February 10, 2014

VOL.4 イタリア語におけるfinestra

植田康成

言語学者 植田康成が世界各国の「まど」の語源に迫る。窓という言葉の概念がどのように拡張されていったのか、その過程を探る。第4回はローマ帝国の中心地としての歴史を持ち、独自の文化を発信し続けるイタリアにおいて窓をあらわす「Finestra」を考察。

1.はじめに
イタリア語のfinestra (「まど」) は、ラテン語fenèstraに由来する。このラテン語は、ギリシャ語動詞phàino (見えるようにする、光を与える) と関連して成立したものである。すなわち、finestraは、語源的には「 (空気と光を取り込むため) 壁にあけた穴」を意味する。

本稿では、これまで同様、finestraを含む複合語、慣用句 (イディオム) 、ことわざを検討する。それらの言語表現は、イタリアの歴史や文化、地理、気象を感じさせるものである。本稿では、とりわけ「イタリアらしい」と思われるものに照準を合わせて紹介する。

2.finestraを含む複合語
イタリア語における「まど」を含む複合語は、名詞finestraと何らかの形容語によって形成される。名詞finestraの後に形容語が続くものと、名詞finestraの前に形容語が置かれるものがある。いずれの場合にも、形容語には二つのパターンがあり、conやa (英語のwith) 、di (of) 、sopra (on/over) といった前置詞に別の名詞が導かれるものと、「偽りの」、「パノラマの」といった形容詞がfinestraを説明しているものがある。

2.1.「finestra +Y」のタイプ
まず、別の名詞が前置詞に導かれるものとして、finestra a bifora (二連窓) 、finestra con doppio telaio (二重窓) 、finestra di opportunità (チャンスの窓=好機) 、finestra sopra tetto (天窓) が挙げられる。形容詞が後続するものとして、finestra finta (騙し窓) 、finestra panoramica (パノラマ窓) がある。後続要素の多くは、窓の形状や窓の取り付け位置を表している。finestraは構築物としての窓そのものを意味する場合がほとんどである。しかし、finestra di opportunitàのように、チャンスが「見える」ことを、窓の機能になぞらえて慣用的に表現しているものもある。

2.2.「X+finestra」のタイプ
このタイプには、busta a finestra (窓付き封筒) がある。この場合、finestraは、封筒の開口部を「家屋に穿たれた穴」としての窓に喩えて、転義的に用いられている。Donna da finestra (窓辺の女性) は、「尻軽な女性」という意味で使われる。窓辺に立つことが、外見を飾って虚栄を張ることの象徴となっている。通りに面して外界との接点を為す窓の役割に焦点が当てられて、慣用的な表現が成立している。

3.finestraを構成要素とする慣用表現 (イディオム)
複数のイタリア語辞典をあたって見つけることができたものの中から、いくつかの言い回しを紹介したい。

Mangiare la minestra o passare, saltare dalla finestra (野菜スープを食べるか、窓から出て行くかだ) は「二者択一」の意味で用いられる。minestra (野菜スープ) の類似の語として、minestróne (ミネストローネ) の方が知られているかもしれない。前者は単なる野菜スープで、後者は肉も含まれる少し豪勢なスープを指すようだ。肉がなければ食事をした気にならない多くのイタリア人にとって、minestraは質素でお粗末なスープと言えるのだろう。しかし、それでも窓から飛び降りて家の外に行くよりはマシだということである。内部と外部を隔てる堅牢な石壁の向こうでは、どのような危険にさらされるか分からないからだ。

Stare alla finestra (窓辺に立つ) は、窓の外を眺めてぼんやりしている様子を指し、「無為に時を過ごす」ことを意味する。また、Mettere alla finestra (窓辺に置く) は、「見せびらかす」の意で用いられる。外界と接する窓に物を置くことを、積極的に自分の持ち物を外に向けて見えるようにする行為と捉えている。いずれの行為も肯定的には評価されていない。

Entrare, passare per la finestra (窓から入ってくる) という言い回しは、「不正に何かを手に入れる」ことを意味する。日本語で言えば、「裏口入学」という表現に通じる考えが根底にあるようだ。日本の裏口や勝手口と同様、窓は本来、正式の出入り口ではない。そこから入ることを不正の象徴として表現している。

4.finestraを含むことわざ
finestraを含むことわざを最も多く収録していることわざ辞典 (Guazzotti/ Oddera 2006) から、いかにもイタリア的と思われるものをいくつか紹介する。

まず、ことわざの中にも、「窓辺に立つ」ことを、虚栄の行為として表すものがある。la donna alla finestra, la gatta alla minestra (窓辺の女性、野菜スープのそばの猫) は、「褒めそやされることに一生懸命な女性は、家では食事しない」と説明されている。同趣旨のことを、人間の心理が逆説的に現れたものとして述べるのが、la roba fa stare il tignoso alla finestra (富はケチを窓に置く) である。人の振る舞いや行動は、しばしば劣等コンプレックスの裏返しであることを教えている。窓と女性については、le donne son sante in chiesa, angele in istrada, diavole in casa, civette alla finestra e gazze alla porta (女性は、教会では聖女、通りでは天使、家では醜女、窓辺では尻軽、玄関口ではおしゃべり=女性は、環境に応じて、変身する。) というのもある。日本人としては、女が3人寄れば姦しい、という方向で捉えがちであるが、イタリア語のことわざは、女性の順応性を強調している。

次の3つは、窓が正式の出入り口ではないことを前提とした上で、そこからの出入りに何らかの意味を持たせて表現しているものである。

カトリックの総本山バチカン法王庁があるイタリアを思わせるのが、Dio serra un uscio e apre una finestra (神はドアを閉めても、窓は開けておく) である。「神の慈悲は、すべてが失われたと見えるときでも、思わぬ助けをしてくれる」と説明されている。神はわれわれ哀れな人間を完全に見捨てることはないという教えである。il grasso non vien dalle finestre (油は窓からは入ってこない) は、辞典の説明によると、「霞を食って生きているのではない」、すなわち「少なくとも生きるために必要なものは手に入れる必要がある」という意味である。窓から偶然に食べ物が入ってくるような、いわば「棚からぼた餅」はないと思えとの戒め、あるいは聖書にあるように「額に汗して働け」という教えだろうか。quando la fame vien dentro la porta, l'amore se ne va dalla finestra (飢えがドアの後ろにやって来ると、愛は窓から出て行く) は、「困窮が訪れると、正直は窓から逃げていく」、すなわち「金の切れ目が縁の切れ目」と同趣旨と思われる。辞典の説明によると、一般的な人間関係に関する教訓というよりは、結婚相手として貧乏者は避けなくてはならない、という教えのようだ。かつて飢えの恐怖に怯えていた時代、結婚の際の貢ぎ物 (持参金) は、きわめて重要であった。その時代に生まれたと思われることわざである。他方、dove son donne innamorate morte, è inutile serrar finestre e porte (女性が死ぬほど恋しているときには、窓や戸を閉め切っても無駄である=愛は盲目) (Guazzotti/Oddera 2006: 232) ということわざは、ひたむきな愛、大いなる愛の力を説き、いかなる障害も乗り越えるのが真の愛だという教えであると理解できるのだが、それは現実を知らないロマンを追い求める者のいうことであろうか。

イタリアの気候風土をよく表しているものもある。quando viene, serragli le finestre in contro; quando parte, apriglile (太陽がやってくると、日を遮るため窓を閉ざせ。太陽がいってしまえば、窓を開けよ) は、言葉通り、日射しがきつい時分には、窓を閉めて直射日光を避けるように、と教えるものである。

5.おわりに
本稿では、イタリア語におけるfinestraを含む複合語、イディオム表現、ことわざを検討した。それらの表現は、当然ながら、イタリアの文化や気候風土に根ざしている。しかし、「窓から入ること」を「不正」と捉えるなど、窓の機能の一部を捉えて慣用的に表現しているものもある。同じことを日本語では「裏口入学」と表現する。そこには、人間心理の普遍性や、言語の意味の展開の共通性が垣間見られて興味深い。その点をより掘り下げて、次稿ではそれぞれの言語を対照させて論じてみたい。

参考文献
・Dardano 1986: Nuovissimo Dardano Dizionario della lingua italiana. Roma: Armando Curcio Editore.
・Dardano 2005: Maurizio Dardano, Nuovo manualetto di linguistica. Bologna: Zanichelli editore S.p.A..
・De Mauro 1999: Grande dizionario italiano dell'uso. Ideato e diretto da Tullio de Mauro. Torino: Unione Tipografico-Editrice Torinese.
・Garzanti 1998: Grande dizionario della lingua italiana moderna. Torino: Garzanti Editore s.p.a..
・Guazzotti/Oddera 2006: Paola Guazzotti/Maria Federica Oddera, Il grande dizionario dei PROVERBI ITALIANI. Bologna: Zanichelli.
・Mestica 1942: Enrico Mestica, Dizionario della lingua italiana. Torino: Editrice Libraia Italiana. (Nona Ristampa)
・Palazzi 1939: Fernando Palazzi, Novissimo dizionario della lingua italiana. Milano: Cas Editrice Ceschina.
・Quartu 2001: B. M. Quartu, Dizionario dei modi di dire della lingua italiana. Milano: RCS Rizzoli Libri S.p.A.. (quarta edizione) (prima edizione 1993)
・Sabatini 1997: Francesco Sabatini, Dizionario Italiano. Firenze: Giunti Gruppo Editoriale.
・Sandron 1987: Sandron Dizionario della lingua italiana. Firenze: Edizioni Remo Sandron e Istituto Geografico De Agostini - Novara.
・Pittàno 1992: Giuseppe Pittàno, Dizionario dei modi di dire, proverbi e locuzioni. Bologna: Zanichelli editore S.p.A..
・Zingarelli 1995: Nicola Zingarelli, Vocabolario della lingua italiana. Dodicesima edizione a cura die Miro Dogliotti e Luigi Rosiello. Bologna: Zanichelli editore S.p.A..

植田康成/Yasunari Ueda 1948年、鹿児島県大島郡徳之島生。神戸大学文学部哲学科卒業、広島大学大学院文学研究科修士課程修了。千葉大学人文学部助手及び講師、九州大学教養部助教授、広島大学文学部助教授、2001年より広島大学大学院文学研究科教授、2013年同退職。博士 (文学) 。専門は現代ドイツ語研究。とりわけ、日独慣用表現の対照研究及びカール・ビューラー (1879-1963) の言語理論を中心とする研究。ドイツ社会言語学、応用言語学 (外国語教育) 。近年は、日独イディオム対照研究の成果にもとづいて語彙学習に対する提言を行うことを目指している。