WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 アルド・ロッシの窓

聖なる侵入
アルド・ロッシの窓

片桐悠自

31 Jan 2023

Keywords
Aldo Rossi
Architecture
Essays
Italy

ルイ・カーンだったか。「窓を空ける際に、壁が泣く」と表現したのは。

そびえ立つ壁、屹立するヴォリュームに、人は、なんらかの愛着と恐れを見出す。壁に孔を空けるという行為には、なんらかの崇高な物体を侵犯するというような意味があるかもしれない。

  • ファニャーノ・オローナの小学校のエントランスポーチ

「ファニャーノ・オローナの小学校」(1972-76)のエントランスの開口部には、穿たれた壁をむき出しにしたような、ガラスもサッシもない田の字窓がある。建築家アルド・ロッシ(Aldo Rossi 1931-1997)の手掛けた建物であり、北イタリア・ミラノから少し北西に離れた町にある。縦横1mほどの正方形の孔を十字型のマリオンに沿って四つ空けた、ガラスのないʻ窓ʼが訪れた人々を出迎える。

子どもならば、この ʻ窓ʼをよじ登ってくぐり抜けることもできるだろう。壁と一体化した田の字型のʻ窓ʼを境界として、雨や風、ロンバルディア地方の霧、子どもの声、鳥や虫など、動くものたちが建物の内外を自由に通り抜ける。フレーミングされる風景はガラスで隔てられることなく、生き物たちや、光や霧の行き来する様が直接眼に入る。

  • ガラスのない田の字窓
  • 小学校の入り口

土地の空気を感じながら、人間が内外を通り抜けるところに建築の場があるというのは、ロッシの建築に独特の身体体験といえるかもしれない。彼の慣れ親しんだ北イタリアは、夏の強い日差し、ポー川の水位と周囲の霧、ミラノの喧騒といった周囲の雰囲気が、建築のイメージにまとわりつく。

『アルド・ロッシ自伝』(以下、『自伝』と表記)では、イタリア語の単語“テンポtempo”が他の言語に訳しにくいことをロッシが吐露する箇所がある。

環境と時間の両方を意味するイタリア語“テンポ”はあらゆる構築行為を司る法則である。[…] 光と影とは、建築を露わにしたあと、それを消費し、つかの間であると同時にどこまでも広がるイメージを示す、雰囲気的かつ年代的な“テンポ”なのである 1

ここでロッシは、“テンポ”という言葉における、通常の「時間」という意味だけでなく、「雰囲気」や「季節の移り変わり」という意味を強調する。“テンポ”は、光と影のような視覚的イメージをともなうことで、時間と空間の両方に溶け出す建築のあり方を示している。

  • ガラスのない正方形の孔

建築における“テンポ”をもっともよく表現しているのは、この小学校の少し前に、設計競技案として提出され、後のロッシの代表作となった「モデナのサン・カタルド墓地拡張計画」(1971-, 以下「モデナ墓地」)であろう。『自伝』では、この墓地の“テンポ”について、ロッシは以下のように述べている。

建造物自体が修正されたように、その形態も私のドローイングでは心もち変化している。これが設計されるきっかけとなった設計競技にむけての題目は“空の青み”であった。このシートメタルで覆った巨大な青屋根は昼光や薄光に輝き、また四季折々の光にも反応していかにも繊細であり、今日これを見渡すと青色が深く翳ったり光彩を放ったりする。その壁は古い墓地に用いられたエミリア地方の煉瓦をピンクのスタッコで覆ったもので、光の効果が極端に現れ、ほとんど白色にみえたり赤紫に変化したりする。 2

墓地全体の敷地を取り囲む回廊型の納棺堂屋根には、青く塗装された屋根が張られた。晴れた日には空と一体となり、小雨の日には、霧で淡青色に曇る。
長い回廊に囲まれた墓地の中心には、孔のようなガラスもサッシもない窓がグリッド状に並べられた立方体状の建物がある。吹きさらしの正方形の窓が連続し、天蓋の中庭がくり抜かれた、内部化された場所を一切持たない、特異な建築である。
この“穿たれた立方体”は、中庭に開かれた四つの壁だけで構成されており、中庭側には鉄筋コンクリート造の納骨箱が配された壁が設けられている。この内壁に沿って周回する鉄骨製スラブも、仮設構造物のように雨ざらしとなっている。

  • 穿たれた立方体
  • 立方体の中庭側

だけが屹立し、ほぼ外部だけで形づくられた不思議な建物である。設計競技時は、三面に孔の穿たれた「聖所」として計画されており、なんどかの設計変更を経て、プログラムとしては納骨堂となったものの、「ガラス窓もサッシも持たない、壁内部を穿った死者の家」 3という当初の意図は実現された。

設計競技案で述べられるような、「モデナ墓地」の立方体における吹きさらしの孔への愛着は、この墓地の「死者の家」という設計理念を喚起する。ほとんど、骸骨のような機能を持たない建物であり、内と外が明確に異なる意匠でありながら、中も外も同じであるという不可解な場所の印象が生じている。開かれる窓や扉の大きさや広がりを調整しながら、〈箱〉が穿たれ、侵入者を許容する閾が形づくられる。いわば、建築によって、建物の覆いと周囲を行き来するʻ流れʼ 4を許容する体験がもたらされている。

 

築家・坂本一成は、完全に閉じた場への恐れは、死者の場としての墓への恐れであるという、人間が部屋に抱くアンビバレントな関係を論じている 5。建築という〈箱〉は屹立し、外の世界から、内に入った人間を守るものである。同時に、人は完全に閉じた場所に住むことはできない。人間が入ることのできる天蓋に覆われた〈箱〉はなんらかの形で外の空気や光、風景をもたらす開口部を必要とするのだ。もし、「窓のない立方体」 6を考えた際、完全に閉じられたその〈箱〉は、その聖性、恐るべき崇高さによって、人間に対抗する 7。人間が入ることのできる建築には、この聖なる〈箱〉への侵入行為を必然的にともなう。

私見では、「モデナ墓地」の立方体がほとんど壁だけの建物として提案されたのは、人間や風など流れ出るものが通り抜けることができるような孔を介して、立方体への聖なる侵犯を形づくる意図があったのではと考えている。いわば、〈流れるもの〉によって幾何学を、キューブという理想的な〈箱〉を侵犯/違反する行為である。

際、「モデナ墓地」の設計競技案は、ジョルジュ・バタイユの小説『空の青み Le bleu du ciel』のイタリア語タイトルを援用し、“L’azzurro del cielo(空の青み)”と題されたのだが、“穿たれた立方体”の開口部は、バタイユが中庭に向かって開かれた窓に〈水のなかの水〉 8の状態を見出したように、流れ出るものが隘路として通りぬける。バタイユの小説では、主人公トロップマンの幻視が、窓辺の石像の騎士をめぐる不安から、夜の墓地での交接の際に見紛う「空の青み」の描写へと至るのだが、こうした小説内の “テンポ”に、ロッシは超越論的な=聖なる幾何学を「侵犯する」意識を感じ取ったのかもしれない。

幾何学的なモニュメントが屹立しながら、モニュメントが周囲に溶け出し、不定形アンフォルメルに持続するとき、建築に固有のʻ場ʼが認識される。壁は流れ出て、動き回るものを許容するように、雨や霧、風や雹といった自然現象、鳥や虫や人といった侵入者に向かって穿たれる。

立方体に相対する回廊状の納棺所には田の字の窓が取り付けられたが、竣工時当初は、立方体と同様にガラスのない正方形の孔となっていたようだ。初の改善案では、窓からセットバックしたところに扉を取り付けて来訪者が参拝する部分のみを内部化し、ガラスサッシのない窓を保持する意図があったようである 9。冬場に侵入するエミーリア・ロマーニャの風は多くの来訪者にとって耐え難かったようで、現在はガラスのついた田の字窓が取り付けられている。

  • 回廊型納棺所・ガラスサッシの設けられた田の字窓

この回廊の竣工時は、“穿たれた立方体”に似て、同一の場所にあると感じられる身体体験を喚起したのだろう。内と外のファサードの面を明確に分離しつつ、回廊に囲まれた部分にも、建物の外の風、光、音、声が侵入する。予算の都合上それは実現されなかったものの、ガラス窓を取り付けず、半外部化したままの時点での建物は、後に建設されることになった“穿たれた立方体”のファサードと同様、「骸骨」のように、孔の空けられた窓が連続するものだったと推測される。

 

「モデナ墓地」における、異なる空間でありつつも建物の内外が同一の場所にあると感じられるような体験には、ロッシが幼少の頃から慣れ親しんだ「ソマスカのサクロ・モンテ」があるのだろう。ソマスカは、『自伝』で「S町のサクリ・モンティ」として言及される、アルド・ロッシの父方の故郷である。コモの一つ山を越えた先、湖に面したレッコのすぐ南側にある小さな村であり、ロッシの宗教的基盤となっていたカトリックの一派「パードリ・ソマスキ(ソマスカの教父たち)」の本山を有する、少年の頃からロッシが何度も訪れた場所である。

  • ソマスカのサクロ・モンテ
  • 聖ジローラモの生涯

『自伝』で述べられる「サクリ・モンティ(単数形はサクロ・モンテ、聖山)」は、反宗教改革の時代に、人々がキリストや聖人の生涯を体験するために建てられた巡礼施設である。「ヴァレーゼのサクロ・モンテ」をはじめ、ロンバルディア地方にあるいくつかのサクリ・モンティは世界遺産に指定されているが、その多くはキリストの生涯を描いたものである。一方で、「ソマスカのサクロ・モンテ」は、聖ジローラモ・エミリアーニの生涯を表現した聖山であり、改悛した軍人が「貧しき聖者」となるまでの生涯の道のりが表現される。

訪れた人は、峻厳な山路に沿った礼拝順路に沿って、19世紀に整備された新古典主義のパビリオン=〈箱〉をめざして登っていく。山道におかれた箱の内部には、開祖である聖ジローラモの生涯を表現した彫刻群を、金属製の柵扉越しに見やる。パビリオンの内部に入ることはできないが、金属製の柵の間から覗き込み、聖ジローラモの彫刻と同じ場所に「入り込む」ことで、巡礼の感覚が喚起される。山登りの体験のうちに聖人の生涯にʻ侵入ʼするようなパビリオンである。

えば、『都市の建築』第3章において、ʻ場[locus]ʼの説明に、ロッシがなかば唐突に「ヴァレーゼのサクロ・モンテ」の図版を参照したのも、「聖なるもの」と ʻ場ʼの不可分な関係性を示すためであったのだろう 10。ロッシによると、聖なる「特異点群」が、人々をあつめ、場を形成し、記憶と歴史を形づくる 11。「教皇の座所」や「サクロ・モンテ(聖山)」の事例は、建築はʻ場ʼと不可分であり、ʻ場ʼにとっても建築なしには認識できないということを表している。

『自伝』で述べられる、もう一つの「聖山(サクロ・モンテ)」は、「アローナのサン・カルローネ像」である。これは、ロッシが少年時代から慣れ親しんだ、マッジョーレ湖のほとりに建てられた反宗教改革のモニュメントであり、聖人像内部の人間は、聖人の胎内に侵入した小動物であるかのように振る舞う。

像の裏側から穿たれた入り口から、頭部に向かって垂直に空けられたトンネルを鉄砲階段で登り、肩部にたどり着く。聖人の肩部には小さな回廊と吹きさらしのドーマー窓が設けられ、窓から身を乗り出し、湖の景色を見渡すことができる。この体験は、自らが、人体を直接的に表現する建築と一体であるかのように感じられる、特異な胎内めぐりの体験である。

巨大な聖人の像の内外は、明確に異なる空間であるものの、聖人の背に設けられた吹きさらしの窓から、風が通り抜け、雨が流れ込み、霧が侵入する。“開口部”という生物学から取られた建築の術語が、このモニュメントではそのまま、人体の開口部と対応する。目、鼻の孔、耳の孔といった開口部から周囲の光景を覗き込み、風が流れ、声が漏れ出るところに、侵入者たる小動物は聖人像に固有のʻ場ʼを見出すのだ。

  • クネオのモニュメント

うした少年時代に見た「サンカルローネ像」の体験が、ジャンウーゴ・ポレゼッロならびにルーカ・メーダと共同設計した「クネオの対独パルチザン記念碑」(1962)へと発展させられたのだろう 12。「クネオのモニュメント」は、持ち上げられた中庭を持つモニュメントであり、かつての戦場を見渡すサッシのない水平横長のスリットへと登る階段をくぐり抜ける。建物によって囲まれる領域、持ち上げられた中庭は、建物の内外を峻別しつつも、流れるものの侵入を許容する。建物の内側と、外側で同一の身体体験がもたらされ、ガラスもサッシもない穿たれた孔から、液体のように、動き回るものが流れ出し、漏れ出すように通り抜ける。

聖なる場にたどり着くために身体の上下運動が必要となる点で、実現されることのなかった「クネオのモニュメント」には、「サンカルローネ像」と同様の体験を思い浮かべることができる。「モデナ墓地」の立方体と同様、「サンカルローネ像」や「クネオのモニュメント」は明確に分割された二つの領域を持ちながら、ガラスで区切られることのないスリットや開口部を風や音、人が通りぬけることを許容する。

  • ペルティーニ記念碑

うしたモニュメントが作り出すのは、空間というよりは、領域や場と言ってもよいだろうか。「クネオのモニュメント」は実現することはなかったものの、後にロッシによって「サンドロ・ペルティーニ記念碑」として翻案された 13

共和国大統領の名を冠した「ペルティーニ記念碑」は、「クネオのモニュメント」とおなじく、階段を持つ立方体である。踏み込みのない蹴上・踏面ともに600mmの階段は、階段としての通常の役割よりも、人々がよじ登って座ることを企図して、大きさが定められたのだろう。階段の頂上は小さな広場が置かれ、塗装されたH型鋼の楣が水平横長のスリットを作り出している。「クネオのモニュメント」から援用されたと思われるスリットは、風や鳥の行き来を可能にする。モニュメントの内側と囲まれる場所が一体として企図され、開放的なʻ場ʼを作り出している。

  • ジュッサーノの礼拝堂

こうしたロッシの、聖なる場へ侵入、ないしは闖入ちんにゅうするものへの意識は、「世界劇場」と同時期の1980年に計画された「ジュッサーノのモルテーニ家礼拝堂」において結実したのだろう。これは、ミラノとコモの間の街・ジュッサーノの公営墓地にある家族墓所のための礼拝堂であり、煉瓦造の四角柱に穿たれた正方形の孔に、スチールメッシュの扉と窓が設けられた。扉のメッシュの間からは、内部にある木製のレタブロが透けて見え、内は風が、わずかに雨が侵入する。ロッシ自身の言を引くならば、メッシュで覆われた開口部は、聖なるものと死の境界をおぼろげに表現しようという意図があった。

入り口の門と両脇の窓には、スチールメッシュを張った鉄格子が嵌め込まれている。この格子は、内部を緩やかに守りながら、内部にある木製の祭壇を外から見ることを可能にしている。スチールメッシュは、聖なるものと死のおぼろげなる様を周辺の世界から明確に分断しているロンバルディアのサクリ・モンティのあり方と同義的に用いられている。側面の階段にも同様な門が置かれている。 14

聖と死のあり方をおぼろげに区切るメッシュ窓・扉には、内部を温室化しない工夫も考慮されているのだろう。煉瓦造の外壁の内側を取り巻く、鉄骨で支えられたガラスのキャノピーが内部に太陽光を取り入れる。メッシュの網の間からは、光が漏れ、雨、風、音、虫が侵入する。風が通り抜けることで、内側では、外の墓所の光景が、薄い網状のスクリーンを介して取り込まれる。

  • 礼拝堂のスチールメッシュの張られた扉

角柱のモノリスという幾何学に孔が穿たれ、見えない流れが、漏れて、溢れ出す。メッシュの窓は、観念的には公共墓地と私的礼拝堂の閾をかろうじて間仕切っていると同時に、即物的にも、侵入するものに対して開きながら閉じているかのようだ。私的な目的のために建てられた礼拝堂でありながら、公的なモニュメントとして、建物を内外の領域を分け隔ない場を作り出す佇まいは、外部の人間をも許容する管理の仕方にも現れているのだろう。

可能な限り、窓を、開口部をʻ侵入者ʼへと開くことは、建築の経験を周囲の環境と同一化し、場所に固有の感覚を抽象する契機となるのかもしれない。

  • ガラスのないメッシュ窓

 

注釈

1 :アルド・ロッシ『アルド・ロッシ自伝』三宅理一 訳, 鹿島出版会, 1984, p.10, p.109; Rossi, Aldo, A Scientific Autobiography, trans. by Lawrence Venuti, MIT Press, 1981, p.1, p.47.

2 Ibid., p.38, バタイユの小説のタイトル部分を改訳.

3 :規則的な窓を持つキューブの建物は、床を持たない家の構造をとっている。屋根はなく、窓もサッシ[serramenti]を持たず、壁内部を穿つものである。それは死者の家である。建築的には、完成しなかった家であり、それゆえに、見捨てられたのだ。この未完成の、打ち捨てられた家は、死を類推させるものである。」(ロッシ「空の青み」(1971), 筆者訳)

Rossi, Aldo, “Lʼazzurro del cielo”, Controspazio (10), 1972, p.4; Savi,Vittorio, L’architettura di Aldo Rossi, Franco Angeli Editore, 1976, p.202.

4 :坂牛卓は、建築図には、描き出される「物」「間」の他に、熱や光、音、風、人の動きといった「流れflow」が考慮されるものであると論じている; 坂牛卓『建築の設計力』, 彰国社, 2020. ここには、ヘーゲルが『美学講義』で論じたゴシック聖堂の内部での「流れ」とアナロジカルな関連が見出せる。以下の筆者による論考では、「流れ」を、ロッシによるヘーゲルの参照をもとに解釈している。片桐悠自「流れ、その見えざる規則―坂牛卓氏の設計論「〈物〉/〈間〉/〈流れ〉」によせて―」, https://note.com/aij_theory/n/n32947e422493/, 参照2022年12月12日.

5 :「…閉じられた場は覆うことによってもたらされるにもかかわらず、その〈閉じられること〉ことに対しての恐怖から逆に解放することを必要とする。完全に閉じた場が死を意味し、また死人の場(墓)であることを考えれば、その閉じられることへの恐れを理解できよう。つまり世界から閉じることで世界から異化した場は逆にその反作用によって同時に世界との同化を必要とすることになるというアンビバレントな関係をその場は持つことになる。」坂本一成「部屋の意味の基盤―異化と同化の間に」, 『インテリア JAPAN INTERIOR DESIGN』(236), インテリア出版, 1978, p.40.

6 :1930年頃に、空調技術の発達したアメリカにおいて、「窓のない建物」が構想されはじめた。印牧岳彦による以下の論考は、窓が一切ない建物がもたらす外部環境と内部環境の完全な切断を「建築的ロボトミー」として着目し、フランシス・ケアリー(Francis Carey)の「窓のない建物」の提案が建築家たちに巻き起こした議論を踏査している。印牧岳彦「空気調整と建築的ロボトミー1930年前後のアメリカにおける「窓のない建物」をめぐる議論について」, 表象文化論学会第16回大会発表レジュメ, 2022.

7 :「聖」が建築分野において、多く議論されるのは、森田慶一が『建築論』で「強・用・美」に「聖」というカテゴリーが加えたことが大きいと思われる。近年、土居義岳は、宗教学者ルドルフ・オットーの『聖なるもの』を参照しながら、「聖」がア・プリオリな範疇であると論じ、そこにフロイト的な「ハイムリッヒ(das Heimliche, 不(無)気味)さ」と同時代的共鳴を見出している; 土居義岳『建築の聖なるもの 宗教と近代建築の精神史』,東京大学出版会, 2020, pp.198-202. また、土居とは独立に、同じオットーの『聖なるもの』を参照しているP.V.アウレーリは、都市建築の理念の起こりとして“聖the sacred” を論じている。アウレーリは、オットーの「まったく他なるものtotally other」という集団理念を表象する都市の結界[the boundary]の位置づけを考察し、儀式の場としての囲まれた場所/壁が生じることを論じている; Aureli, Pier Vittorio, “Rituals and Walls: The Architecture of Sacred Space”, Rituals and Walls: The Architecture of Sacred Space Researched by AA Diploma Unit 14, Architectural Association London, 2016, pp.10-25.

8 :エロティスムに関するバタイユの言説には、反建築的なイメージが付帯している。井岡詩子は、「液漏れの感覚」と「中庭に向かって開く窓のように、それ自体死に向かって開ける感覚」という建築的/反建築的イメージとの関連について論じている。井岡詩子「エロティスムのふたつの道すじについて」, https://repre.org/repre/vol28/note/01/, 参照2022年12月12日.

9 :「モデナ墓地」の設計競技の審査過程を詳述したD.S.Lopesの以下の論考も参照。なお当該書の邦訳は、近日刊行予定である。Lopes, Diogo Seixas, Melancholy and Architecture: On Aldo Rossi, Park Books Publishing, 2015, pp.151-152; ディオゴ・セイシャス・ロペス『メランコリーと建築 アルド・ロッシ』勝部さおり・佐伯達也 訳, 片桐悠自 監修, フリックスタジオ(窓研究所出版(翻訳)助成による出版), 2023.

10 :アルド・ロッシ『都市の建築』大島哲蔵・福田晴虔 訳, 大龍堂書店, 1991, p.162; ロッシにとって、聖なる場のイメージを喚起する「サクロ・モンテ」は『都市の建築』の中でも重要な図版であったと考えられる。この日本語訳には隣接して、ロンバルディア地方を代表する「サクロ・モンテ」である「ヴァレーゼのサクロ・モンテ」の図版が置かれているが、英語版訳書の代わりに、日本語訳の底本としてロッシが指示した1987年のCLUP版も同様である。底本が異なる英語版(1982)にも同じ図版が参照されている。

11 : 「つまり、空間自体が無化し神話化した状況でも、“特異点群”は存在したのである。それらは巡礼の土地であり、聖地などであって、そのような場所では信者たちはより直接的に神との対話に入り込むことができるのであった。」; Ibid.

12 「サンカルローネ像」と「クネオの対独パルチザン記念碑」のアナロジーについては、以下のC.Onanerの論考も参照。Onaner, Can, ALDO ROSSI ARCHITECTE DU SUSPENS: En quête du temps propre de lʼarchitecture, MētisPresses, 2016, p.69-70. なお、「クネオの対独パルチザン記念碑」などから生じた“穿たれた立方体Cubo scavato”という理念が、その後の「モデナ墓地」に適用された設計過程は、以下の筆者の論考を参照;「穿たれた立方体 -アルド・ロッシ「モデナ墓地」における立方体シェマの設計論的起源-」, 『日本建築学会計画系論文集』 (781), 2021,pp. 1147-1153.

13 :この二つの建築の関係性を、ロッシのかつての協働者であるジャンウーゴ・ポレゼッロは以下のように語っている。「未だに私(ポレゼッロ)はアルド・ロッシに深い敬愛とシンパシーを抱いています。彼は事物に心を奪われる男であり、設計の理念に恋していた男だからです。物[cose]への愛情は、よく知られているように、物[cose]が単なる客体[oggetti]とは全く異なることを意味し、一つの発明となるのです。ロッシは特別な力を持っていました。 詩人としての能力です。再生産・再発明のために、彼はすでにあるものを活用したという意味で「ペルティーニ記念碑」は一つの発明なのです。(「クネオの対独レジスタンス記念碑」は)記憶と同じように、夢と同じように、すでにあるものでありながら、先延ばしにされるものでもあります。私たちは皆、引き続き、同じ日常の風景の中で生きていますが、その日常の風景は実際一回きりのものです。アルド・ロッシが再現しようとしたこの力は、詩人の力なのです。」(筆者訳); Monestiroli, Tomaso, La logica della memoria Maestri antichi e moderni. Una Conversazione con Gianugo Polesello, Maggioli, 2010, p.137-138.

14 :アルド・ロッシ「ジュッサーノ墓地の礼拝堂」大石正昭訳, 『a+u』,(213), 1988, p.61.

片桐悠自/Yuji Katagiri

東京都市大学建築都市デザイン学部建築学科講師。2012年東京大学工学部建築学科卒業。2014年東京大学工学系研究科建築学専攻修士課程修了。2012-13, 2014-15年パリ・ラヴィレット建築大学留学。2017年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、博士(工学)。2017-21年 東京理科大学理工学部建築学科助教(岩岡竜夫研究室)、2021年4月より現職/主な論文に“Circle, Triangle, and Square”(2018),「穿たれた立方体」(2021)。

RELATED ARTICLES

NEW ARTICLES