January 17, 2018

総論 窓の成り立ち《4》

内田祥哉 (建築家)

建築家・内田祥哉氏による若手建築家・研究者のための、「窓」を通じて建築を考える「窓ゼミナール」。カーテンウォールの成り立ちを解説した前回に次ぎ、最終回では、日本とアメリカでの窓の構法への認識のちがいから、日本での窓の先端技術に及ぶ講義が展開。内田を驚かせた、カーテンウォールの国内での最新事例とは。

 

コンクリートのカーテンウォール

内田祥哉(以下:内田) しかし、そのうちに材料のネタが切れちゃうわけですね。アルミニウムもやったしステンレスもやった、ブロンズもやった。実際にアメリカに行ってみると、アルミニウムのカーテンウォールなんて見渡すかぎりにあるんです。木造住宅の建具と一緒で、安いほうがよいビルは型を一緒にしておいて、プロポーションにバリエーションをつけたものがうじゃうじゃある。そして安い。そうなるとアルミは嫌だという気持ちになって、ステンレスのものができて、最後にはブロンズのものができたわけです。

このころにAIA賞【註1】を受賞した建物で、アルミのカーテンウォールを使ったものはひとつもない。では、当時何が新しかったかというと、コンクリートのカーテンウォールでした。

コンクリートのパネルの良いところは、型枠が木でできていることです。ピッツバーグの工場にいくと、木の型枠を見ることができました。ところが、それが日本とは全然ちがって、鎧のように頑丈な型枠なんです。きちんとつくっているんですけど、ものすごく高いんです。日本だと型枠を現場で大工さんがつくるから、そんなに高くなるはずがない。外国に行くと日本のような大工さんがいないから彼らのありがたみがわかります。そんなわけでアメリカでは、型枠が高くて普通の建物にはコンクリートパネルは使えない。コンクリートパネルの建物は珍しくて、そうした建物がAIA賞をもらえるというのが当時のアメリカの状況でした。

そのころの日本では、大工さんが現場で仮枠をつくるからコンクリートの外壁なんてそこらじゅうにあったんですよ。プレキャストのコンクリートパネルをつくるんじゃなくて、大工さんが現場で同じものをいくつも平気でつくっていました。僕が設計した電話局だって同じような窓が並んでいますが、全部ひとつずつ大工さんがつくっていた。こんなこと欧米でやったらたいへんな値段になるんだけど、日本は大工さんに頼むと安い。欧米は大工さんに頼むと高い。高い方が勝ち、というのがカーテンウォールです。

これはピッツバーグの《アルコア本社ビル》のカーテンウォールです【図1】。

  • 図1 《アルコア本社ビル》のアルミ・カーテンウォール
    [出典:『Architectural Forum』]

僕はアルコアをアルミニウムの会社だと思っていましたが、じつは不動産もやっている会社で、アメリカにはそこらじゅうにアルコアビルがあります。アルコアビルというのは、アルミニウムの会社のアルコアの不動産部がつくっているビルなんですね。ビルをつくるときも、もともとがアルミの会社なので、徹底的にアルミしか使わない。カーテンウォールだけじゃなくていろいろな部品、たとえば洗面器、水飲み場、流し、手すりなどもアルミニウムでつくっている。アルコアの報告書を見ると、「アルミニウムこそが現代の材料である」と書いてあります。

ピッツバーグの《アルコア本社ビル》は、カーテンウォールの傑作というより外壁の傑作だと思います【図2】。

  • 図2 《アルコア本社ビル》の断面図
    [内田祥哉所蔵図版]

まずマリオンがないことが当時珍しかった。マリオンがあれば、当時でも外側のガラスを掃除するときにマリオンを頼りにゴンドラを設置できたのですが、マリオンがないので窓を内側から掃除できるように、縦軸回転の回転窓が考案されています。枠とガラスの間にゴムのチューブが入っていて、空気が送り込まれるとふくれて戸締りができる。空気を抜くとチューブが縮むのでガラスを裏返して外面が掃除できます。マリオンをなくしても、ゴンドラを使わないで掃除ができる機構が開発されたというわけです。

それからもうひとつ大切なことは、ジョイントがオープンジョイント【註2】になっている。今の建物はどうでしょう。シールが多いですか? 日建設計はどうでしょう? 僕はシールには反対なんだけど。

羽鳥達也(以下:羽鳥)  シールは使いますが、経年劣化や保証期間の問題で、シールの打ち替えを考えなければなりません。超高層などは特に、打ち替えは大変な工事になってしまうので、外壁の外側は特にガスケット【註3】を使うように検討するのが主流です。ガラスカーテンウォール以外のカーテンウォールでもメーカーと開発を進めていたりします。

内田 ガスケットは、目地が十文字に交わるところでいろいろ問題が起きるでしょう。十文字のところが完全にしにくいのです。だから、オープンジョイントにすれば問題ない。オープンジョイントは漏れた雨を外に出す装置のことですね。等圧にしておいて、水が入ったら出せばよい。そうした考え方の外壁を現代的に考えたのが、この《アルコアビル》です。

しかし、次をつくるときには、もうマリオンのない建物なんて古いとなって、新しいものがどんどん出てきます。カーテンウォールの展開はおもしろいですが、時間ですから、この話は次回紹介することにしましょう。今、日本でもやっぱりカーテンウォールは珍しくなくなってきました。ダブルスキンだってもう古いでしょう。今は何が先端ですか?

羽鳥 材料として先端なのは樹脂ですね。かっこいいかどうかは別にして、性能はダントツに良いです。

内田 僕が最近みてびっくりしたのは《アーツ前橋》ですね。外壁に丸い孔がたくさん開いていて、曲面になっているところもちゃんとつじつまがあっていて、曲げてから孔をあけている。こういうものが流行になって、でもまたみんながやると古くなる。それがカーテンウォールの宿命でしょうね。
オープンジョイントは、ある意味でその後は進歩しません。《アルコアビル》で完成です。日本で典型的だったのは大成建設の《新宿センタービル》です。

藤原徹平 オープンジョイントにして等圧で水を呼び込むと、打ち込みができなくなるのが問題ですね。打ち込んじゃう中で鉄が錆びることがある。いちど大失敗したのは、プレキャストコンクリートにアルミを打ち込んだときです。アルミと鉄のイオン化傾向の違いで電食するんですね。そこにほんの少しだけ水が入って、猛烈に錆びて大問題になったことがあります。今は三重サッシも主流になりつつあります。ガラスもペアじゃなくてトリプルになってきていて、そうするとサッシが太くなるので、彫刻的なカーテンウォールが出てくるようになりました。引き戸を三重にすると、外壁もものすごい厚みになってきて、平面的な壁というより立体的なものを付けるという感覚に近くなってきています。

内田 次回はカーテンウォールの話をもう少しするわけですけど、カーテンウォールは結局流行なんですね。材料の流行にはかぎりがあるから、《シーグラムビル》で終わるわけですが、その後はかたちの流行です。構造体と絡ませるとか、外壁とガラス面を一致させたツルツルのカーテンウォールとか、外壁とガラス面を一致させてサッシが出っ張ったものとか、そんなのがたくさん出てきて、最後にダブルスキンが登場します。次回はこうした材料以外の流行の話をして、それからカーテンウォールで日本のメーカーが大打撃を受ける話をしようと思います。

(本連載に続く第2講以降の講義は、書籍『内田祥哉 窓と建築ゼミナール』に収録)

 

本連載は、書籍『内田祥哉 窓と建築ゼミナール』より、内容の一部を抜粋し、窓研究所ウェブサイト掲載にあたり加筆したものです。

『内田祥哉 窓と建築ゼミナール』 内田祥哉: 著 門脇耕三/藤原徹平/戸田穣/YKK AP窓研究所:編 出版: 鹿島出版会 出版年: 2017年

 

1       アメリカ建築家協会(American Institute of Architects)から授与される賞。世界中の優れた新築および改修のプロジェクトに対して毎年贈られる。

2       外壁材どうしの隙間をシールなどで密閉するのではなく、開放することによって外壁材の内外の圧力差をなくし、雨水を外壁内に入りにくくする構法。侵入した雨水はすぐに排出されるように納める。

3       面材の取り合いやパイプの継手などにはさんで、ガスや液体が漏れないようにする材で、固定された取り合いに使われるもの。取り合いが動く場合はパッキンと呼んで区別する。材料としてゴムなどが使われる。

 

内田祥哉 /Yositika Utida
建築家、建築学研究者、東京大学名誉教授。1925年東京生まれ。東京帝国大学第一工学部建築学科卒業。逓信省、日本電信電話公社を経て、東京大学教授、明治大学教授、金沢美術工芸大学特認教授・客員教授、日本学術会議会員、日本建築学会会長を歴任。工学博士、東京大学名誉教授、工学院大学特任教授、日本学士院会員。おもな作品に《東京電気通信第一学園宿舎》、《中央電気通信学園講堂》、《佐賀県立博物館》、《佐賀県立九州陶磁文化館》、《武蔵学園キャンパス再開発》、《大阪ガス実験集合住宅NEXT__》など多数。主著に『建築生産のオープンシステム』(彰国社、1977年)、『建築構法』(市ヶ谷出版、1981年)、『造ったり考えたり』(私家版、1986年)、『建築の生産とシステム』(住まいの図書館出版局、1993年)、『建築家の多様 内田祥哉 研究とデザインと』(建築ジャーナル、2014年)など多数。


藤原徹平/Teppei Fujiwara
建築家、横浜国立大学大学院Y-GSA准教授。1975年神奈川県生まれ。横浜国立大学大学院修士課程修了。2001年より隈研吾建築都市設計事務所勤務、設計室長・パートナーを経て2012年退社。2012年より現職。フジワラテッペイアーキテクツラボ主宰、NPO法人ドリフターズインターナショナル理事、宇部ビエンナーレ審査員・展示委員。おもな作品に《等々力の二重円環》、《代々木テラス》、《稲村の森の家》など多数。著書に『7 inch Project〈#01〉Teppei Fujiwara』(ニューハウス出版、2012年)、『20世紀の思想から考える、これからの都市・建築』(共著、彰国社、2016年)、『アジアの日常から』(共著、TOTO出版、2015年)『応答 漂うモダニズム』(共著、左右社、2015年)など。

羽鳥達也/Tatsuya Hatori
建築設計、日建設計設計部部長。1973年群馬県生まれ。1998年武蔵工業大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程終了。東京都市大学、日本大学大学院非常勤講師、東京大学大学院外部講師。おもな作品に《神保町シアタービル》、《ソニーシティ大崎(現NBF大崎)》、《桐朋学園音楽部門調布キャンパス1号館》、《コープ共済プラザ》、《逃げ地図》など。