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January 19, 2017

アメリカ編 (上)

八木幸二 (建築家)

アメリカン・ハウスと言うと、ヨーロッパの様式を取り入れた木造住宅、という感じが一般的である。しかし、実際には、ヨーロッパ各地から移住してきた人たちがそれぞれのバックグラウンドに則って家を建てたのである。こうして始まり、変化していった、多種多様なアメリカン・ハウスの特徴を、3回(上、中、下)に分けて見てみる。

イギリス、オランダの伝統
ヨーロッパ人によるアメリカ植民の初期は、16世紀後半、フロリダ半島に植民地を作ったスペイン系の人たちで、やがてイギリスに敗れてニューメキシコやカリフォルニア方面へ進出した。その後、東海岸では、オランダ、イギリス、ドイツなどからの移民が各地で入植地を広げ、やがて西部劇さながらの幌馬車で内陸へと開拓していった。

初期住宅はワンルーム
17世紀初頭、東海岸に入植を始めたイギリス系の人たちは、まず、ティンバーフレームに藁葺きの一室住居を建て、囲炉裏の煙は壁の上部や屋根の隙間から出していた。また、農民のセルフビルドとしては、農地を開拓するために切り倒した木を使ってログキャビンが建てられた。

  • プリマス初期入植者の家(復元)
    南部ヴァージニアの入植地ジェームスタウンを目指していた清教徒たちが、1620年11月、荒天に阻まれて予定外の地に上陸したのが極寒のプリマスであった
  • リンカーンが住んでいた家(復元)
    この一室だけの簡素な丸太小屋は、1800年代の初頭にケンタッキー州で少年時代を過ごしたリンカーンが住んでいた家の再現だ

ストーンエンダーと小さな窓
入植後しばらくすると、部屋の一端に石やレンガで煙突付きの暖炉を設けた、ストーンエンダーと呼ばれる住居タイプが多くなり、台所、食堂、居間、寝室を兼ねた一室が新たな天地での勤勉な生活を支えた。ガラスが貴重であったこの時代、窓は小さく、ひし形格子にしてわずかな自然光しか入らなかっため、仕事や生活の主な場は屋外であった。

  • ストーンエンダー
  • ひし形ガラス
  • 両端に暖炉のある2 室ログキャビン

ホール&パーラーからの発展
余裕ができると中央に暖炉があるホール&パーラーと呼ばれる2室住居となり、さらにその上に2階がある2+2と呼ばれるタイプに発展、そして裏側の屋根を延ばすとソルトボックスと呼ばれるタイプとなる。

  • センターチムニー
  • 煙突の周りに木造骨組み
  • ソルトボックス

ケースメント窓とハング窓
小さな窓ガラスを入れた両開き窓から、次第に上げ下げ窓が普及していった過程では、より精巧な細工が可能な建具職人の増加が欠かせなかった。

  • ケースメント窓(開き窓)
  • ハング窓(上げ下げ)

マンサード型屋根とドーマー窓
屋根裏部屋を本格的に利用して部屋数を多くするとき、切妻の変形として屋根を急勾配にして、上部を緩勾配にするマンサード型が増え、屋根に小窓 (ドーマー) を付けて本格的な屋根裏部屋にした。

  • ペリー提督の家
  • シェーカー教徒の村

ダッチゲーブルとフレミッシュゲーブル
レンガ造が多かったオランダ入植者の家では、妻側でレンガ積みのパターンを強調し、窓のレイアウトや雨戸に凝った表現をした。オランダとフランスの間フレミッシュ地方からの移住者は、屋根に緩いカーブを付けて軒下の高さを確保した。

  • 妻側窓のよろい戸がファサードのアクセントになっている。
  • レンガ積みのパターンを見せ、上部には築年1722の数字も入れている
  • 軒下の高さを確保するためにフレアと呼ばれる裾広がりの屋根になっている
  • ニューヨーク市内に保存されているフレア屋根の住宅

玄関前のベンチ
カウボーイ映画で、家の前のベランダに馬をつなぎ、おしゃべりをしたり、撃ち合いになったりするが、その後発展した住宅でも、玄関前にベンチを作って、天気の良い時にはここでお茶を呑んだり、編み物をしたり、あるいは留守に訪ねてきた人の待ちスペースになったり。のんびりした時代のコミュニケーションの場でもあった。

  • 玄関前のベンチと地下室へのハッチ
  • 鋳鉄で作られた玄関前のベンチ
  • ベンチのある家の全景

 

 

八木幸二/ Koji Yagi
建築家。1944年愛知県一宮市生まれ。1969年東京工業大学建築学科卒業、同大助手。OTCA専門家派遣 (シリア田園都市省) 、クインズランド大学研究員、オクラホマ大学客員助教授、MIT 客員研究員、東京工業大学教授を経て、現在京都女子大学教授。