コラム

May 13, 2020

穂村弘 短歌に詠われた窓たち(前編)

古代から現代まで、短歌が織りなしてきた言語表現の小宇宙。その中には、物言わぬまま私たちの日々に溶け込んできた「窓」が、印象的に詠われている歌も見受けられます。
歌作のみならず、歌論も多く手がけてきた歌人・穂村弘さんが全2回で振り返り、考える「窓の歌」たち。その歌もまた、私たちが世界を感じる「窓」なのかもしれません。


【古代の窓、近代の窓​】

今回、改めて調べてみて気づいたのだが、窓という言葉の起源は古い。我が国最古の歌集である万葉集にも既に現れている。​

窓越しに月おし照りてあしひきの嵐吹く夜は君をしそ思ふ  作者未詳『万葉集』

窓越しに月が照り渡って山風が吹く夜はあなたのことがしきりに思われる。そのように詠われた作者の思いは、現代の我々のそれと変わるところがないようだ。当時の窓は明かり採りの高窓だったらしい。​
そんな窓に大きな変化が起こるのは近代になってからのことである。

朝な夕なガラスの窓によこたはる上野の森は見れど飽かぬかも  正岡子規​​

朝となく夕となく一日中眺めていても窓からの上野の森の景色は見飽きることがない。ごく普通の内容に思えるが、実はここには特別な感情が込められている。ポイントは「ガラス」である。​

「なによりもまず窓にガラスが入ったということが近世以前と異なる条件だが、子規の歌はとくに、病床の窓にガラスを贈られ、横臥して庭を見ることが出来たところより歌われたもので、ガラスが透明である、というあたりまえのことが、新鮮であった喜びである」​『岩波現代短歌辞典』より​