WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 パリ窓コラム

第3回 華やいだ通りの情景

舟木嶺文(studio D architects)

13 Jun 2016

パリの街を散歩するのは楽しい。異なる時代に異なる理由で生まれた道が交錯し、通りを行けば幅の違う道に様々な時代の建物やカフェやショップを発見することができる。通りにはショーウィンドウが連続していて季節によって様々な華やかさ賑やかさ楽しさがある。通りから一歩人通りの少ない路地へ入り込むと、陽の光は弱まって通りにあった喧騒は遠く離れていく。通り抜けに使ったパサージュは美しく、またそこも季節によって彩られている。中心部を少し離れると、変化に富んだ道が現れ始める。かつてパリの外側の村だった時代の名残である。坂を登り切った場所から今来たパリの街を一望することができる。

  • Passage Jouffroy のショーウィンドウ
  • パリの街並

そんなパリは冬を迎えている。晩秋にあった騒ぎは徐々に落ち着きを取り戻し、街の雰囲気は徐々にクリスマスへの期待で彩られていく。外へ出てみると通りに面した大きな窓に子供達は駆け寄り、女性たちは窓の方へとキラキラと目を輝かせて視線を送る。広場ではクリスマスのために大きな蔀戸を上げたマーケットがあり、家族やカップルがその中を眺めながら楽しそうに話している。太陽は弱く陰鬱な空が徐々に覆っていく中で、同時に通りの上では華やかさや楽しい雰囲気が増していく。パリを始めとするヨーロッパの街で見ることができるこの季節の特色である。街全体に広がる華やいだ雰囲気をショーウィンドウが作り出している。

  • クリスマスシーズンのパリの街並

パリのアパルトマンの低層部、特に古い建物の低層部には分厚い壁や太い柱が道路に面するファサードのほとんどを占めている。横に広い間口を取ろうとすると壁や柱がその邪魔をする。そのため、ショーウィンドウがあるような大通りに面した店舗は、外観のアクセントとして柱を飾ったり、あるいは柱からファサードを少し出して店構えを揃えていることがわかる。時に額縁の役割を与えたり、奥行きを与えてみたり、柱などなかったかのように飾り立てたりと、様々な表情を見ることができる。

  • 柱間にガラスが入るファサード
  • ファサードが柱を覆う
  • ファサードが柱を覆う
  • 柱部分がファサードのアクセントとなっている

多くの観光客や学生が集まるカルティエ・ラタンやマレ地区にある飲食店では、ショーウィンドウへの工夫が見られる。賑わいのある路地の道を行くとクレープやケバブなどのファーストフード店の店頭には小窓が付いている。その先では従業員が動いていて、窓から商品を注文すると目の前で調理をしてくれる。窓から甘い匂いが伝わってくる。そしてお金を払って商品を受け取る。窓の開き方はそれぞれで、上下、左右に引くもの、三枚戸で内側に引き込み折りたたむ開き方などがある。路地に流れ込む、調理の音や焼かれた甘い匂いもショーの一つの要素となっている。また建物が肩を寄せてひしめき合っているパリでは開けられる開口は道路側か中庭側に限られる。飲食店などに必要な大きな吸気口などは窓の下側などに工夫して開けられている。

  • カルティエ・ラタン
  • クレープ屋のショーウィンドウ
  • 上下に開く小窓。ここで注文し商品を受け取る
  • 上下に開くパン屋の小窓
  • 受け取り口の下側部分は地下との通気口になっている。
    入り口上部には窓に直接換気口が取り付けられている。
  • 三枚戸で内側に引き込み折りたたんで開く窓
    受け取り口の下側部分は地下との通気口になっており、入り口上部には窓に直接換気口が取り付けられている。
  • ショーウィンドウの下に通気口が見られる

ショーウィンドウはパリの一つの歴史と結び付く。ショーウィンドウの先駆けとなったのが、1784年に5代目オルレアン公がパリ中心部の居城、パレ・ロワイヤルの1階部分を商店街として大衆に貸し出し、開放したことであった。ここには回廊があり、人々は雨の日でもショーウィンドウを散策することが出来た。商品を購入する必要を感じていない人々も気軽に立ち寄ることの出来る、当時のパリで最も賑やかな場所であったと言われている。今でもそこに行くと居城としての威厳と歴史を感じることができる商店のショーウィンドウを見ることができる。

  • パレ・ロワイヤルとその回廊

そして1838年に創業した世界最古の百貨店であるマガザン・ド・ヌヴォテ、現在のボン・マルシェは路面や店内のショーウィンドウを通して『見せる商品』という発明をした。19世紀初めまで、ほとんどの商店のショーウィンドウは、ガラスはあるもののそれは薄汚れ曇っており、ディスプレイはろくにされておらず、現代のような役割を担っていなかった。店内は暗く、商品は全て店の奥に仕舞われており、客が希望商品を伝えないと現物を見ることができなかった。当時はまだ値札というものが無かったため、価格は全て店員との値段交渉によって決められた。さらに商品を購入するまでは店を出てはいけないという暗黙のルールさえ存在し、19世紀のパリ市民にとって買い物は必要なものを調達するためのものであり、少し面倒で煩わしいものだったのかもしれない。

他にも当時のパリは歩道などの整備がなされていなかったため、日常的に馬車を使用できる上流階級の人々以外は、買い物は歩いて行ける範囲で購入することが出来るものに限られていた。

  • ボン・マルシェのショーウィンドウ
  • ボン・マルシェのガラス天井
  • ボン・マルシェの吹き抜け部分

このような背景の中でボン・マルシェが行った商品を陳列・展示することは、日常の出来事であった買い物の延長に新たな体験を与えた。1887年に鉄とガラスによって建てられた現在のボン・マルシェに行ってみると、天井は広大なガラスに覆われて吹き抜けを通して一階まで光が降り注ぐ。光によって演出された様々な商品を見に行くことは当時の人々にとってはテーマパークに行くような体験だったのかもしれない。

ボン・マルシェの登場により、店同士の競争も熾烈となる。人々の心を惹きつけようと、ネーミングの特徴的な商店が目立った。そしてネーミング以上に目立たせる必要があったのが、店構えであった。「定価販売」、「安売り」などの文句を店舗のファサードのいたるところに張り出す店や店全体をショーウィンドウに見立てて、壁面を出来る限りガラス張りにして、店内の様子を見えるようにする店が登場した。またショーウィンドウに出来る限りの商品を置こうとショーウィンドウを道にはみ出させたり、客の好奇心を煽るようなディスプレイの工夫もされた。そのようなショーウィンドウへの工夫は現代の商店にも様々な形で受け継がれている。

また18世紀の最後、19世紀前半にはパサージュが登場した。パサージュは錬鉄の架構とガラス屋根で覆われた歩行者用の通路で、歩道の整備がなされていないパリの時代背景から生まれた、通りを結ぶ路地のような空間である。通りの両側にたくさんの商店が立ち並んだことで、パレ・ロワイヤルやボン・マルシェと同様の商店空間であり、大通りは馬車中心の通行で整備が乏しく、また天気の優れない日の多いパリの気候もあったため、パサージュは大衆の人気を集めた。鉄や大理石によって装われた壁面と床の美しいパターンのタイル、そして店ごとに工夫を凝らし、また彩られたガラスのショーウィンドウに入れられた様々な商品。ガラスの屋根から差し込む光の中で、この空間を通り抜けることはただの通過ではなかったに違いない。

  • Galerie Véro-Dodat
  • Passage Verdeau
  • Passage Jouffroy
  • Galerie Vivienne
  • Passage du Grand-Cerf

当時地上階の一層目部分はブティック、オフィス、レストラン、工房などの商店、二層目は倉庫や使用人の住居として使われていた。現在では二層目部分にも商店が見られるが、二層目部分の天高はそのために非常に低い。一層目部分の天高はかなり高いパサージュが多く、大きなショーウィンドウが見られる。週末や人通りが多いパサージュなどは、人を避けながら進まなければいけないぐらい通路はどこも比較的狭いが、二層目以上の高さにあるガラスの屋根と大きなショーウィンドウがあるためか、圧迫感などは大してないと感じる。

日が暮れ始めると灯が点いて雰囲気を変える。ショーウィンドウの中で灯によって照らされた商品は陰影が深まって違う魅力を持つようだ。パサージュのショーウィンドウを見ていくと造形的な窓の枠や、商品などが通りに飛び出ているようなもの、ショーウィンドウの代わりに本棚などの陳列棚になっているもの、二層目の枠にガラスが入っていないものなど、通りとは少し異なった自由なファサードが見られる。これは防犯への対策の違いからこのようになっているようである。パリのショーウィンドウなどの地上階部分の窓には、盗難などへの防犯上の理由から鉄格子やシャッターが設けられるのが一般的だが、パサージュの商店のショーウィンドウにはそれが見られない。

営業時間が終わると鉄格子の扉によってパサージュの出入り口自体が閉じられることで防犯対策が行われている。各商店の窓にシャッターなどを付ける必要が無くなったことでショーウィンドウはより自由になっている。この関係性は前章で見た擁壁とパリの街の関係性に似てはいないだろうか。

  • 夜、鉄格子の扉によって閉められるパサージュ
  • パサージュ内に架かる渡り廊下と3 層部のパサージュ内部に面する公営住宅の小さな窓
  • 渡り廊下の両側にはテラス通路に面した屋上住居がある。
    窓には鉄格子などはついておらず開放的な印象を受ける。
  • Passage du Grand-Cerf にはいくつか渡り廊下が架かっており、
    その両側にはテラス通路に面した屋上住居がある。

今回運が良いことに、Passage du Grand-Cerfの上層階にある住宅に住む人からパサージュの中を見下ろす機会をいただいた。営業時間が終わりひっそりと静まり返ったパサージュもまた雰囲気がある。そこに住む人もどこか自慢げであった。この街で人々は遥か昔から、通りを行きながら小さな喜びを感じ、その喜びを共有して楽しんでいる。あるいはこの街で生活する人々は、時に非日常的な騒乱の中で恐怖し、時に歓喜の中で酔いしれる。女性や子供たちは通りでショーウィンドウの中を眺め、そこに映し出される自らとその先に見えるものとを同化させて目を輝かせている。

今回窓を通してパリの街を見ていくことで、そこに集まるそれぞれの小さな感情がパリ全体の流れを生み出す大きな希望へと繋がっていたかのように感じてしまった。それは少し言い過ぎなのかもしれないが、窓辺から通りや中庭を眺めている人、窓辺に集まって会話を楽しむ友人達、あるいはこの文章を書きながら窓から外をぼんやり眺めている自分を見て、あながち悪くない仮説だと感じている。

 

 

舟木嶺文/Raybun Funaki 1987年茨城県生まれ。芝浦工業大学建築工学科卒業後、渡仏。2010年よりフランス国立パリ・ベルヴィル建築大学へ留学。2013年同大学院修士課程修了。フランス国家公認建築学位号 (Architecte DE) 取得。EZCT architecture & design research勤務を経て、2014年にTeePee Architects事務所を設立、代表。現在、パリを拠点に建築設計、改修、都市計画の活動を行う。
http://www.teepee-architects.com/

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