、ナンシー派を率いていた父であるビクトール・プルーヴェの影響を受けて、エミール・ロベールの下で金属細工師の修行を経て、鋳鉄職人として活動していた。晩年はパリに建つポンピドゥー・センターのコンペ審査員長を務め、建物完成のために尽力し、1984年に他界した。その間、コラボレーター(協働設計者)と呼ばれた建築家や自らのスタッフたちと協働して、戦前・戦後の仮設住宅を量産し、革新的な技術を応用した建設法を駆使して、個人住宅、公共施設、学校建築、そこで使われる家具などを次々につくりだしてゆく。250人ほどの職人を抱えていた「アトリエ・ジャン・プルーヴェ」(後のマクセヴィル)と呼ばれる工場においてのことである。彼は生涯で1456プロジェクトに関わり、そのうち412プロジェクトが建築作品であった。

  • ジャン・プルーヴェ

今回は著名な家具のひとつと、部位相互の分節が明快であるふたつの特徴的な建築プロジェクトに注目し、そこに内包されているさまざまなアイデアについてアクソメ図を用いて再確認することで、数々の実験的な試みを行なっていたプルーヴェの外壁および開口部について、その思考の軌跡を追ってみる。

 

組立解体可能な椅子

最初にプルーヴェが広く知られるようになったのは、彼のデザインしたオリジナルの家具に高い値段がつけられ、多くのコレクターが現れたことからである。その中のひとつ「スタンダード・チェア」と呼ばれる生涯完成することのなかった椅子は、1934年から1980年の間に、鉄から木、そしてアルミニウムと素材を替え、改良され続けたプルーヴェにとって特別な椅子だった。なぜなら、この椅子は建築を構想するためのプロトタイプでもあったからである。

  • 右端2脚: スチールの脚と成型合板でつくられた最初のスタンダード・チェア(1934年)。右から3番目: 1941年に作られた木製版。右から4番目: 1947年につくられた組立解体式チェア。右から5番目: 1950年は豊作の年。これは木製の組立解体式チェア。右から6番目:スチール脚とアルミシートのタイプ(1950年)。右から7番目:スチール脚と合成皮革シートのタイプ(1950年)。右から8番目: スチール脚と成型合板という最初のモデルと同じ素材を用いながら、デザイン的に完成をみたタイプ(1950年)。左端: 1980年にプルーヴェが最後に手がけた、後ろ脚にアルミを使った新しいモデルのプロトタイプ(メーカーの倒産により製品化はできなかった)。アルミがもっとも強度を発揮できるかたちを追い求め、後ろ脚の内側にはリブがつけられた。 『Pen』2002年8/1号より転載 © Pen, 2002

特徴的な後ろ脚のデザインは建築の架構デザインとも類似し、素材についても、スチール、木、アルミニウムと建築で使われた時期と同じ系譜をたどっている。とりわけ、1947年に製作されたスタンダード・チェアは、初めて発表された組立解体可能な椅子(Chaise Standard Démontable: 仏)であり、デザイン的にもひとつの完成をみている。安価にするため他シリーズのスタンダード・チェアと部材を共有し、アフリカなど国外へ輸出するためのアイデアとして、建築のコンストラクションにも応用可能な、組立と解体を容易にする方法が考案されている。それは脚部、座面、背板を独立した部材とし、ボルトやフックなどのディテールにより、現地で容易に組立(解体)できるものであった。

  • 組立解体式スタンダード・チェアの分解図

 

工業化カーテンウォールシステムの先駆け──クリシー人民の家

プルーヴェがはじめて建物全体の設計施工に関かかわったのは1938年で、フランス人建築家ウジェーヌ・ボードゥアン(Eugène Beaudouin)とマルセル・ロッズ(Marcel Lods)と協働することで始まった。その建物はいまもパリに現存する「クリシー人民の家」 (Maison du Peuple de Clichy: 仏)であり、フロントマリオンと曲面金属外壁パネルを用いた、工場生産による世界でほぼ初めての工業化カーテンウォールシステムを実用化している。“ほぼ初めて”といったのは、これより早い例として、バウハウス・デッサウ校舎に先駆けて設計が始まっていた、1931年竣工のレーンデルト・ファン・デル・フルフト(Leendert van der Vlugt)とJ・A・ブリンクマン(Johannes Andreas Brinkman)による「ファン・ネレ煙草工場」が挙げられるから。しかし、そのディテールは三角シールによってスティールフロントよりガラスを留めるシンプルなものであったし、ミース・ファン・デル・ローエの「レイク・ショア・ドライブ・アパートメント」の出現は1950年代に入ってからで、それは完全に工場生産されたものではなかった。

  • クリシー人民の家(北側外観)

「クリシー人民の家」におけるひとつ目のカーテンウォールは、昨今一般的となっているガラスとマリオンによるものである。1.04メートル間隔でセットされたフロントマリオンは、ふたつのL字アングルと1.8ミリ厚の薄板鋼鈑を折り曲げてつくられた4つの部材により構成される。これは外壁となる透明ガラスのサッシ枠だけではなく、室内側に取りつけられた波板状のスクリーンも同時に固定する。ひとつの部位に複数の機能を重ねる工夫は、今後幾多の発展をみせるプルーヴェらしいアイデアのひとつである。設計当初、薄板鋼鈑の弱点でもある面剛性を補強するため、このマリオンには断面的にムクリがつけられていた。しかし、製作上の問題から、実装されたマリオンは標準的なサッシュの形式となっている。

  • 最小限部材によるフロントマリオンの試み

ふたつ目のカーテンウォールである曲面金属外壁パネルは、無開口、窓付、ドア付の3種類から構成され、1.5ミリ厚の薄板鋼鈑を折り曲げてつくられた2枚の部材で製作されている。パネル幅は1.04メートルを基準として、フロントマリオンとあわせて建物外形のモジュールを形成する。鉄製であるため、将来改修の際に取り替えが容易になるよう、パネルの重さは1枚あたり90キロ以下に設定され、簡単な重機を室内側から使うことで交換できるように工夫されていた。それを実現しているのが、ハンギングシステムと呼ばれるパネル上部隅の部材で、これにより躯体に引っ掛けるだけのシンプルなディテールとなっている。こうしたデザインアプローチは「スタンダード・チェア」でもみられた組立と解体を容易に可能とするアイデアの延長である。建物の構成部品が交換可能であることは今日のエコロジーやサスティナブルな思想にも通じるものがある。もうひとつ、フロントマリオンで断念されたムクリのアイデアが、ここでは重要な役割を果たしている。パネル中央内部に配置されたスプリングによる微妙なムクリによって薄板鋼鈑によるパネルの自立を実現している。左右端部には、鳥のくちばしのようなソリ(逆ムクリ)が設けられており、接合部への雨水の浸入を防ぐ。そして、パネル相互の隙間は室内の温度調節をおこなう通風機能と、外気温による鉄製パネルの膨張収縮を吸収する役目も兼ねている。

  • 美と剛性を兼ね備えた曲面金属外壁パネル

この建物には3つの用途が用意されていて、時間帯によって使い分けられていた。午前中は市場(1階+2階)、午後には会議場または映画館(2階)である。これら複数の用途を3つの可動機構──サンルーフ / 可動パーティション / 取り外し可能な2階床自動運搬システム──によって実現している。もっとも特徴的なサンルーフは、平面形17メートル×17メートルの大きさで、ノコギリ型断面をもつ巨大なトップライトであり、空と直接つながるヴォイドをつくりだす可動機構である。このサンルーフは巨大な鉄製車輪(直径480ミリ)によって列車のごとくレール上を自動で走行する。

RESONANT ARCHITECTURE
Conception: Nicolas Maigret, Nicolas Montgermont, Jeremy Gravayat, Yann Leguay

 

午前中に市場として利用する際は2階の一部床を取り外し、吹き抜けをつくり出すことで1階と2階を一体的に利用しつつ、サンルーフを開放することで食品類が発するにおいを拡散・換気する半屋外空間として利用される。午後になれば床を元に戻し、サンルーフを閉じて、瞬時に光が取り込まれる明るい会議場となる。映画館として利用する際には、可動パーティションと天井に取りつけられた遮蔽カーテンを閉じることによって建物中央部を暗室とする。これが開放的なガラスのフロントマリオンと曲面金属外壁パネルを建物の前後で使い分けた理由でもあった。

第二次世界大戦をまたいで竣工したこともあって、幾度の改修と、一時は建物が使われず老築化するなど不運もあったが、1983年に歴史的建造物として認定され、1995年から2005年までの間に改修工事が実施されている。一時は錆びついていたフロントマリオンや曲面金属外壁パネルも、今ではきれいに一新されている。

 

新たな風景をつくりだす窓システム──モザール広場の集合住宅

「クリシー人民の家」で一定の成功をおさめたプルーヴェであったが、工事費の半分以上は支払われず、工場の経営が切迫する。そんな折、アルミニウム・フランセ社、そしてペシネー社といったアルミニウムを建材として発展させようとしていた大企業から融資を取りつけ、工場の維持・拡大に成功する。これにより、アルミニウムという新しい可能性を得ると同時に、この選択がプルーヴェの人生における最大の不幸を誘発する。「モザール広場の集合住宅」竣工と同じくして、プルーヴェは自身の工場を手放すことになるのである。

  • モザール広場の集合住宅(1953)
    Photo © Centre Pompidou, MNAM-CCI Bibliothèque Kandinsky, Dist. RMN-Grand Palais / distributed by AMF

パリ16区の閑静な住宅街にたたずむその建物は、いまでも異質な存在感を放っている。1953年L・ミラボー(Lionel Mirabaud)との協働で実現した「モザール広場の集合住宅」(Immeuble de logements square Mozart: 仏)のファサードである。アルミニウムの軽さと強度、加えて加工のし易さといった素材の特徴を見いだしたプルーヴェは、可動する窓システムを考案した。

  • 6段階に変化する可動式開口システム

幅1.45メートル・高さ2.63メートルでユニット化された波板状のアルミニウム板0.8ミリ厚によるファサードパネルは、3つの可動機構を内包する。上段欄間の小さな丸穴は横方向スライド式で開閉し、ベンチレーションとして機能する。中段は上下に可動するガラス窓であり、バランサーによって任意の位置で自由に留めることが可能となっている。そして、驚くべき最後の機構は下段に位置する。下段は断熱材を内包する室内用の壁と外壁側にとりつく鎧戸からなる。

  • マリオン・サッシュの納まり

ガラスカバーのようにもみえるアルミの鎧戸は上下に可動し、窓上端まで上げれば雨戸になり、そのまま窓を下げておけば、鎧戸に設けられたスリットから通風のみ受けることが可能となっている。さらに、オーニングのごとく外側に突き出て庇にもなる。筆者も体験したが、ガラスの重さを感じないほど、これらはスムーズに動いた。住人はそのときの気候や気分にあわせ、パネルを上下したり、時には突き出したりする。単純なモノを多様に変化させる技術によって、住民は時間や季節によって表情を変えるファサードと同居している。

  • いまでも現役で活躍している可動する窓システム(2017年撮影)© Kazuki Horikoshi

 

ディテールに宿る4つの構築的特徴

プルーヴェの創作活動は、実際の素材、すなわちモノとモノとの関係の構築が重要であった。自らの工場が所有する製作機器や素材からインスピレーションを受け、構築的(tectonique: 仏)に──言い替えれば技術的イメージによって──家具や建築を部分からデザインしていたともいえるだろう。

プルーヴェのデザインした窓には、組立と解体を容易に可能とする方法、可動する機構、ひとつの部位に複数の機能を重ねる工夫、そして、単純なモノを多様に変化させる技術という、4つの構築的特徴を見いだすことができる。それらにみられるディテールは、全体に対して自律的にふるまう建物の部分である。工業化がもたらすのは「画一性」なデザインではなく、むしろ工業化こそが「多様性」のあるデザインを獲得できる手段であると、プルーヴェの実践は私たちに明示しているようにもみえる。そのことがプルーヴェにとっての一貫した哲学でもあったと思う。

 

参考文献
ジャン・プルーヴェ: ブルーノ・ライシュリン他, TOTO出版, 2004
構築の人、ジャン・プルーヴェ: 早間玲子訳, みすず出版, 2020
E・ボーデュアン、M・ロッズ、J・プルーヴェによる「クリシー人民の家」の意匠的特徴について: 横尾真, 山名善之, 岩岡竜夫, 日本建築学会技術報告集2015年21巻48号, pp.853-858, 日本建築学会
ジャン・プルーヴェ研究 その2: システムデザインについて: 横尾 真, 小林俊雅, 石田潤, 岩岡竜夫, 日本建築学会大会(東京)学術講演梗概集, 2001, pp.611-612, 日本建築学会
アクソメで見るジャン・プルーヴェ, ディテール no.162, 彰国社, 2004

 

 

横尾真/Shin Yokoo
構造家、1975年生まれ。東海大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了後、池田昌弘建築研究所を経て2004年にOUVI設立。2016年東京理科大学大学院理工学研究科建築学専攻博士後期課程修了。博士(工学)。2017-2019年、ベオグラード大学特別講師(2017年度文化庁在外研修制度1年研修生)。2020年よりシンガポール国立大学客員上級研究員。おもな構造設計作品に、SNARKとの協働「中郷の家」(2019)、atelier nishikata設計の「4 episodes」(2014)、POINTとの協働「ジュッカイエ」(2009)など。おもな論文に、『E.ボーデュアン、M.ロッズ、J.プルーヴェによる『クリシー人民の家」の意匠的特徴について』(日本建築学会技術報告集、2015年6月)、『「ビュックの飛行クラブハウス」にみられる建物の特徴と構成部品の関係』(日本建築学会計画系論文集、2015年6月)、『「ヴァカンス用住宅 B.L.P.S. 」にみられる建物の特徴と構成部品の関係』(日本建築学会計画系論文集、2017年9月)など。