WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 窓からのぞく現代台湾

第1回 「鬼」の来る窓 屏東編

田熊隆樹

14 Sep 2021

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Taiwan

アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅した経験を経て、現在は台湾北東部・宜蘭(イーラン)に暮らしながら建築設計に従事する田熊隆樹さん。本連載では、田熊さんが窓を通して切り取る様々な台湾の「今」を追っていきます。

台湾で暮らして5年目になる。
現代の台湾は、基本的には快適な生活が送れる国である。紙を流せないトイレも多いが生活用品を揃えるのに苦労しないし、衛生面に疑問は残るが食べ物は安くおいしく、無数の看板が今にも落ちてきそうだが夜に出歩いても危険を感じない。神経質にならなければ日本と大差ない暮らしができてしまうから、外国にいることを忘れそうにもなる。それでも、ふとしたときに「異国」が顔を出す。

たとえば、台湾の旧正月。民家の窓には不思議な赤い紙が貼られている。この紙は魔除けのようなもので、「鬼」(中国語で「幽霊」や「妖怪」を指す)が入って来るのを防ぐ意味があるらしい。台湾の窓には治安が悪かった時代の名残として、日本人には馴染みの薄い鉄格子が嵌められているが、この赤い紙はむしろ精神的な防御のために貼られているようだ。紙は一年中貼っておくものだが、新年を迎えるにあたって一斉に貼り替える習慣があるため、この時期には窓辺の赤い差し色が特に目立つ。

  • 窓に貼られる赤い紙

台湾で、一年のうちもっとも重要な時期が「春節」と呼ばれる旧正月である。旧暦の正月であり、元旦は1月後半〜2月前半の毎年違う日にちになる。春節が近づくと、人々は新幹線を随分前から予約し、一斉に故郷へ帰る。ちなみに台湾人は春節に限らず故郷へ帰るのが好きな人が多い。週末に時間があればすぐ帰り、家族と過ごす。日本に比べて家族の絆が強いのも、台湾に来てから知ったことのひとつだ。九州ほどの大きさしかないから帰省がしやすいという地理的な理由もあるのだろうが、日本列島が九州ほどの大きさだったら、我々もこんなに頻繁に実家に帰るようになるのだろうか。やはり儒教的思想を感じずにはおれない。

今年の春節も特にやることのない僕は、台湾の正月を経験してみようと、台湾最南の屏東(ピンドン)県にある友人の家で数日過ごした。客家(ハッカ)族の家である。客家は台湾の一民族(人口の2割ほど)で、他に中国東南部や東南アジアにも多く、漢民族の一種らしい。中国語が理解できても、友人の実家で繰り広げられる客家語の会話は何ひとつ聞き取れない。そして友人の祖父母は僕に日本語で話しかけてくるから、状況はさらに複雑である。民族の多様さについては別の機会に譲るとして、今回は春節に彼らが行う、あの赤い紙を貼り替える習慣について紹介したい。

「春聯(チュンリェン)買いに行くよ」

朝飯がてら、外に連れ出された。「春聯」というのはあの赤い紙のことである。友人とともに、貼り替え行事の手伝いを任命されたのである。寺の周りに、春聯を売る出店が出てきていた。大小の赤い紙には縁起の良い言葉が書かれ、道教のアイコンである長いヒゲの生えた男や、丸々とした赤ちゃんの描かれた絵柄物もある。それを皆大量に買っていく。一年に一度必ず売れるのだとすれば、春聯の市場はこの先も安泰かもしれない。今でも手書きのものがあるようだが、ほとんどが印刷で、大量生産品である。記念に一枚、自分でも買ってみた。「天官賜福」という縁起の良い言葉が記され、金色の背景にエンボス加工の施された老人や赤子などが描かれた一品であるが、50円くらいだった。この安さが、いかに大量に消費されているかを物語っている。

  • 春聯を求める人々
  • 買いたての春聯。縁起の良い要素が集結している感じがする

友人の家に帰ると、買ってきたばかりの春聯を貼る作業が待っていた。門や扉、窓、家中の開口部という開口部に貼っていく。しまいには電気メーターボックスにまで貼っているが、ここから「鬼」が入ってくることを想像すると少し可笑しかった。ちなみに友人によると、ここで言う「鬼」は正式には「年獣」という獅子のような怪物で、人を食べるらしい。窓には1枚、大きい開口部には3枚、5枚と増やしていく。まずは昨年貼った春聯(すでに色あせている)を剥がし、同じ位置に糊を使って貼っていく。障子を一年に一度貼り替えるような感覚に似ている。

  • 友人宅。開口部という開口部に、何かを封じるように赤紙が貼られていく
  • 左手には電気メーターのボックス。ここからも鬼が来る
  • 大きな門には5枚貼る

これだけ貼ってしまうと、逆に貼らなかった開口部に集中して鬼が入って来る気もするが、友人は「二階の手の届かない窓には貼らなくていいよ」と言う。本当にいいのだろうか。そのあたりはゆるやかな台湾らしさがある。

日本の正月に玄関に飾る門松も少しこれに似ているが、門松が「良い神」を呼ぶ目印になるのに対して、春聯は「鬼(悪い神)」が入って来ないようにしようという、逆の考え方がそこにはある。日本は「福は内」、台湾では「鬼は外」の考えが強いということか。つまり台湾において窓は「何か悪いものが入って来る場所」というイメージがあることになる。アルミサッシの普及で世界中の開口部が似たような姿にはなっているが、こうした窓周辺の行為に、台湾、または中国に根強く残る窓に対する感覚の一端が見えてくるのではないか。もしかしたらこの感覚は、鉄格子が嵌め込まれていることとも関係があるのかもしれない、と想像は飛躍する。

  • ずらっと並ぶ赤い紙。道教の寺にて
  • 建具、鉄格子、春聯。防ぐものの多い台湾の窓

午後は近くの道教の寺に、新年の挨拶に行った。
神様が祀られた部屋の開口部一つひとつに、先ほど友人の家で貼ったのと同じような春聯が貼られているのを見ると、異国の寺にも親しみを感じる。それにしても台湾の窓は、建具の他に鉄格子、春聯と、色々と防ぐものが多くて大変そうだ。

第2回へ続く)

 

田熊隆樹/Ryuki Taguma

1992年東京生まれ。2017年早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程卒業。大学院休学中に中国からイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する(エッセイ「窓からのぞくアジアの旅」として窓研究所ウェブサイトで連載)。2017年より台湾・宜蘭(イーラン)の田中央工作群(Fieldoffice Architects)にて黃聲遠に師事。2018年ユニオン造形文化財団在外研修、2019年文化庁新進芸術家海外研修制度採用。一年の半分以上が雨の宜蘭を中心に、公園や文化施設、駐車場やバスターミナルなど様々な公共建築を設計する。

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