December 13, 2017

総論 窓の成り立ち《3》

内田祥哉 (建築家)

建築家・内田祥哉氏による若手建築家・研究者のための、「窓」を通じて建築を考える「窓ゼミナール」。戦後日本でのサッシの誕生から、ガラスブロックが用いられるようになった過程を解説した前回に次ぎ、ニューヨークの《エンパイア・ステート・ビルディング》から《東京スカイツリー》までを例に、カーテンウォールの成り立ちを語る。

カーテンウォール

そういう時代はまもなく終わって、いよいよ本物のカーテンウォールが出てくる時代になります。ヨーロッパではカーテンウォールという言葉はかなり古くからあったようです。歴史に出てくる古い建物のなかにも、カーテンウォールの萌芽のようなものがあるんですね。

実際にできているものをみれば、カーテンウォールと似たようなものは日本にもずいぶん昔からあって、たとえば東京駅の八重洲口(今の大丸ビルのあたり)にあった《鉄道会館》は全面ガラスの建物なんですね。こうした全面ガラスとカーテンウォールがどのように違うのかは当時の話題で、生産方法が違うからという意見がありました。しかし、カーテンウォールという言葉は生産方法を示しているわけではありませんから、もう少し別の意味があるだろうという意見もありました。結論としては、カーテンウォールとは外壁を軽くすることではないか、というのが当時の考え方でした。それまでの外壁はどうかというと、日本の場合は壁は一体式のコンクリートで躯体の一部にしていましたが、アメリカの外壁はおもにレンガ造だったんですね。アメリカではレンガ造の建築の伝統が生きていて、構造は鉄骨でつくっても、壁はレンガでつくるのが一般的でした。ところが、《エンパイア・ステート・ビルディング》ぐらいの高さのものになると、レンガでは重すぎるから軽くしようということで、レンガに孔を開けたホロー・ブリック【註1】をつくって積んでいました【図1】。

  • 図1 《エンパイア・ステート・ビルディング》外壁断面図
    [内田祥哉所蔵写真]

その状況を一挙に変えたのが《国連ビル》です【図2】。《国連ビル》はカーテンウォールを本格的に使った最初の建物で、カーテンウォールらしいものの始まりだと僕は考えています。それ以前の《エンパイア・ステート・ビルディング》のような戦前の建物は、なんだかんだいっても現場でつくっているんですよ。では、それはカーテンウォールとは呼べないのかというと、そうではなくて、その当時は今までのレンガ造よりは軽いという意味で、カーテンウォールと呼んでいたんだろうと思います。それが生産方式まで変わって、今日の意味でカーテンウォールになったのが《国連ビル》です。《国連ビル》は外壁をパネルでつくって、上下のスラブの間に架け渡したマリオンにパネルを嵌め込むという、現代的なカーテンウォールでした。

  • 図2 《国連ビル》の建設現場
    [出典:内田祥哉編『現代建築──写真集』共立出版、1968]

 

カーテンウォールとプレハブ

ようするに、カーテンウォールとはプレハブなんです。当時はプレハブが一種の憧れでしたから、プレハブにしないでいいところでもプレハブにしたい、というのが建築家の本音でした。しかし、プレハブとは本来そういうものではなくて、不便な場所で工事をするときに、そこまで職人を運ばなくて済むというのが本質です。ヨーロッパでプレハブが始まったのは住宅で、イギリスからオーストラリアに多くの人が移住するときです。そこには本国であらかじめ部品をつくって持って行くほうが、職人を運んで現地でつくるよりは安くできる、という事情がありました。そういうプレハブの本質を表しているのが、僕がよく使うコウノトリが家を抱えて飛ぶ絵です。

つまり、人のいないところで建物をつくろうとするときに必要になるのがプレハブなんですね。そういう考え方に行き着くと、ニューヨークのマンハッタンの真ん中でつくった《国連ビル》が、なぜプレハブのカーテンウォールの始まりになるのか疑問だったのです。それが、日本で《霞が関ビルディング》をつくったときに、やっぱりプレハブでなければと思いました。つまり、地上は都会の便利な場所だとしても、上に行けば行くほど、エレベーターどころか、階段もおぼつかない場所になる。工事中のエレベーターは許可をもらわないと使えないくらい頻繁にものを運んでいるわけだから、なるべく人は運びたくないということになる。そこでなるべくでき上がったものを運ぼうということで、プレハブが選ばれるわけです。《東京スカイツリー》をつくったときも、上のほうで作業をする人は弁当をもって、便所まで持って上がりますから、高層ビルの現場は都市の中にできた僻地です。なるほどプレハブでなければと、実感としたわけです。

ただし、住宅のプレハブと根本的に違うのは、住宅のプレハブは量産ができますが、カーテンウォールは量産しないところです。カーテンウォールの場合は、ひとつのビルで数はたくさんつくっても、量産とは呼ばないんですね。国連ビルと同じ姿のビルが複数建てば量産と言えるんでしょうが、やはり超高層のようにお金のかかるビルを、隣の建物と同じように建てようという人はいないんです。同じものが安いに決まっているんだけど、大学のなかでさえ、ひとつとして同じ建物はないでしょう。建築家も、隣のビルと同じにしようとは思わない。だからカーテンウォールは一品生産です。それに対して住宅は、一品生産では高いから量産して、オーストラリアの移民たちはみんな同じ家でも我慢した。今でも災害時の仮設住宅は全部同じですよね。そういうわけで、ヨーロッパでもアメリカでも、住宅は量産するのが当たり前なんです。プレハブの住宅メーカーが、同じ住宅を量産していないのは日本だけです。

 

カーテンウォールの素材

《国連ビル》に続いてできた超高層が《レバーハウス》です【図3】。この建物にはステンレスのカーテンウォールが使われました。《国連ビル》のアルミのカーテンウォールより、ステンレスの方が明らかに高いけれど、お施主さんとしては、アルミのカーテンウォールはすでにあるんだから、うちは同じじゃない方がいいよ、ということなのでしょう。高層ビルのオーナーが決して同じものをつくりたがらないのは、日本の住宅のオーナーと同じことかもしれません。一品生産といってもつくる量が多いので、工場では量産しますが、しかし型をいくらつくっても、メーカーが他のビルには使えない。そういう意味で、カーテンウォールは一品生産なのです。

  • 図3 《レバーハウス》
    [出典:『Architectural Forum』]

そういうわけなんでしょうが、《レバーハウス》は強度のあるステンレスを使ったので、スティールサッシを使うよりも外壁が軽くなって、その分基礎が簡単なものになったから、全体として安くなったと説明されています。 その次に建てられるのが《シーグラムビル》です。このカーテンウォールはブロンズです。鉄からアルミニウムになって、アルミからステンレスになり、最後にはブロンズになった。僕はこのころ、《霞が関ビル》の仕事で来日していたアメリカのカーテンウォールのコンサルタントと話す機会がありましたが、彼らが言うブロンズは真鍮という意味だそうです。ようするに、銅にスズを混ぜたものをなんでもブロンズと呼ぶんですね。日本ではブロンズと真鍮を区別するんだけど、アメリカには区別がないようでした。銅像なんかはブロンズなんでしょうけど、カーテンウォールのような建築材料については、区別はまったくないという印象です。《シーグラムビル》のブロンズは、日本流に理解すれば真鍮です。なぜ真鍮とブロンズを分けなきゃならないかというと、日本でいうブロンズは柔らかすぎて押し出しができない。ところが、真鍮は押し出しができるんです。《国連ビル》でアルミのカーテンウォールをつくれたのも、アルミニウムは押し出しができたからでした。

押し出しが可能になれば、どんな断面をした部材もつくることができるようになります。真ん中に穴があいた中空断面もできる。これがアルミニウムの特徴で、押し出しができたからこそ《国連ビル》のサッシが成立したといえます。当時のアルミのトンあたりのコストは鉄の8倍でしたが、サッシは材料が違っていても、断面が同じであればそれほど強度が変わりません。アルミニウムは比重が2.7で、鉄の比重7.2の約3分の1ですから、サッシの断面積あたりになおすと、鉄の約3倍の値段になる。それでもまだアルミは高価ですが、複雑な断面を簡単につくることができれば、生産コストは下がる。それが《国連ビル》のアルミのカーテンウォールの成立の理由です。

ただ、ブロンズの場合は、明らかにアルミより高いんですね。だけどブロンズは高価に見えるからいいじゃないかと(笑)。そういうことで、こっちは文句なしに成立した。カーテンウォールは見映えがすればいいんです。ただ、同じものは嫌なんです。こうして次々と新しい素材がカーテンウォールに使われていきました。

(総論 窓の成り立ち 《4》に続く)

 

本連載は、書籍『内田祥哉 窓と建築ゼミナール』より、内容の一部を抜粋したものです。

『内田祥哉 窓と建築ゼミナール』 内田祥哉: 著 門脇耕三/藤原徹平/戸田穣/YKK AP窓研究所: 編 出版: 鹿島出版会 出版年: 2017年

 

1       空洞レンガブロックのこと。目線をある程度遮りながら光や風を通すため、塀などの外構に用いられることが多い。

 

 

内田祥哉 /Yositika Utida
建築家、建築学研究者、東京大学名誉教授。1925年東京生まれ。東京帝国大学第一工学部建築学科卒業。逓信省、日本電信電話公社を経て、東京大学教授、明治大学教授、金沢美術工芸大学特認教授・客員教授、日本学術会議会員、日本建築学会会長を歴任。工学博士、東京大学名誉教授、工学院大学特任教授、日本学士院会員。おもな作品に《東京電気通信第一学園宿舎》、《中央電気通信学園講堂》、《佐賀県立博物館》、《佐賀県立九州陶磁文化館》、《武蔵学園キャンパス再開発》、《大阪ガス実験集合住宅NEXT__》など多数。主著に『建築生産のオープンシステム』(彰国社、1977年)、『建築構法』(市ヶ谷出版、1981年)、『造ったり考えたり』(私家版、1986年)、『建築の生産とシステム』(住まいの図書館出版局、1993年)、『建築家の多様 内田祥哉 研究とデザインと』(建築ジャーナル、2014年)など多数。