July 25, 2018

第21回 インド・キッバル「かくれた穴」(前編)

北インドをキナウル地方からさらに上ってゆくと、森林限界を超えて茶色い岩山ばかりが広がっていた。身ひとつで降ろされたら生きて帰れないだろう、と変な想像をしながらローカルバスを乗り継ぐ。

中国のチベット文化圏を旅したあと東南アジアに南下して、インドに入国したら山を登り、またチベット人に会いに来てしまった。彼らの住む場所は息を呑むほど美しいのだ。惹かれるのも無理はない。スピティ地方と呼ばれるこの辺りの地域は、インドから仏教が伝播したルート上にあり、いまでもチベット族の人々が静かに暮らしている。チベット人(ここではチベット仏教を信仰する人)たちはインド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートがぶつかり合ってできたヒマラヤ山脈、つまり地球のエネルギーが最も可視化された場所を中心に国家を超えて点在している。

彼らの建築の多くは、一目でそれとわかる特徴を持っている。白い箱のような姿で、小さな窓がポツ、ポツと規則正しく開いているのだ。白い面に対する窓まわりの色や装飾が、かろうじて人の気配を感じさせてくれる。遠くから白い箱の集合を見つけた時、人が寄り集まって住むことの切実さを感じる。「身ひとつで降ろされたら……」と想像したあの気持ちは、彼らにも共通するのかもしれない。

  • チベット人の集落を崖越しに遠望する。白い壁は日が暮れ始めても見つけやすい

スピティ地方の村、キー(Key)には、およそ1000年前に建立されたキーゴンパ(ゴンパは寺の意味)がある。チベットの寺は家と同じ特徴をもっているため、崖の頂上にへばりつくそれは、家々を集めてギュッと固めたような姿である。どれが僧侶の家で、どれが礼拝をする場所なのかもよくわからない。

  • キーゴンパ。盛り上がった地形をなぞるように建っている

今回は、スピティ地方の中でも、キッバル(Kibber)という村の話をしようと思う。ゴンパと数十軒の家があるのみの小さな村である。キッバルは標高4,200mほどの場所にある村で、かつては「世界でもっとも標高の高い集落」として旅人の間では密かに有名だったらしい。

道中出会ったインド人、コロンビア人の若者と共にバスで村に着いて、宿を探した。ほとんど旅人のいないこの村には数軒の宿があるだけで、われわれはホームステイ宿と称する初老の夫婦の家に滞在できることになった。その家はこの地方の典型的なチベット民家で、(毎日必ず停電することを除けば)格安で快適であった。さらに幸運なことに今回は、泊まっている宿の主人に頼んで、住みながら家の調査をさせてもらえることになった。

キッバルの家は2〜3階建てで、壁は版築構造でできている(冬季の雪のため下部は石積み)。版築は土をひたすら突き固めて一段ずつ壁を盛り上げていく方法で、古代から中国や日本でも使われてきた。宿の主人が言うには、この辺りで頻発する地震にも弱くないらしい。粉々に砕けば次の家をつくるための材料にもなる。どれほど昔に建てられた家の土で、いま目の前に建つ建物はできているのだろうか。

  • キッバル村。白い家が谷間に沿って南向きに配置されている

最初の2日ほどはキーゴンパを見に行ったり、集落をぐるぐると観察した。遠くからだと四角く見えていた窓も、近くで見ると少し変わった形で黒く縁取られていた。宿の主人によれば、神様のツノを模した形なのだそうだ。

  • 宿の外壁

荒野が広がる中に建つ四角い家に開いた穴には、空気や光の他に、目に見えない霊気や悪いものも入ってくると考えられていたのだろう、装飾という「まじない」を必要とする気持ちもわかる気がした。

  • 古そうな家。下部は石積み、上部は版築の壁(一段ごとに水平線が見える)

集落を歩いているだけでやけに疲れてしまった。このくらいの標高になると斜面を登るだけでも息が切れそうになり、素早く動いたり大声で喋ったりすることはエネルギーの無駄であることを身をもって知った。高所に営まれる集落に静謐を覚えるのは必然だった。

この静けさに、私たちが生きているのと同じ時代にありながら、全く踏み入れることのできない世界があるということを突きつけられたような気がする。少しでもいいから、パッと見るだけではわからない、この世界の深いところを見てみたい。他の旅人たちが次の町へ出発するのを見送り、一人ここに残ることにした。

 

田熊隆樹/Ryuki Taguma
1992年東京生まれ。2014年早稲田大学創造理工学部建築学科卒業。卒業論文にて優秀論文賞、卒業設計にて金賞受賞。2015年度休学し、東は中国、西はイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する。2017年早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程卒業。修士論文早苗賞受賞。2017年5月より台湾・宜蘭の田中央工作群(Fieldoffice Architects)にて黃聲遠に師事。