January 14, 2014

第5回 国際門窓城へ

市川紘司

窓の文化についての論考

日本建築における開口部は「ま」。西洋建築における開口部は「あな」。それでは中国建築における開口部は? 古典から現在まで、日本人が知っているようで知らない中国建築における窓の文化についての論考。

北京の南方にある河北省高碑店市には「国際門窓城 (China International Window City) 」という施設がある。ホームページのフレコミによれば、「亜州地区最大的門窓幕牆産業展覧交易中心」、すなわち「アジア最大の門・窓・カーテンウォール産業に関する展示交易センター」。年に一度開催される「中国高碑店国際門窓節 (China Gaobeidian International Door&Window Festival) 」 のさいに世界各国のメーカーがブースを出展するための多目的スペース、実際に製品が設置されたモデルルーム、さらには門窓に関する技術を専門的に教える単科大学までをそなえた巨大施設であるという。このコラムをはじめて以来ずっと気にはなっていたのだが、北京からは自家用車を使わないとなかなかたどり着きにくい場所にあるため、これまで見学することがかなわなかった。しかしちょうど先週末、予定の合ったパートナーが車を出してくれるということでようやくおとずれることができた。

実際に行ってみると、敷地内には6つの巨大な倉庫のような建物があり、そのなかには今年9月に開催された今年度の「国際門窓節」の展示物がいくつか残されていた。門窓の商品を並べるスペースと、そうした門窓を制作する機材を並べるスペースに分かれており、おそらく世界最先端最新のものが展示されていたのであろう。来年度にはフェスティバル開催のタイミングにおとずれて、現在中国ではどのような窓や門がウケているのか、各メーカーの人たちと交流しながら確認したいところである。

  • 国際門窓城
  • 国際門窓城

面白かったのは、敷地のあちこちに「だまし絵」が置かれていたことである。総敷地面積1650ムー (ムーは中国の面積単位。1ムー=1/15ヘクタールなので、1650ムーは約25k㎡) の計画ではあるものの、開発はまだ途中段階。しかし少しでも大きく見せようと腐心しているのだろう。敷地や倉庫の突き当りにパースが立てかけられていて、その奥にも空間がつづいているように見せている。

  • 国際門窓城
  • 国際門窓城

だまし絵は、17世紀のオランダ絵画でよく用いられていたが、現実世界と絵画世界の関係を転倒させるために「額縁」を「窓枠」に見立てる手法である。だまし絵によって明らかになるのは、現実から絵画空間を鑑賞するという行為と、室内から窓を通して室外空間を眺める行為の親近性である。こうした親近性を含ませてだまし絵を施設のあちこちに設置したのかもしれないと想像するのは深読みだろうか。

国際門窓城に隣接する敷地には、この施設の建設を手がけた河北高碑店順達墨琵門窓有限公司のオフィスビルがある。いろいろと聞いてみると、この門窓城が建設された背景はなんとなく理解できた。順達は1990年代初頭には8名足らずの企業であったが、現在はドイツのメーカーとの巨大な合資会社となっており、株の一部は高碑店市が所有しているという。市としては門窓産業を看板に発展しようという目論見があり、それで企業をバックアップしながら、社会的なアピールのために国際門窓城という巨大施設を建設したというわけだ。この順達のオフィスビルはシンメトリーの巨大建築であり、その威圧的な風貌は中国の地方都市でよく見かける政府庁舎そのものなのだが、市政府がバックアップしているということであれば納得のできるデザインである。

  • 河北高碑店順達墨琵門窓有限公司オフィスビル

国際門窓城で唯一通常営業していたのが、敷地のすみに用意された「国際門窓博物館」である。この博物館は木や石、瑠璃でつくられた古い門窓にはじまり、近現代のガラス窓などを展示している。このコラムの第一回 (「古典建築のなかの窓」) と第二回 (「収集される門と窓」) では、それぞれ明清時代の庭園における石窓と木製門窓を紹介しているが、その前時代における門窓の変遷についてはあまり触れなかったので、ここではこの歴史的背景を概観しよう。

  • 国際門窓博物館
  • 国際門窓博物館

中国建築における門窓の発展史とは、装飾の豊富化、華美化、あるいは直線の曲線化といった変化としてまとめることができる。古くは漢代 (BC2ct-2ct) の居住建築における門扉においてすでに装飾がほどこされているのだが、このときの装飾は簡単な幾何学模様や動物などの簡易なアイコンに過ぎない。窓格子についてもシンプルな縦格子のみである。こうした簡素的特徴は唐代 (7-10ct) の建築でも一緒で、《佛光寺大殿》 (857年) などに見られる開口部の意匠は板門と縦格子の窓である。その後時代が下るにつれて装飾は豊かになっていく。宋代 (10-13ct) には、官製の建築ルールブック (『営造法式』) によって門窓のデザインや作り方が細かく規定されており、工芸技術も上がったことによって、装飾性と実用性を両立する門窓の1つのピークをむかえた。しかしさらに時代がくだれば、むしろ装飾性が実用性をうわまって重視されるようになる。以前のコラムで書いたとおり、明清時代 (14-20ct) の門や窓には流麗な曲線による格子や、故事を物語る彫刻などが多くほどこされている。門窓の装飾デザインは、建築全体のデザインのなかでもとくに重要な位置を占めるようになる。

以上のような門窓のデザインの変化を考えるうえで、中国建築史の開祖である梁思成 (リャン・スーチャン、1901-1972) による評価は興味深い。アメリカで建築を学んだ梁思成は、モダニズムの構造合理主義の立場から、構造がそのまま建築の美しさとして体現される宋代の建築を評価し、明清時代の建築を非合理的な装飾の過多として、否定的な評価を下した。こうした判断のさい、梁思成がとくに重要視したのは柱と梁を接合部である「斗拱 (ときょう) 」のデザインであったが、門窓のデザインに着目してみてもその変化は明瞭であろう。軽量化や工作の合理化といった側面は宋時代までにある程度完成の域に達したため、明清時代の窓や門では彫刻や格子の細微さが発展した。その繊細さは日常的に触れるのもはばかれるような程度のものもある。博物館のイントロダクションの言葉を引用すれば、中国建築における門窓の造形は「建築全体の変遷のなかでもっとも変化した部位」であり、逆に言えば門窓に注目することで長大な中国建築の歴史が端的に読み取れるのである。

 

市川紘司/Kouji Ichikawa
1985年東京都生まれ。東北大学大学院工学研究科博士後期課程。研究テーマは中国近現代建築の歴史、理論。建築同人誌『ねもは』編集長。