April 3, 2014

第6回 老子が残した窓の格言

市川紘司

窓の文化についての論考

日本建築における開口部は「ま」。西洋建築における開口部は「あな」。それでは中国建築における開口部は? 古典から現在まで、日本人が知っているようで知らない中国建築における窓の文化についての論考。

さきごろ、五十嵐太郎研究室はフィルムアート社から『窓と建築の格言学』という書籍を出版した。五十嵐研究室ではこれまで窓研究所と共同研究をしてきており、その2012年度の研究成果をブラッシュアップするかたちでつくられたのが、この書籍である。筆者も、中国建築のなかの「窓の格言」として、劉敦楨という建築史家による格言を提供、解説している。昨年末には、これもまた窓学研究の成果をベースにしつつ五十嵐研究室が建設通信新聞上で連載していた内容をまとめた『窓へ 社会と文化を映しだすもの』 (日刊建設通信新聞社) が出版されている。合わせてご一読いただけると、より楽しめるのではないかと思う。

『窓と建築の格言学』で中国建築の窓に関する格言を提供するにあたり、いろいろと書籍を読んだのだが、そのさいには劉敦楨による窓の格言のほかにも、いくつか面白そうな中国窓の格言が見つかった。とりわけ興味深かったのが老子による「窓の格言」である。老子は言うまでもなく中国古代の思想家であり、建築家ではないため、『格言学』への収録を提案しなかったのだが、彼の窓の格言は、中国建築における窓の存在を考察するうえで非常に示唆に富むものであるように思われる。よってここで紹介、解説をしてみたい。

老子による「窓の格言」は以下のようなものである。
鑿戶墉以為室,当其無,有室之用。故有之以為利。無之以為用。

これは老子の『道徳経』の第11章のなかのテキストだ。中国の現代語訳に合わせて日本語に翻訳すると、このような感じだろうか。「門や窓をうがつことで、家屋は生まれる。家屋のなかには空間があるから、家屋として用いることができる。[有ること]は人の利便にくみし、[無いこと]によってその効用は発揮されるのである」。

窓や門が壁にうがたれることによって、はじめて家屋=建築は誕生する。簡単に言ってしまえば、老子の格言はこのように解釈できるだろう。このとき、家屋=建築とは、その周囲に[有る]物体ではなく、その物体に包まれた[無い]=空虚な空間である。このように物質ではなくその物質によって生じる無の空間・場所に重きを置く老子の思考は、アメリカの近代建築家フランク・ロイド・ライトにつよい影響を与えたことでも知られている。たしかに、読みようによっては、老子のこの格言は、建築の主役を空間や、その空間で発生される機能や人の振る舞いとして見なすような論としてとらえられるだろう。そして、それは「機能主義」を標榜したモダニズム建築や、ライトの建築がめざしたものと近しい。

この格言のなかで、老子が具体的にイメージしていた建築はどんな姿のものだったのだろうか? たしかめようのないことではあるが、しかし、「門や窓をうがつことで、家屋は生まれる」という格言の字面からまず想像されるのは、原始的な穴居であろう。北京にも「古崖居」と呼ばれる崖に掘られた穴居の遺跡が残されているが、中国西部の黄土地帯では、いまだにこうした穴居の居住形式がひろく現在進行形でつづいている。「窯洞 (ヤオドン) 」と呼ばれる住居形式だ。雨が少ないため、村落部では堅く粘り気のつよい黄土の大地や崖を掘ることによって、そのまま住居として使用しているのである。穴居とはいえ、現在では室内には種々の装飾がほどこされているし、外部空間とは木製のサッシュとガラス窓によって区切られているほどに成熟している。いずれにしても、こうした穴居では、門や窓を「うがつ」という行為が「建築をつくる」ということに直結していると言えるだろう。[有る]黄土から[無い]家屋がつくられている、とも言えるだろうか。

さらに老子の格言を拡大的に解釈してみると、それは中国の伝統的な住居建築に普遍的にあらわれる空間的傾向を指摘しているものとしても、解釈できるように思われる。

中国の国土は非常に広大である。「伝統的な住居建築」と一口に言っても、そのデザインや平面構成は地域/民族ごとに多岐にわたる。しかし共通する特徴も挙げられる。すなわち「外界に対してきわめて閉鎖的である」という点だ。福建省に多く見られる「土楼」と呼ばれる住居形式などはその典型であろう。祠堂のある中庭を中心として、円形の家屋が同心円状に何層も重なることでつくられる土楼は、外界に対しては2~3mほどの城壁のような壁によって堅牢に閉じている。このとき、窓は「銃眼」のような小さなものが最上階に設置されるのみである。

土楼は、盗賊などの外敵に対する防御策として、堅牢で閉鎖的な形式となったが、こうした構成は都市内住居にしても同様である。都市内住居の代表である北京の「四合院」は、大きな中庭をその中心部にそなえ、自然との接面が非常に大きい開放的な住居形式であるのだが、住居全体は外界に対してやはり閉鎖的である。煉瓦積みの堅牢な壁で外周はぐるりと囲われ、出入口は南面に設置される「大門」と呼ばれる門のみとなっている。また、中国北方では南面信仰がつよいため、四合院も基本的に路地に対して南向きに接しており、住居南面には客室などに用いられる「倒座」と呼ばれる諸室が配置されているのだが、この倒座の路地に面する南向きの窓も細かく、小さいものである。採光のことを考えれば本来であれば大きくしても良さそうなのだが、それ以上に、居住空間の閉鎖性・完結性が優先されているわけである。

こうして中国の伝統的な住居建築を見てみると、まず自分たちの空間=領域を確固として設定して、そのうえで外界との関係を窓や門によってコントロールする、という考えが強固であると言うことができる。そして、それらは老子による「門や窓をうがつことで、家屋は生まれる」という窓の格言が実体化された形式として位置づけられるだろう。老子の窓の格言は、中国建築の空間的特徴と窓の普遍的な関係を適確にとらえているのである。

もうひとつ、老子の「門や窓をうがつことで、家屋は生まれる」という格言で興味深いのは、それが原広司氏による「はじめに閉じた空間があった」というテーゼが意味するところと親近性が高いように思われる点である。

原氏によれば、はじめに「閉じた空間」があり、それに孔をうがつことによって、建築が生まれる。窓研究所のインタビューでも明らかになっているとおり、「有孔体理論」にはじまる原氏の長年にわたる建築設計活動にとって、窓は非常に重要な関心事であった。これは、原氏が、建築と窓をきわめて原初的なレイヤーで関連づけていたためだ。はじめに「閉じた空間」があり、それに窓や門をうがつことで人や光や空気が行き来され、建築は生まれる。このように考える原氏にとって、窓の設置は建築の誕生に等しかった。

「門や窓をうがつことで、家屋は生まれる」と述べた老子と、「はじめに閉じた空間があ」り、それに孔をうがつことで建築とする原氏。2000年以上の時間をへだてた両者は、窓の建築における役割を根源的なレヴェルにまで遡ることで、同型のアイデアを見出しているのである。

2ヶ月にいちど、中国建築をとおして窓のことを考え、また窓をとおして中国建築を考えてきた本コラムは、今回で予定された全6回をすべて消化し、無事終了となります。執筆の機会をあたえていただいた窓研究所の皆さま、そしてお読みいただいた読者のみなさま、どうもありがとうございました。

 

市川紘司/Kouji Ichikawa
1985年東京都生まれ。東北大学大学院工学研究科博士後期課程。研究テーマは中国近現代建築の歴史、理論。建築同人誌『ねもは』編集長。