October 20, 2015

第7章 雨戸・窓用シャッター・網戸など

真鍋恒博

窓のディテールを読み解く

この連載では、我が国におけるアルミサッシの初期の変遷の概要について述べてきたが、開口部関連アルミ製品としては、雨戸・窓用シャッター・網戸・出窓・サンルーム・天窓などのサッシ関連製品も登場した。今回は、雨戸とその延長にある窓用シャッター、および網戸について述べる。

金属製雨戸の変遷
<金属製雨戸と防火性>
アルミ製や鋼製の雨戸が製品化される前には木製雨戸が使われていたが、防火性が意識されるようになり、1958年に日本文化シャッター (現:文化シャッター) から鋼製雨戸「テットー」が発売された。この製品は、翌年には下戸車の建付け調整が可能な製品に改良され、乙種防火戸にも認定された。その後、各企業から類似の製品が発売されるようになった。1963年にはトーヨーサッシ (現:トステム) から、単体雨戸「スピード雨戸」が発売されたが、これは木のフレームに鉄板を張ったもので、現場である程度の寸法調整が可能であった。

東京都では防火上の規制で木製雨戸の表面には鉄板を張ることになったが、雨戸のフレームと合板張りは建具屋、カラー鉄板張りは板金屋、建付け調整 (光漏れ、納まりのための位置調整など) は再び建具屋、という工程を経る必要があった。上記の製品は、この点に目を付けたものであった。1973年には同社から、建付け調整機構をもつ雨戸「カールイ雨戸」が発売された。在来木造の敷居・鴨居に嵌める用途の、戸だけの製品であり、框(かまち)が二重になっておりビスの調整で戸の高さ寸法が調整可能であった (図版24)

  • 図版24 建付け調整機構つき雨戸
    トーヨーサッシの「カールイ雨戸」は、框を二重にすることで戸の高さ調節が可能な、鋼製の戸だけの製品。1973年のカタログより。

<アルミ製雨戸の登場>
枠付きの雨戸サッシの登場以前にも、既製のサッシに取付ける後付けのアルミ製の雨戸製品はあり、1960年代半ばからアルミサッシの普及に伴って、框にアルミ型材を採用しサッシとの調和を図りながら規格化を進めた製品も登場した。例えば日本化学産業が、アルミのコルゲート板 (波板) を用いた雨戸パネルを造っていた。1969年には全ての型材をアルミ製とした製品が発売され、1970年頃には戸板を含む全ての部材がアルミ製の製品も登場している。

<枠付きアルミ製雨戸「雨戸枠」の登場>
1968年には不二サッシから、サッシ枠+鏡板付き戸袋+雨戸一式の製品「ホーム雨戸」 (このタイプは当時「雨戸枠」と呼ばれていた模様) が最初に発売された (図版25) 。1971年には、同社から「ホーム雨戸」の施工性を改善した「ホーム雨戸Ⅱ型」が発売された。

当初の雨戸枠製品の戸袋には鏡板が付いていたが、その後簡略化され、枠だけの戸「袋」も現れる。もっとも、こうした部品化以前にも枠だけの戸袋はあり、木製のものや、洒落た鉄の曲げ材を使ったものなどを、古い遊廓跡などで目にすることがある。

  • 図版25 ホーム雨戸
    不二サッシ「ホーム雨戸」は、アルミ押出材を使った戸・レール・戸袋をワンセットにした、本格的なアルミ製雨戸。1968年のカタログより。

雨戸一体枠サッシ>
1970年代は住宅の洋風化傾向が始まった時期であり、窓廻りにも眺望や意匠性が要求されるようになった。また性能や機能を向上させた製品も登場し、例えば特殊な下戸車によって一押しで戸袋へ収納可能な製品 (1969年) や、不二サッシのサッシメーカーとして初の折り雨戸 (観音開き雨戸) 一体枠サッシ (1972年) などがある。また1974年にはトーヨーサッシから引戸の雨戸一体枠サッシ「雨戸枠付き太陽」が発売された。

このタイプの製品は、施工性や性能の向上から他社からも発売されるようになり (図版26) 、その後は枠一体式の製品が一般的になった。1970年代後半には、東衛産業から折り畳み式の雨戸の板材に回転機能を付加して通風・採光可能にした「光ウィンドシャッター」が発売された。折雨戸は各社から発売され、洋風デザインに合わせてアーチ状の欄間サッシと一体化した製品なども登場した。また1970年代前半には通風可能な塩ビ製ガラリ戸等も発売されている。

  • 図版26 雨戸一体枠サッシ
    雨戸枠と窓枠が一体のアルミ型材で作った製品が普及した。三協アルミニウム工業「3K-NA」。1981年、「雨戸シリーズ」資料より (図面は発売当初のものではない) 。

<断熱・防音製品の開発>
1970年代の二度のオイルショックを経て省エネルギーへの意識が高まり、雨戸にも断熱性を具えた製品が発売されるようになった。その先駆けとなったのは、1979(S54)年にトーヨーサッシから発売された「防音・断熱型雨戸サッシDan」であった (図版27) 。この製品は2枚の鋼板の間にウレタンフォームを注入したもので、二重サッシなみの断熱・気密性能、従来品雨戸の3.5倍の強度 (面外荷重) 、さらに水密性にも優れた製品であり、省エネルギーブームもあって売れ行きは好調であった。その後、各社から類似の製品が発売されるようになり、パネル (鏡板) の意匠にもバリエーションが出てくるなど、一般的な製品として普及する。

  • 図版27 雨戸サッシDan 内付け型・基本寸法図 (窓、縦断面図・水平断面図)
    防音性・断熱性・強度を改良したサッシで、おさまりには内付型・和室用、高さには高窓・肘掛窓・テラス・ランマ付きテラス、水平寸法には全国各地のモデュールに対応して、関東間(例えば6尺間で1692㎜、以下同)、関西間(1891㎜)、九州・四国間(1790㎜・1800㎜)、山陰・西讃間(1840㎜・1860㎜)、越前間(1757㎜)と、多くのヴァリエーションがあった。トーヨーサッシ、1981年版カタログより。

1970年代後半には、騒音や振動を抑えた製品も登場している。例えば、上記の「Dan」の他にも、雨戸上枠にモヘアを付けることで雨戸のがたつきを抑えたり、振れ止め機構を持つ製品なども発売されている。1980年には不二サッシから、二重のガラス戸の間に断熱雨戸を納めた寒冷地向き雨戸サッシが発売されたが、値段が高く雨戸レールの凍結等の問題もあって、廃止になった。

<雨戸からシャッターへ>
1980年代も住宅の洋風化傾向が続き、雨戸にも多様化傾向が続く。1981年にはガラリ戸のルーバーを可動式にした通風調節可能な製品や、清掃の容易なレールレスサッシと一体化した製品も登場した。

バブル期には、雨戸にも多様化・高級化が進んだ。1984年には立山アルミニウム工業から電動開閉式雨戸「オートスライダー」が限定発売され、同じ機構の手動式製品も同時期に開発されている。また1985年には、防犯性や衝撃防止のため、可動ルーバーを完全に閉じなければ開閉できない機構も登場した。

その後、戸袋スペースや景観の面から窓用シャッターの需要が増え、新築住宅における窓用シャッターの採用率は2000年頃には雨戸を上回った。

窓用シャッターの変遷
<初期の窓用シャッター>
雨戸に代わるものとして、住宅の窓用のシャッター製品が普及している。上記に引き続き、住宅の窓用シャッターの変遷を概観しておく。

我が国では明治時代からシャッターが採用されてきたが、住宅の窓用シャッターの最も初期の例としては、1964年の「建築技術」誌で紹介された日本シャッター製作所の鋼製折り畳み式「横引きシャッター」があり、その翌年には同社から「NSホームシャッター」が発売されている。

1968年には、日本文化シャッターから上部巻き込み式鋼製窓用シャッター「ミニシャッター」が発売された。同製品には、通風のためにレールが突き出し可能なタイプもあった。1970年にはアルミサッシの普及に呼応して枠部材がアルミ製に変更された。

<性能の向上と多様化>
1970年代には窓用シャッターにも性能向上など多様な製品が開発された。例えば1971年には、アルミ中空材製スラットを上下に可動にして、隙間からの通風・採光を可能にした製品が発売された。また同年に日本文化シャッターから発売された「ブラインド雨戸ミニ」は、レールにモヘアを取付けて開閉音を抑え、シャッターケースを庇形状にし、さらにサッシの色の流行に合わせてブロンズ色を追加した製品であった。この他にも、ウレタンフォームを裏面に貼って断熱・遮音性を高めた製品なども登場した。

<窓用シャッターの高性能化>
1980年代前半には、通風・採光可能な製品として、電動開閉式で、スラットの回転やスラットに隙間を作る製品が発売された。従来、金属製シャッターには断熱性は期待されていなかったが、1986年頃には寒冷地用に中空の樹脂製スラットを使用した製品が発売された。同製品は積雪・凍結による開閉障害に対応した製品であったが、北海道等の寒冷地では雨戸や窓用シャッターを取付ける習慣があまりなく、後に製造中止となったようである。また1987年には黒崎播磨から、ドイツからの技術導入によって我が国で初めてスラットにウレタンフォームを充填した「アルラックス」が発売された。

1980年代後半頃には、電動シャッターで閉鎖時に障害物と接触すると反転上昇する安全装置を具えた製品が各社から発売されるようになった。またこの頃、従来の窓用シャッターは内付けサッシにしか取付けられなかったが、半外付けサッシにも取付け可能な製品が登場している。

<1990年代以降の開発>
1990年代以降、戸袋用のスペースや景観上の理由から窓用シャッターの需要は増え、新築住宅における窓用シャッターの採用率は2000年頃には雨戸を上回った。また1990年代には、意匠性・施工性・安全性に対応した製品が多く開発されるようになった。それまでの製品は壁面からのシャッターケースの出が大きかったが、1991年頃、スラットの形状の工夫によって巻き込み方を逆にすることで、シャッターケースを小型化した製品が発売され、その後の主流となっている (図版28)

  • 図版28 正巻きと逆巻き
    逆巻きでは壁面からの出寸法が大きくなるので、小庇を兼ねたデザインが主流であったが、その後はさらに小型化が進み、両タイプとも出寸法200㎜程度の製品が開発されるなど、敷地いっぱいに建つフラットな外観に適した製品が主流になる。

<シャッター一体枠など>
1990年代前半には、三和シャッター工業と三協アルミニウム工業が、施工性と雨仕舞の問題に対して、シャッター枠とサッシ枠を一体化した製品の開発を始めた。1995年には三協アルミニウム工業から「シェフリーナ」が発売され、その後、各社から類似の製品が発売されるようになった。なお、このタイプの発売前の1988年に、出窓庇とシャッターを一体化した出窓が積水ハウスの住宅で使われている。1993年には防犯性を考慮した下部巻き込み式のシャッター一体出窓が発売され、さらにロック機構や警報装置などの防犯性を重視した製品が登場している。

住宅用網戸の変遷
<網戸製品の登場以前>
住宅用アルミサッシの一部を成す網戸は、自然通風を前提とした建築、とくに住宅に於いては、防虫・衛生のための重要な建具である。ビル建築では現在では空調が前提で窓は開けないことが一般的になったが、住宅建築では網戸は依然として必要不可欠な要素である。ここでは金属製網戸の初期の変遷について簡単に述べておく。

我が国では近世から網戸が使われていたが、当時の網戸は、土蔵の入り口の内側等に目の粗い六角形の金網を張った「鼠除け」であった。現在のような防虫目的の網戸は、1934年頃に「虫除ケアミド」として初めて一般住宅に取付けられたが、網の値段が高かったため、台所及び水廻りの小さな窓だけに使われた。1955年頃には、営業目的に食料を扱う場所では網戸の取付けが義務化された。

<初期のアルミサッシと網戸>
初期のアルミサッシには網戸は無く、網戸は前述の雨戸と同様に、アルミサッシとは別に木製の網戸を付けていた。雨戸や網戸はサッシメーカーの扱う対象ではなく、サッシとは別に在来構法で木製の枠・戸を設けており、網戸は引違いアルミサッシの外レールに木製網戸を嵌め込む使い方であった (図版29)

  • 図版29 最も初期のアルミサッシと嵌殺し木製網戸
    東京オリンピックのため1962年に千駄ケ谷から移住した新築住宅の例。基本的に開口部は木製 (当然ながら雨戸付き) だが、2室の子供部屋だけに当時最先端のアルミサッシが用いられている。当時のアルミサッシに雨戸は無く、網戸は木製でアルミサッシの外側のレールに嵌めてある。写真は解体前の網戸 (外観・詳細) と、解体時に採取したサッシ型材 (写真:筆者) 。

当時の網戸には上述のように専用のレールは無いため、網戸を外さなければ雨戸を閉めることができず、一部の裕福な住宅にしか使われていなかった。我が国初の量産普及型網戸は、1958年に川口技研で開発された木製網戸「スピード網戸」であった。この製品は、雨戸とガラス戸の間に網戸専用のレールを設けることで雨戸開閉の問題を解決し、さらに木製框に塩ビ製の網押さえを叩き込んで網を張ることで生産を容易にしたものであった。この開発の背景には、以下のことが挙げられる。

1960年代に入ると、住宅用アルミサッシにアルミ製網戸が使用されるようになった。1961年に発売された不二サッシ工業 (現:不二サッシ) の住宅用サッシ「片引きFK」のカタログには、アルミ製網戸の納まり図が掲載されている (図版30) 。しかし開閉可能な網戸はまだ普及せず、不二サッシの例では、A70(1966年)やFPC-1(1968年)にはまだ網戸用レールは見られない。網戸に戸車が付くのは1960年代後半からであり、同社のFR-70とALC-60(1971年)にはサッシ枠の最外面に網戸専用レールが見られるので、この頃から開閉可能な網戸付きサッシが一般化したと思われる。

また網の材質は、錆びやすい金網から、既に発売されていたポリ塩化ビニリデン(PVDC)樹脂製の「サランネット」に移行した。

  • 図版30 最も初期のアルミ製網戸
    戸車は無く、けんどん (上げ落し) 式に嵌め込むため、図版29の木製網戸と同様に開閉操作はできないから、必要な季節に嵌めたままにして使ったと思われる。図は立断面だが、枠の型材は水平断面も殆ど同じ。不二サッシ工業の住宅用 サッシ「片引きFK」のカタログ (1961年) より (第3章・図版8と同一製品) 。

<ロール式網戸>
網戸のたるみ防止に入れる中䙁は視覚的には邪魔物だが、中䙁を無くすために柾を丈夫にしたのではコスト的に引合わない、というのがメーカー側の言い分であった。また網戸自体が、ガラス戸を開けた時だけ必要で、閉めている間は無用の長物と、やはり視覚的に邪魔な存在である。これに対応した製品の一つに、巻き込み (ロール) 式網戸がある。これには専門のメーカーがあって、各サッシメーカーに売り込んでいたようである。下記の昭和鋼機のほかに、日本軽金属 (1977年の分社化以降は新日軽だが発売時期不詳) でも一時は製品化したが、やはり下記と同じクレームで製造中止になった。

1970年に昭和鋼機から発売された縦軸ロール網戸「コネット70」は、ガラス窓を閉めた状態では邪魔にならず、ワンタッチで網戸がサッシと連動・切り離し可能な製品であった (図版31) 。しかし網戸に止まった虫を巻き込み、張力が掛からないため網は撓み、網戸端部の縦框をサッシ框と連結する塩ビ製フックが折れやすく、半開きにしておくと網の巻き込み力で閉まってしまうなどの欠陥があり、1978年ごろには製造中止になった。

筆者は開発中のこの製品を、別件で同社工場に行った際に見ているが、1977年に購入したマンションに奇しくもこの製品が付いていた。しかし塩ビ製フックの折損クレームが続出し、入居半年後で全戸一斉に普通タイプの網戸に交換された。折角のアイディア製品なので、自分の住戸だけはロール網戸を撤去せず残しておいたのだが、その住戸は程なく転売したので、残した網戸がその後どうなったか気になるところである。

  • 図版31 巻き込み式網戸付きサッシ
    筆者とは因縁のある、昭和鋼機「コネット70」。「戸を閉めている間は単なる邪魔物」という根本的な問題を解決する試みは、当時はいくつかあったようである。1970年のカタログより。

<プリーツ網戸>
不要時に消え去る折り畳み式の網戸としては、1991年頃にポリエステル素材の網にプリーツ加工を施した伸縮網戸が不二サッシから出ており、1992年にはグッドデザイン賞に選ばれている。プリーツ網戸は他のメーカーからも発売され、勝手口などの出入り口を兼ねた開口部等で、ある種の決定版として広く使われている。ただし操作性や耐久性への不満の声もある。

<中䙁無し網戸、超高層住宅の網戸>
テラス戸用の網戸の殆どに中䙁が付いているが、これも視覚的には邪魔である。1986年には、網の張力に耐えるために框の見込・見付寸法を大きくして中䙁を無くした網戸が、トーヨーサッシから発売された。その後、高層マンション時代を迎え、網戸が必要かどうかが検討課題となった。また高層建築では強風に耐えるため網戸には外れ止めストッパーを付ける必要があるが、ストッパーの取り付け等の際に縦框が邪魔で室内側から作業がしにくい問題や、プラスチック製のストッパーの折損やねじの緩みなど、改善の余地が指摘された。

<室内側の網戸>
突き出し窓に網戸を設ける場合には、まるで檻のように大げさな箱状のネットを設ける例が見られた。1983年に昭和鋼機から発売された、突出し機構付き片引き窓「スライドプッシュユニ」では、網戸は上吊り式で室内側に設けられた。この他にも、突出し・辷り出し・縦軸辷り出しなどの開閉方式が住宅用サッシに取り入れられるようになって、室内側の網戸も多く使われるようになった。

<網戸の多様化・多機能化>
1980年代以降には、縦横の框材をカットして寸法調節が可能なノックダウン式網戸、特殊コーティングしたガラス繊維ネットを使った耐熱性の網戸 (1982年) 、ガラス繊維に銅線センサーを織り込んだ防犯用網戸 (1990年) など、多様な製品が登場した。また住宅の洋風化への対応、多様な開閉方式への対応、さらに近年ではバリアフリー対応などで、様々な開閉方式に対応した網戸が開発されている。

 

この連載は、拙著「図説 近代から現代の金属製建築部品の変遷 第1巻 開口部関連部品」 (1996、 (株) 建築技術刊) 、および研究室の修士論文 (小山田雅美君:1987年度、高橋拡君:1988年度、齋藤大輔君:2005年度) の内容をもとに再編集したものである。

 

真鍋恒博/Tsunehiro Manabe
1945年生まれ。東京大学工学部建築学科卒業、1973年東京理科大学工学部建築学科専任講師、1975年同助教授、1993年同教授、2013年同名誉教授。工学博士。2000年日本建築学会賞 (論文)受賞。専門分野:建築構法計画、建築部品・構法の変遷史。主要著書:「図説 近代から現代の金属製建築部品の変遷 第1巻 開口部関連部品」 (1996年、建築技術) 、「建築ディテール 基本のき」 (2012年、彰国社) 、「図解建築構法計画講義」 (1999年、彰国社) 、「住宅部品を上手に使う」 (1992年、彰国社) 。